蝉鳴けば回顧

ヤチヨリコ

第1話

 蝉が鳴く頃になると、何故だか母の顔が浮かぶ。

 蝉の鳴き声にセンチメンタルな風情があるというのでもないのに、夏が訪れて蝉が鳴き出すと、郷里の母をふと思い出してしまうのだ。


 チィー、チィー、チィー……。

 チィー、チィー、チィー……。

 チィー、チィー、チィー……。

 この時期に鳴くのはニイニイゼミだろうか。


 蛙鳴蝉噪とはよく言ったものだなとさえ思う。母が暮らす田舎では夏頃になるとこんなふうに蛙や蝉が鳴き始めて騒がしくなる。暑さも相まってイライラが募るのだかれど、今思えばそれもまた夏の風物詩のように思えた。


***


 こんなことがあった。


 夏の夕方。背中に背負った弟と、母と寺の境内で。

 足元に落ちている、鳴かぬ一匹の蝉。死んでいるのか、生きているのか。中途半端のグレーゾーン。

「おまえ、死んじまうのか」

 どうせなら殺してしまえと踏もうとしたら、蝉は大声で鳴き始めた。

 身体を一所懸命に震わせて、魂の底まで響かせようと、鳴いたのだろうか。私に哀れを覚えて欲しいから、鳴いたのか。生きたかったから、鳴いたのか。私は知らない。


 母がそれを見て、こう言った。

「それは念仏だよ。念仏を唱えてるんだよ」

 私が何も知らないような顔をしていたようで、母はこう繰り返す。

「念仏」

 私はその言葉を繰り返すと、途端にこの蝉を殺すのがつまらなくなった。

 足を退けると、蝉はその身体を震わせ、力なくよたよたと飛び立つ。


「念仏ってなに?」

 私がたずねると、母は本当かどうかわからないような声色で呟いた。

「お坊さんが葬式とかでぶつぶつやってるでしょう? あれが念仏」

 そして、母はこう続けた。

「蝉はお坊さんなんだよ。夏になると死んだ人たちがあの世からこの世に帰ってくる。蝉はそんな人たちに「おれたちはここにいるよ」「こっちに来いよ」「こっちだよ」って呼んでるんだ。蝉の念仏がなけりゃあ死んだ人たちは誰もこの世に帰ってられないんだよ」

 そう言うと母は黙り込んだ。


 今思えば、母はやや夢見がちなところがあり、こういう空想じみた根拠のない話をよくした。子供の頃はこの世のどこかにそんなおとぎ話があるのだと疑いもしなかったのに、大人になったらそんな話はどこにもないと知った。


「父ちゃんも帰ってこられないの」

 答えは返ってこない。背中で弟は眠っていた。そこには沈黙があった。

 その母の横顔を私は大人になっても忘れていない。あの夏の日は、まるで釣り鐘が響くように、あたり一面蝉の鳴き声がしたのをよく覚えている。



 小学生になると、クラスでいじめがあった。たぶんいじめる対象は誰でもよかったのだと思う。いじめられる子はいじめる子が少しでも気に食わないと思えばターゲットになり、次の日にいじめる子が別の子を気に食わないと思えばその子がターゲットになっていた。いつも休み時間に話しているあの子とこの子が口を利かなくなったり、普通に話しているだけでもいじめられている子に対して「死ね」とか「きもい」とかの言葉が時折吐き捨てられたりした。


 授業参観の日に母が仕事終わりの汚れた格好で来た。泥だらけで、汗臭い。それに若いはずなのに、腰が曲がっているものだから年寄りに見えて、その違和が滑稽に見えたのだろう。母が教室に入ってくるなり、クラスで爆笑が起こった。いじめっ子もいじめられっ子も、その親も母を笑った。


「夏のママ、きもーい。汚いの。なんであんなカッコで授業参観に来るの? 臭いから来ないでよ。夏もいっつも汚いし臭い。親子そっくり! 二人とも死ねばいいのに。死ね、死ね、死んじゃえー!」

「片親だと大変ねえ。服を着替える時間も、清潔な服を買うお金もない。生きるのに精いっぱいで、再婚する余裕もない。まさに社会の底辺ね。子供もかわいそう」


 私はそれが悔しくて悔しくてたまらなかった。無視をされたっていい。陰口を叩かれたって構わない。母を笑われるのだけは許せなかった。


 笑った健二を殴った。美月を蹴った。春馬を噛んだ。梨花を、翔太を、裕太郎を、弘を、アリスを、麻莉亜を、南を…………。ついでに西岡先生も。

 そして、殴った健二に殴り返されて、春馬に蹴られて、梨花に髪の毛を切られた。


 痣だらけになって丸坊主にされて、ようやく喧嘩をやめた。

 こぼれ出たのは「ごめん」じゃなくって涙だった。屈辱だった。母を笑ったやつらに仕返しすることができなかった。悔しくって、悔しくって、黙り込んでぽろぽろ涙をこぼした。鼻水だって出た。


 母はそんな私を見て、何を思ったのだろう。

 担任の西岡先生に「もう帰りなさい!」と怒鳴られて、母とそのまま家に帰った。祖父が保育所に迎えに行って、先に家に帰ってきていた弟が「どうしたの?」とたずねる。私は「なんでもない」と笑って答えた。


 母は喧嘩をしたことについて問いただしたり叱ったりはしなかった。ただ「ごめんね」と泣くばかりで、クラスメートを殴ったときはこれっぽちも痛まなかった心が後ろ暗い罪悪感で徐々に満たされていく感覚を覚えた。



 今年の夏、実家に帰ろう。あの悪ガキが立派なエンジニアになったんだと、胸を張って言えるようになったのだから。


***


「姉ちゃん、母ちゃん死んじゃったよ」


 昨夜、弟から連絡があった。いかにも泣くのを堪えていますという涙声で、親の訃報を聞いたというのに、笑ってしまった。私が笑い出すと弟は獣のように咆哮し、大声で泣き喚き始めた。


 ノイズ混じりの中、ようやく聞き取れたのは、母が亡くなったのは夏の始まりの頃だったらしいということだった。らしい、というのは、母がいわゆる孤独死をしたからで、遺体が発見されたのも近所で異臭騒ぎがあったからだと聞いた。


 私は出勤前に職場に身内に不幸があったと連絡して、仕事を休もうとした。

 電話に出たのは私の上司だった。

「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか。社会人の常識でしょ?」

 上司は呆れるを通り過ぎてやや怒り混じりでこう言った。流石、妻の出産のときも、親が亡くなっても、仕事を休まなかったと豪語するだけある。私は「すみません、すみません」と平謝りするばかりで、何も言い返すことはできなかった。言い返さない自分がまるで自分でないみたいで、情けない。


 子供じみた癇癪を起こして上司を怒り任せに怒鳴りつけるか。子供だったらそうしたのか、子供でないからそうしないのか。わからない。そんな自分に対して憤りすら覚えない自分に怒りを通り越して呆れすら覚えられた。


 親が死んだというのに、涙一つもこぼれない。夏だというのに乾燥した目元は、高校時代からの乾燥肌由来ではないだろう。まさか、乾燥肌で泣けないということもあるまい。あまりにも情けない。



 しかし、この町もずいぶんと変わったものだ。私の学生時代は駅前にこぢんまりとした駅ビルと商店街があり、少し行くとビルの数は減って住宅地と畑や田んぼが広がっていたものだ。

 今はというと再開発が進み、御大層な高層ビルとシャッター通りが混在しているややアンバランスな光景が広がっていた。新しく建てられたであろうデザイナーズ住宅が立ち並ぶが、実家の方に行けば行くほど、良く言えば歴史のある、悪く言えばぼろっちい家々が畑やら田んぼやらの間にぽつんぽつんと建っていた。蝉や蛙は姿を潜め、声ばかりが響いている。


 母の葬儀は弟が喪主を務める。一番母に可愛がられていた弟は、母が亡くなったことを今でも信じられないようで呆然としている。


「南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏……」


 周りを見渡すと、親戚だか知人だか知らないが、どうやら故人の顔見知りらしい年寄りがこっくりこっくりと船を漕いでいる。私が顔を知っている近所の爺さんや婆さんもあくびなんかをして、退屈そうにしていた。唯一嗚咽を漏らして泣いている我が弟は周囲の人たちに冷ややかな目で見られていることに気づいていないらしい。


 カナカナ、カナカナ、カナカナ……。

 ジリジリ、ジリジリ、ジリジリ……。

 ミーンミンミンミー……ミーンミンミンミー……。

 蝉の鳴き声は僧侶の読経が響く本堂にも聞こえる。

 曇天の日の葬式というのはどこか不吉な雰囲気がある。近くには墓地があるものだから、誰かの幽霊が化けて出るのではないかと考えるも、供養されているのだからそうそう化けては出てこないだろうと考え直した。母譲りの妄想癖はふとした瞬間に頭をかすめる。


***


 そういえば、あの夏の日もこんな日だっただろうか。私が始めて恋人を家に連れてきたのは高校二年の夏だった。母に恋人を紹介すると、目を丸くして「え?」と呟いた。本当かどうか、まるで夢を見ているようなかんじだった。


 当時、私の恋人は女性だった。


 私は男性に恋する気持ちがわからない。世間一般で言う女子が男子に、男子が女子を相手にする恋愛は理解できず、私が好きになるのは決まって女子ばかりだった。高校生になって気づいた。病気のように治そうとしても治せない。

 ――私は女性としか恋ができない。

 男性を愛せないわけではない。亡き父や弟に対する家族愛はあるし、男友達に対する友愛も少しばかりはあるはずだ。けれど、恋愛感情を抱くのは決まって女性ばかり。

 これはもはや私のさがであり運命なのだろう。今思えば中二病のような症状を見せていたが、子供の私は本気でそのように思い込んでいたのだ。


 そんな折に出会ったのが、今の恋人。高校近くの商店街に書店がある。その書店で働いていたのが彼女だった。


 出会いは彼女が目撃した万引きの容疑者が近くの高校の制服を着ていたとかで、容疑者の面通しをしに私の高校に来たことだったように思われる。

 思われる、というのは、書店で彼女を見かけたことがあるかもしれないからで、あったとしたら彼女に「ひどい、忘れちゃったの」なんてからかわれるので、私は出会いのきっかけを聞かれたときはこう答えるようにしている。


 先に否定しておくが、私は万引きなんぞしていない。


「竹中ー、前田ー、坂本ー、来いっ!」


 担任に私は万引きの容疑者の一人として彼女の前に引っ立てられて、母への羞恥で顔が赤くなった。こんなやってもいない万引きの件で容疑者として扱われているという恥ずかしさ。それから、ひとり親だからとか貧しい地区に住んでいるからとかよくわからない偏見を貼り付けられて、そんな理由で私を笑う同級生とか教師の顔。すべてがすべて嫌い。


「坂本ーお前がやったんだろー! 家も金が無いんだし、盗んで売って小遣いにでもしたんだろ! おら、さっさと白状しろ、この貧乏人!」

 担任は執拗に私を責め立てた。

「お前の親もかわいそうだな、せっかく高校に通わせたのに万引きなんてする、こんな馬鹿娘を持っちまって! 万引きだって窃盗なんだぞー。盗み働くくらいなら高校辞めて風俗でもなんでも働けー!」


 「働けー!」というのが何度も何度も、何度も、何度も、何度も、耳で木霊した。


 境遇を憎んでいてもしょうがないのに。

 もっとひどい境遇の人だってたくさんいるのに。

 そんなふうにどうにかこうにか諦めようとしても、家庭の事情を馬鹿にされるわ笑われるわ、どんなに頑張っても一度の汚名で「やっぱりあの家の子は」と言われる。

 そんな私はどうすればいい?

 どうすればよかったのだろうか?


「あ、あの、この人です…! 万引きしたの、私見ました!」

 彼女がおどおどと竹中を万引き犯だと指差すと、竹中は悪びれずこう言った。

「ただの遊びで大げさじゃね? たかが雑誌一冊でさあ。犯人探ししてなよ、バッカじゃねえの」

 竹中はクラスの中心で、いわゆるスクールカーストで上位の女子だった。家だって両親が揃っていて、父親は会社の社長、母親は専業主婦、姉は有名音大でバイオリンを専攻しているらしい。


 不意に私はみんなの前で泣き崩れてしまっていた。

 盗みを働くような人間だと思われていたのも悔しかったし、自分や家族が悪いとはいえ担任ら教育者への失望もあった。何よりも竹中のような人間がした犯罪で、私が真っ先に疑われ貧乏を理由に責め立てられたのに、今まで保っていた心の芯のようなものが根本からぽっきり折れてしまった。


 まるでダムの決壊のようだった。感情が、疑問が、後から後から津波のように押し寄せて、口からあふれ出してくる。

 私が悪いのか? 親か?

 周りの大人が悪いのか?

 貧乏が悪いのか?

 貧乏は罪なのか?貧乏人は高校に来ちゃいけないのか?


 喉から声が出なくなるまで叫び散らした。涙だって鼻水だって顔に張り付いて、人から見ればみっともないだろう。もちろん、誰も近寄らなかったし、むしろ軽蔑の目で私を見て、じっと押し黙っていた。そこにいる誰もが、「誰かこのうるさくて汚いのをどっかにやってくれ」と言いたげな表情で目配せしあっていた。

 だというのに、書店員の彼女はハンカチを手渡して、背中をさすってくれたのだ。だから、私は彼女が好きになったのだ、と。



 惚気話のついでに私がそんな話をすると、母は「そう」と何やら決心したような表情で恋人を見た。そして、私の顔をじっと見て、うなずいた。

「夏、幸せになってね」

 「まだ高校生だったね。私、勘違いしちゃったかも」なんて、母は笑って誤魔化していたけれど、実はわかっていたのかもしれない。

 このときの恋人が私の妻になる。私も彼女の妻になった。


 「幸せになってね」の一言が今でも頭に蘇る。

 母の遺影はずいぶんと綺麗に撮影されていて、生前の本人よりも美人なような気がしないでもなかった。母は笑って、私たちを見ていた。

 気がつくと、涙が一筋流れた。隣を見ると、妻が私の手を握っていた。妻も私と同じように泣いていた。


 ***


 母が亡くなって、三年目になるだろうか。私と妻とで、母の墓に墓参りに行った。

 母の墓に一匹の蝉がとまっていた。松尾芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」はこのような光景を俳句にしたのではないかと、不意に思った。


 ツクツクホーシ、ツクツクホーシ……。


「この蝉、なんて蝉?」

 妻がたずねる。

「ツクツクボウシって蝉。ほら、ツクツクボウシって鳴いてるでしょ」

「へえ」

 妻が墓石にひしゃくで水をかけると、蝉は一目散に飛んでいって、すぐにその姿を見失った。


 私はその様子がおかしくって、大口を開けて笑う。笑っている間に母が蝉が念仏を唱えているという話をしていたのを思い出して、妻にもその話をしてみたくなった。

「そういえば、昔、母さんがこんな話をしててね……」

 私が蝉の念仏の話をすると、妻は微笑み、「素敵な思い出だね」と言った。

 線香をあげようとしたら、また蝉が母の墓石にとまっていた。不思議と蝉が念仏を唱えているように見えた。妻にその話をしたからだろうか。


 帰り際、そんな話を妻にすると、「もしかしたら、蝉はお母さんを呼んでたのかもしれないよ」なんて言うものだから、「まさか!」と笑い飛ばした。


 妻と帰り道を歩いていると、母の声がした。

 おぅーい、おぅーい、おぅーい……。

 呼ばれているような気がして振り返るも、誰もいない。

 

「まさかね」

 妻と顔を見合わせて呟いた。


 おぅーい、おぅーい、おぅーい……。

 もう一度、振り返ると、そこには手をふる母がいた。夢幻か、はたまた陽炎か。真実はわからない。母を亡くした哀しみが心で鳴いた。

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