第5話
「ところで、歌御前の仕事って?」
「名前の通りだよぉ」
なぜかミキトさんが答えた。私が言わないと思ったのかな。
「へぇ、つまり、歌う仕事?」
「……みたい、ですけど」
兄弟、私が言うから言わないで。今しがた知り合ったばかりの人に、私のことを知った口で話されるのは気分が良くない。
「そうか、じゃあ、歌って暮らせばいい。最高だろう?」
「……いや……」
そんな簡単に言わないでよ、と怒って怒鳴って喚き散らかしたい。けどそこまで感情表現が辿り着かない。出てくるのは結局、涙ばかりだ。
「わぁ、また! どうしたぁ?」
どうしたって、私が聞きたい。
「どこか痛い?」
心が、とは言えない。
「歌うのが嫌いなのか?」
そんなわけない。
「どーおしても、水都が嫌いぃ?」
それもあるけど、ちょっと違う。
「分かった、奴流だ」
ヒサトさんがパチンと指を鳴らした。それで、ずっと横に振っていた、首の動きを止めた。3人がそろって納得したというように溜め息を吐いた。
「あぁ、怖いのかぁ?」
「大きいもんね、あれ」
兄弟、黙ってて。そりゃ怖いけど、でも。一番はそこじゃない。
「怖い、と、言うより」
「うん。何?」
ヤマトシさんの柔らかい相槌に促されて、口が動き出す。
「……3年くらい、前。見ました、あれを」
「うん? 奴流を? 地表で?」
イエスの意をたっぷり込めて、首を縦に振る。兄弟はぎょっとした顔でお互いを見つめ合い出した。
「見たことのない生き物で、怖くて。警察、呼んだんですけど。でも、他の人とか、警察とか、来たときにはもう、いなくなってて。それで、周りに……ウソツキ、って。詰め、られて」
ダメだ、言葉が途切れてしまう。まともに話せない。まだ心臓が、脳が、すべてがあの夜の出来事を拒否してる。
あの夜を境に、私を取り巻く環境はがらりと一変した。
高校受験が終わったばかりの、春と呼ぶにはまだ肌寒い夜だった。
あの日も私は、家族全員が寝静まったのを見計らって、こっそり家を抜け出した。新しく出たボカロ曲を一人で練習するため、夜の砂浜まで走ったのだ。
人気のない夜の海で一人、歌うのが私は好きだった。何度そうしてきたかなんて分からない。落ち込んだときも嬉しいことがあった日も、深夜に家を抜け出しては、そこで一人、よく歌っていた。
その日は引き潮だった。いつもと同じように海辺まで行き、階段下の浜に降りた。直後、奴流が―― 正確には、奴流の血が、空から落ちてきた。雨かと思って見上げた空に、吸盤を身に付けた巨大な犬がムササビのように四肢を広げていたときの衝撃といったら。あれ以上に驚いたことなんて、どんな映画でもお化け屋敷でもなかったと思う。見知らぬ男性に口パクで歌唱を求められたときよりも、もっと大きなインパクトと恐怖があった。
私は叫んだ。奴流はそのまま、飛沫を上げて海に落ちていった。その先の流れはあまり覚えていない。自分が警察を呼んだという記憶も本当は曖昧で、パトランプが1つ、2つと増えてどんどん辺りが騒がしくなっていったことしかハッキリとはしていない。
「異世界の生き物と遭遇した話をした結果、周りから距離を置かれちゃったわけか。想像に容易いね。つらかっただろう」
「? ごめん、ヤマトシ、何で距離を置かれるの?」
「頭がおかしいと思われたか、周りを混乱させるような嘘を吐く子だと思われたか、もしくは怪しい薬でも関係してると思われたか……ってところじゃないかと」
「怪しい薬ってぇ?」
「水都には、存在しちゃいけない類のものさ」
「それはぁ……聞きたく、ないねぇ」
「同意」
「はは、賢明な判断だよ」
青い塗料にまみれた女子中学生を、最初に保護した大人は誰だったのか。今でもよく分からないし、もう知りたいとも思わない。とにかく誰一人として、私の話を信じてはくれなかった。「子どもが深夜に出歩かないように」と厳重注意されたり、「受験のストレスね」と家族に泣かれたり、精神科に通院させられたり。いろんな騒動の渦中に引きずり込まれた挙句、高校の入学式を迎える頃には同級生のほぼ全員が、この騒ぎを知っていた。
「友達からも、色々、言われて。『親から、警察のお世話になるような子には、近寄らないで、って言われてる』とか。『そんなに、目立ちたいんなら、今すぐ何か面白いことやってよ』とか。嫌なこと、ばっかりで」
狭い田舎町の噂は、真偽が確かめられるよりもずっと早く広まっていく。おかげで高校生活は初日からずっとつらく、苦痛だった。頭のおかしい奴、ヤバい奴として扱われ、孤立を余儀なくされ続けた。クラスメイトの引き攣った笑顔も、教師の哀れみも、過剰なまでの家族の期待と心配も。すべてが毎日、苦しかった。だから死のうと思ったんだ。
なのに。
「そうか、それで死にたかったんだね、君」
「あぁ、そうなの? 自殺志願者だったんだ?」
少しだけ顎を引く。そんなに思い詰めてたんだ、と言われて、なぜかホッとした。
「私、歌い手、やってて。ちょっとだけど」
「うん」
「それが見付かって、今度は自演乙とか、編集だろとか、もっと、色々言われるようになって」
「うん」
「誰も、何も、信じて、くれなくなって。家族も、もう歌うのはやめてくれって。つらくて。だからもう、死のう、って……」
「そうか」
それは大変だったね、と静かに言われた。聞いて欲しくて、息を吸った。
「歌うのも、もう全部諦めよう、って。それで、海、飛び込みました」
「うん」
「死んで、全部終わりにしたはずなのに。なのに、生きてた」
「びっくりしただろ、分かるよ。俺も自分は死んだと思ってたから」
「しかも、あの、奴流のために歌えって。そんなの、歌いたくないのに」
「え?」
唐突に飛んできた短い疑問符に、調子に乗るな甘えるなと咎められた気がした。
「ひぇ?!」
「え、何がつらいの?」
眉をひそめたヤマトシさんが、唇を尖らせた。
「えぇ?!」
「ごめん、急にまったくわっかんなくなったんだけど?」
手のひら返しが急すぎて、胃がきゅっと縮こまったのが分かる。吐きたくなるような気持ちの悪い酸っぱさが口の中に広がって、反論どころじゃない。それを口外へ出さないよう抑えるのがやっとだ。噴水をぴょこぴょこ左右に揺らしている。わずかに遅れて、首の鳴る音がした。この人、いくつなんだろう? 所作がおじさんにしか思えない。
「誰も信じてもらえなくて、歌うのも揶揄されて、自暴自棄になって死のうと思いました。でもうっかり、ここに迷い込んじゃいました。今とっても混乱しています。ここまでは分かるよ、ちょー分かる。でもさ、その後。奴流のためには歌いたくないってとこ。これは全然、わかんない」
「……だって!」
「確かに、奴流と出会わなかったら歌御前の生活は、違っていただろうね。友達とも上手く笑い合えていたかもしれないし、歌い手としても成功していたかもしれない。奴流のせいで夢が潰えた、平穏な生活を失ったって思っちゃう気持ちはわかるよ。でもさ、それも運命だったと思えば、今このシチュエーションは最高だと思わない?」
「運命? 最高?!」
何言ってんだろう、この人。感情的になってるせいかな、誰かを心底殴りたいっていう衝動に駆られてる。こんなの生まれて初めてだ。
「歌い手やってたってことは、それなりに自信があったんだろ? 歌に」
「自信というか……ただ、私は、歌で生活できたら、って」
「いくら謙遜したところで、承認欲求のない自己表現ってのは存在しないんだよ」
随分なモノの言い方をしてくれるな、このものぐさ眼鏡。人の気も知らないで。
「あ、貴方に何が分かるのよ! って顔してるけどな、分かるんだよ、それが。一応これでも、ソッチよりはオトナだからね」
どうせまだまだ思春期真っ只中! くらいの年頃なんだろ? お前、と言われて、信じられないことに、お前じゃなくて歌御前だよとナチュラルに思ってしまった。いやいや、落ち着けよ私。それこそ私の名前じゃないだろうに。
「仮にそうだとして、だったら、何だっていうんですか」
強がったところで、これじゃ認めたようなもんだ。けど、残念な私の頭はこれ以上の返しをすぐには思い付けなかった。脳みそが疲れてなければ、もっといい回答ができたかもしれないのに。悔しい。
「だったら? だったらも何も、俺はここで歌う仕事をすればいいって言ってるだけだよ。そうなる運命だったから、お前……失礼。歌御前は、予め奴流と出会っていたし、水都で暮らせる身体を持って生まれていた。そう思えば最高だし、納得もいくだろ? 何を悲しむことがある」
そう思えば、そうかもしれない。でも、じゃあ、そう思えない場合はどうしろと?
「だって……だって、そもそも、奴流がいなかったら、こんなことには」
「あぁ、そうかもな。でも、その奴流がいなかったら、歌う仕事はできなかったかもしれない」
「は?」
意味が分からない。いや、違う。意図が分からない。
私が黙ったことでそれを察したのだろう、ものぐさ眼鏡が憐みをたっぷり含んだ顔で眉尻を下げた。ぴょんっと噴水が跳ね上がって苛立ってしまう。さっきまで可愛いと思ってたはずなのに、今はふざけんなとしか感じない。人の気持ちの移ろいやすさを痛感する。
「歌に自信のある奴って、少なくはないだろ? 昨今の地表がどんな感じなのかは知らないが、歌い手になりたい、アーティストになりたいって奴はゴマンといるはずだ。何万、何十万といる才能の塊たちの中に、歌御前も埋もれてしまってたかもしれないだろ? 違う?」
「……そんなの、それは、実際やってみないと!」
「やってみないと分からないなんて、それこそ死のうとしてた奴が言っていいセリフじゃないだろ」
こちらの声を遮った上で呆れた苦笑いを寄越された。頬が熱くなったのが自分でもはっきり分かる。その通りすぎてぐうの音も出ない。下唇がへの字に曲がるのを自覚したとき、
「ヤマトシ、ご在宅でしょうか?」
と、この嫌な空気にそぐわない明るい声がした。全員がドアのほうを見ている。かくいう私自身も、首を捻って視線を向けた。姿はまだ見えない。けど、どこかで聞いたことのある声だ。
「開いてるよぅ」
「どうぞ」
まさかなことに、返事をしたのは家主ではなく兄弟だった。それでいいのか?! と頭を抱えたのは私だけで、ヤマトシさんは
「あー肩凝ったー」
とか何とか言ってだらだら首を回したり前後左右に曲げたりしてる。ぴょこぴょこ動く前髪の噴水がちょっと鬱陶しい。
「お取込み中、失礼いたします。―― って、あら。先程の」
開いたドアの奥から、2つの輪っかが見えた。右目のほくろと芸術的な飛仙髻。
「祇王さん?!」
「こんにちは」
ふわっと笑うのに合わせて、輪っかもふわふわ揺れた。何だその可愛さ。乙姫様じゃないの? この人。お召し物も何か、さらさらというかテロテロというか、そういう感じだし。
「へぇ、もう知り合いなのか」
言外に「どこで知り合ったの?」という疑問を潜ませてるのが伝わってきたけど、いちいち説明する気にはなれない。
「いやぁ、まぁ、ねぇ?」
「色々あってね、知り合ったみたいだよ」
兄弟もそれは、同じみたいだった。
「それより、祇王は何しに来たさぁ?」
話を変えようとしたのか、純粋に聞きたかったのかは分からないけど、お兄さんが言った。ヤマトシさんは「分析だよ」と言った。
「あぁ、曲の?」
「そ。奴流とハガネの反応を分析するために、協力をお願いしたんだ。歌御前も、見学してくかい?」
「はがね……?」
奴流はともかく、鉱山資源……じゃなかった、鉱窟資源? の反応って、どういうことだろう?
「ちょっと観客多いけど、いいかな?」
「喜んで、ですことよ」
噴水と輪っかが揺れ合う。兄弟は口々にありがたきことに存じますと言って手を叩いた。
「こっちに座りなよ」
と、ヒサトさんが手招きしてくれたけど、首を横に振らせていただいた。慣れない相手と至近距離で座るのは遠慮したい。
2つばかりの咳払いをしながら、祇王さんがパソコンデスクの側までやってきた。ヤマトシさんのすぐ右隣に立って、OKですよというように手でマルを作っている。
ヤマトシさんは、キーボードをカチャカチャ弾きながら「準備するね」と返した。
準備の一部分なのか、窓に映し出されていた影絵のようなホログラムがばらばらと崩れていく。木々が剥がれ落ち、鳥が羽ばたいて逃げて行く。
窓を挟むように置かれた、巨大なスタンド型スピーカーから歓声と拍手が聞こえてくる。合わせて窓の絵がまた切り変わった。ボカロのMVでよく見る、黒いバックと虹みたいなライトがクロスする舞台の映像。ライブハウスのステージ映像みたいだ。すごい、面白い! と思ったときには、スピーカーから聴こえる『音』が、『曲』に変わってた。
「じゃ、どんどん歌ってってくださーい」
「分かりました」
噴水アタマの大雑把すぎる指示にも、祇王さんは嫌な顔を見せることなく頷いた。すごいな、私なら「はぁ?」って言っちゃってると思う。女神様? それとも上流階級の余裕ってやつ? さして年は私と変わらなそうなのに、器は月とスッポンくらい違いそう。
なんて感心してるうちに前奏が終わったらしく、乙姫様は勢いよく歌い始めた。ボカロっぽい曲調だけど、初めて聴く曲だ。こっちでは有名な曲なのかな、ソファで脚を組む兄弟も、小さくリズムを取ってる。知らぬは私ばかりなり、って感じだ。
音の動きが激しい曲調だけど、まったく問題ありませんと言わんがばかりのパワフルさで歌い上げている。女性ボーカル特有の甲高いソプラノじゃなく、どっちかというと凄味の効いた、ロック向きの声。低音部は殊更カッコよくて、聴いてるとゾクゾクしてくる。見た目やさっきまでの柔らかな話し方からは、とてもじゃないけど想像できない歌声だ。目も耳も惹きつけられるギャップが堪らない。羨ましさに心を揺さぶられる。
空間全体を震わせていそうなくらい、たっぷりビブラートの効いたロングトーン。私はきっと、人前で、ここまでは歌えない。悔しさと憧れが混じった気持ちが沸いてくる。そうか、これが焦燥感ってやつか。
胸中に痛みが走ったあたりで、声が途切れた。一瞬の沈黙。拍手の準備をした手が動き出すより一拍早く、スピーカーが毛色の違った曲を流し始めた。どうやらメドレー形式で、何曲か歌うらしい。ここは邪魔しちゃいけないと、掌を拳に握り込んで下ろした。
歌唱に混じって、カシャカシャとタイピングする音が聞こえてくる。噴水アタマ、失礼だろ。こんな素晴らしい歌を披露させといて、何してんのよ。
気になってパソコンの画面を盗み見る。譜面にも見えるし、ボカロ曲の制作画面にも見えるし、カラオケの採点画面にも見える。格子線の入った黒い背景の上を、緑と赤の直線が左から右へ伸びている。心電図みたいに上下に踊りながら走る2本の直線。相関関係は謎だ。
噴水アタマが何かコマンドを入力してるせいか、ピピピピと古い目覚まし時計に似た音がした。
軽やかに高音が響いたかと思ったら、また曲が止まった。しまった。今の曲、もっとちゃんと聴いとけばよかった。まだあるのかな。次は真面目に聴こう。
と思った刹那。条件反射で口が広がった。激しく動くマイナーコード。BPM、おそらく154。独特なシンコペーション。知ってる、この曲。
十八番だ。
戦うのさベイビー、命果てるまで。
うっかり声が出た。祇王さんがあら、という顔で私を見る。ヤバい、邪魔しちゃった。
すぐに口を噤んだけど、ちょっと遅かったらしい。ビーッ、ビーッと警告音じみたものが鳴って、緑のギザギザが画面上端へ触れっぱなしになっている。ヤバい、何かやらかした!
「あ、す、すみません!」
「いや、いいよ。続けて」
「滅相もない!」
「……じゃ、祇王。続きを」
「はい」
ぶんぶん頭を振ってたら、あっさりバトンの渡し先が変わってしまった。少し残念だけど致し方ない。私の歌うところじゃないんだから。兄弟の視線も痛いし。
祇王さんの歌い方は、私とは解釈が違っててすごく興味深い。こういう表現の仕方もあるんだなと勉強になる。訴えかけてくるような歌い方でワクワクする。
一瞬で曲が終わってしまった。勿体ない、割り込んで歌い出すような真似しなきゃよかった。
「はーい、お疲れ様。祇王ありがとう」
「とんでもない」
まるでレコーディングを終えたプロデューサーとアーティストみたいな会話。続いて、兄弟がぱちぱちと拍手する。私もそれに続いて手を叩いた。
「やぁ、やっぱり君の歌は素晴らしいなぁ。間近で聴けて重畳だぁ」
「お上手で」
「いやいや、俺もそう思うよ」
「ありがとう存じます」
跪く三歩手前、くらいの感じで膝を曲げた。見た目も口調も仕草も、すべてがお姫様然としてるのに、ロックの似合う歌声をしてるなんて。ズルいぐらい素敵な人。
「……歌御前、これ知ってるの?」
「え?」
突然話を振ってきといて「コレ」とか言われても。ヤマトシさんの聞きたいことが分からず、首を傾げる。黒かったディスプレイが、ボーカロイドの画面に切り替わった。長い髪をなびかせて、歌姫が歌い出したのは我が十八番。
「そりゃ……有名な曲じゃないですか」
「有名かぁ? ボカロ好きじゃないと知らない程度だと思うけど」
ケタケタ笑うのが癪に障る。
「そんなことありません。公式の再生回数も1億近いし、歌ってみただって100件単位でUPされてるし」
「え? 今、そんなことになってんの?」
「そうですよ。ボカロは知らないけどこの曲は知ってるって人も多いし」
「はー、数年離れてる間に地表でブームになってたのか」
「ヤマトシ、帰りたくなった?」
「まさか。ご冗談でしょ」
「よかったさぁ」
内輪で盛り上がるのやめて欲しい。いや別にいいけど、私に話を振っといて放置するの、やめて欲しい。せめて説明して。
「そういえばお主、最初に会ったときもコレ歌ってたような?」
「あぁ……はい」
「そうだったね。この曲好きなの?」
「はい。よく歌ってました」
「へぇ」
「へぇ」
よく分かんないけど、兄弟そろってニヤニヤしないで欲しい。
「あの、ヤマトシ、分析のほうはいかがです? 順調ですか?」
「分析?」
そうだった。祇王さんのおかげで思い出した。奴流とハガネの反応を分析するって話だ。あれ、どういう意味だったんだろう?
「もう君も知ってると思うけど、奴流は良い歌に惹き付けられる。ハガネは、良い歌で硬度を増す」
「……はい?」
「ただ歌が上手ければいいってわけじゃない。どういう音、どういう声、どういう音階、リズム、曲が、奴流とハガネ、それぞれに対してどんな作用を起こすのか。俺はそれを分析してる。仰せつかったんだよ、恐れ多くもね」
誰から仰せつかったのかは、聞くまでもない。それよりも気になったのが
「ハガネの硬度?」
これだ。歌が、鉱物に影響を及ぼすと?
分からずハテナを飛ばしたら、噴水アタマさんも
「何だ、まだ話してないのか?」
と、ハテナを兄弟に向けて転送させた。受信者はお互いに顔を見合って、ふうと肩を竦めた。
「……どうしてもそこは、慎重にならざるを得なくてね」
「大丈夫だろ。どう見ても子どもだし無害に決まってる」
また! この人も子ども扱いしてくるなんて! そんなに童顔かなぁ、私。特段言われたことないけど。
「もうすぐ選挙権がもらえる程度には、オトナなんですけど」
「実年齢の話じゃない。シャカイに出てない、シャカイの仕組みの何たるかを知らない奴は、みんな子どもだよ」
嫌味のつもりで言ったのに、さらっとドストレートなパンチが返ってきた。そういう物差しで語る人、嫌い。
「金偏に岡と書いて、鋼という字がある。知ってるか?」
「知ってますけど」
さっきから人のことバカにしすぎじゃない? この噴水アタマ。
「水都では、その字に音という漢字を付けてハガネと呼ぶ」
「はぁ」
「どういう意味か分かるか?」
「……いえ」
回りくどいな。コッチのことなんて私に分かるわけないんだから、さっさと教えてくれればいいのに。これだから大人は嫌いなんだ。
くるっと人差し指で宙にマルを描きながら、噴水アタマは書いて字の如く、と言った。
「音に反応する鉱物ってことだ」
「……で?」
「奴流同様、鋼音は歌に反応する。地表の鉱物が温度で硬度を変えるように、鋼音は音で硬度を変える」
「だから、何なんです」
イライラしてきた。
「まだ分からないのか? お前の声がいい、って言ってんだよ」
「!」
前言撤回。そういう、ドストレートに褒めてくれる人、出会ったことないけど嫌いじゃないかもしれない。
「声……?」
「そう。鋼音が硬く、鋭く、強くなる歌声をしてる」
鉱物目線での意見が来るとは想像もつかなかったけど、何基準であろうと歌や声を褒めてもらえるのは嬉しい。
「これ。ちょっと見てて」
キーボードをカシャカシャさせつつ、ヤマトシさんが言う。素直に画面を覗き込むと、スピーカーからまた曲が流れ始めた。
「さっきのメドレーの録音だ。画面見ながら聞いてて」
「はい」
「左から右へ走る、心電図みたいな線が赤と緑、2つあるだろ? あれを見てて欲しい」
頷いて画面を注視する。ギオウさんの歌声に合わせて、2色の線が上下にがくがく揺れながら左から右へ流れていく。
「赤は、奴流の反応を予測した線画だ。平坦に近ければ近いほど、奴流の感情を抑制・鎮静化させる作用があると考えられる」
いずれの線も波打ってはいるけど、幅は小さい。つまり、奴流にとって祇王さんの声には鎮静作用があるということか。
1曲目の再生が終わって、2曲目に入る。線の動きがさっきまでより、少しばかり激しくなった。曲調によっても変わるのか。さっきの曲のほうがいい、ってことだな、多分。
終わりに差し掛かってきて、私が歌ってしまったあたりが近付いてくる。
「緑の線は、鋼音の硬度だ。上に振れれば振れるほど硬くなる」
「……え?」
緑の線が上振れして戻ってこなかった、さっきの画面が脳裏にチラつく。
「見てて」
言われなくても目を離せない。あと3秒、2、1―― 。
ビイィン!
緑の線が、一直線に画面上部へ跳ね上がる。真上に伸びる向日葵の茎のように、上へ、上へと伸び上がった。進行方向が右から上へ変わったとしか思えない勢い。何、これ。
「……ヤマトシ、あの、これは、何かの間違いじゃなくて……?」
「えっ」
何でだろう、軽くショックだ。
「あ、違います! 歌御前がどうの、ということではございませんの。ただ、その……こんな反応、ついぞ見たことがありませんものでして……」
「俺もだよ」
祇王さんが慌てたふうに一生懸命話していると、ヤマトシさんが割り込んできた。
「こんなの、俺も見たことない。だから分析機能に異常がないかも含めてもう少し検証したいと思ってる。歌御前」
「はい」
自然と歌御前と呼ばれて返事できるようになった自分に戸惑いを隠せない。
「歌ってくれないか? 今一度、ここで」
「……」
YESと言いかけた。けどそれは、けたたましいベルの音で遮られた。
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