retribution4

「これより、成功作の魔女と、セオドア・タヴァナーの決闘を開始する!」


 クレイグの言葉に、目の前の剣先は持ち上がる。セオドアと呼ばれた衛兵は僕に目礼をしていた。徒手の少女相手に剣を向けなければならないのは、堅実そうな男にとって複雑なものなのだろう。


 空砲が火蓋を切る。鼓膜が震えた直後、男は迷いを捨てて僕の間合いに飛び込んできた。


 大柄な見た目に反して、身のこなしは身軽。それなりの実力がある者を選出したと思われる。振り下ろされた利刀を避け、その光芒を目で追いかける。裏返った刀の軌道は水平。狙いは脇腹。胴払いを避ければ銀光は彼の腰に留まった。それはたった暫時のこと。僕の首目掛けて突き出された剣尖を、首を傾けて躱し、ヒールを鳴らして踏み込んだ。


 彼の両手は柄を握りしめている。その胴部はがら空き。見出した隙に烈烈と一蹴を繰り出す。人から逸脱した身体は僕自身の想定よりも早く動く。彼の骨を内臓に突き刺してやるつもりだったが、彼の退避も思いのほか速かった。


 だが、躱せた程度だ。互いに互いの影を踏みしめ、得物の軌道に相手を乗せられる距離。


 振り向いた僕の鼻先を太刀風が横切る。冷たさに頬を引き攣らせ、僅かに切れた表皮に眉を顰めた。流涙に似た不快感から意識を逸らし、陸離する晨光を追いかけては烈風を避いた。


 刀身は彼の得物の方が長い。だからこそ近付きにくい。けれど四肢一つ一つが武器になる僕の方が身軽だ。のみならず、僕には四肢を切り離されても動じない命がある。


 彼の突先を手の平で受け止めた。そのまま腕を突き出す。見開かれた双眸が眼前に迫る。彼の息遣いが、僕の睫毛を揺らした。刀刃に貫かれた僕の手は、彼の鍔を握り込んでいる。彼は青ばんだ顔で剣を引こうとしていた。けれど、その抗拒も鋼も、まとめて圧砕する。


 危機を察した様子で刀を手放した彼。僕の掌理では鍔が砕屑を散らし、手の甲から抜け落ちた刃金がけたたましい音を立てて、大理石を傷付けていた。


 柄と刃が転がるのを一見してから拳を広げる。雪白の指を羽ばたかせると鱗粉が舞い落ちる。どろりとした血液が細粒を追いかけて同じ垂直線を辿っていった。


「おお……!」


 歓声に顎を持ち上げる。国王が僕を食い入るように見ていた。椅子から落ちそうなほど身を乗り出し、窪んだ眼を輝かせている様はまるで子供だ。僕を蛇蝎視しているクレイグが険しい顔をしているものだから、苦笑してしまった。


 挑発でもしてやろうかと思ったが、重い靴音が迫り来る。剣を失くした男は拳を構えて飛び出す。流石兵士、と言ったところか、徒手の戦闘にも慣れているようだった。撃ち出される拳は素早く僕達の間隔を潰していく。


 彼はひたすらに殴る。空気を、吐息を、髪状かんざしを、僕の目線を打ち払っていく。その両腕の動きに集中していれば、足元で上がる擦過音。彼の脚部が持ち上がる。弧を描いた彼の足は、僕の影に塗られた。


 高く跳んだ中空で彼を見下ろす。着地した踵は大理石に罅を走らせ、砂埃を散らす。後退していた彼がすかさず躍り出る。受け流した彼の手首を掴み、引き寄せた。


 手の平という霜刃を、彼の腹部に潜らせた。生温い感触。臓物が指に絡みつく不快感。骨とこすれる肌が痛んで、眉根を寄せながら彼の体温から抜け出した。


 大塊おおぐれな後背で旭日を浴びる手の平。陽だまりの温度は分からなかった。気疎い膏血だけが纏わりついていた。


 上腕部に喀血がかかる。男は唇を痙攣させて顎を赤くしていた。震えた両手が僕の腕を掴んで、どうにか引き抜こうと藻掻いている。風前の灯火は熱い。彼は両手の血管を浮き上がらせ、必死に僕の腕を抉っていた。


 喘鳴に、呟きを重ねる。


「貴方に恨みはないけど、ごめんね」


 彼を貫いたまま、腕を薙いで血煙を上げる。胴を横截された彼が崩れ落ちるまで、十秒もかからなかった。けれど、その意識が失せるまでもう暫くかかるだろう。痛みが続くのは苦しい。だから、仰臥した彼の心臓を踵で打ち抜いた。


 血色を見下ろす僕の耳に、場違いな拍手が届く。国王が、炫耀な朝影を背負って抃悦べんえつしていた。


「素晴らしい! これが成功作の魔女か! あの細腕で、あの大男を打ち倒したぞ!」


 笑声を踏み鳴らす。感嘆の息を、踏み潰す。一歩ずつ階段に近付く僕を、クレイグは見ていなかった。ひどい形相で国王だけを凝視して、失態を取り繕おうとしていた。高く響いた跫音さえ、今の彼には届かなかった。


「……父上、これは余興です。次はもっと強い者を相手に──」


「次はお前だ」


 魔女の肉体は見えない羽でも生えているかのごとく軽い。段差を飛び越え、激しい風を纏いながら二階を見下ろした。予定着地点はクレイグの頭頂部。二つの錯愕を瞰下かんかする。踵に力を込め、真っ直ぐにクレイグへ搗ち落とす。


 彼は衛兵に腕を引かれて僕の急襲から免れていた。ブーツの踵は玉座の肘掛けに打ち付けられる。押し負けたのはヒールの方で、折れて跳ね上がったそれに舌打ちし、椅子の上に立って掴み取った。


「国王陛下! 危険です! こちらへ!」


「殿下もこちらに避難を!」


 国王は中央階段から見て左手側へ、クレイグは右手側へ誘導されていく。窓際に整列していた衛兵達は、今や武器を構えて僕を睨み据えていた。


 敵意と恐怖を両耳で感じつつ、僕は片足を持ち上げて、折れたヒールをくっつける。《吸収》の魔法で繋げられるだろうか、と靴底を想像してみれば、元の形状が簡単な造りをしているおかげか、すんなりくっついた。


 椅子に張られた革を軋ませて、左右を顧眄こべんする。僕の動きを待ち懸く衛兵、その一人一人を睥睨する。


「邪魔だな……」


 衛兵の武器は槍や剣だけで、飛び道具の類は見えない。懐に忍ばせているかもしれないが、この状況では味方を撃つだけだろう。面倒な武器を抜かれる前に、腕という腕を落とせばいい。


 僕は寂静へ、宣告する。


「死にたくない人は立ち去って。それでも僕の邪魔をするのなら、全員殺す」


 魔女の声は彼らにとって稲光なのだろうか。身震いする者を押しのけて、果敢な者が僕の首を討ちに来る。風のない室内がいくつもの風韻を立てる。


 二階は一階よりも日輪が眩しい。まるで金剛石の中に閉じ込められたみたいだ。


 乱反射する太刀影の中で宙に舞う。人の手が届かない高さで、天井の絵画を眺めて赤い紐を踊らせる。僕は抜刀するように自身の片腕を引き千切った。鮮血を撒き散らす腕を真下に力強く棄擲。堵のごとく集まっていた衛兵が引き退き、腕は床を歪ませて僕だけの空間を用意した。


 悠々と地面に着くなり、一番近くにいた男の首に咬みついた。骨を砕いて血を搾り取り、捨てた腕を再生しながら彼の頭部を引き千切る。生首は後方の敵になげうち、亡骸の躯幹で左方の敵を押しのける。


 拓いた眼路で煌めいた槍。真っ直ぐに僕を目指すそれを躱し、長い柄を掴み取る。武器を抜き取られた男の、蒼褪めた顔。瞠目が彼の死に顔だ。間髪入れず彼の額を槍で穿通した。


 刃を抜いて指先で柄を回す。穂先で捉えた敵共との距離感。背後に迫る者はない。それが今だけであることはわかっている。だから、今のうちに目の前の奴らを切り据える。


 先端に近い位置を握って迫撃する。長い柄を振り回し、刃、柄、刃を順に打ち付ける。正面、斜め前、その奥にいる敵を払い除け、背中に迫る靴音をも薙ぎ払った。


 己の周囲に槍の影で盈月えいげつを描く。円形の間合いに踏み込んだのは剣を持つ衛兵。彼の攻撃を柄で受け、衝撃を弾くと共に槍を振り上げる。打ち上げられた剣は持ち上がり、隙を見せた腹部を鋭鋒で刺し貫いた。


 聴覚を侵す叫び声が、悲鳴なのか奮然によるものなのか定かではない。血と塵埃が白光で輝いていた。白らかな眩しさと腥い赤ばかりが視界を色付ける。それに慣れ始めていたから、黒光りした銃口は人混みの先でも目を射った。


 床を蹴って跳びはねた。心臓に向かってきていた衛兵の槍に立つ。その刹那的な寸時で高く跳び立つ。腕を目いっぱい引いて、拳銃を持っている男の頭部へ槍を投擲した。


 血飛沫が上がったのを視認して着地。正面に居た敵の首を穿げのき、頭部を転がした。


 腕を構え直そうとした、瞬間。圧迫感に血を吐いて呻く。背骨を掠めた剣鋩が僕の腹部から顔を出している。舌を打てば数本の槍が衣服を喰い破る。今ばかりは、僕が魔女バケモノであることに感謝した。


 今が好機とばかりに、いくつもの刃が僕を四方から串刺しにしていく。痛みに深く息を吐き、体に突き刺さる柄と刃を、両手で掴めるだけ掴んだ。


 僕を追い詰めた、と、誤解している彼らの武器を一気に撓折どうせつした。


 一つ一つ折る手間が省けて、苦笑が零れる。僕よりも恰幅のいい男達が、惶遽こうきょして離れていく様は、可笑しい。


 化物、と、誰かが零した。僕は砕いた武器を捨てて、まだ刺さっている刃物を乱雑に抜き捨てて、喉元から引き攣った笑いを溢れさせていた。


 どれだけ普通で在りたがっても、もう戻れない。こいつらの言う通りだ。僕は魔女で、化物。否定したいその事実を肯定しなければ、僕は前に進めない。


 化物でも、魔女でもいい。僕には、僕をメイとして見てくれる、家族かれらだけがいればいい。


 この心だけが、人で在り続ければいい。


 僕を警戒する衛兵たちを、見回した。通路の奥から、新手が増えていく。国王かクレイグが指示したのだろう。この宮殿にいるすべての衛兵が招集されているみたいだった。倒しても倒してもキリがない。


 だけど、簡単に死んでたまるか。こいつらを倒して、クレイグを殺して、優しい日々に帰る為に。


 僕は、足元から槍を拾い上げる。それは柄が折れていて、身の丈に合っていた。僕を虎視している群衆に、疲弊した口角を吊り上げた。


「衛兵ってのは自殺志願者の集団か? 逃げたきゃ逃げなよ。僕の目的はお前らの命じゃない。子供相手だから勝てるとでも?」


 反響する嘲笑に返事はない。逃げ出す者は一人もいなかった。拳、槍、剣、銃、いくつもの武器が僕に焦点を絞る。


 体力も、魔力も、熱く滾っていた。上がっている息が、次第に落ち着いていく。幻聴が聞こえていた。それは僕の声で、僕の声じゃない。


 ──メイ。


 自身の胸元に、片手を近付けた。拍動が、誰の息よりも響いていた。垂下させていた腕が持ち上がって、震える手首を握った。自分の行動なのに、他人の意志で動いているみたいだった。


 ──メイっていつもそう。


 不思議な感覚を味わっていた。まるで白昼夢を見ているよう。襲い来る人々の動きはひどく緩慢で、在りもしない優しい人肌が、肩に凭れかかる。


 不思議だった。


 ──一人で背負わないでよ。


 君の声が、はっきりと聞こえる。


 僕の声は君に届くのだろうか。不確かなまま『分かってるよ』と君にささめいた。


 息を、吸い込む。君が与えてくれた息吹を、呑み込む。君の心音を聴きながら、君の髪を解いた。結われていた白髪が広がる。波打つそれは、本来の長さよりも伸びていく。


 後ろ髪がそのまま重力に逆らって、床に転がる刃物を二つ、独りでに拾い上げていた。


 僕は、長い髪に魔力を注いで君の意識を《譲渡》した。君を背負うイメージは、思い出の中から引き出せる。僕に凭れて寝息を立てる君が懐かしい。


 悠然な時は進んで、咆哮が僕を貫いた。僕は、前方に槍を構えた。後方の敵を、シャノンが見据えているのを、感じていた。


「舐めるなよ。『僕達』は、魔女だ」


 前へ進む。エドウィンとユニスに、会う為に。

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