第56話 明日も会える、それだけでよかった

 突然の大きな音にこの場にいた全員がびっくりして、ドアの方を見つめる。みんなの視線は、ケイレブくんの手に握られた花に釘付けだった。彼のむすっとしたどこか不機嫌な表情と、綺麗で可憐な花がひどくミスマッチだったから。


「ケイレブくん、そのお花、どうしたんですか?」

「……」


 無言で俯いたまま、ずんずんとわたしの前まで歩いてくる。何をするのか、彼の行動に注視していると、予想とは違うところから声があがる。


「……それ、プリムラ、ですね」


 ケイレブくんの手の中を覗きこんでヒューゴくんはそう言った。プリムラという種類のお花らしい。


「植物まで詳しいんですね」

「小さい頃にいろいろな図鑑を読破していたので」


 ヒューゴくんは眼鏡を押し上げながら得意気に言う。図鑑なんて、幼少期の彼の知的好奇心を満たすには最適な書物だったに違いないだろう。興奮しながら読んでいただろう姿を思い浮かべてくすりとする。

 その間もケイレブくんはわたしの元まで歩いてきて、すぐ目の前で止まった。


「お花、ラッピングされているようですし、買ってきたんですか?」

「……」

「……へっ?」


 質問をしてみても答えは返ってこなくて、どうしたものかと思っていると、何も発しないままその手に持っていたお花をわたしに差し出してきた。

 ど、どういうことだろう……? わたしにくれるということかな……?

 ケイレブくんの謎の行動に疑問が疑問を呼び混乱していたが、ふとひとつの可能性が頭をかすめる。


「……もしかして、わたしが退職するから、ですか?」

「……別に」


 退職することを知って、わざわざ近くのお花屋まで行って、餞別を買ってきてくれたのだろうか。最初の供給の時には暴れていた彼が。

 所謂不良のケイレブくんが数多あるプレゼントの中からお花を選んだそのギャップに、思わず頬が緩む。


「ふふ、小さいお花ですが、色も鮮やかで綺麗ですね。嬉しいです、ありがとうございます」


 そう優しく笑いかけると、ケイレブくんは小さく「クソッ」と呟いた。プリムラというお花はおそらく初めて見たから、まじまじと観察する。どうしてケイレブくんはこれを選んだのだろうか。彼のことだから、「テキトー」と返ってきそうだ。

 思いがけないプレゼントに嬉しくて浮かれていたが、ケイレブくんに聞いておかなければならないことがあったんだ。


「ケイレブくん、……供給がなくなって、生徒の中で一番困るのはケイレブくんかと思いますが、最近の体調はどうですか?」

「あ? ……いい魔石選んでるから」

「そうですか……それならよかっ――」

「だから、気にするな」

「えっ」


 ケイレブくんのはっきりとした口調に驚いて彼の方を見ると、普段はほとんど目が合わないのに今は射抜くような視線で思わずどきりとした。

 退職の覚悟はできていた。しかたがないことだと分かっていた。けれど、こんな中途半端なところで辞めてしまうのは、生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。こうなることが分かっていたなら、わたしはこの職に就かなかっただろう。

 たくさんの人に迷惑をかけてしまったことを心の中では悔いていた。ケイレブくんはそれに気付いたから、気に病む必要はないと言ってくれたのだろうか。


「……ありがとうございます。ケイレブくんもぜひ、家に遊びに来てください!」

「……クソが、行くわけねぇだろ」


 言葉では悪態をついているが、彼の口元がほんの少し緩んでいたのは気のせいだろうか。ケイレブくんとはゆっくり話せたことがないから、家に来てくれたら嬉しいなぁ。彼のために甘くないおやつも用意しておこう。そんな予定を頭の中で立てていると、カナタくんが奥の方で何か動いていると思ったら、レオくんをなんとかわたしの前まで運ぼうとしていた。

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