憑り覘く


 私は、何だ?記憶も名前も体も失った私は───??

 私は人間ではないのか?では何だ?まさか、本当に兎なのか?

 私は───私は私は私は私は私は───


「少し落ち着け───お前らしくもない」


 ───そうだ、落ち着け。こうして思考している自我がある限り、私は私だ。

 彼に、或いは彼女に問うた。私は何者なのか、そして何が起きたのかを。


「言葉にしてしまえば、単純な話だ」


 彼は、或いは彼女は滔々と語り始めた。


 大方、予想通りであった。

 私は、人間であったと。「何か」の気まぐれにより、この肉塊へと押し込められたのだと。───もう、元には戻れないのだと。


「誰がなるのか、誰にも分からないのだ。だが、誰がなったのか分かる者は居る。私もまた、そのうちの一柱だ」


 そして、問うのだ。2つの救いを提示するのだ。


「お前には、2つの選択肢がある。

 長い時をかけて神と成るか、あるいは消えるか」

「私の力を一部、お前に預けることができる。神と成るまでに死ぬことはないだろうが、万が一は否定しきれない」


 神と成る、つまりは獣が非常に長い時を生きた場合に神格を獲得する可能性があるらしい。もっとも、それまで生存していればの話だろうが、選択肢を提示するだけで何もしないわけではないらしい。


 ただ、一匹の獣として生きる。その選択肢は、あまりにも優しいものだった。

 こんな、放っておけば勝手に朽ち果てるような獣を。地面を這う事しかできない、肉の檻に囚われた哀れな畜生を、わざわざ迎えに来て───


 ......一つ、尋ねたいことがある。


「───何だ」


 あなたも、兎なのか。


「......驚いたな、私の正体に勘付いたのはお前が初めてだ」


 只の勘だ。この近くに、一匹の兎を祀る神社があったことを、思い出しただけだ。或いは、もう近隣住民にすら忘れ去られた小さな祠の一つや二つ、あってもおかしくないから。


 それに───


「......」


 あなたは、優しく歩いてくれた。老いた兎が、脚を痛めないよう庇って歩くように。ただ、それだけだ。


「そうか───それが、お前の選択であれば......」


 初めて出会った時のように、黒鏡が浮いていた。現界すると力を大きく消費することは事実らしく、あおぐろい体が鏡を覆いきれず錆だらけの表面を露出させていた。

 甲高い、兎の絶叫のような共鳴音。開けた森を、悲境を嘆く女のように誰にも拾われることなく通り抜けて。


 そこには、一匹の兎だけが残った。


 おもむろに耳を傾けると、二本足で立ち上がる。森を反響する、正体不明の鳴き声の正体を探るように。

 やがて、警戒態勢を解いた兎は見知らぬ道を歩き始めた。

 ただ、途方もない喪失感だけを抱いて。



 



 




 

 

 





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黒き鏡の玉兎。 湊咍人 @nukegara5111

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