memento mori4


「……誰だ。家を間違えたか?」


「いえ、突然すみません。リアム・ブライトマンという男を探しています。ご存知でしょう」


 コートの内側から手紙を取り出し、彼に見せる。宛先がリアムであることと、送り主がグレン・センツベリーであることが分かるよう、彼の視線を追いながら封筒を裏返した。すると彼は驚嘆し、皿のような目で俺を見上げた。


「貴方がグレンさん、で間違いないですよね」


「……ああ」


「覚えていないかもしれませんが、俺は五年前、リアムに拾われて……貴方に、診てもらっていたそうです」


「覚えているよ。エドウィンくん、だろう? すっかり大人になったな」


 今度は俺が瞠若する番だった。彼の記憶に残っていたとは思わなかった。たった一度しか顔を合わせていないのだ。そう思惟してから、マスターの言葉を思い出す。マスター曰く、彼は俺が寝ている間に傷の状態を診てくれていたらしい。それは一度だけでなく、何度もあったのだろう。


 つまりグレンにとって俺は、ここから離れた街の酒場まで、何度も足を運んだ患者だ。理解すると申し訳なさが湧いてくる。手土産か何か持ってくるべきだったなと悔やみつつ、頭を下げた。


「当時はお世話になったみたいで、ありがとうございました」


「ああ。といっても、診察中に君が起きないよう毎回麻酔を打っていたから、世話になった記憶はないだろう。リアムに言われていたんだ。『人嫌いの野犬みたいに手当てを拒むから、噛まれたくなかったらしっかり眠らせろ』って」


 他人に触れられても目覚めなかった自分を不思議に思っていたが、納得すると共にマスターの面影を白眼視してしまう。確かに初対面時、手当てを試みようとしたマスターを信用できずに反抗した記憶はあるが、噛みついた覚えはない。


「……俺は猛獣じゃないんですが」


「っはは、すまない。でも驚いたな。君の手足は、二度と動かないと思ったのに。元気そうで良かった。体は痛まないか?」


「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます」


 彼が魔法について知っているかは分からない為、俺の身体の話は深くしない方がいい。マスターが魔女のことを話している可能性もあるが、もし知らなかった場合、危険なことに巻き込んでしまう恐れがある。


 彼を正視すると、彼の焦点は別の場所へ移った。それを辿ってみれば、ユニスが俺の背中側に立っており、人見知りを発揮して顔だけを覗かせていた。


「それで、私に何の用だ? その子もリアムの所にいた子だろう? リアムはどうした?」


「どこかへ出ていったきり、帰ってこないんです。行き先に心当たりがないか、グレンさんに訊ねに来ました」


「……私よりも、共に暮らしている君達の方が分かるはずでは?」


「分かりません。俺は……あの人のことを、何も知らなかった。彼の酒場以外の帰る家、故郷……なにか、分かりませんか。貴方は、彼の本当の名前も知っているんでしょう。手紙には、名前を書き間違えた痕が残っていましたよ」


 宛名を書き損じたことなど、彼自身は覚えていなかっただろう。けれど指摘されて思い出したのか、精悍な面立ちが引き攣っていた。眉間の皺を指で摘まんで呻く彼。街路を見晴かしてから溜息を吐くと、俺達を手招いた。


「上がりなさい。お茶を用意する」


 頷いてからさりげなく庭を一顧した。道に人通りはあるものの、通行人の数は片手で数えられる程度だ。庭が広いため距離もあり、靴音さえほとんど聞こえてこない。それでも立ち話を避けたグレンが何を話すつもりなのか、嫌な予感がして顔を顰めた。


 広い背中を追いかけて廊下を進んでいく。通り過ぎる棚には壺や皿、小さな像が飾られており、滑らかな光芒を散らすそれらは頻繁に手入れされているみたいだった。壁に掛けられた数枚の絵も等間隔に並んでいて、額縁も汚れが少ない。彼の几帳面な人柄を垣間見ながら、リビングへ踏み入った。


 座るよう促された為、四人掛けのテーブルに歩み寄り、ユニスと並んで腰かける。グレンは台所へ向かって紅茶を用意していた。一人暮らしと思われるが、来客を考慮してか、それとも収集癖があるのか、食器棚にはいくつものティーセットや食器が詰め込まれていた。


 彼は流し台越しに俺達と向き合うと、茶器を鳴らしながら難色を浮かべる。


「リアムの素性について、勝手に話せば彼が怒るだろうが……そもそも話してはいけない約束をしているんだが……君達にとって深刻な事態だろうから、仕方がない。もし私がリアムに怒られるようなことがあれば『刃物で脅して無理矢理聞き出した』とでも言っておくんだぞ、いいな」


「……わかりました」


 マスターが元々貴族だったのは、それとなく知っている。なにしろ、彼が魔女狩りを始めた理由は『魔女を受け入れている貴族に嫌気が差して』というものだったはずだからだ。だとしても、身内おれたちにも簡単に明かせないような身分なのだろうか。


 湯を沸かし始めたグレンは小棚を漁っていた。焼き菓子を取り出し、ケーキ皿に並べて持ってきてくれる。絵柄のない白い皿は金色のラインで縁取られている。シンプルながらも高級感のある光沢を持っていた。その上にあるマドレーヌとクッキーを前にして、ユニスの目色が華やいだのは見るまでもない。控えめな嬉笑を耳朶が受け止めていた。 


「私がリアムと初めて出会ったのは、あるパーティでのことだ。貴族や学者が集まるパーティでね、医者として私も参加していた。そこで、騒ぎが起きた。どうやら人が撃たれたらしく、すぐに手当てが出来る医者を衛兵が探していたんだ。道具は一通り持っていたから、私が負傷者の手当てを行ったよ。幸い腕に掠った程度で、犯人もすぐ捕らえられたが……その時の、撃たれた男性がリアムだった」


 傾聴しつつ、俺の手元にある茶菓子をユニスの方へ寄せてやる。グレンはティーカップに紅茶を注いでいるが、その眼差しでは郷愁の色が揺蕩っていた。


「リアムが上流階級の人間であることは服装からも分かったが、彼は周囲の人間に『王子』や『殿下』と呼ばれていた。リアムは、王子だったんだ」


「えっ……!?」


 驚駭を上げたのはユニスだ。素直な反応に、グレンが苦笑する。俺もまばたきを忘れる程度に戸惑ったが、それ以上の驚きはなかった。マスターの身分を明かす前に然無顔しかながおを浮かべたグレンや、マスターが『は魔女を肯定している』と言っていたことを鑑みたら頷ける。それほどの地位がなければ、政府の内情をつまびらかに語れないだろう。


 グレンはティーカップを二つ机上に置いた。淡い香りはアッサムティのものだ。次いで置かれたミルクの小瓶を、ユニスが手に取って自身のカップに注いでいた。


「リアムが王子だと知った時は、銃創を治療をする手が震えたのをよく覚えている。なにしろ、手元が狂って怪我でもさせたら私の首が跳びかねない」


「ほんとにマスターだったんですか? 他人の空似ではなく……?」


「正真正銘、彼だった。私は治療後、彼にお礼を言われてすぐに別れたんだが……それから数年経って、友人の誘いで入った酒場でリアムが店主をしていたものだから、カウンターで固まるくらい驚いた」


 腰を下ろした彼の相貌と語り口から、当時の情景が目に浮かぶ。彼が纏っていた険しさが、いつの間にか穏やかなものになっている。ユニスが相槌の代わりにクッキーを咀嚼して、長閑やかな音が行き交っていた。


「リアムは、私が注文した酒と一緒に『閉店後まで残れ』と書かれた紙を渡してきて……閉店後、王子であることを口外するなと言われたんだ。私の名前と住所を、誓約書みたいな紙に書かされてな。その約束を結んでから、頻繁に雑談の手紙を送ってくるし、何度も家まで来るし……いつの間にか友人になっていた。もしかしたら友人が欲しかったのかもしれないと思うほど、彼は顔を合わせると、いつも大口を開けて笑っていたよ」


 マスターの顔様がどんなものだったか、すぐに想像できる。俺の思い出にいる彼も、いつも笑っていた。彼らしい放笑は、恐らくどこにいても変わらないのだ。


 グレンの撓んだ口元が小息を伴って動く。そこにあったのは微笑みの音吐だった。開口して、けれど言葉を続けない。彼は数秒緘黙してから咳払いをし、色を正していた。


「……関係ない話までしてしまったな。私が知っているのは、『王子』と呼ばれていた彼のことだけだ。何故王子であることを隠して酒場を営んでいたのかは知らないが、何らかの理由があって、また王子という立場に戻ったんじゃないか?」


 彼の推測に頷いて、引き結んでいた唇へティーカップを軽く押し当てた。まだ温かい紅茶で渇いた喉を潤す。そっと離したカップの中に、自身の仏頂面が見えそうだった。


 マスターが酒場の店主という肩書きを捨てて、王子という肩書きを拾い直している可能性。それが、無いとは言い切れない。けれど、王子の立場に戻る理由など、悪い方向にしか考えられなかった。


 顰め面をほどくことが出来ぬまま紅茶を睨んでいると、ユニスが明朗に沈黙を払っていた。


「じゃあ、王宮に行けば会えますかね? 美味しい食べ物を沢山出してもらえたり?」


「行ったとしても、マスターに会わせてもらえないだろ。最悪、不審者として捕まるぞ。それに王族はいくつも宮殿を持っているから、どこにマスターがいるかは分からない」


 ユニスに返答している間、ひたすらに尋思が巡る。マスターの目的が一体何なのか、分からない。彼がメイを、娘同然に可愛がっていたのは事実だ。メイを危険に晒すような真似はしないだろう。


 だが、もし──彼の言動全てが嘘だったのなら?


 噛み締めた唇は、苦々しい血の味がした。恩人を疑う恩知らずな自分も、黙っていなくなった彼を信じていたい愚かさも、苛立ちをおこすだけだった。


 奥歯が軋みそうになり、誤魔化すように紅茶を飲み下す。空になったティーカップをソーサーに置くと、ちょうどこちらを向いたグレンと目が合った。


「パーティに参加するのはどうだ? 精神科医だった知人が、今は霊媒師をしていてな。勿論他人の心理を利用しているだけのインチキなんだが……今度、王太子が参加する降霊会をするらしい。大金が手に入ると騒いで、俺のところまで自慢しに来たよ」


「降霊会……」


「今思うと、その王太子というのは、もしかしたらリアムのことかもしれなくてな」


 顎に指を添えて眉を顰める。降霊会というと、死者の霊を呼び寄せて、死者の声を聴くものだ。マスターがそこに行くとすれば、メイも連れて行くと考えた方が自然だ。とすれば、降霊会はメイの妹の声を聴くために設けた場、とも推測出来るが、メイ自身もマスターも、彼女の妹が生きているという結論に至ったはずだ。霊媒師の力を使って妹の意識を目覚めさせられる、などという謬見びゅうけんを、彼らが抱くようには思えない。


 それでも可能性は零ではなく、『王子』と出会える場は、今のところそのくらいしかない。


「ベティ……その霊媒師のことだが、彼女が小道具やらを持ち込むために、手伝ってくれる人を探していた。私は予定が合わないから断ったんだが、君を紹介してみようか。流石に子供は断られると思うが、君一人だけなら雇ってくれるかもしれない」


 ユニスに確認するべく、彼女を見遣る。小さな唇が「子供……?」と零して自身を指さしていたため、普段通りの彼女に気が紛れた。ふ、と苦笑を零してから、グレンに頷いてみせた。


「では、よろしくお願いします」


「ああ。霊媒師の返事を訊いたら、後日、酒場に手紙を送る」


「助かります。紅茶も、ありがとうございました。美味しかったです」


「お菓子も美味しかったです……!」


 俺に続いて立ち上がったユニスが、グレンに頭を下げてから袖を引っ張ってくる。外に出る前に手枷を付け直せということらしい。カフェで外してからずっと俺が持っていたことを思い出し、手元にあった枷を彼女の腕に通してやった。


 廊下を通って外へ出ると、グレンに呼び止められる。


「エドウィンくん。と、お嬢さんも。今度は、リアムも連れて来るといい。オペラでも見に行こう」


 彼は歯を見せて「リアムの奢りで、な」と朗らかに笑う。マスターと彼の友情が見えるようで、つられて笑ってしまった。


「……ええ、ぜひ。楽しみにしています」


 マスターはきっと、顔を引きつらせながら財布を出し、仕方がないなと苦笑して全員分のチケットを払ってくれる。オペラの後は高そうなレストランにでも入って、ユニスとメイに大量のスイーツを与えるのだろう。『俺は要らない』と言っても、無理矢理ケーキを押し付けてくる彼が浮かんだ。


 そんな日常を求めて、彼を連れ戻す覚悟を決めた。ことあるごとに父親面をしていた彼が、俺やユニスに『家族』として向けていた想い。その情感は、絶対に偽りのものではない。


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