言の葉の境界
「ゆるす」には、「許す」と「赦す」の2通りの表記の仕方がある。「許す」はなにか悪いことをしたときにもう責めないし咎めないようにするからねといったようなニュアンスがあり、「赦す」というのは相手の存在そのものから認めてあなたが何をしたとしても大丈夫だよ、といったような雰囲気がある。
でもそういう雰囲気があるというだけで、「いまあなたが言ったゆるすはどっちのゆるすですか?」と訊かれると、どっちだろう? と分からないことが実際には多分結構ある。
「許す」と「赦す」の違いはわかっているようで良くわからない。もっと言えば「許す」や「赦す」は「理解する」とか「諦める」とかともちょっと似ている。
理解することで相手を赦したことになることもあるし、赦しながら諦めることも、諦めながら許すこともある。許せないけど、赦すこともある。
「赦す」も「許す」も、よくよく調べてみると結構輪郭が曖昧だ。
真っ白い画用紙が直線によっていくつかの区域に区切られているのを想像して欲しい。隣り合うエリアは別の色で塗らないといけない。直線で区切られ、青の区域、赤の区域、黄色の区域といったように画用紙が区分される。
言葉はこれに似ている。言葉が世界に直線を引いて世界を区分けして意味によって色分けをする。ただ、言葉の境界はどうも画用紙の塗り分けほどくっきりとしない。
赤と青の境界では紫色っぽい場所ができていて、どっちの領地に含まれるべきかという話になる。だからある意味言葉は領土に似ているかもしれない。国と国の間にどちらの領地か言い争いになるエリアがあるように、言葉にも領地問題がある。ただ、言葉は国土とは違って、そこで戦争になったりはしない。これは言葉が、なにかが損なわれるのではなく、なにかを与えるという性質を持っているからなのかもしれない。言葉は世界に意味を与え、人間に理解と平穏を与える。だから言葉と言葉の間では「どうぞどうぞ」と譲り合いが起きたりもする。そういうふうに考えると、言葉は分断された境界を色付けるものというよりも、薄く水に溶いた絵の具を真っ白な画用紙の上にポタポタと落としていくのに似ている。いくつもの言葉が画用紙の上で混ざりあい輪郭を委ねながら円状に広がっていく。
そんなふうに絵の具の雫のような言葉を用いるときに、ぼくたちは言葉にあえて少し広い境界を与えながら使用することができる。よくよく言葉の定義を調べると正確には用いるようなことができない場面でも、ちょっとだけズルしてその言葉を使ってみることができる。例えば、ほんとは愛なのかわからないけれどあえて愛と言ってみたり、自分でもゆるせているのかわからないけどあえて「ゆるした」と言ってみることができる。そんなふうに言葉の輪郭をごまかすように、あえてゆるく、あえて適当に、言葉を運用するというのはその言葉をゆるしたと言えるんじゃないか。ぼくたちが世界に触れるとき言葉を用いることを思うと、言葉をゆるすというのは世界をゆるすことなのかもしれない。こういうふうに書いてみせること自体が言葉をゆるしていることなのかもしれない。
本当はそういう意味ではないかもしれないし間違えているかもしれないと思いながら、それでもあえて言葉をゆるく運用して、つまりあえて言葉をゆるしながら用いるとき、そこには祈りがある。本当は違うかもしれないけれど、こういうふうに言葉を使うことで、世界をゆるせるのではないかという祈りがあるはずだと思う。言葉をゆるすとき、ぼくたちは祈っている。どうか言葉と、この世界は、ゆるされてほしいと。
言語的な部分が”私”を構成する きりしき @asairo2357
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