祟りと夏祭り

四椛 睡

祟りと夏祭り

 青年が某県F市にある村を訪れたのは、まったくの偶然だった。

 本来の目的地はF市に隣接するH市。そこには青年の伯父夫婦が暮らしている。

 伯父は骨董屋の主人だ。青年は大学時代に出会った男の許で“胡散臭い仕事”をしている。といっても、怪しい壺を売るわけではない。その逆。怪しい壺——壺に限らず怪しい代物——を引き取る、回収業務である。

 今回「曰く付きの代物を手に入れた」と連絡を受け、青年は愛車であるネイキッドバイクを走らせていた。夏の暑さは盛りを過ぎ、やや和らいでいる。水色のキャンパスに筆で白い絵の具をさっと塗ったように薄い雲が浮かんでいた。田舎道は長閑だった。人の姿はない。木々の葉は陽の光に輝き、風が緑を孕んでいる。非常に気持ちがいいドライブだった。

 異変が起こったのは村に入ってすぐのこと。

 ネイキッドバイクのエンジンから嫌な音が聞こえた。そして数分と経たず故障してしまったのである。日頃から整備を怠らず、出発当日の朝も簡単ではあるが、きちんと点検していたのに。

「あちゃー、困ったな」

 青年は頭を抱えた。日帰りの予定だったので最低限の荷物しか装備していない。革製のボディバッグからスマートフォンを取り出す。電波の状態は『圏外』。完全に詰んでいる。

「おぅい」

 不意に背後から声をかけられた。

 振り向くと、年老いた男がひとり。怪訝そうな表情で立っていた。灰色の長ズボンに汗で汚れたTシャツ。黒の長靴を履き、麦わら帽子を被っている。その出で立ちは農作業の帰りを連想させた。

「そんなところで何をしとるんじゃ」

 一歩一歩、ゆっくりとした足取りで近付きながら、老人が尋ねる。

「実はバイクが突然、壊れちゃいまして。電波もないから困ってたんです」

 右手に持ったスマホを軽く振りながら、青年は正直に答えた。

 老人は瞳に同情の色を浮かべながら「そりゃあ災難だなぁ」と頷く。

「この辺にゃぁ携帯電話の電波はなかなか入らんのじゃ。それにこの村は年寄りばかりだからのぉ。こんなかっこいいバイクを直せる奴も居らん」

「そうですか」

 青年は項垂れた。けれど、すぐさま厚かましいお願いをする決断を下す。老人の家にお邪魔して電話を借り、ロードサービスに連絡を取ろうと考えたのだ。

 青年のお願いに、老人は快く承知してくれた。


 老人の家は田舎でよく見かける、敷地面積の広い、立派な日本家屋だった。玄関の扉をがらりと開け「ばぁさん、いま帰ったぞ」と老人が声をかける。すると奥から小さな足音が聞こえてきた。現れたのは老人と殆ど歳が変わらないだろう、小柄な老女だった。夏物の着物を着ている。珍しいな、と、都会人な青年は思った。

 老人が経緯を話す。老女は小さく頷きながら聞いていた。そして柔らかな笑みを浮かべると、青年に向かって「それは大変でしたねぇ」と言った。

「どうぞ、どうぞ。お上がんなさい。お腹は空いてませんか? 電話だけと言わず、良ければ昼餉も召し上がっていってくださいな」

「いえ、そこまで世話になるわけには」

 正直に言えば空腹だった。が、遠慮の気持ちも本心だった。

「いいじゃないか、食っていってくれよ」と老人。

「うちの孫は殆ど帰って来んのでな。若いのが居て、ばぁさんは嬉しいんじゃ」

「ちょいと。余計なことを言うのは止してください」

 きっと老人を睨む老女。しかしその頬は、ほんのりと赤みを帯びていた。視線を青年へ移し、すぐさま逸らす。なんだか恥ずかしそうに見えた。

 まあ、じゃあ、お言葉に甘えようかな——青年は考えを改めた。結局、ロードサービスを待つ間は暇なわけだし。もてなしを受けても罰は当たらないだろう。

 ご馳走になる旨を伝えると、老夫婦は大層喜んだ。ちょっと驚くほどの喜び方だった。青年は客間へ通され、昼食には些か豪華すぎる食事が提供された。受話器を持つことは疎か、電話がある場所に行くことさえ出来なかった。終いには酒まで出され、それは流石に全力で断った。

 いつの間にか青年の意識は暗闇に引っ張られるように落ちてゆく……。



 * * *



 青年の意識は不意に戻った。頭と頸の鈍い痛みに、思わず呻き声が漏れる。瞬きを二、三度し、垂れたこうべをのろのろと持ち上げる。

 最後の記憶では昼間だったのに、太陽はすっかりと西の空へ消えていた。月が浮かんでいる。辺りが妙に赤っぽく見えた。再び眼を瞬かせ、周囲を見遣る。赤に近い橙色の灯りが幾つも並んでいる。気付かぬうちに着替えさせられた白い浴衣。それは死に装束のようだった。朱色の櫓の中央に立てられた丸太に立ったまま括り付けられている。手は後ろ手に縛られているらしい。身じろぐと拘束に使った縄が擦れ、手首や腕がひりひりと痛んだ。

「これは一体……」

「ほんに愚かよのぉ」

 青年の呟きへ応えるように男の低い声がした。そちらへ顔を向ける。いつから居たのか——或いは最初から居たのか——足元で子供が胡座をかいている。青年に背を向ける形で座っているので顔は見えない。が、子供の頭には長く細い角が生えている。

「あの人の子らは、おぬしを供物にしたのだ。儂の機嫌をとるためにの」

 外見と声音が余りにも相反するので、青年は少しばかり眼を白黒させた。けれど、すぐに違うところへ注意が向く。この子供は今、なんと言った。供物?

「そうさ」

 子供はからりと笑う。

「夏祭りの供物だ」

 子供曰く、この村の住人たちの祖先は大昔、子供の怒りに触れた。子供は村を祟った。農作物が育たないよう土を穢し、川の水を濁らせ、雨が降らないようにした。女子供を弱らせた。男衆には奇病を流行らせた。子供の怒りを収めるため、祖先は夏祭りの日に供物を用意した。その供物を子供は気に入り、機嫌は僅かに良くなった。

 以来、村人たちは夏祭りを行うたび、供物を捧げるようになった。毎年欠かさず。祟りを納めるために。

「人身御供なんぞ時代錯誤も甚だしい。儂だって高級和牛とか、脂のりのりのトラウトサーモンとやらを食べたいぞ。あとハンバーガーも食べてみたい。マカロンも気になる」

「……随分と世俗に染まってるなぁ」

 青年は子供の正体を『神』か『鬼』か『妖怪』か……とにかく、その手の類いだと思っていた。なのに、食べたいものが完全に現代人のそれだ。

「あっちこちから自慢されるのじゃ!」

 と叫んだ子供が身体を捻って青年の方を向く。灯りが足りないにも拘らず、子供の瞳が人間のものとは異なっているのが、不思議とはっきり見える。子供の円い頬がぷくぅと膨らむ。

「隣の村に棲む奴も、祠に閉じ篭もっとる奴も、みんなみんなみーんな自慢するのじゃ! 『ブランド和牛は味が違う』『オムライスは半熟が一等旨い』『おはぎも旨いがショートケーキはもっと旨い』『いや、ショートケーキよりチーズケーキの方が旨い』『ドーナツ最高』『最近のハンバーグにはとろとろチーズが入っている』うっせーんじゃ! 儂だって好きで人肉食ってるんじゃないもん! 儂もオムライスとかハンバーグとか寿司とかケーキ食べたいもん! だけど愚かな子らは儂の声なんぞ、ぜんっぜん聞かんのじゃ!

 くっそー……祟ってやる。祟って祟って祟りまくって二度と作物が採れんようにしてやる。川は干上がらせ、山は枯れ木ばかりにしてやる。女子供関係なく村人全員、奇病を患えばいい。幻覚を見て笑い狂った次の瞬間には頭を掻き毟って譫言を言いながら怯えろ。四肢から腐って死ね。生きながら死ぬほど苦しんで死ね。そして異常なほどの雨で土地が緩んで起こった土砂崩れで生き埋めになって死ね!」

 所謂“イイ声”で食い意地の張ったことを言いながら癇癪を起こしたかと思えば、急に物騒なことを並べ始める子供。青年は「情緒不安定だな」と呆れた。同時に妙案が閃いた。

「ねぇ。ねぇ、きみ」

 食べたいものと祟りの方法を左右の手で指折り数える子供へ、青年は声をかける。柔らかい声音で。穏やかな笑みを浮かべながら。

「なんじゃ」

 数えるのをやめた子供が、怪訝な表情で青年を見上げる。

「俺を助けてくれたら、食べたいもの、なんでも食べさせてあげるよ」

 青年の言を聴いて、子供は呆気にとられたようだ。口を中途半端に開き、ぽかんと青年を見上げている。その顔は間抜け面だけれど、外見年齢に相応しく愛らしいものだった。

「ほんとう?」と尋ねる語調まで幼い。

「ほんとに、食べさせてくれるのか?」

「うん」

「なんでも? 高級和牛も?」

「高級和牛と言わず、ブランド豚も珍しい鶏も、希少でお高い海の幸だって食べさせてあげるよ」

「半熟とろとろオムライスは?」

「お安い御用」

「とろけるチーズの入ったハンバーグは?」

「当然」

「マカロンもチーズケーキもシュークリームもか⁉︎」

「勿論。エクレアもシャルロットもマルモールグーゲルフプフも食べさせてあげよう」

「? なんと言ったんじゃ?」

「流石にそこまでは知らないかぁ」

 青年は子供の小さな頭を撫で回したい衝動に駆られた。が、未だ拘束されているので叶わなかった。代わりに笑みを深め、ひとつ頷く。

 子供は丸い眼を大きく見開いた。まるで信じられないと言わんばかりに。けれど、すぐさま満面の笑みを浮かべる。人間のものとは異なる瞳は、眩しいほど輝いていた。その輝きは夜空に輝く星というより寧ろ、丹精を込めて磨いた宝石に近い。鋭く透明な煌めきだった。

「よし」と呟いた子供が、跳ねるように立ち上がる。そして、ぱんっと一度、手を叩いた。

 刹那、はらりと切れて落ちる縄。

 突然解けた拘束に「お」と声を洩らす青年。

 赤黒い闇から細波の如く広がる戸惑いの声。

「人の子よ。その言葉、違えるなよ」

 子供の唇が、にやりと歪む。うっすら見える犬歯は鋭く、その奥はいやに赤い。



 * * *



(某地方紙の記事を一部抜萃)

 ——夜八時頃、F市M村にて火災が発生。住宅を始めとする全建物と田畑が焼失し、M村のすぐそばに聳えるN山を一〇八ヘクタール焼いた。地元消防局によると、出火当時は村の恒例行事である夏祭りが開催されており、村民は全員、祭りの会場に集結していた。出火元はまだ特定されていないが、会場近くの照明設備が最も激しく燃えていることから、電気系統に何らかの不備があったとみられている。消火活動は未明過ぎにまで及んだ。

 生存者は確認されていない。また、複数の焼死体が発見されている。現在、出火原因の特定と村民の捜索、焼死体の身元確認が急がれている。



 * * *



「あの村、燃やしちゃって良かったの?」

 一歩一歩、山道を進みながら、白装束姿の青年が子供に問う。裸足で歩いているにも拘らず、足の裏からは全く痛みを感じていない。寧ろ擦過傷となった手首と、子供を抱えている腕の方が酷く痛む。前者は言わずもがな縄で負ったもの。後者は単純に、青年の筋肉が足りない所為だ。きっと明日は筋肉痛になるぞ。青年は内心で溜息をついた。

「構わん」

 子供は罪悪感の一欠片もありませんとでも言うように、すっぱりと言い切る。爽快さを感じさせる軽やかな口調だった。

「うぬと同じ人間を犠牲にして、己らは助かろうとする下等で卑劣な連中だぞ。当然の報いじゃ」

「なんだ。じゃあ、供物関係なく祟ってたんじゃん」

「きっかけと建前の問題よ」

 鼻唄が聴こえそうなほど上機嫌に答える子供。

「供物が不満で人の子ら祟るよりも、たったひとりの人の子を助けるために人の子らを皆殺しにして村を焼き払った方が、イケてるじゃろう」

「確かに」と言って、青年は笑った。

 事実は全く違う。青年の生き死になど、子供は興味がなかったに違いない。憐れで愚かな人間を見下し、馬鹿にしながら、捧げられた青年を食べていただろう。ぼりぼりと。けれど青年は「なんでも食べさせてやる」と餌をぶら下げた。単純な命乞いだ。子供は溢れんばかりの食欲に従順に従ったに過ぎない。

 それでも、助かったこともまた事実なので。

 青年は腕の中の子供に「何が食べたい?」と訊く。

「ステーキ。A5ランクとやらの」

「……うーん……それは夕飯にしよう。取り敢えず町へ出て、牛丼かラーメンでも食べよう」

「! 牛丼! ラーメン!」

「それから電話を借りて伯父さんに連絡を……あぁ、水本くんにも事態の説明を――」

「なぁ、なぁ! 牛丼は汁だくの大盛りでも構わんか? 餃子もつけてくれるか?」

「本当に世俗に染まりきってるな」

 子供の言に、青年は苦笑いを浮かべた。けれど快く承諾する。喩え頭から長く細い角を生やし、村人をひとり残らず祟って焼き殺すような存在でも、子供の無邪気な笑顔には敵わないのである。

 目指す町の姿は見えない。まだまだ遠そうだった。


(終)

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