第3話

とりあえず体力を回復させようと地べたにしゃがみ込む。お尻の下がハチャメチャに熱くて、逆に頭が冷えた。今まで必死で気付かなかったけど、靴下越しに感じる地面の温度がヤバイ。これ、火傷する。日陰じゃないと身体が焦げる。

「ここ、どこよ……」

真っ赤な太陽が遠くの山にかかっている。やっぱり本当に知らない世界なのかもしれないと、途方に暮れる思いで呟いたら

「水都ですよ」

と、誰かに返された。先程の女性が、タオルを抱えて戻ってきてくれていた。

「大変失礼いたしました。どうぞお使いください」

差し出されたタオルは、さっきの布団と同じくらいふわっふわで気持ちいい。顔を埋めたら最後、頭を上げたくないくらいの極上品。これがタオルなら、今まで私が使ってきたタオルって何? 雑巾以下じゃん。上流階級の人たちって、本当にいいものをお使いなんだな。

「おケガなどは?」

顔はタオルに埋めたまま首を左右に振る。彼女にはそれが面白く見えたらしく、クスクスと笑っている。

気になって顔を上げると、輪っか状の髪の毛が女性の笑い声に合わせて揺れていた。その髪型、乙姫様のイラストとかで見たことある。飛仙髻ってやつだ。どうやってセットしてんだろう。芸術的!

右目の下の小さいほくろが色っぽい。ミント色の着物と薄桃色のストールもよくお似合いで。こんな美人、見惚れるなっていうほうが無理。

「げに、申し訳ございません」

呆けていたら深々と頭を下げられた。ちょっと気まずい。そんなことはいいからと、もう一度首を振った。すると、

「粗相をしておいて恐縮ですが、水都はとても良いところにございます。どうかお嫌いにならないでくださいませね」

と、まるで私の質問を先読みしたかのような返答が寄越された。

「……え?」

「はい?」

「あの……分かるんですか?」

「何がでしょう?」

「私のこと」

「貴方様のこと? たとえば、何を?」

聞き返されて恥ずかしくなった。初対面の相手に「私のこと知ってますか」って、よくよく考えたら自意識過剰もいいところだ。変な質問をしてしまった。

「えっと……たとえば、日本から来た、ってこととか」

焦りすぎて、もっと変な聞き方をしてしまった気がする。しかも、これじゃここが日本じゃないって自分で認めたみたいな言い方だ。何言ってんですか? ここは日本ですけど? って返ってきたらどうしよう。いやそれはそれでいいのか?

「ニホン? それは……地表の地名、でしたよね?」

確認するような返事。

「はい」

と、真面目に頷いた。ら、女性もしっかり頷き返してくれた。

「ニホンからお越しかどうかは分かりかねますが、貴方様が地表の方ということなら、もちろん分かります。だって、髪も肌も違いますもの。あと、ここも」

にっこりと唇の端を上げて、女性は自分の眉毛を指差した。本当だ、この人も眉毛を全部剃って、描いてある。プラス、よくよく見れば髪も真っ黒じゃない。あの2人みたいに青緑が混じっている。

「あなたは、ここのヒトなんですか?」

「ええ。生まれも育ちも日ノ本・水都、生粋の水都人ですわ。先祖代々、御庭番として国主様にお仕えしております」

女性は誇らしげに笑ってるけど、こっちは絶望的な気分です。日本じゃなくて、日ノ本ですか。

「それよりも、お履き物はお召しじゃなくて?」

「え? あぁ、はい。迷ったんですけど、履かないで出てきちゃいました」

「さぞ熱いでしょう? よろしければ」

と女性が差し出してくれたのは真っ黒な毛皮のスリッパ。どこに持ってたの、気付かなかった。

「ありがとうございます」

大人しく頭を下げて、足を突っ込む。想像通り、これもまた極上の逸品ですね。何の毛ですかこれ。上流階級怖い。

「貴方様は、最近、水都へ?」

傾げた首に合わせて、額の上のマルが揺れる。金魚のしっぽみたいで可愛い。どうやったらその髪型を作れるのか教えて欲しい。

「どうかされましたか?」

「あ、いや、すみません。えっと、はい。昨日? 今日? 来ました」

普通、曖昧すぎて怪しいよね、こんな言い方。それでも、彼女は微笑んで

「そうなんですね。私はヨンダイメギオウと申します。以後、お見知りおきを」

と、頭を下げてヨロシクと言ってくれた。どう見ても不審者の私に、とことん優しい。女神かよ。

「メギオウ、さん?」

「ふふ。ギオウ、です。4代目の祇王」

こう書くんですのよ、と、地面に細い指を走らせていく。4代目って、そういうことね。てか、そこ、いる?! 祇王だけでいいのでは……。

「失礼しました……」

「いえいえ。それより、よろしければ、どうぞ」

「え?」

今度は巾着を手渡された。着物の色とストールの色が混ざったような、品のいい緑。さぞお高いんでしょうね。こんなものド庶民が触ってもいいの?

「差し出がましいかとは思ったのですが、随分とその、お疲れのように見受けられましたので」

開封を躊躇っていたら、祇王さんが袋を開け始めた。2本の竹筒が入っている。卒業証書の筒を開ける要領で、祇王さんが片方の筒の蓋をポンと外した。丸い、クッキーのようなものが見えた。

「何ですか? これ」

「ヤキフズクです」

甘くて美味しいですからどうぞと口添えされて、誘惑に負けた。負けて良かった、美味しい。

「全部召し上がっていただいて結構ですよ。お気に召していただけたのなら、何よりです」

食べるスピードが尋常じゃなかったからだろう。優しさなのか哀れみなのか微妙なラインのお言葉を頂戴してしまった。挙動不審で通報されてもいいような存在の私ががっつく様を、祇王さんは嫌な顔一つせず横で見ている。もう1本の竹筒をちゃぷちゃぷ揺らしながら、

「水もありますよ」

と目を細めた。

「ありがとう、ございます」

「とんでもない」

「……あの、祇王さん」

「はい?」

「ここは本当に、水都という町なんですか?」

「はい、もちろん」

さらっと肯定された。でしょうね。

ヤキフズクも、竹筒状の水筒も、アートな髪型も。私の知る日本では、一般的なものではない。でもボカロ曲はあるし、日本語もバッチリ通じてる。私の知る日本と同じだ。よく分からない。

「本当にここ、海の底なんですか?」

「海の底……そうですね、地表の方々から見ればそうかもしれません」

「海の底で息ができるなんて……」

「あら。だって、ここは海中ではございませんよ?」

「確かに、水中ではなさそうですけど……」

「お目付け役からは、何もお聞きになってらっしゃらない?」

お目付け役って何。響きが怖いんだけど。誰のこと? また訳の分からない話になってきた。

とりあえず「何も聞いてない」という点は合ってるから頷いてみる。祇王さんは怠慢かしら、可哀相にと溜め息を吐いて、再び話し始めた。

「この地は、地表から見れば海の底の裏側にございます。逆に言うなら、私共からすれば、地表の世界は海の底の裏ですわ」

「海の底の裏!」

目から鱗が落ちたかと思った。なるほど、そう言われたら少し分かった気がする。地表とは、海底という壁を挟んで存在する都ってことかな。

「はい。水都は、貴方様方から見れば、海の底の裏に当たる土地。地表を覆う海洋と、この惑星の中心部にある鉱窟との間に生まれし、稀有な国にございます」

そう学府で教わりましたと、祇王さんは自慢げに語った。

理解はできつつある。けど、いやしかし、とはいえ本当にそんな場所が? といった気持ちも、まだたっぷりある。

「でも、そこに酸素があって、ヒトがいて、世界があるなんて」

「私も、地表に世界があるなんて、信じられませんことよ」

お互い様ですわと言って、祇王さんはクツクツ笑った。

そうか、この人だって私の言うことを半信半疑に思ってるのか。育ってきた環境が違うんだ、祇王さんと私とでは知ってることも常識も、乖離があって当然なのかもしれない。私の「あり得ない」だけで世界を定義づけるのは、もしかしたら良くないのかもしれないな。

「祇王さん」

「はい」

「あの、ついでってわけじゃないんですけど、もう少し教えてもらってもいいですか?」

「何なりと」

「さっき言ってた、コウクツって何ですか?」

お兄さんの口からも聞いた気がする。マントルをそう呼んでるっぽい? もしそうなら、ここは【海底】と【マントル】の間にある場所なんだって、さらに納得を深められる……かもしれない。

「アレですわ」

白い指が示したのは、やたら赤く見えてた例の太陽だった。

「え? あれ、太陽じゃないんですか?」

「タイヨウ?」

そうか、そもそも地表じゃないから、太陽は見えないのか。どうしよう、太陽が通じないとは。何と説明すればいいのか分からず黙ったら、祇王さんが

「コウクツとは、鉱山の洞窟という意味です。資源を採集する場所であり、刻限の管理に用いる場所ですわ」

と教えてくれた。顔の前で合わせている中指に、薄桃色の布が巻き付けられてる。どうやらストールの端っこみたいだ。あの天女の羽衣みたいなやつは、ベリーダンサーが纏う、ヴェールみたいな作りになってるのか。面白いな。

「資源の採集、ですか?」

太陽も、刻限の管理はする。けど、まず行けるような場所じゃない。言われてみれば、赤い太陽みたいな球の中心には穴が開いてるようにも見える。ブラックホールならぬレッドホール。あの穴の奥に行くのか。どうやって入るんだろう。

「えぇ。金、銀、銅はもちろん、何より重要なハガネを採掘する場所です」

「ハガネ」

「はい。あれがなければ、剣の一本もできませんもの。他にも、様々な素材が入手できますよ」

いろんな資源が1ヶ所にまとまって眠ってる鉱山、ってこと? へぇ、すごい。地球にそんなところがあったんだ。知らなかった。

「ちなみに、刻限は鉱窟の入り口がどの程度開いているかを基準に管理しております。といっても、実際にはトキナラシが教えてくれるわけですが」

「トキナラシ?」

「今がどれくらいの刻限か、知らせてくれる音ですよ。時を鳴らす、という意味です」

「へぇ」

5時を知らせるチャイムみたいなものか。トキナラシって響きは、馴染みやすい感じがする。何となくだけど。

返答が短かったせいか、改めて水の入った竹筒を差し出される。別に疲れたわけじゃないです、と思ったけど、やっぱり疲れてるわ。もらっておこう。

「でも、どうやってあそこまで行くんですか?」

口内に広がった冷たさのおかげで、新たな質問がスッと出てきた。今知り合ったばかりの相手に対して図々しすぎるでしょとも思ったけど、祇王さんは

「ヌルと向かいますの。ヌルは少しの間であれば飛べるので、あの黒い背中に乗って向かうんです。熱くて私共は到底入れませんが、ヌルは平気なようですよ。ハガネを中心に、多くの貴重な資源を採集してきてくれて助かります」

と、さらさら喋って丁寧に教えてくれた。

「ヌルって?」

「私共の家畜のことです。まだご覧になられてませんか?」

「あ、はい、多分」

「ちょうどこれから、ヌルの誘導に向かうところなんです。ご一緒にいかがです? ヌルは歌の好きな生き物ですから、よろしかったら歌ってくださいませ」

「は、い?」

祇王さんがさっと歩き出した。一人になるのは嫌だったから、その2歩くらい後ろを着いて行くことにした。ご機嫌そうに口ずさんでいるのはボカロ曲だ。その曲、好きだったな。もう活動してないボカロPさんの曲だけど。どうしてここで歌われてるんだろう? 聞いてみようかな。

「この曲、地表でも有名なんですの?」

うわ、先に逆質問されちゃった。

「あ、はい。でもあの、どうしてその曲をご存じ、なんですか?」

「ヤマトシから教えていただきました」

ヤマトシ。聞いたことがある。

「えっと……それって」

誰、と聞くより早く、

「私の持つ地表の知識は、ほとんどがヤマトシに教わったものでございます」

と言われた。あぁ、ヤマトシって、あの2人が言ってた人か。祇王さんもヤマトシさんとやらの知り合いなんだな。

「地表の世界でも牧畜はあると伺っておりますが、何を育ててらっしゃるの?」

「あまり詳しくはないんですが……牛とか馬とか、あと羊とかです」

「羊? って、あの、十二支の?」

「はい」

「そんな! 羊って、実在する生き物なんですの?!」

「も、もちろん」

「知りませんでした……! 牛や馬も実物は存じませんけど、羊はそもそも、伝説上の生き物だとばかり思ってましたから」

ヤマトシも羊のこと教えてくださればいいのに! とぶつぶつ言いながら進んで行く背中に親近感。この人にとっての羊は、私にとってのヌルみたいなものなのかも。でも十二支は通じるのか。本当に日本みたい。似て非なる世界なんだな。

森みたいなエリアへも躊躇なく足を踏み入れ、祇王さんは難なく先を行く。虫も出そうだし、あまり行きたくない。けどここでま置いてきぼりは堪らないから行くしかない。着物でも、人って素早く動けるのか。知らなかった。

「あちらですわよ」

指差し示されたのは、それまでの草むらとは打って変わって赤茶けた地面の広がる場所だった。開けた視界に化け物の姿が飛び込んでくる。忘れがたいほどの見覚えがある、【何か】だ。

「……あれが、ヌル……?」

まるでコッツウォルズやオークランドの、羊の放牧地帯みたいなエリア。違うのは、そこにいるのが羊や牛ではなく、漆黒の毛並みを光らせる大型犬のような生き物であるところ。足の内側と腹部に吸盤を湛えている、私の知る世界にはいるはずのない―― 私の人生を、毎日を、めちゃくちゃにした生き物が、羊の代わりにそこにいるところだ。

「えぇ。ヌルです。賢くて有益な家畜ですのよ」

にこやかに言って大きく息を吸うと、祇王さんは歌い始めた。今しがたまで鼻歌で歌っていた、あのボカロ曲だった。気持ちよさそうに歌っている。こっちは身の毛もよだつ思いだというのに。

辺りに歌声が響き始めると、あちこちに散らばっていたヌルたちが牛みたいな声を上げたり、目を細めたりして心地良さそうに体を揺すり出した。自らの意思でいくつかの黒い塊を形成していく。その群れごとに、わらわらと移動を始めた。

「ヌルは、歌の好きな生き物ですの。ですから、この後お部屋で歌を流しますよーという意味合いで歌ってみせるんです。それが畜舎へ戻る時間です、という合図になるのです」

「……そう、ですか」

忌々しい記憶が蘇ってくる。同時に、昨夜の邂逅も。

『歌え』とあの2人は言った。それはつまり、私にヌルを操れと。ヌルをおびき寄せろと。そういう意味だったってこと?

「? あの、どうかなさいましたか?」

怒りと恐怖が全身を駆け巡る。嫌だ、何で私が、こんなののために!

「見付けた!」

「え?!」

まずい! と身体が飛び上がった瞬間に、あっさり後ろから両腕を取り押さえられた。顔など見なくても分かる。あの2人だろう。逃走劇もこれにてジ・エンドか。

2人に抱えられて、まるで松葉杖2本で移動する人みたい。もし地表でこんなイケメンを松葉杖代わりにしてたら、リンチされそう。

「悪いけど、もう四の五の言わずに連れて行くからね!」

「次逃げたら、さすがに承知しないさぁ?」

あからさまにイライラしてるな。謝ったほうがいいのかもしれない。でもそんな気分になれない。

「お目付け役のご登場ですわね」

祇王さんが笑う。前後に揺れる頭の輪っかが可愛くてまだ見つめていたかったのに、松葉杖が勝手に回れ右をして歩き出すからすぐに見えなくなってしまった。

「失礼するよぅ」

「祇王殿、お騒がせしました」

知り合いなんだ。宮仕えする者同士、顔見知りってことかな。

「あの、色々、ありがとうございました!」

無様に引きずられる身でも、せめてお礼をと声を張り上げる。

「こちらこそ。今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。ご武運を!」

同じく張り上げた声を返してくれた。嬉しいけど、多分もう二度と会えないよと思ったけど、言うと泣きそうだったから黙っておいた。

「あのさ、もしかして、俺たちが君を殺そうとしてるとでも思った?」

ええ、思いましたよ。思いましたとも。

「ちゃんと仕事さえしてくれれば、充分すぎるほどの生活を保障するからさぁ。とにかく一緒に来て、皇女様もお待ちかねだからぁ」

両肩を持ち上げられているから足が地に付かない。おかげで頂戴したばかりのスリッパが落ちちゃったじゃん。勿体ない。自分じゃ自分は見えないけど、見えてたらきっとマリオネットみたいで目も当てられない動きをしてるんだろうな。

「くれぐれも粗相のないよう、頼むよ」

「お待ちくださってるのだからねぇ」

このまま連れて行かれるのか。まだ心の準備ができていませんって言いたいところだけど、聞き入れてもらえる気配はないよね。三食+休憩だけはしっかりお願いします、って、とりあえず懇願しよう。万が一にでも、OKがもらえれば儲けモンだ。守ってもらえるかは、定かではないけれども。


どこをどう曲がったのかは今イチ分からないけど、また目の前に猫の手みたいな形の、金のレリーフが現れた。外へ出るときに使ったドアと同じようなデザインだ。ここの取っ手は猫の手レリーフが一般的なのかな。可愛い。

2つ並んだ猫の手のうち、右側のレリーフを弟さんが掴む。ずいと右方向へ引くと、合わせるようにして左側の戸も自動で左へ動き出した。

「失礼いたします」

お兄さんが深く腰を折った。後を追うようにして戸の動きが止まり、弟さんも頭を下げた。ここに例の偉い人がいらっしゃるらしい。雇い主? の、第一印象は、良くしておくに越したことはなさそうだし、私も礼しておこう。……逃げ出しといて、今更かもしれないけど。

「お待たせして申し訳ございません。お連れいたしました。ええと……あぁ、そういやお主、名前は? 何て呼べばいい?」

いやいや嘘でしょ、今聞くの?! というか、ここでそんな気軽に喋っていいの?! 頭下げてるのに?シチュエーション的に絶対今じゃないでしょ?!

「ここは一つ、仏御前と命名してはいかがです? 分かりやすいでしょう?」

待って、弟さん。命名って何? 私、改名されるの? 意思確認もされることなく? しかもホトケゴゼンって!

「それはぁ……ちょっとどうなんだぁ?」

「そう? うーん、確かにそう言われると、妙な妬みや嫉みに繋がる気もしてくるね?」

「うん? いやぁ、長いからさぁ」

「兄様、そこ?」

それな、弟さん。私も同じこと思った。

「あ、歌御前ってどうかなぁ? お主、歌うの、好きでしょう?」

「待ってまって、兄様、それじゃ一文字しか削れてないよ?」

いやほんとその通り。その通りだけど弟さん、そこじゃないです。

思うところは多々あるのに、兄弟独特のリズムで進むから話に入れない。緊張もあって発言しにくいのは事実だけど、でもその名前問題、こっちにもう一度振ってくれれば一瞬で終わるはずなんだけど。別に教えたくないわけじゃないから、ちゃんと話を聞いてくれさえすれば解決するんだけど。

「歌御前」

兄弟ではなく、女性の声。くすっと笑うような音がした後、

「では、そのように呼ばせていただくといたしましょう」

というお言葉が続いた。女性?! あ、ミコサマって皇女様ってことか!

閻魔様みたいな人をイメージしていた分、声のトーンの優しさに驚いた。ゆったりした話し方からも品性が感じられる。

「さぁどうぞ、広間の中ほどまでお進みくだされ」

想像の2億倍くらい柔らかで、丁寧で、こちらが恐縮してしまう。ありがたいけど、想定の範囲外過ぎてどんな顔をすればいいのか分からない。

礼儀作法だってろくに知らないから、とりあえず左右の2人の雰囲気に合わせてハイ、とだけ返事した。既に皇女様の忠実な僕になったみたい。顔を上げるタイミングも、踏み出す足も左右の2人と同じになるよう中止しながら広間の中央へと向かう。

競技かるたや柔道の大会ができそうな、畳張りの大広間だった。正方形にほど近い間取りだけど、奥のほうはさっきの医務室みたいに、小上がり状のスペースになっている。そこの畳だけ青みが強くて、縁にはキラキラ光る装飾が施されてていた。

皇女様とお付きの人らしき女性は、そこに座していた。どっちがどっちかなんて聞く必要もない。一目瞭然だ。

皇女様は、平安のお貴族様。どこからどう見てもそう。他の表現? する必要がない。だって、本当に、いわゆる日本のお姫様そのものなんだもの。

生え際のラインがキレイに揃った額と、鬢削ぎした髪に艶やかな十二単。見えないけど後ろ髪は重たそうだし、自分じゃ梳けないくらい長そう。

庶民だし田舎モンだし、よく知らないけどこういう御方って御簾を介してじゃないとお会いしちゃいけないんじゃないのかな。私みたいな一般人が直接、お目にかかっていいものなのかしら。

それにしても肌が白い。この兄弟や祇王さんだけじゃなく、お姫様……じゃなかった。皇女様も、側仕えの女性もだ。みんな肌が真っ白で、眉毛はしっかり描いてあるのにそれ以外は化粧っけがない。なのに、睫毛はバシバシ唇は艶々。羨ましいは通り越して溜め息が漏れるレベルに。

肌も見た目も平々凡々な私が、こんな美肌しかいないような世界に迷い込んでいいわけないのに、何でここにいるんだろう? 恥ずかしいことこの上なしだ。

「歌御前。お身体の調子はいかがですか?」

「……は、はい、良好です……?」

自分のことなのに、なぜ疑問形で返してしまったのか? 答えは一つ、緊張しているから。答えながら、本当にこんな普通の喋り方でいいのか? と、自問自答しているせいである。

「それはようございました」

皇女様は穏やかに、それはもうこの上なく品良く微笑まれた。何回生まれ変わったって私には醸し出せそうにないほどのお上品さで眩暈がする。へたり込みかけたのを堪えようと躍起になっていたら、皇女様が三つ指を付いて、深々とお辞儀された。

「お聞き及びとは存じまするが、これも互いの国のため。何卒、何卒、歌っていただきとう存じます」

「……え……?」

偉い人に頭を下げられるような身分ではないはずなんだけど、皇女様は今や後頭部しかお見せでない。まとめられた毛束は、やっぱり先が見えないほど長かった。

皇女様にならって、お付きの女性も三つ指を付いて後頭部を見せてくる。極めつけは我が両隣に立つ兄弟だ。2人そろって、片膝をついてしゃがみ込み出した。

「あ、あの、やめてください。頭、上げてください。ちょっと困るっていうか、何というか」

いいますかのほうがよかったかも。敬語が下手くそで焦る。けどワタワタしているのは私だけで、皇女様は

「できかねます。この国を統べる者として、貴方様が快いお返事をくださるまでは、この姿勢を崩さぬ覚悟にございます。どうか歌っていただけませぬか、歌御前」

とか何とか言ってるし、お付きの女性と兄弟はさらに頭を低くするばかりだ。

私、奴隷なんじゃなかったの? 働けって話でしょ?

「あの、ちょっと、待ってください。歌うって、そもそも何をですか? 歌ですか?」

聞いてみたけど、皇女様はガチで姿勢を崩さず微動だにしないまま。

「はい。もちろんにございます」

と返答をくれたのはお付きの女性だった。

「それはあの、あれですか。和歌とかですか?」

「? 和歌を詠んでいただくつもりは、特にございませんが」

「じゃ、あの、ららら~って、こう、いわゆる歌う、ってことですか?」

「左様にございます」

自分で言いながら頬が赤くなるくらい間抜けな聞き方をしたのに、誰も笑わない。女性2人は頭を下げるばかりだし、兄弟は見たことないほど真摯な眼差しをナナメ下方向から向けてくる。

「……え、あの、歌っていいんですか?」

「むしろ、お願いしとう存じまする。貴方様にしかお願いできない仕事です。歌っていただけますか? 歌御前」

歌い手になりたかった人間が、歌うことを乞われて嬉しくないわけがないでしょう?返す答えなど、一種類しか持ち合わせていない。

「あ……はい、喜んで……?」

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