第52話 ゆびきり

「そうですね……」


 何から話そう。今日までも過去を思い出してみる。ずいぶん色濃い毎日だったなぁ。


「……理事長と出会ったのは小さな、でも地域では人気の菓子店だったんです。あの時はわたしに魔力がある、と言われてとても驚きました」


 ふふ、と思い出し笑いをつい浮かべてしまう。あの時は、わたしもよく理事長を信じてついて行ったなぁと改めて思う。


「検査をして、その魔力が人に供給できると聞いた時はさらに驚きました。でも、それ以上に嬉しかったんです。学園で働かないかって提案されて、ああ、わたしも人の役に立てるんだなって」


 理事長から働いてくれないかと言われた時、目の前の風景がぱっと色付いた気がした。


「でも、さすがに効率がいい供給方法がキスだった時は少し戸惑いました。職員さんでも踏ん切りをつけるのが大変だったのに、大人数の、しかも生徒に! 役に立ちたいと言ったものの自分にできるか不安でした」


 働くための準備が大変だったから疲れて眠れていたけれど、時間が少しでもあったら大丈夫だろうかという考えでいっぱいだった。その度に、わたしがやりたい、誰かのために役に立ちたいことなんだから、と邪念をなんとか振り払っていた。


「それから、勤務開始まであまり時間がなくて忙しくしていた時に、理事長にお試しを頼んでおいたと言われ、とうとう生徒相手に……とドキドキしていました。どんな人が来るんだろう、怖くないといいなぁと」


 生徒は十人十色とは言え、その一例を事前に分かるのはこれからにも繋がるから、供給のお試しができるのは有難かった。でも、それはそれとして、どんな生徒が来てもこれからキスをするから拒否されるかもしれないと懸念もあった。けれど。


「来てくれたのは爽やかで優しそうな生徒、レオくんでした」


 あの日のことを頭の中に思い描く。緊張してレオくんが来ていたことに気付かなくて、全身でびっくりしていたはず。いきなり名前を聞かれて焦っていたっけ。魔力のこと、供給できることを説明をして、それから……。


「キス、だったのに、レオくんは快諾してくれました。今はもうキスと供給は別の行為と切り分けられていますが、あの時はまだキスと同じだと思っていて、何度も供給行為だと心の中で唱えました」

「……あの時、俺はすでに先生のことが好きでした。先生の前だと、素の自分でいていいと思えたんです」

「……っ」


 突然のレオくんのはっきりとした告白に思わず言葉を詰まらせる。

 テーブルの上でカップを握っていた手にレオくんの手が重なる。急に触れた体温にびくりとする。


「……すみません、急にこんなこと……でも、俺の勘違いじゃないなら――」

「で、でも! レオくんは、生徒で……」


 わたしは先生、だから。

 けれど、重なる彼の手のひらを振り払えないわたしがいるのも事実だった。


「……今まで、たくさんの人に供給してきました。生徒だけでなく学園の職員や軍の人にも。……でも、レオくんだけは、特別、でした」

「っ!」

「は、初めてというのもありますが、……うまく言えませんが、どこか、他の人とは違って……」


 ほんの少しレオくんの温度が上がった気がする。わたしも手のひらに汗が滲む。

 こんなこと、言うつもりはなかった。でも、伝えないと、レオくんがわたしの傍から離れていってしまうと思った。我が儘なのは分かっているけれど、それだけは嫌だった。


「っ先生……!」

「……っ」


 顔に身体中の熱が集まる。それと同時に、レオくんの手に力が入る。強く、だけど優しく、わたしの手を包み込む。


「っあ、でも、レオくんは生徒なので、生徒と先生、それ以上でもそれ以下でも――」

「卒業……」

「え?」

「俺が卒業するまで、1年と少し、それだけ時間が経っても先生のこと好きだったら、いいですか?」


 レオくんの予想外の言葉にフリーズしてしまう。

 卒業のことなんて考えていなかった。というか……。


「そ、そんな長い間なんて無理に決まって……」

「無理じゃないです」


 芯の通った声でレオくんは言う。

 わたしの手からレオくんの手が離れたと思ったら、彼の右手がわたしの左頬に触れる。愛おしそうに撫でるその手付きは、レオくんに告白まがいのことをされたあの日と変わらなかった。


「……待っていてください。卒業の日、もう一度先生に好きと伝えます。だから、どうかその時まで、先生も……」


 レオくんの目が少し寂しそうに笑う。祈るような彼の言葉尻は、先ほどとは打って変わって消え入りそうな声音だった。

 彼の右手が頬から離れ、わたしの右手を取る。次は何をされるのだろうか。

 脳内は期待と不安と緊張とでごちゃ混ぜで、無意識にレオくんの動きを目で追っていく。手の力を抜き好きなようにさせていると、小指以外の指を折り曲げられレオくんも同じように小指だけを立て、わたしの小指と絡ませる。


「約束、です。卒業まで好きでいたら、今度は先生からも、俺に好きって言ってください」


 レオくんは嬉しそうに笑った。こんな子供じみたまじないになんの効力もない。けれど、わずかに震えていた彼の右手が、そういう未来になるんじゃないか、とわたしに強く思わせた。

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