【コミッション】女神解体
霧江サネヒサ
女神解体
去年の大学デビューは、失敗したのかもしれない。僕は、一人称を俺に変え、黒髪を茶髪に変え、山形のド田舎から、東京へと上京して来た。
講義終わりの、いわゆるウェイ系との付き合いもそこそこに、帰路につく。
いつもなら、テニスサークルへと顔を出すのだが、今日はしない。
俺の部屋は、キャンパス近くのボロいアパートにある。黒野と表札のあるドアを開錠。
そして、真っ先に風呂場(三点式ユニットバス)へと行くと、女の死体がある。風呂釜から虚ろな目が、俺を見ている。
大学デビューで変身を遂げたはずの俺を、蔑んでいるかのように、見ている。
この死体、いや、女は大層美しい。パッツンとした前髪の、長い黒髪。唇は赤い。服は黒いスリップドレス。さらに、真っ赤なネイル。そして、素足。この真っ白な肢体を舐め回すかのように見つめるのが、ここ二日の日課である。保冷剤の浴槽に浸かった彼女は、身じろぎもしない。
彼女の名前は知らない。俺の家で飲み会をしてみんなが帰った後に、彼女は浴槽に沈んでいたのだ。とても、美しい死体になって。
死因も分からない。俺は医者ではない。
女神だと思った。
名前も知れない女の死体は、俺には眩しく輝いて見えた。だって、俺の人生には何もなかったし、これから先も何もないのだろうと思っていた。しかし、今では君がいる。完璧な、君という女神がいる。しかも、独り占めだ。
「はは…………」
俺は、漏れ出す笑いを抑え切れなかった。
女神の持ち物らしきものは、全て近くの川へと捨ててある。名前は、あえて見なかった。女神は女神なのだ。それだけでいい。
「ねぇ、ミナどこか知らない?」
飲み会に来ていた女のひとりが、そんなことを訊いてきたが、当然「知らないよ」と答える。だって女神がミナかどうかなんて、本当に知らないんだから。
女神。ああ、女神。完璧なはずの女神は、三日目になると明らかに傷みだした。
「ああ、あぁあぁぁぁああ!!」
失いたくない。失いたくない!
彼女は僕の女神様なのに!
俺は動揺し、みっともなく汗や涙を流した。
そうだ。その時の俺には、妙案が思い付いたと本気で考えていた。
ネットで情報を漁り、その方法を知る。
「女神様と俺の一体化計画だ」
つまり、俺は彼女を食べることにしたのだ。
用意するものは、たくさんあった。解体用の刃物や、大きな鍋。様々な調理器具。匂いをごまかすためのカレー粉。
動くなら、人が出払っている昼間しかない。
俺は、ゴムエプロンやゴム手袋などの装備に着替えてナイフを握り締めた。まずは、彼女を逆さ吊りにして、喉を深く裂いて、血抜きする。ボドボドとバケツに血が滴る。そして、邪魔な頭はここで切り落としておこう。俺は、女神の首を大きなオムツに包んで冷蔵庫へ入れた。
続いて、内臓の処理に移る。内臓を傷付けない刃物で腹を縦に裂いて、ぞるっと出てきたものを腑分けする。腸は、慎重に扱わなければならない。糞が詰まっているからだ。丁寧に腸の端と端を縛り、すぐ横のトイレへと糞を流す。
このように、黙々と作業をしていて、思ったことがある。
「これ」は女神ではない。腸には糞が、膀胱には小便が詰まっている。ただの、人間の女。
「うっ! おえっ!」
俺は急に気持ち悪くなって、マスクを外して便器に顔を近付けて、吐いた。
今、俺が解体しているものは、ただの人間の女。そのことが、堪らなくショックだ。かつて愛した女神を解体したら、ヒトだった。それだけで、俺の精神はズタズタに引き裂かれる。
それでも、俺は女神の解体を続けた。
腑分けを終えてから、両腕と両脚を切り落としていく。いっそ憎しみを込めるみたいに。
「クソッ!」
俺は悪態をついて、女神だったものを見下ろした。ここまでしたら、ただの食肉にしか見えなかった。精肉店に並ぶ元女神の肉を想像して、少しばかり愉快な気持ちになる。
次は、調理に入る。肉や内臓を食べやすい大きさに切り、調理台に置いていく。
そして、焼いたり、煮たり、ぶつ切りにしたり。三時間くらい、そうしていただろうか。食べられる全ての部位の調理が終わった。
「ふう…………」
俺は着替えて、人心地つく。それから、食卓に並ぶ彼女を見る。かつての輝きはない。
しかし、どこかにあるはずなのだ。女神の輝き、魂のようなものが。それを、俺は取り込みたい。
「いただきます」
だから、食べる。まずは、腸に血液を詰めて作ったブラッドソーセージを食す。独特の風味がするが、食べられないということはない。むしろ、とても美味しく感じた。
だが、あの輝きを取り込めた感じがしない。
俺は、次々に女神の死体を食べていく。胃詰めにハムにレバーに脳味噌。ああ、でもあの輝きは感じられない。女神の輝きはどこへ行ってしまったのだろう? あのオーロラのような美しさと、日光のような暖かさを持つ、女神の輝きは。
ふと、ぶつ切りにした女神の心臓に目が止まった。
「ああ、なんだ。あるじゃあないか、ここに」
俺は、手掴みで女神の心臓を食べる。至上の味がする。俺は今、あの輝きを食べている!
そして、輝きは俺の魂に取り込まれ、俺の人生の宝物となるのだ。これさえあれば、どんな困難も乗り越えていけるほどの力になる。そんな気さえした。
◆◆◆
女神の輝きを取り込んだ次の日に、俺は変な女に絡まれてしまう。
日差しが眩しい大学内のベンチに座っていると、いかにもギャルといった見た目の女が隣に座り、こちらに話しかけてきた。
「あたし、カナ。ミナの姉。黒野、なんかミナのこと知ってるでしょ?」
俺の名前を知られている。警戒度が上がった。
「ミナってのが、誰かも知らないよ」
「嘘つくなよ。ミナを最後に見たの、あんたん家の飲み会でだってみんな言ってんだよ!」
うるさいなぁ。知らないよ、そんな女。
俺のことなんて気にするなよ。みんながみんなのことを気にし、報告やら密告やらをしている我が故郷のことを思い出して、息苦しくなってきた。あの閉塞感。鬱屈とした感じ。俺は身震いする。嫌だ、本当に嫌だ。
「あんた、なんで…………」
カナは、俯き、肩を震わせながら言葉を紡ぐ。
「なんで、双子のあたしより、ミナみてーなんだよ!」
「女神の輝きが分かるの……?」
思わず、口にしてしまった。
「あんた、まさか……あたし以外にアレに気付いた奴がいるなんて…………」
家族の中にあの輝きを持つ者がいた女。カナは、訥々と告白する。
昔から、ミナばかり愛されていると感じていたこと。ミナの輝きの影の部分が自分だと思っていたこと。
ミナが黒髪で色白の肌なら、カナは金髪に褐色肌。ミナのシンプルな服装に対して、カナは大胆で派手な服装。そうやってミナの影から、なんとか、這いずり出ようとしてきたこと。しかし、どこまで行ってもミナの輝きからは抜け出せなかったこと。彼女は赤裸々に語ってくれた。
「女神の輝き、ね。そんな風に思ったことないけど、言われてみればしっくりくるわ~」
カナは、やれやれといった様子。
「ミナがいなくなってから、家の中がサイアクなの。たまに、実の両親の癖に、あたしのことミナって呼ぶんだ。今まで一度だって間違えたことなんてなかったのに!」
痛ましい。
「ねぇ、あんた、ミナになってよ。そしたら、家は元通りになるんだからさぁ……!」
「俺が? 男だぞ?」
「でもミナの輝きを持ってんでしょ!」
あれよあれよという間に、俺はカナに連れられて、女神の生家へと招かれてしまった。そして、女神の私室へと導かれる。
「座って」
ドレッサーの前に座らされる俺。
そして、注文の多い料理店みたいに、ごちゃごちゃと細かく、肌や唇にメイクをされていく。マスカラだとかファンデーションだとかチークだとか。名称の分からないものも塗りたくられた。
そして、シトラス系の香水も吹きかけられた。女神の匂いだ。
最後に、黒髪ロングのウィッグを被せられた。
「出来たよ」とカナが言い、恐る恐る鏡を見ると、そこには女神がいた。
顔の造形や服装は、まごうことなく俺だし、背丈も違う。けれど、俺は間違いなく女神になっている。
「ただいま~」
夕暮れ時に、カナの母が帰ってきた。
「おかえりなさい」
気付けば俺は、いや、私は、自然と母親に声をかけていた。
「あら、ミナ、おかえり。外泊するなら連絡くらいしなさいよ」
「うん、ごめんね。お母さん」
あまりにも自然に言葉が出てくる。自然なのが、不自然。別に私は、声色を変えてもいない。
「ミナ、ちょっとあたしの部屋で話そっ」
カナが腕を組んで、私を部屋へと連れていく。
「ほらね。きっと、父さんも騙せるよ。ここに住んだら?」
「それは…………」
「大学も近いし、いいでしょ?」
ああ、そうか。きっと女神に近ければ近いほど、彼女の輝きに目を焼かれているのだ。
「…………いいよ」
私は、そう返事をする。薄く笑みを浮かべながら。
私は、黒野の家に戻り、身支度を整える。女神の頭と骨は、深く穴を掘り、山へと埋めた。
「さようなら、ミナ。これからは私が女神をやるから」
私は、女神の遺骸にお別れを告げて、黒野の家に帰った。ほどなくして、アパートの解約手続きを済ませ。カナと私の家へと最低限の持ち物を運んだ。
しばらくして、私たちは仲良し姉妹として生きていくことにする。私は、ミナはしようとしなかったこと、カナにも光を与えるということをした。
具体的に言うと、女神の心臓の欠片を、彼女に食べさせたのである。
「ありがとう! ありがとう、ございます!」
カナは、泣いて喜んだ。
私の女神の威光は、凄まじいものだった。私に都合の悪いことなど、なにひとつ起きないくらいに。
例えば、車が雨水を跳ねても、私には当たらないし、鳥が糞をしても、私には当たらないし、講義をサボっても出ていることになっていたし、みんなが低評価を食らったレポートも、私は満点だった。
間違いなく、私は無敵である。
そんな中で、路傍の石ころみたいな女が転ける瞬間を見た。当然、私は彼女に手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「は、はい」
顔を赤らめた女が、恐縮している。
優越感だけが、私を満たしていく。
◆◆◆
時は流れて、秋。私は、ひとりでコスモス畑に来ている。白やピンクの花々は、私に比べれば霞んでしまうような美しさだが、心を潤すには丁度良い。
深呼吸をする。そんな私を、同じく花畑に来ている見物人たちは、ぼうっと見ているようだ。
夜。帰り道。切れかけの街灯に羽虫が集っている。
今夜は、月明かりが綺麗だ。
私が上を見ながら歩いていると、まず、ドン、と衝撃が来た。
「え………?」
声が漏れる。訳が分からない。
「ハァっ……ハァっ……」
荒い息遣いは、フードを目深に被った男のものだ。
「あ……」
続いてきたのは、痛み。私は、地面に膝を着く。
「らァっ……!」
膝を着く私を、男はザクザクとめった刺しにする。肺に穴が空いたらしく、呼吸しようとする度に途轍もなく苦しい。
「はっ……ぐぅっ…………」
「悪いが、君には死んでもらう」
喘ぐ私を見下ろし、男は言った。それから、私を仰向けにする。そこで、私はようやく理解した。
「私の、心臓、が欲しいんだろ。依頼者はカナか?」
ヒューヒューと息を乱しながら、私は必死に言葉を出す。
きっと、カナは女神の権能の全てが欲しくなったのだろう。
「違う。僕はミナの恋人だ。彼女は私の全てだったから分かる。見た目も、匂いも、味も、何もかも全て。君は女神の偽者だ」
「はは、は……なにこれ? 愛ってやつ? くっだらなっ!」
ごふっと喀血し、俺は、久々に笑った。
「気分が良いから、イイコトを、教えてや、やる。俺の心臓を食べれば、女神になれる、ぞ」
「くだらない」
フードの男は、俺の提案を一蹴する。
「僕とミナは、愛し合う完璧な恋人だったんだ」
カナめ、そんな奴の話聞いていないぞ。
男がフードを外した時に、先ほどの台詞の意味が分かった。男は、神だったのである。
生まれながらに与えられし者。
「そんなんありかよ……」
鉄錆の味が広がる口をなんとか開けて、俺は悪態をついた。
「ミナをどこへやった? 死ぬ前に教えろ」
「た、食べてやった。あと、首と骨は、山に埋め、た。ざまあ、みろ。お前らの未来なんざ、俺の胃の中だ……!」
俺が最期に見たのは、神の光だった。
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