「I adore you」2

 リアムは廊下に出ると、照明の眩しさに目を細めた。執事は室外で控えていた使用人に指示を出し、リアムを別室へ誘導していく。長い廊下には数人の衛兵がいるだけで声がなく、跫音が遮られることなく木霊する。リアムも唇を引き結んだまま執事の背を追っていた。


 案内された一室で、クレイグはカウチソファに横たわっていた。その装いはパーティ用のスーツで、彼が出掛けていたことをリアムに思い出させる。彼はリアムに気が付くと立ち上がり、机に向かっていた。


「兄上。どうなさいましたか。降霊会に行っていたのでは? 随分早いお帰りですね」


「良い出会いがあってな。食事会の途中で帰って来た。お前に教えてやろうと思ったんだ」


「出会い?」


 マホガニー材の赤みがかった机に腰を預け、机上の本や紙を持ち上げては置いていくクレイグ。リアムは立ったまま、怪訝そうな目を彼に向けていた。彼は一冊の本を捲りながら喋々する。


「黒い髪に赤い瞳の青年を知っているか? アレが『魔力の花』と呼ばれる存在なのではないかと思ってな」


 クレイグは本を捲るばかりでリアムに視線を渡さない。リアムは瞬刻、救われた、と思ったかもしれない。なにしろリアムの双眸は、ありありと驚倒していたのだから。しかし、この場で一驚に価値がないことを、彼は自若していくうちに思い知る。


「魔力の花は美しく、かぐわしく、特別な髪と瞳を受け継いでいるのだろう? 黒い髪で赤い瞳なんて、普通は存在しない。それに嗅いだことのない花のような香りがした。澄んでいるのに、ぞっとするような……気味の悪い空気を纏っていたよ。美しい怪物を前にした気分だった」


 つばらに語られる、花の特徴。クレイグの寒声が耳を打つ都度、リアムの体温は下がっていた。硬直していくリアムに反し、上機嫌で本を置くクレイグ。開かれたまま卓上に置かれたページは破られていた。それは元々破られていたものではない。リアムが、ここに持ち込む前に破いたページだった。


「兄上は、なぜ、魔力の花という、言葉を……」


 エドウィンの故郷を訪れた際、リアムは魔女の研究や魔法に関する本を数冊、持ち帰った。それは自身で詳しく読み込む為であり、クレイグの機嫌を取る為の土産でもあった。だが、魔力の花に関する記載をクレイグに読ませるわけにはいかず、神話のページを全て破り捨てたのだ。


 クレイグは魔女が生まれない世界を望んでいる。この世から魔法を失くすことが出来ると分かれば、その術を掴もうとするだろう。魔力の花と呼ばれる、たった一つの心臓を犠牲にして、魔法のない世界を選ぶ。リアムはそうなることを恐れて、事前に対処していたはずだった。


 鈍い音が響く。クレイグの拳が机に叩きつけられ、真鍮のペン置きから羽ペンが転がり落ちた。彼は色褪せた紙を手にしてリアムに歩み寄る。皺だらけの紙は、リアムがだった。


「なぜ、は私の台詞だ。なぜ、これを隠した? 知り合いの命を捧げることになると思ったからじゃないのか?」


「……いいえ、そんな知り合いはいません。『魔力の花』なんて存在しないと思ったので、兄上を惑わせぬよう破り捨てたまでです」


「知り合いじゃない? そうか」


 放られた紙が床に散らばる。踵を返してカウチに着座した彼を横目に、リアムはしゃがみ込んだ。ペルシャ絨毯をなぞりながら紙を拾い集める。その指先は震えていた。長髪で隠された面色は、蒼褪めていた。


「降霊会で会ったその青年は、『王子と会うのを目当てに来た』と霊媒師が言っていた。だが彼は、私を見ても興味を示さなかった。会いたかった『王子』が私ではなかったからだ、と、その顔を見て察したよ。だからお前の知り合いかと思ってな、『ここに行けばリアムに会える』と住所を渡してやった」


「は……」


「一週間後、もし彼が『リアム』という男を探してココに来たら、お前と彼が知り合いだと証明され、お前はこの私に嘘を吐いたことになる。諸共、殺してやろうか」


 リアムが瞻仰した兄は、冷眼を細めていた。兄の頭上にある絵画よりも、色彩に乏しい面差しが、リアムに凛冽な死を見せる。


 身動きが取れないリアムの姿を画家が見れば、彼の首元に死神の利鎌を描くだろう。リアムは無形の切っ先をさやに感じていた。


「彼がこの宮殿に来ることなく私の勘違いで終わるか。それとも、お前が詫びとして自ら彼の死体を私に差し出すか……楽しみだな」


 リアムは、掻き集めた紙片をたわめながら、それを机上に置いた。「話は終わりだ」と退室を促され、気色ばんだまま頭を下げて出て行った。


 革靴が高鳴る。リアムが爪を噛む音を打ち消すほど、高く鳴る。リアムは、クレイグに試されていることを了知していた。


 自分とエドウィンが知り合いであることを、兄は確信している。酒場に捨てたページを兄が持っていたということは、酒場の従業員の情報もすぐに調べがつくだろう。


「っ……」


 歯切りする嫌な音がリアム自身に不快感を与える。リアムは酒場の情景を眼裏に浮かべていた。自室には鍵を掛けており、その鍵はカウンターの裏面にある鍵付きの棚に入れていた。棚の鍵は所持して発った為、壊さなければ開けられない。


 客や近しい人間に、兄の息がかかっている。エドウィンに目を付けたのが降霊会だとすると、兄本人が入店したことはないのだろう。彼の部下が客にいたのか──そこまで考えて、リアムは大息を吐き出した。


 エドウィンがこの宮殿に来なくとも、クレイグは酒場に赴いて彼を捕らえる。降霊会で彼を捕らえなかったのは、弟がどう出るか観察する為だ。


 エドウィンが宮殿に来た場合、彼だけではなく嘘を吐いたリアムにも死が迫る。


 だからこそ、どうすればエドウィンを守り、己も守れるのか。リアムは床を打ち鳴らして深思していた。


 メイナードに刺した釘が、どれほど錆びついていて、どんな苦味を持っていたのか。自らも刺された今、苦り笑う。リアムは廊下で不意に立ち止まり、深呼吸で肩を上下させた。そして、拳の側面を壁に打ち付けていた。


「くそ……ッ」


     (二)


「わぁぁぁケーキが沢山です!」


「お前が頼んだんだろ」


 喫茶店のテーブル席で、カレンは俺の隣に、ユニスは俺の正面に腰掛けていた。目の前には机から皿が落ちそうなくらいケーキが並べられている。二段のケーキスタンドにはセイボリーとスコーン、クッキーがのせられていた。


「ユニスちゃんに喜んでもらえて良かった。ここの店長さん、元々ケーキ屋さんだったみたいだから、種類も多いし味も美味しいはずよ」


「えへへへへ……食べ尽くします」


 出かけよう、と提案してくれたのはカレンだ。マスターを探している俺とユニスを心配してくれたのだろう。勧めてくれた隣町の喫茶店は木造りの家屋で、家具も木造のもので統一されており、落ち付いた店内だった。照明を浴びると金の光沢を見せるテーブルが、良質な木材を使っていることを黙示していた。


 レアチーズケーキを手元に引いたユニスと、スコーンにクロテッドクリームを塗っているカレンを後目に、俺は壁に肩を預けた。昨夜の降霊会のことを喚想すれば眉が寄せられていく。


 クレイグと名乗った王太子は、一週間後にある住所へ向かえと言った。そこにリアムがいる、という彼の言葉はきっと嘘ではない。


 後六日。罠だとしても向かう価値はあった。これをユニスに話せば、恐らく付いてきたがる。今回ばかりは巻き込みたくなかった。それゆえ彼女には『降霊会でマスターには会えなかった』ということだけを報告していた。その点に関しては、グレンと霊媒師ベティにも、のちほど礼の手紙を送った方がいいだろう。


「エドウィン、こっち向いて」


「なんだ」


 カレンの方へ顔を向ければ、目の前に彼女の手が迫っていた。一口大にちぎられたスコーンが指先にある。それを食べさせたいのだと思われる。


 悪戯っぽく笑うカレンに仏頂面を返し、口を開ける代わりにスコーンを摘まんで受け取った。それを口腔に放り込んでいるとカレンが頬を膨らませていた。


「ねえ、今私が『あーん』ってしたいの分かってて自分で食べたでしょう」


「そうだな」


「もう一回していい?」


「二度としなくていい」


「意地悪ね」


「カレンさん、私がいること忘れてません? 目の前でいちゃつかないでください」


 向かい側の席から尖り声が放たれて、カレンが「あ」の形に口を開けたまま硬直していた。ユニスは既に三枚のケーキ皿を空にしており、チョコレートケーキにフォークを突き立てて諸目を吊り上げていた。


「ご、ごめんねユニスちゃん。ケーキしか見てないと思って」


「そこまで視野せまくないです!」


「そうよね、ユニスちゃんはエドウィンのこと、いつも見ててくれてるものね」


「別にエドウィンを見てるわけじゃないですけど!」


 楽し気な二人に溜息を吐き、スコーンに手を伸ばした。ラズベリージャムを引き寄せて、スプーンで掬い上げる。朝影を浴びたラズベリージャムは、メイの瞳の色とよく似ていた。メイはちゃんと食事をとっているだろうか。込み上げた憂慮をスコーンと共に飲み込んだ。


 マスターがいるという宮殿に、メイもいるはずだ。もしアテナがメイを探してその宮殿に辿り着いていたとしても、マスターがメイとの接触を許さないだろう。それでも、胸騒ぎがする。一日でも早く彼女の無事を確かめたい。


 指定された日時を待たずに攻め入る手もあるが、王族が滞在している宮殿であることを考えると、多勢の衛兵に苦戦を強いられるのが目に見えている。敷地も広く、衛兵と戦闘をしている間にマスターに逃げられる可能性もある。マスターと相対する機会が与えられるのなら、それに乗っかった方がいい。


「ねえユニスちゃん、お姉さんと恋バナしましょう。昨日のエドウィン格好良かったわね」


「な、なにがです!?」


「えっ、ユニスちゃんはいつもと違う格好の彼にときめかなかったの!? 正装も似合うのね……ってずっと見ていたくなっちゃった。一体何人の令嬢を虜にしてきたのかしら」


「カレン、さっきからあんまり人を揶揄うな」


 笑いながら肩をつつかれて黙考が遮られる。歪めた唇に食べかけのスコーンを押し当てて二口目を咀嚼していると、今度は頬に指が触れる。カレンが楽しそうに笑うものだから、何も言わずに払い除けた。


 ユニスはチョコレートケーキを食べ終えて、苺のケーキを手に取った。しかしそれを食べ進めることなく、神妙な面持ちで苺を見つめている。既に五ピース分のケーキを食べている為、流石に満腹になってきたのかもしれない。声を掛けようかと思ったが、開口したのはユニスの方が先だった。


「昨日の、エドウィン。似合って、ましたけど。でも私は……いつも、もっとカッコいいエドウィンを見てます」


 言いにくそうに絞り出された言葉が、耳殻に染みていく。ユニスにしては珍しい言葉だった。呆気に取られて、スコーンを取り落としそうになった。開いたまま乾いていく唇をどうにか結んで、何事もなかったかのようにスコーンを口に押し込む。


 慣れないくすぐったさが身を巡り、頭を抱えたくなる。黙然としていれば、掻い澄んでいた気まずさをユニスが打ち破った。


「い、今のは! 今のは違くて!! カレンさんが変な話を振るからです!」


「っふふふ。エドウィンかっこいいわよね、うんうん」


「だからぁ! 違うんです!」


 窓硝子が痺れるほどの大声を発して、帽子を振り乱しているユニス。落ち着いたかと思えば、今度は手付きが騒がしくなる。苺のケーキ、オレンジのパウンドケーキ、スコーンとシフォンケーキをものの数秒で平らげると、突然立ち上がる。


「残りはお二人にあげます。私はお手洗いに行ってゆっくり身だしなみを整えてくるので、その間にいちゃいちゃしてたらどうですか」


 ユニスは傾いている帽子を引っ張りながら歩いていく。一人で大丈夫だろうか、カレンに付いて行ってもらった方が、と案じてしまうのは、ユニスが街中だと手枷を外せないからだ。店内の人気は少なく、通路も広いため、他人と接触することがなければいいが。


 繊弱な背中を見送っていると、カレンがほうれん草のキッシュに手を伸ばしていた。スイーツはユニスが食べ尽くしたようで、あとはケーキスタンドにサンドイッチが二つ残っているだけだった。

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