第55話 惜別
「退職かぁ……寂しくなるなぁ」
カナタくんの小さく呟いた言葉で、イーゴンくんは堰を切ったようにわんわんと泣き出した。
「やだやだっ! やっぱり、やだよぉ!」
涙を流しながら再度抱き着いてきて、一瞬どきりとする。また先ほどのように回復魔法を使われたらどうしよう、と。けれど、純粋に別れを惜しむ感情からの行動だったようで、辺りが明るくなることはなかった。
イーゴンくんは普段から感情表現が豊かだけど、まさかこんなに泣かれるとは思っていなかったから、おろおろしてしまう。
「……先ほども言った通り、会えなくなるわけではありませんから……」
「ここで、先生とお昼、食べるのが楽しかったのにっ!」
イーゴンくんは抱き着いたまま顔だけを上げる。涙でぐちゃぐちゃの顔の彼と目が合う。
「ふふ、そうですね。楽しかったですね」
好きなものしか入っていないだろうお弁当を笑顔で頬張るイーゴンくんを思い出す。甘いものが飲みたいと言う彼の要望に応えて、供給室にはお茶以外にも数種類の飲み物を常備していた。いつだったか、よく来るから「ぼく専用のカップ!」とお気に入りのカップを持ってきた。まだ供給室に置きっぱなしだ。どんなことが楽しかっただとか、ルカ先生がムカつくんだとか、そんな他愛ないお話をこの供給室でたくさんした。イーゴンくんとの何気ないひと時の思い出。
「……おいしいお菓子、たくさん用意しておくので、また家に来てください。お昼……にはもうならないかもしれませんが、いろいろなお話をしましょう」
「……うん、行く。いっぱい行く」
「それと、ルカ先生とも仲良くしてくださいね」
「うっ……それは、ちょっと……」
あからさまな嫌そうな顔に思わず笑みがこぼれる。
特別に見てくれないから好きじゃない。以前そう言っていたけれど、イーゴンくんが思っているほどルカ先生は無関心な人じゃないから。
「ふふ、一歩ずつでいいですから」
なんとなくの感情で嫌だとも言っていたっけ。今はそれで当たりを強くして遠ざけてしまっているかもしれないけど、少しお話をしてみればルカ先生はイーゴンくんのことを大事に思っていること、きっと分かるだろう。ゆっくりでいいから、彼らの間にも笑顔があふれるといいなぁ。
そう思いながらイーゴンくんの頭を優しく撫でる。
「……本当に辞めるんですね」
「ヒューゴくん……はい」
ヒューゴくんが口を開いたと同時に、イーゴンくんはわたしの腕の中から鼻をすすりながら離れていく。
「あ、そういえば! 以前貸していただいた文献、まだ返せてませんね。すみません」
「いえ、構いませんよ。僕はもう何度も読んでいるものなので」
「それならよかったです!」
休養中たくさんの時間があったけど、持ってきてくれた文献や書物は量も多く、また理解するのにも骨が折れるようなものもいくらかあった。毎日徐々に読み進めているが、それでもまだすべてを読み終えることはできていなかった。
「……僕もワルデンと同じように、先生の家にまた行きますね」
「ぜひ、来てください! 文献の中で聞きたいところも何ヶ所かあるので……」
「! なんでも聞いてください! ……すみません」
わたしの申し出にヒューゴくんの気持ちが高ぶってしまって、急に顔をずいっと近づけられる。いつもの調子の彼に思わず表情を緩める。
「……世界にはまだ僕が読んだこともない本がたくさんあります。読めない言語も。理解できるようになったら、また先生のところに面白そうなものを持っていきますね」
「はい! いつでも、来てください」
「それで、また僕の話を聞いてください」
「もちろんです!」
魔力がほとんどなくなってしまったとしても、まだまだ魔力や魔法のこと、もちろん他のどんなことも勉強したい。こんなに知ることが楽しいことだなんて思っていなかった。ヒューゴくんの面白いお話は、それに気付かせてくれた。
本当にいろいろなことがあった数か月だった。魔力があることが分からなければ、目の前の彼らには出会うことはなかった。だからこそ、学園を去るのがとても悲しい。そう感傷に浸っていたら、供給室のドアが大きな音を立てて開いた。
先ほど出て行ったケイレブくんが帰ってきた。その手には、綺麗にラッピングされた小さな花が握られていた。
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