「I adore you」4

 縮こまっているユニスを地面に下ろし、砂埃に眉を顰めながら、振り向きざまにナイフを振るう。辿った気配、足音の距離、背に触れた突風が確かな指標となって太刀筋を定めていた。鋭鋒は魔女の上腕部に沈んでおり、穿たれた魔女は姿勢を崩してよろめいていた。


 栓となっていた刃を抜けば鮮血が噴き出す。間隙を潰す速度で追撃。魔女はしなった背骨を立たせている最中。その悴首を一閃で刎ね飛ばそうとした。折柄、跳んだのは魔女だ。眼前に砂粒が舞い上がり、帳となって視野を塞ぐ。舌を打って天心を見上げた。


 日の輪を背負った影は、頡頏けっこうする鳥を思わせる。雲一つない碧落を睨め上げて、落下する赤を片時も目路から逃がさない。魔女は尖った指先を下に構えていた。真っ直ぐに、こちらの頭蓋をりなす軌道。それは避いた俺の影を穿孔し、乾いた地面に亀裂を走らせる。


 魔女は土の飛沫を撒き、腕という刃を引き上げると着地。そこに留まることはなくユニスの方へ飛び出そうとする。


 その乱れ髪を掴み寄せて、項に剣尖を打ち込もうとした。だが魔女の両手がこちらの手首を掴む。髪を離せという抵抗の力ではない。邪魔者を叩き潰そうとする全霊の力。細腕とは思えぬ腕力に投げ出されて背負われるまま宙を舞う。勢いに身を委ね、宙返りの後に受け身を取って踵から降り立つ。擦り鳴らした靴で砂を蹴り上げて魔女の腹部へ爪先を沈めた。


 呻いた魔女の頭部をユニスの弾丸が射抜く。脳に穴が空いたはずだ。尤もその程度のことで魔女は止まらない。土気色の顔を赤くして、喚きながら両腕を振るっていた。羽虫でも振り払うように出鱈目な殴打が俺に向けられる。その動きを正確に辿って避け、辿って弾き、光芒を散らし続けた。


 無意識に魔力で硬化しているような細腕は利刀と同等の重さを持つ。鉄塊と打ち合っている手応えが刀身を軋ませる。差し込む陽光が右に左にと幾度も弾ぜていた。首を狙おうにも必ずどちらかの腕が喉元にある。その腕を切り裂こうにも鋼のごとく硬い。


 だから退く間合いを一度だけ広げた。一足分の隔たりを作り、魔女の一手を空隙に受け止めさせる。二手の間合いは俺に届くだろう。それでいい。たった一拍の間で、右手に夥しい魔力を搔き集める。


 突き出した二手目。驍悍ぎょうかんな魔女の腕を受け流して右手を打ち放った。狙いは急所を庇っている片腕。固い肌骨を通徹し、穴を裂いて切断する。さながら柘榴石を砕くようだった。溢れた紅玉は水泡。猩血を散らした魔女の退避は速い。乃刻ないこく、彼女が擦り刻んだ踪跡そうせきをナイフの影が追いかけた。


 放擲したナイフは払い除けられ、銃を構えているユニスの方へ飛ぶ。ユニスがぞっとしたように肩を持ち上げていたが、冷や汗を浮かべたのは俺も同じだ。魔女に集中していたせいでユニスの居場所まで把握しきれていなかった。恐らく俺と応戦している魔女の背後を取ろうとしていたのだろう。


 俺と魔女の距離、魔女とユニスの距離──後者の方があまりにも近い。手を伸ばせば届くほど近接していた。


 腰のベルトからナイフを抜きながら駆けていく。眼路ではユニスが魔女の迫撃をどうにか避けている。突きを躱して銃口を構えた彼女だったが、魔女の腕は銃身を通り越して布帛に触れる。


 散ったのは布の切れ端と金具だ。よろめいたユニスの腕から手枷が滑り落ちる。もう一度構えられた拳銃は払い飛ばされていた。


 俺の目先に迫った小銃を、反射的に左手で受け止める。グリップを握った時、弾倉で煌めいた弾丸を認め──撃鉄を起こして筒音を響かせた。


 実弾が魔女の肩を射抜く。それは狙った位置ではない。未だ使い慣れない武器の反動に歯噛みしながら足を止め、魔女を射界に収める。


 思考する時間も照準を合わせる時間も〇・〇〇一秒に捩じ込む。正確に定めた弾道。反動を《収縮》させる想像。〇・一秒目の動作はコッキング。時計の針が回ると錆び付いた情景が本来の秒速を取り戻す。


 引鉄を引いた。ユニスを切り裂こうとする手の甲が撃ち抜かれる。もう一度撃鉄が跳ねた時、魔女の側頭部から血が迸った。その矮躯が倒れる。だが倒れただけだ。すぐに仕留められるよう、両足に魔力を込めて飛び出そうとした。


 それよりも先に、視線の先で銀光がひらめいた。ユニスが、地面に落ちていたナイフを両手で握って魔女の首に突き立てていた。


 駆け寄ってやれば、小さな手は震えながら柄を握りしめた状態で硬直している。魔女が虫の息で身動ぎしていたため、ユニスの袖を軽く引っ張った。


「もういい。手、離せるか」


「は……はい……」


 細い指は痙攣しながら離れていく。怖かったのだろう。ユニスが数歩後退したのを捉えてから、魔女の首を切り離した。


 ナイフを収め、ユニスの手枷を拾い上げる。手枷を吊る為のベルト部分が切断されたようで、着けなおしてやることは出来なかった。ベルトだけちょうど良さそうなものを買ってやらないとな、と思いつつ、一応手枷をユニスに手渡した。


 俯いている髪が揺動する。それは微風のせいだけではない。銃弾で撃ち殺すよりも、刃物で刺殺した方が、命を押し潰す感覚を明確に味わう。肉の硬さ、骨と刃が擦れ合う手応え。それはナイフを使い慣れている俺でさえ不快なものだ。


 ユニスは、手枷を強く抱きしめて深呼吸をしていた。


「大丈夫か」


「平気、です。魔力もまだ残っていますし……助かりました。エドウィン、銃を使うの上手いですね」


 銃、と言われて、未だにそれが片手にあることを思い出した。腕を持ち上げて残弾数を確かめる。弾はもう一発も残っていなかった。空になったそれをユニスに返却して苦笑した。


「お前には負ける。狙った場所よりも、思いのほかズレたからな」


「私だっていつもそうですよ」


「それにしても、実弾も込めているとは思わなかった。おかげで助かったが」


「魔力節約のために、三発だけ込めています。だから一発目が聞こえた時に、三発目が鳴る前に武器を持たなきゃって……貴方のナイフを急いで握ってました」


 話しているうちに落ち着いて来たのか、俺を仰いだ桃顔は頬を緩めていた。それがだんだんと得意げな笑みに変わる。まだ高い位置にある日輪を両目一杯に宿して、ユニスが「えへへ」と吐き出していた。


 彼女は拳銃を手枷の内側に収め、鞄でも漁る手つきで中を探ると、銃弾を抜き取っていた。


「一応、替えの弾もいくつか持つようにしたんですよ。魔力が尽きて棒立ちのまま、貴方が傷付く姿を見るだけなのは……もう御免ですから」


「……そんなことあったか?」


「あったんです。いつもいつも、もっとサポート出来たのにとか、もっとエドウィンの負担を減らせたのにとか、反省ばっかりです」


 体温が戻った頬が赤ばんで膨らむ。彼女が膨張させている不満は彼女自身に対するものなのだろう。銃弾を手枷に収めた彼女は、手枷の革を両手で伸ばしたりして憂さ晴らしをしていた。


 冷たい風が砂塵で星を描くと、その粒が目に入ったようで、ユニスは呻いて目を擦っていた。帽子が頭から落ちそうになっているのを一見して、そっと頭を押さえてやった。


「お前は、戦闘の度に何かを学んで、どんどん強くなっているんだな」


 彼女の努力を労いたくて、怯えさせない力で頭を撫でる。微笑みかけると童顔は気抜けた面色をしていた。頷いたのか、俯いたのか、曖昧な所作でその相貌は隠される。


 帽子の位置を直してから手を離し、周囲を見回す。廃病院の装いは以前とあまり変わらず、人が立ち入っている形跡はなかった。扉を失くした石造りの建物に目を凝らせば、薬物事件の際に殺した者達の半骸骨が見えそうだった。


 ゆっくりと瞬きをして、帰ろう、とユニスに呼びかけようとしたが、俯伏したままの彼女がささめいた。朝露が落ちるほどの幽かな気息は聞き取れなかった。きっと彼女も自覚していた。そう感じたのは、彼女が俺を決然と平視して、開口したからだ。


「私。貴方のこと、守れるようになりたいんです。だから、もっと、強くなりたい。貴方に置いていかれたくない」


 屈折することのない目線の中で、僅かに眉根を寄せた。置いていかれる。その言葉の意味が分からなくて細思しようとした。仄白い砂煙が漂っても、汚れることのない藤色の瞳。それが柔らかに咲笑う。勘案も問いかけも必要なかった。向けられた朗笑が、まさやかな答えだった。


「エドウィン、私ね。ずっと貴方に、憧れてたんです。……ううん、今も憧れてます」


 緩頬かんきょうするユニスと見交わしたまま、その一瞬がいつまでも続くような錯覚に陥る。耳元で秒針が正確に周り、ユニスが照れくさそうな赭面しゃめんを傾けて、一瞬が一瞬でしかなかったことを明示する。それでも、表情の作り方を忘れたまま立ち尽くしていた。


 少しばかり地面に向けた顔を、黒髪が隠す。抱いたことのない動揺が発露しているのを感じ取って、苦笑した。けれど、込み上げた羞恥よりも情けなさを捨て去りたくて、俺はいびつな片笑みのままユニスに向き直った。


 自分が今、どんな顔をしているのか分からない。けれど、ユニスを瞠目させて、笑わせるくらいには、下手くそな微笑をしていたのだろう。ユニスは、とても幸せそうな笑い方をする。


「知らなかったでしょ。私が強くなれたのは『貴方のおかげだ』ってこと」


 微かな息吹は首肯の代わりだ。けれど、ユニスをじっと守ったまま、軽く振った頭は左右に、だった。


「俺は何もしてない。お前が諦めなかった結果だ」


「半分はそうかもですけど、もう半分はエドウィンのおかげなんです。貴方が諦めないから、私も諦めないでいられるんです」


 彼女の温言は粋美な響きで耳に残る。


 俺が諦めなかったのは、アテナの呪いのせいだ。アテナの言葉に抗っていたくて、弱い自分を殺していった。誰かの『せい』に囚われ続けた俺からすれば、誰かの『おかげ』で戦い続けた彼女の方が、よっぽど強い。


 それに感化されて、背筋を伸ばした。ユニスのおかげで、俺自身も変われるような気がしたから。


「帰るぞ。帰り道……手枷のベルトを探しに、服屋でも覗いてみるか」


「あ、そうですね。仕方ないので私が、身だしなみに物凄~くこだわってるレディとして、店員さんに似たようなベルトがないか聞いてあげます」


「仕方ないってなんだ……お前が必要な物だろ。財布貸してやるから、お前一人で買いに行ってもいいんだぞ」


「やだぁぁぁ! 冗談です! 一緒に来て!!」


 廃病院を囲う針金を踏み越えて、廃れた道を鳴らす。そのまま大通りの方へ向かおうとしたが、ユニスが背中にぶつかり、胴にしがみつかれたものだから踏み止まった。


 瞥見してみると、どうやら針金に躓いて転びかけたらしい。放り出された手枷が道の端に落ちていた。肋骨が痛むほど彼女の両腕に絞めつけられる。なかなか解放されず、「ユニス」と呼びかけた。直後、彼女は袖のフリルを騒がしく翻して飛び退いていた。


「す、すみません!」


「いや……」


 ユニスは手枷を探して左右を何度も見渡す。後ろだ、と指差してやれば、慌てて拾い直していた。熟れた果実みたいな頬を手枷で隠し始める。その文色を見るに、恥ずかしかったらしい。青びれた肌は皆色かいしき見当たらず、胸を撫で下ろした。単に彼女は、自身も予想していなかった行動を不可抗力で行ってしまって、戸惑っているだけみたいだった。


「魔女を誘導するときも思ったが、前よりも近付けるようになったな」


 隣に並んだユニスを見下ろし、緩慢に雑踏の方へ向かう。大きな瞳が呆然としてから、自分の成長をようやく自覚したのか、誇らしげに弧を描く。歩きながら背伸びをした彼女は、唇を引いて白い歯を覗かせていた。


「もっともっと、近付けるようになりますよ。だって、エドウィンと一緒にダンスするんですから。忘れてないですよね?」


 数歩先へ走ったユニスが、右の爪先を立てて左足を軽く浮かせると、その場で一回転した。清香が土埃を払いのけて強く香った。白光を浴びた金髪が流星のごとく泳ぐ。風を孕んだ衣服が膨らんで、その場限りのドレスになる。


 小さな踵が地面を踏みしめると、コートの裾を軽く持ち上げて、令嬢さながらにお辞儀をしていた。喜色満面の彼女へ、柔らかく苦笑した。


「ああ。……もし忘れても、ユニスが成人する頃に、きっと思い出す」


 ユニスは「絶対ですよ」と破顔して、それからしばらくの間、躍るような足付きで石畳と合奏をしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る