第30話 撤退

「あ、オリバーさん」

「彼女に言い寄るのはやめろ」


 ディエゴさんとわたしの間に立って、距離をとるようにディエゴさんの肩をぐいっと押す。


「えー、先輩も狙ってるから、とか?」

「……彼女が困ってるからだ」

「まあ、そういうことにしときますか! じゃあ、俺行くね!」


 そう言って、ひらひらと手を振りながら医療テントから出て行った。ディエゴさんは軽快な口調とは裏腹に周りのことをよく見ている。隊ではエースだけでなく、ムードメーカーも担っているのだろう。供給したことで暗躍にすぐ気付いた時のディエゴさんの顔は、サプライズがバレてしまった子どものようでかわいかったなぁ。小さく思い出し笑いをしていると、オリバーさんが声を掛けてきた。


「ディエゴがすみません……」

「いえいえ! ディエゴさんにはむしろ助けてもらったので……」

「助け? 私が席を外している間に何かありましたか?」

「えっと……、もう解決したので、大丈夫です」

「私には言えないことですか」

「そ、そういうわけでは……」


 隠し事をされていることが気に入らないのか、オリバーさんは詰め寄ってくる。秘密にするつもりはないけど、最前線から帰ってきたあの日のことを思うと、今回のことは彼は絶対に怒るだろう。もしかしたらヴァルクスさんに何かをしてしまうかもしれない。そう考えると、伝えない方がいいのではないだろうか。

 どちらがいいのか分からず、頭の中で思考がぐるぐるとしていると、オリバーさんがハァとひとつため息をついた。隠し事をする人なんて護衛できない、とうんざりされたと思い、肩が小さく跳ねる。落としていた視線を彼の方に恐る恐る戻す。


「……深掘りはしません。ディエゴが助けたなら、それで構いません。むしろ、傍を離れて申し訳ありませんでした」

「そんな、オリバーさんが謝ることでは……」

「次は何かあったら、私がどこにいようと私を呼んでください」

「今は戦況も落ち着いていますし、この医療テントにいる限りはほとんど安全ですから、オリバーさんも自分のことに時間を使っていただいても、」

「いえ、貴女を守ると、無事に帰すと誓ったので」


 こちらを真っ直ぐ見つめてくるその瞳は、あの契りのような行動を思い起こさせた。赤くなる頬が彼にバレないように、顔を伏せるようにして「そう、ですか……、」と呟いた。


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 戦況が動かない日が続くようになったある日、軍議が開かれた。


「本当か!? 間違いはないな!?」

「はい。ヴィリヤック軍全員の撤退を確認しました。再び出兵する可能性もないとの見込みです」

「何か締結したわけでもないのに、何のための戦争だったんだ……。いくら死人が出なかったとは言え、物資が無駄になったうえに、この採石場で採掘できなかった時間がどれだけあったと……」

「内政で何か問題でもあったのでしょうか」

「上からの情報は何もないが、どうだろうな……。とにかく、戦いは終わった! 勝敗らしい勝敗はついていないが、祝杯だ!」


 その一言でテント内の隊員たちが大きく盛り上がる。やっと、やっとだ。ヴァルクスさんの言う通り、この戦いの意味がどこにあったのかは不明のままだけど、一先ず戦いは終わったんだ。もう命の危険もない。そう思ったら足から力が抜けてしまい、崩れ落ちそうになるのをオリバーさんが寸でのところで受け止める。


「っす、すみません……安心したら急に、」

「ずっと気を張りつめていたんですから、無理もないです。こちらの椅子に座りましょう」

「ありがとうございます……」


 支えられながら椅子に腰かける。周りを眺めると隊員たちはどこから持ってきたのか、カップを上に掲げどんちゃん騒ぎを始めようとしていた。オリバーさんも彼らからカップを受け取り、こちらにも渡してきた。カップの中身は残念ながらお酒ではなかったけれど。


「供給の任務、お疲れ様でした」

「オリバーさんこそ、護衛お疲れ様でした。それに、ありがとうございました」

「命令ですから。貴女を無事に中央に帰すまでが護衛ですので、帰りの馬車も同行します」

「そこまでは命令じゃないですよね……?」

「そうかもしれません。しかし、あの時に誓いましたから」

「っ!」


 カップをコツンとぶつけて乾杯をしながら、オリバーさんは優しく微笑む。こんな顔もするんだ……。端整な顔が笑うとこんなにも美しくなるのか。そんなことを考えながらオリバーさんをじっと見ていたら、頬をほんのりと赤らめながら照れくさそうにわたしから目線を外した。失礼な行動をしてしまった、と反省し、わたしも視線をカップに移し一口こくりと飲んだ。


 5日後、わたしを送り届けるための馬車が戦場に到着した。

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