memento mori3

 便箋を封筒に収め、グレン・センツベリーの住所を確認する。ここからはやや離れた街に住んでいるらしく、馬車を使った方が良さそうだった。


 自室に戻り、いつでも発てるよう身支度を始める。戦うことはないだろうが、念の為ショルダーホルスターを纏い、ナイフを収めていく。コートを羽織ってから一階へ下った。


 先程よりも甘い香りが強くなっている。カウンターにはガトーショコラが置いてあり、ユニスがそれに包丁を向けていて、カレンが小皿を用意しているところだった。手元に集中している童顔はこちらを向かず、カレンだけが顔を上げた。


「エドウィン、今度はいいタイミングね」


「完成したんだな」


「──綺麗に切れました! 突っ立ってないで座ってください、これは貴方の分ですから」


 ユニスが両手で差し出してきた皿には、ホールケーキ半分ほどの大きさをしたガトーショコラが、小皿から落ちそうになりながら載っている。瞠視して他の皿を確認すると、ユニスとカレンの分は小さい。毎日ケーキケーキと騒いでいるユニスらしからぬ行動に、首を傾げて着席した。


「自分で食べようと思って作ったんじゃないのか? 俺はそっちのでいいから、お前がいっぱい食べろ」


「なんで遠慮するんですか! 食べてください!」


「ユニスちゃんがね、エドウィンにお菓子作ってあげたいって言ってたから。これは貴方の為に作られたガトーショコラなの」


 カウンターを挟んで向かい側にいるユニスが、だんだんと俯いていく。そのまま卓上に倒れ込みそうだった。赤ら引いた頬がしぼみ、尖った花唇が不安げな口舌を転がす。


「カレンさんが、色々と手伝ってくれたので、美味しいはずです」


「私はレシピを教えただけだから、作るのはユニスちゃんが一人で頑張ってたのよ。疲れてきても『エドウィンの為』って一生懸命で、ほんとに可愛かったんだから。早く食べてあげて!」


 皿に添えられているケーキフォークを手に取った。ガトーショコラにフォークを沈めると、柔らかく撓んで分断されていく。表面にかけられていた粉糖が舞って、皿を縁取る花の絵柄を雪景色に変えていた。


 窪むことなくしっかりと膨らんだ生地は、切り分けても綺麗な形をしている。口腔へ運べば芳甘な味わいが広がる。無言のまま咀嚼していたら、視界の端でユニスの金糸が落ち着きなく揺れていた。


「エドウィン、どうですか。おいしい……?」


「ああ、美味しい」


 口の中で崩れていく甘さはほど良く、チョコレートと粉糖が上手く調和していた。時折固形のチョコレートが混ざっているが、溶かす際に溶け切らなかったと思しきそれも、食感を楽しめて飽きずに食べられる。とはいえ、流石に取り分けられた量が多く、食べきれる自信はなかった。


「えへへ……よかったです」


 二口目を咀嚼しながら顔を上げれば、ユニスが丸い頬を緩めて幸せそうな笑みを浮かべていた。その隣でカレンが両手を持ち上げ、額の前で手の平を合わせて拝んでいるものだから、動揺してしまう。石像になっているカレンと、機嫌の良い小動物みたく揺れ続けているユニスをそれぞれ一瞥してから、不可思議な現状に眉間を押さえた。


「カレンは、何してるんだ」


「ユニスちゃんが可愛くて撫でたくなるたびにこうやって堪えてるの……撫でそうになった手のやり場に困って……」


「そ、うか。とりあえずカレンもガトーショコラを食べたらどうだ?」


 カレンは数秒で情緒が落ち着いたらしい。ヒールを鳴らして、調理場から客席側に回ってくる。隣に腰掛けた彼女はケーキ皿を手繰り寄せ、フォークを摘まんでいた。ユニスはまだ食べないのか、俺が食べている姿を嬉しそうに眺めていた。


 ひたすら食事中の顔を見つめられているのが気まずくなって、フォークを皿に置く。


「それにしても、どうしたんだ。急にお菓子作りをするなんて」


「私は、美味しい物を食べたら元気いっぱいになれるので。だから……このくらいしか、その、やり方が分からなくて」


「エドウィンに、元気になってもらいたかったのよね」


 足りない言葉を補足するカレンの声柄は優しい。実の妹がいるからか、ユニスに対する接し方が本当の姉のようだった。ユニスはカレンの助け舟にコクコクと首肯を繰り返しており、そのまま前髪で顔を隠してしまっていた。


 丸い頭が檠灯を受け止めて、柳髪に光の輪を生んでいる。彼女のつむじを見つめて小さく笑った。


「ユニス、ありがとな」


 垂下した前髪の隙間から、藤色の瞳がこちらを覗き見た。目が合うと、面映ゆいと言いたげにユニスの肌が赤らんでいく。また数回点頭してから、彼女も自身のガトーショコラにフォークを伸ばしていた。


 座るよりも食欲が勝っているのか、席へ移動することなく立ったまま食べ始めるユニス。大口にガトーショコラを押し込むと、ハムスターみたいな頬袋を動かして目を瞠っていた。喉を鳴らした面様は幸福で満ちていた。


「ん~! 本当に美味しいですね! 私、天才かもしれません!」


「そうね、ユニスちゃんはすごいわね!」


「ふふふふ、もっと褒めていいんですよ!」


 本当に仲良くなった様子の二人に唇が緩む。安閑な時間が流れ、二人の笑声を聞きつつ手元のケーキと向き合った。食べ進めてもなかなか減らない大きさに、満腹になってくる。ユニスの為にも食べきりたいが、胃袋が限界を訴えていた。


 ユニスはというと、既に最後の一口を頬張っており、まだまだ食べられそうな様子だった。


「美味しかったですけど、私はやっぱりエドウィンのスイーツが大好きなので、明日はエドウィンが作ってくださいね」


「……なら、材料を確認しないとな。何が食べたい?」


「えと、えっと、なんでもいいです。エドウィンに任せます」


「じゃあミルフィーユでいいか。それなら好きだろ」


 大きな瞳がまたたいて、睫毛を上下に羽ばたかせると、緩やかに破顔していく。ミルフィーユが彼女の好物だったと記憶していたが、間違っていなかったようで安心した。フォークと皿を持って流し台に向かう体は踊躍していた。


 俺も席を立ち、半分ほど残っているガトーショコラを片手に、カウンターの裏へ回る。皿を洗っているユニスの背を通り越して、一度だけ振り向いた。


「美味しかった。残りは夜に食べる」


 片笑みに微笑が返される。彼女と見合ってから横髪を揺らすと、奥にある冷蔵庫へ足を進ませた。食べかけのケーキを中に入れ、フォークはユニスの横から手を伸ばして流し台に置いた。


 流し台には食器だけでなく、ボウルや泡立て器などの調理器具も多数置かれている。水の冷たさに顔を顰めているユニスへ「代わるか?」と声を掛ければ、カレンが「私が洗っておくから二人とも座ってて」と立ち上がっていた。


 ユニスは自分の食器だけ洗うと、カレンに立ち位置を明け渡す。カレンの言葉に甘え、俺もカウンターから出ることにした。


「カレン、少し出掛けてくる。開店時間までには帰れると思うが、間に合わなかったら休みにしてもいい。昨日も一人でやってもらったんだ、疲れてるだろ」


「大丈夫よ。お客さんも優しいし。急がなくていいから任せて」


「どこに行くんですか? 魔女狩り?」


 魔女を狩りに行くのなら、付いてくるつもりなのだろう。ユニスは座ったばかりの足を動かして、丸椅子の上でくるりと横を向くと、飛び下りる準備をしていた。


「魔女狩りじゃない。マスターの知り合いのところだ。何か分かるかもしれないと思ってな」


「私も行きます」


 ショートブーツの踵が静かに着地する。方今までの歳相応な表情は、打って変わって凛としていた。返事に悩んでいる間、その顔気色はますます険を孕んでいく。戦いにいくわけではないのに、怏怏と眉が吊り上がっていた。


「私もマスターのこと、ちゃんと知りたいんです。だから連れて行って」


 彼女の気持ちはよく分かる。その瞋目しんもくを作り上げている感情は、こちらの心髄にもある。マスターに拾われて育てられた者同士、彼に抱く心葉はきっと同じ色をしていた。


 皿を洗う水音に、溜息が染みていく。硝子の擦過音は涼やかに静黙を通り抜け、聞こえない所まで遠のいた。それは、十秒にも満たない経過の音律だった。


「……わかった。待ってるから、支度をしてこい」


     (三)


 訪れた街は色鮮やかな地だった。赤煉瓦の建物が多く、店の看板は色とりどり。今が冬でなければ、街路樹が街並みの彩度をより高めていただろう。枯葉を点々と揺らしている枝は悄然としていた。


 乗って来た馬車を見送り、スカートの裾を整えているユニスを打見する。目的地の住所で降りるつもりだったが、ユニスが空腹だと騒いだため途中で下車することになった。行き交う人海に巻き込まれぬよう佇みながら、食事が出来そうな店を黒目で探す。カフェと書かれた緑色の看板を遠くに見つけ、ユニスのパフスリーブを軽く引っ張る。


「行くぞ。適当にパンでも買ってやるから食べ歩きで我慢しろ」


「食べ歩きも旅の醍醐味ですからね、仕方ないので我慢します。おっきいのが食べたいです」


「お前さっきガトーショコラ食べてただろ……」


 俺は未だに満腹で、食べ物を見るのも避けたいくらいだ。小さな体にどれほどの胃袋を備えているのだろう。溜息を吐いて石畳を鳴らした。


 旅行鞄を持った家族連れや、地図を広げてベンチで安らう男女、大荷物を地面に置いて周囲を見回している男性を見る限り、観光客が多いらしい。目を凝らした先の広場には大きな噴水があり、その向こうに劇場と思しき建物が見えて納得した。こういった場には人が集まりやすい。


 カフェへの道すがら、住所の標識に目を留める。念の為持ってきたグレンからの手紙を取り出し、居住地を確認する。書かれているものと同じ名の通りは、広場よりも先にあるようだった。


「グレンさん、って方。エドウィンは知ってるんですか?」


「知ってる、ってほどじゃない。数秒顔を合わせたことがあるくらいだ。向こうは覚えていないだろうな」


 手紙を仕舞い直し、カフェの入り口を潜る。広い店内のテーブル席には多くの人が腰掛けており、受付にも数人並んでいた。カウンターの手前に置かれているメニューの看板を指差し、ユニスに訊ねる。


「どれがいい。好きなのを選べ」


「えっと、えっと、カニさんとエビさんで悩んでます」


「……右下にどっちも入ってるやつがあるぞ。あれでいいか?」


「はい! 手枷、外してください」


 両腕をばたばたと上下させる彼女へ手を伸ばす。胸元の金具を外し、手枷が床に落ちる前に引き寄せる。革製の布地は軽い。珍しく拳銃を収めていないようだった。


 手枷を前腕部にかけ、店員に注文をする。暫くして渡されたサンドイッチをユニスに手渡すと、店を後にした。


 サンドイッチはレタスとカニを敷き詰めた上に小エビが沢山挟まれており、ペースト状のアボカドが零れそうだった。ユニスは大きな口でそれを頬張ると、団栗眼を輝かせていた。


 歩く速度を緩め、彼女の足取りを見守りつつ、グレンの家を目指す。広場では小さな楽団が演奏をしていて、子供の姿も多く、賑やかだ。そこを通り過ぎると寂とした住宅地に辿り着く。人通りの減った街路ではユニスの咀嚼音も大きく響いた。


 立ち並ぶ家々を睇視ていししてハウスナンバーを確かめていく。探していた番号と一致する建物は、二階建ての一軒家のものだった。白い柵が敷地を囲っており、庭の低木は綺麗な楕円形に切り揃えられていた。


 ポーチまで続く煉瓦道を進み、玄関の叩き金を鳴らした。俺の斜め後ろではユニスがサンドイッチを口に詰め込んでいる。早く食べきらなければと思ったのか、はちきれんばかりに頬を膨らませていた。


 もう一度叩き金を鳴らそうとしたが、室内から足音が近付いてくる。白塗りのドアが開いて、背の高い男が顔を出す。彼は俺達を見るなり首を傾け、栗色の髪を揺らしていた。怪訝そうな紺碧の目が、鋭く細められていく。


 朧げな過去を一瞬だけ追蹤する。あの日、ベッドの上から見た男性の姿。それは間違いなくこの男性だった。

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