memento mori5

     (四)


 夕暮れを目指す昼光が赤みを帯びていく中で、俺はベティという霊媒師を待っていた。グレンから手紙が届いたのはあれから三日後、そこには降霊会の日付と、待ち合わせの時間と場所が書かれており、ドレスコードも明記されていた。


 着慣れない燕尾服を纏い、指定された街の、指定された女神像の前で、十分ほど佇んでいる。編み込んだ髪の先に触れても秒針は音を立てない。正装を求められる場に時計の髪留めを着けていくわけにもいかず、シンプルなものにしてきたため、腕時計で時の経過を確認していた。


 手紙に記載されていた時刻は既に過ぎている。吐いた溜息が白く溶け、雑踏に紛れた。この街ではクリスマスに祭りでもするのか、三角旗が中空を綾取り、道路の中央にある街路樹にはリボンや丸い飾りが着けられている。立ち並ぶ建物の外壁も、白や赤、緑など様々な色をしており、店のテント看板も鮮やかで、玩具のような街並みだった。


 人通りを眺めていると度々通行人と目が合う。目付きのせいで睨んでいる、と誤解されて喧嘩を売られることが多いため、速やかに目線を外す。面倒事に巻き込まれぬよう、建造物の二階あたりまで視点を高くした。


 ベランダにかけられた鉢植えが枯れている。そこに烏が降り立ったのを眺望していたら、ヒールの音が間近で響いた。


「降霊会に参加したい子って、貴方ね?」


 振り向くと、黒い女が立っている。喪服のようなドレスを纏い、トークハットから垂れ下がるレースも黒く、彼女の顔貌を暗らかに賦色ふしょくしていた。陰の中で相好が綻ぶ。四十代ほどの女性は上品な足取りで俺に近付いた。


「ええ。貴方がベティさんですか」


「そうよ」


「初めまして、エドウィンと申します。この度は……」


 靴音は、爪先が触れる一歩手前の距離でようやく鳴り止む。首に息がかかるほどベティの顔が近付いて、思わず後退したが、女神像の台座に背中をぶつける。鈍痛に歯噛みしている間も彼女はこちらを熟視しており、苦笑しながら目を逸らすしかなかった。


「あの、何か気になるところでも……? すみません、あまり正装には慣れていなくて」


「いえいえ、服装は完璧よ! お顔も合格だわ」


「顔?」


「ええ。グレンから聞いたの。『美男子だったらいいわよ』って言ったら彼、『お前が泣いて喜ぶほどの美形だよ』とかいうから。実際に会って文句言ってやろうかと思ったんだけれど。ふふっ、ほんとに良い男ね」


 よく分からない審査基準だが、彼女のお眼鏡にかなったようで、胸を撫で下ろすべきことなのだろう。喜色満面の彼女に片笑みを浮かべて軽く頭を下げた。


「……それは、どうも。『霊媒師の手伝い』というのは、荷物持ちですよね。荷物、持ちますよ」


「あら、ありがとうエドウィン。他にも手伝ってもらうことはあるわ。会場に向かいながら話しましょう」


 差し伸べた手で彼女から鞄を受け取る。黒い革製のアタッシュケースは軽かった。ヒールの歩みに合わせて跫然と彼女の影を追いかけた。少しずつ暮れていく晩暉ばんきによって、煉瓦道を染める影は色濃くなっていた。


 先導する彼女の足遣いに迷いはない。賑やかな商店街の風景は次第に格式高いものへと変わり、厳かな店が並ぶ。ホテルやレストラン、服飾店、どの建物も広い敷地を有し、看板や軒灯に施されている装飾が繊細だった。


 通り過ぎた馬車を一瞥していると、ベティが手を叩いていた。


「手伝いの話をするわね。儀式が始まったら全員に祈りの歌を歌ってもらうのだけど、それからだいたい二十秒が経ったあたりで『お静かに』って言って止めてくれるかしら。その際、私はもう霊に憑かれている状態だから、誰かがそれに気付かせてくれないといけないの。だから、儀式の部屋に行ったら、私が座った位置の正面にくるように立って、私を見ていてくれる?」


「二十秒……わかりました」


「もしかしたら皆、制止した貴方を見るかもしれないけれど、私に注目するように手で示してあげて。それと、私が両手でテーブルを叩いたら、電気を点けて」


「かしこまりました」


 ベティの足が止まる。彼女のレースが冷たい風に靡いた。網目越しに窺った双眸は目の前の屋敷を俯仰する。黒く高い柵は開かれており、庭園の先の屋敷からは赫奕かくえきとした光が溢れ出している。楽団が奏でる音楽が僅かに聞こえた。


 入口に立っていた使用人へベティが声を掛ければ、彼は俺達に一礼をして歩き始めた。誘掖する背中をベティと共に追いかけていく。


「ここが会場よ。今はダンスパーティをしている頃かしらね。私達は儀式の場に通されるから、参加者が部屋に集まったら説明をして、それから儀式を始めるの」


「……俺は立っていればいいんですね?」


「ええ。ちゃんと歌の際の合図と、点灯のタイミングを忘れないでね。降霊会が終わったらパーティ会場で食事会があるわ。そこで貴方が殿下と話せるように、貴方のことを話しておいてあげる」


「……ありがとうございます」


 庭園の、枯草の香りから遠のく。弦楽器の音色に出迎えられ、絢爛な会場を横目に廊下へと誘われる。小暗い通路で、窓硝子が上風によって振動していた。木の影を何の気なしに瞥視すると、残陽が夜天に散らばって星を生んでいた。


 幽かな演奏に、引き攣った弦の音が混じる。それは扉が立てたものだった。通された一室には丸いテーブルと十二脚の椅子が用意されていた。ベティがこちらに手の平を向けてくる。その手に鞄を返すと、彼女は一脚の椅子を引いて机上に鞄を置いた。


 鞄から取り出されたのは木箱だ。蓋を外した状態で、テーブルの中央に置かれる。それと隣接する形で一本の燭台が立てられた。箱の中には瑠璃色の布が敷かれ、小さな骨が収められていた。子供の骨だろうか。手か、足か、正確な部位は分からなかった。


 部屋の隅に鞄を片付けたベティが、カーテンを指差す。


「カーテンを捲ってみて」


 夜に見る木の葉のような、天鵞絨びろうどの布地を引っ張った。金のフリンジが埃を漂わせる。遮光幕の向こうに、窓はなかった。ダマスク柄の壁紙だけが広がり、天上から紐が垂れ下がっていた。タッセルに触れて紐を揺らせば、ベティが説いてくれる。 


「電気はその紐を引くと消える、もう一度引くと点くわ。そういう風に造られている屋敷なの」


「ここは貴方の所有地なんですか?」


「いいえ。ここの主人と仲良しなだけ。降霊会は、お金と話題と交流の種になるもの。霊媒師を雇いたい貴族はそれなりにいるのよ」


 首だけで相槌を打ち、カーテンを閉めて布帛の上から紐の位置を確かめる。カーテンを開くことなく、布越しに紐を引くことも出来そうだった。人知れず照明が点く、という筋書きに従うなら、カーテンは開かない方が良さそうだ。


 ベティは扉の傍にいた使用人に「準備が整った」と囁くと、懐からマッチを取り出し着座した。


「降霊会が始まる前に、ここは真っ暗になるわ。この一本の蝋燭と、参加者が一人ずつ持ってくる蝋燭だけが明かりになる。火を灯したら、照明を消してちょうだい。それと、確認しておくけれど、貴方の役目は?」


「……歌の制止と、貴方の合図に従って点灯、ですね」


「完璧よ。いい子ね」


 俺の苦笑を見届けた彼女が、マッチを動かす。擦過音が赤く広がった。カーテンを引っ張り照明を落とす。頻闇しきやみが空間と家具の境い目を覆い、机上──彼女の手元と骨──だけが、薄赤く照らされていた。数秒の玄黙を経て、ノックが響く。


 頼りない手燭を持った人間が一人ずつ入室していく。その風采は分からない。魔法で夜間視力を上げ、正装の男性が数名と、ドレス姿の女性が数名、着席したのを認められた。その中にマスターがいるのかは、上手く見えない。いずれ明かりが点けば分かるだろうと脱力し、魔法を解いた。


 全員が手燭を机上に置くと、落ち着いたベティの緩声かんじょうが響いた。


「お集まりいただきありがとうございます。今宵、ここに招く魂は、殿下にとって大切なお方。そちらは国王陛下からお預かりした遺骨の一部です」


 いくつもの声影が机上の骨に傾けられる。ベティは静かな騒めきの兆しを気取って、両手を一度だけ叩いていた。


「隣の方と手を繋いで、目を閉じてください。これから全員で祈りの歌を紡ぎます。囁くように、優しく。雑念を捨てて、思考を、歌だけに委ねるように。さあ、我が国の祈りの歌を」


 蝋燭の火がベティの吐息で揺らめく。円卓を囲む十二人の手が触れ合っているのを確かめると、黒いレースの裏側で紅唇が歌い出す。子守歌を思わせる神籟しんらいは、独唱から始まり、合唱へ変わっていく。この夜が終わる前に、創造主へ捧げられる祈りの歌。俺はその音色に、秒針の音を重ねていた。


 魔法で夜目を効かせ、手首で振れる針を見つめる。ベティの開口から、二十秒が経過した。『神の恵みによって我らが守られるように』祈りの鶯声おうせいに、指揮された終止符を打つ。


「──『お静かに』」


 旋律は鳴りを潜め、余声が煙のごとく空無にまぎる。参加者の影は声の主を探して狼狽えるが、この暗闇で人の姿を見つけるのは容易ではない。俺がベティに注目させようにも、俺の姿さえ見えていないのではないだろうか。


 それはベティも察したようで、彼女は袖から鈴を落として注目を集めていた。彼女の乾いた唇が、あ、と零した掠れ声は、幼い少女のように高い。レースを揺らして、ゆっくりと周囲を見回す。一度、二度、参加者をめ見ると、その眼差しは一点に縫い留められた。


「お兄様……?」


 戸惑いを孕んだ呼び声はベティの唇から零れた。だがその声調は別人のようだった。兄と呼ばれた男性の後頭部が、軽く擡げられる。ベティは嬉しそうに口を開けて詠嘆し、両手を机上に置いた。左手の甲を上品に右手で覆い、無邪気な少女のごとく前屈みになって身を乗り出す。純粋な微笑みを、黒い布が透かしていた。


「ずっとお話ししたかったの。クレイグお兄様」


「……フレデリカ?」


 男性が呼応する。その低く柔らかな声が、王子のものなのだろう。マスターと似ているような気もしたが、似ていないような気もした。思い返せば、快活な彼ばかり見てきたため、威儀を正した彼の声など分からなかった。


 ベティはますます喜色を深める。何度も頷いて、自身の両手を絡めると、祈るように胸元へ運んでいた。


「ええ、ええ、そうですわ。ねえ……お兄様、ご自分を、恨んでいるのでしょう? 私を殺した方のことも、恨んでいるのでしょう。ずっと見ていたのよ。どうか……誰のことも恨まないでください。私は誰も恨んでいません。私の死が、いつまでもお兄様を縛ってしまうのは、悲しいわ」


 泣き出しそうに震えた声が、冷たい静寂を作り出す。寂び返った寸閑に返事はない。一瞬だけ空気が凍り付いたように感じたのは、錯覚だったのかもしれない。ベティは顔色一つ変えず、ささめきじみた猫撫で声を吐出していた。


「お兄様、私のことを忘れてください。私が安らかに眠れるように、祈ってください。じゃないとお空に還れない」


「……そうだな。私は、君の幸せを祈っているよ、フレデリカ」


 とても嬉しそうに、ベティは破顔する。笑声を転がして、おもむろに俯いていく。俯伏した状態で、彼女の身体は突然痙攣した。数度肩を跳ね上げて、苦し気に唸り始める。


「っ、う、うう……!」


 頭を押さえ首を振った彼女が、両手をテーブルへと叩き付けた。それが点灯の合図であることを思い出し、照明の紐を引っ張る。窈然ようぜんな闇が晴れ、耀映ようえいした銀燭を誰もが見上げていた。


 俺の直線上にいるベティが語りかけていたのは、正面に座っている男性だ。王子たる彼の姿は後頭部しか窺えない。だが、その髪色はマスターの白橡しろつるばみよりも金に近い木蘭色だった。


 ベティが正気に戻った様子で喉元を押さえ、気息を吐き出す。


「私は……死者の魂は、私に宿ったのですね。殿下、ご満足いただけましたか?」


「ああ。生前のあの子とは一度も話せなかったからな。良い時間だった」


 王子の温順な礼が、藹々あいあいたる気味合いを伝播させていく。強張った表情をしていた紳士も、怯えていた女性も、愁眉を開いていた。拍手が鳴り渡り、降霊会はいくつもの目笑を伴って幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る