memento mori6


 ベティは立ち上がり、王子に一礼すると、支配人らしき参加者の男性に目配せをする。男性は使用人に扉を開けさせて、廊下を指し示していた。


「これから別の会場で食事会が行われます。皆さま、移動をよろしくお願いします。ささ、殿下も」


「私は霊媒師と話がある。先に全員出て行ってくれるか。お前も先に行け」


 王子は隣席にいた男性の背を叩き、退室を促す。全員、という彼の言葉に、俺も出て行くべきか悩んだが、ベティを見る限り待機していた方が良さそうだった。王子は俺を後目に見ただけで、何も言わずベティに歩み寄り、握手を交わしていた。


「ベティさん、とても愉快だったよ」


「殿下にそう言っていただけて安心しました」


「そうだな、私に感謝するといい。なにしろ、とんだ茶番に付き合わせたのだから。アレは父上の命令か? くだらない台本は、父上が考えたのか?」


 声遣いが、兆候もなく切り替わった。冽として冷え切った槍声がベティを突き刺す。それだけでなく彼の手がドレスの胸倉を掴み上げたものだから、思わず靴音を鳴らした。だが、ベティは網目越しに俺を見ており、左右に首を振っていた。


「いいえ、殿下。霊が何を口にしたかは存じておりませんが、すべて、その遺骨を通じて、死者の心が貴方に訴えた言葉ですわ」


 数歩離れた位置にいる俺にも、はっきりと聞こえるほどの、舌哭きが響いた。彼の白手袋は深い皺を刻んでおり、いつ殴りかかってもおかしくはなかった。だが、その拳固は大息とともに気抜けていく。


「まあいい。全て父上が悪い。だからこれ以上は、貴方への八つ当たりになる。女性に掴みかかって済まなかった。だが、二度とこんな真似はするな。誰しも、無遠慮に触れられたくないものがあるのだと、留心しておけ」


「……申し訳ありませんでした。ご寛大な処置をありがとうございます。……殿下、会場へは彼がご案内いたしますわ」


 やりとりを見守っていれば、矢庭に投げかけられて睫毛を持ち上げた。王子がこちらを顧みる。短い金髪に切れ長の吊り目は、マスターとは似ても似つかない。背の高さや千草色の瞳だけがよく似ていた。俺が観視している間、彼もまた、こちらをまじまじと凝視していた。


 相対して固まっていると、ベティが俺に駆け寄ってきて背中を押してくる。


「この子は私の助手なのですが、殿下にお会いしたいと熱心に頼み込むものですから、今回の降霊会に特別に参加させたんです」


「いえ、ベティさん、俺は」


「──ほう。私に会いたかったのか」


 冷眼が優しく撓る。笑った顔はマスターと瓜二つで面食らってしまった。自分に好意的な人間には甘いのだろうか。愉色を湛えた眉目に苦笑を浮かべ、曖昧に会釈をする。彼は付いてくるよう顎で示し、そのまま歩き出した。


「会場へ向かおう。案内は不要だ、私が分かっている」


「……かしこまりました」


『王子』と接触する、という目的は果たした。だが、その王子がマスターでなければ意味がない。降霊会の参加者を見たところマスターの姿はなく、この場に彼がいないのは判然としていた。


 無駄足だったか、と胸臆に吐き捨てて、パーティ会場の扉を潜る。食事は立食形式のようで、多くの男女がグラスを片手に歓談をしていた。部屋の隅には楽団が控えており、優雅な曲を響かせている。


 広い室内は賑わっていて、降霊会に参加していない人間も多くいるようだった。その中にマスターがいないか、シャンデリアの眩しさに細めたまなこを巡らせていれば、王子の腕が肩にぶつかる。彼は両手にワイングラスを持っていた。


「君も飲め」


「いえ、お酒は飲めないので……お気遣いありがとうございます。後ほど返却しておきます」


 彼の手からワイングラスを受け取り、血のような葡萄酒があゆくのをただ見下ろす。人混みに巻き込まれぬよう壁際に避ければ、彼もそれに追従した。


「私に会いたかった、というのは本当か? 良い食べ物が食べたかったのではなく?」


 口角を上げて揶揄する口吻に眉を顰めた。グラスを軽く揺さぶり、波打つ水面を見つめる。肯定すべきか、否定すべきか、波紋が巡る。不自然な間を埋めるべく、素早く潜考した。


 彼は恐らく、マスターと血の繋がりがある。マスターのことも知っているはずだ。しかし、マスターは『上の人間に嫌気が差して、身分を隠していた』。つまり表向き死んだことになっているか、或いは行方不明として扱われている可能性が高い。マスターが生きていることをこの男が知っているか否か、もし知らなかった場合、知られて良いものなのか。マスターは自分が生きていることを、身内にも隠し通したいのではないか。


 案出した選択に息衝いて、言い掠む。接客をするように気持ちを切り替えた。


「……そうですね、殿下にお会いしたいというのは、ベティさんを説得する口実の一つでした。女性は『子供の憧れ』を叶えようとしてくださる方が多いですから。煌びやかな世界とは縁がないもので、こういったパーティに参加してみたかったんです」


「煌びやかな世界、か。パーティを好むような性格には見えないが……しかし君は、珍しい目の色をしているな。髪色は生まれつきか?」


「髪……? そうです」


「有り得ないな」


 落とされた歎息に頭を打たれる。事実を否定されたことに吃驚して彼を平視すれば、翠眼が目先に在る。彼は真っ向からこちらの虹彩を捉えていた。瞳孔を、その奥の脳髄を、全てを見通すような慧眼に吸い込まれそうになる。捉えられているのだ。眼界に収めるだけで飽き足らず、逃がさないように。


 不思議な感覚だった。観察されている、とは少し違う。品定めされている? そういう目遣いでもない。関心の外面に隠されているのは、繕われた好奇よりも暴力的な禀質ひんしつ。唾を飲んで味解する。


 この男は、目に見えない銃口を俺に突き付けている。


「そのくらい赤い瞳は、色素欠乏症でなければ有り得ないだろう。だが色素欠乏症であれば髪の色も白くなる。金髪ならまだしも、君は綺麗な黒髪だ。瞳がそこまで赤くなるわけがない。ただ、肌は真っ白だから、髪だけ染めたと言われた方が納得するくらいだ」


 喋々する声を片耳で受け止め、腕組みをするように片腕へ手を添えた。胸ポケットにはフォールディングナイフを忍ばせている。彼がその照準に実体を持たせるのなら、執刀するまでだ。


 敵意を滲出させぬよう、柔和に咲笑った。


「殿下は、物知りですね。ですが生憎、生まれつきの色なので、難しいことは分かりません」


「そうか。良かったな、知識のある人買いに出会っていたら、売られていたかもしれないぞ。君のそれは唯一無二の色だ。君の保護者がこの場にいたなら、君を大事に隠しておきたかっただろうにな」


 彼はワインを飲み干し、傍に居た従僕に空のグラスを手渡す。空いた手を懐に入れたものだから、身動ぎしない程度に身構えた。抜き取られたのはペンと手帳だ。開いたページに穂先を走らせたかと思うと、それを破って俺に渡してくる。


 受け取ってみれば、道の名前や番号が記されていた。


「これは、住所ですか?」


「そうだ。そこには宮殿がある。もし君がのなら、君の探し人はここに居るかもしれない」


 この、男は。


 たった数分の会話、たった数分の所作から、どこまで見抜いたのだろう。俺は感情が表に出る方ではない。当たり障りのない返答をしていたはずだ。自身の言動を辿って切歯する。


 初めからだ。目を合わせ、ベティが俺を紹介し、俺が断ろうとしたあの瞬間から、違和感を気取っていたのだろう。だから、笑みを深めて俺に近付いた。何故かは分からない。だが、何かを試されていたのは明らかだった。


 舌を打つ代わりに、親指の先で紙を歪める。能天気な演奏が、紙屑に音骨を与えなかった。


「……住所を、無闇に教えない方がよろしいかと。身分の高い方々は、いつ賊に狙われるか分からないのですから」


「その通りだな。馬鹿な賊は『しめた』と思って仲間を引き連れ、そこへ向かうだろう。コレが『愚かな害虫を引き寄せるための罠かもしれない』と疑いもせずに。そうして返り討ちに遭う」


「……なるほど」


「今のも冗談だ。君のような美人を害虫扱いしたりはしないさ」


 眉を顰め、ひしゃげた紙に目を落とす。知らない土地だが、記載されている情報を頼りにすれば向かうことが出来そうだった。とはいえ、この男が言ったように罠かもしれないし、この住所にいるのは見知らぬ人間かもしれない。


 冷静に考えると、俺が『マスターに会いたがっていること』に、彼が気付いたのかは分からない。また別の王子と出会うことになる可能性もある。


 通りかかった従僕に一口も付けていないワインを返却し、紙を懐に収めた。


「そういえば名乗っていなかったな。私はクレイグ・ロイ・オルブライト。君は?」


「……申し遅れました。エドウィンです。大した身分ではないので、苗字を名乗る必要はないかと」


 以前、家名を口にしたことで妹の墓を暴かれたことを想起して目元が力んだ。ふと、この男──クレイグが名乗った家名に引っ掛かりを覚える。オルブライト。聞き覚えがあるような気がした。


「エドウィンか。ああ、ちなみに友人はローレンスと言うんだが……いや、リアムと言った方がいいのかな。一週間後の今日であれば、君という来客を招き入れるよう、門番に話を通しておいてやる」


 リアム、と、クレイグの口から発せられた名前に瞠若した。マスターがリアムと名乗っていることを、この男は知っている。リアム・ブライトマンであったマスターと交流があったことになる。ならば、マスターが離縁したかった身内とは、誰のことだ。マスターが語っていた身内このくにへの不満は、本当に本心だったのか?


 思考を、止めた。沈吟したところで、正解などこの脳にはない。この男が敵だったとしても、マスターが敵だったとしても、マスター本人にぶつからなければ、意味がない。


 マスターあのおとこを殴ってでも連れ戻さなければ、足跡を追躡ついじょうし始めた意味がない。


 渋面を形作り、この屋敷にはいない探し人の背中を睨んでいれば、クレイグが言笑した。


「さて。君はどれが嘘で、どれが真実だと思う? 好きなものを信じるといい」


「さあ……全て、冗談なのでしょう」


 晴れ退いた思考を見せつけるように、彼と眼路を重ねる。好きなだけこの角膜を洞見すればいい。嘲笑われる迷情など全て削ぎ落した。


 彼が汲み取ったのは、一掬いっきくの殺意だ。そうでなければ、保たれていた笑みが崩れるなどあり得ない。面容は獰猛な獣の如く歪んで、青黒い影を落とす。彼は両手を衣嚢いのうに隠すと、こちらに上体を傾けた。


「用が済んだのなら帰った方がいい。壁の花になっていたら簡単に摘み取られてしまうぞ。君は随分……かぐわしい花のようだからな」


 悪魔が囁くように、彼は耳元で低く告げた。彼の手首を睨視するが、その手は上衣に収められたまま動かない。敵意が太刀影を揺らすことはなかった。それでも俺は、懐のナイフに指を引っ掛けたまま、彼の息差しに集中していた。


 首筋に冷気が走る。変化した息遣いは攻撃に移るような荒々しいものではない。だが、それが香気を確かめているのだと理解して、鳥肌が立った。


「……ご忠告、どうも」


 彼の上腕部を掴んで押し退けた。そのまま蹴り飛ばしたいくらいの嫌厭を堪え、炯眼を突き刺す。残存する不快感が肌を這い、思わず首元を押さえていた。伝わって来た頸動脈の拍動が、五月蝿い。まるで、幽香を介して心臓を掴まれていたかのような、理外な怖気が血脈に流れていた。


 襟を正す仕草でその手を下ろすと、クレイグに背を向ける。だが靴音は俺のものと連なり、間髪入れず袖を引かれた。


「知らない香りだ。何の香水を使っている?」


「──黙って失せろ」


 吐き捨てた唸り声は嫌忌でひどく歪んでいた。振り返ることなく踏み出す。苛立った靴音と劇伴が騒がしいはずなのに、彼の譏笑きしょうがまさやかに鼓膜を突く。


「帰り道には気を付けるんだな、ma fleur」


 意味の分からない外国語に顔を顰める。的皪てきれきな照明から逃れ、薄暗い廊下に踏み入った。窓の外は既に夜籠り、藍色の濃淡だけが景色を描いていた。


 クレイグに渡された紙をもう一度見下ろす。彼が言っていたマスターの名前を、追思する。マスターの部屋で見つけた万年筆のことを、追想する。


 ローレンス。Laurence M Albright。『彼自身I』を含めて、頭文字を並び替えただけの偽名LIAM。それは確かに、俺が知っている『彼』の名だ。


 会わなければならないのは、『彼』の意思を持たない王子ローレンスではない。リアムの意思を確かめる。メイがあざなった縁と、ユニスが信じる家族を、守り抜く為に。

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