三巻/第二章
memento mori1
《一》
クレイグ・ロイ・オルブライトは王たる父を愚者だと思っていた。
他国では銃器や爆薬の製造、軍需産業の発展に努めているというのに、この国は『魔女』の製造に余計な人員を割いている。その魔女も、失敗作ばかりが生まれ、研究員が殺されることも多い。魔女は生産性もなく、秘密裏に製造されているため貿易にも使えず何の価値もない。利益よりも不利益が多い、無駄な物。それが、クレイグの見解だった。
王が何故、魔女に拘るのか。魔女によって失われた命に盲目な彼を、クレイグは蔑んでいた。あるいは、それは悲哀に依稀する憎しみだったのかもしれない。
「父上。これが成功作の魔女の研究結果です。魔女である証に『
クレイグは豪奢なシャンデリアの灯下に立ち、資料を読む国王の反応を窺っていた。齢六十ほどの顔立ちに反し、若い兵士さながらに背筋を伸ばした男性が、クレイグの正面に鎮座している。
国王が足を組むと、玉座の赤い布地が光沢を泳がせる。気だるげに傾いた肩章の向こうでは、月桂樹を模した装飾が背もたれを縁取っていた。肘置きには鷹が彫られ、瞳に宝石を埋め込んだ
たった数段先にいる父に、クレイグはこれ以上近付けない。だがもし彼に鼻で笑われたなら、目先の階段を踏み越えて掴みかかるだろう。国王の座右含め、室内には近衛兵が数名控えているが、クレイグの眼中には一つの人影しか存在していないのだ。
その人影は溜息を吐く。注がれる反抗心と、気取ることの出来ない子心に、溜息を吐く。そうして太い眉を寄せては離し、資料を裏返していた。
「身体能力は、並外れているんだろう?」
「それに関しては後日ご覧いただきたいと思っています。その結果、『魔女など大した力もない』と納得いただけましたら、魔女の研究を廃止してください」
凛と顎を上げたクレイグは、絢爛な室内光を眼差しに込めていた。窓のない謁見の間を照らすのは電灯だけだ。人工的な明かりは揺らぐことなく、いわんや傾きさえしない。彼を後押しするように、その虹彩に寄りそって屈折のない意思を象っていた。
クレイグが成功作の魔女を求めたのは、元より魔女の研究を断つためであり、『結果次第では考える』と国王が告げたからだった。だのに国王は首を振る。そのうえクレイグにとって忌まわしい名を口にする。
「それは『アテナ様』次第だ。あのお方にどれほどの恩があるのか、お前はまだ分かっていないみたいだな。いつまでも亡霊に囚われていないで、魔女を受け入れたらどうなんだ」
「……アテナ様についてですが、お亡くなりになられたとの報告が上がっています」
苦虫を噛み潰しながらクレイグは吐き捨てた。それは弟である
「それは……本当か?」
「そのように聞いております」
眼球の形が見て取れるほど瞼を持ち上げている国王に、クレイグは不適な笑みを浮かべていた。訃報の真実性を説くには不相応なほど、口角が吊り上がる。狼狽える国王が可笑しいのだと言わんばかりに、彼は笑みを深めていく。彼は、ようやく魔女を排除できるのだ、と、確信していた。
「そんな馬鹿な……何も聞いていないぞ。手紙の一通も届いていない。アテナ様の側近に連絡を──」
「その必要はない。アテナならここにいる」
クレイグの笑みは、刹那的なものだった。彼が揺るがされたのは聴覚だけだ。それなのに、もたらされた驚怖は五感全てに伝播して彼を総毛立たせていた。
戦慄が歩み寄る。その戦慄はきっと熱を帯びている。青ばんだ顔は靴音が近付くたびに汗を流し、嬉笑も蝋人形のごとく溶け出していく。頬も口端も垂れ下がり、情けないほど惑っていた。
「は……」
辛うじて絞り出した息骨に、靴音の余韻が重なる。隣に並んだ男を、クレイグはぎこちない動きで顧みた。燕尾服を纏った、四十代ほどの男が真っ直ぐに国王を見ていた。男の側近である青年が頭を下げているが、アテナを自称した男は会釈すらしなかった。
玉座の上で呆然としている王へ、アテナは朗々と語る。
「前の肉体が壊れてしまってね。また新しい肉体に移してもらったんだ。違う肉体になるのは数度目だからもう慣れただろう? 側近の一人であるブルーノを連れてくるのも数度目だ。まだ証明が必要かい? これ以上の説明は要らないと思うが、どうかな? 私はアテナだよ」
コツ、と革靴が傾く。アテナはようやくクレイグを眼差した。喉仏を上下させてクツクツ笑う彼に、クレイグの奥歯が軋んでいく。クレイグは理解していた。この男の慧眼が、クレイグの目的を見通していることを。それゆえに、
軽く腰を屈めたアテナがクレイグの耳に唇を寄せる。楽し気な低音は重苦しい地鳴りとなってクレイグの体温を下げていた。
「それにしても王太子殿下。君はまるで死人でも見たかのような反応だな。そんなに私が恐ろしいか?」
クレイグが初めてアテナを目にしたのは、アテナが少女の姿をしていた時だ。国王さえも
過去を想起した彼の首には冷気が纏わりつき、ぞっと身震いして、シャツの襟を正していた。
凝然と立ち尽くすクレイグを置きざりに、アテナは国王へ近付く。アテナ、という名前だけで、近衛兵も置物と化して固唾を呑んでいた。
玉座へ続く階段に爪先を触れさせて、段差へ踏み出すことなく国王を仰ぐアテナ。国王は椅子から立ち上がると頭を下げる。それはクレイグにとって、見るに堪えない醜態でしかなく、歯切りするばかりだった。
「アテナ様……これはまた、ご立派な姿だな。悪い知らせを耳にしたが、安心したよ」
「そうかい? なら良い知らせを教えてあげようか。この肉体は成功作の魔女なんだ」
室内に在る黒目が一つ残らずアテナを凝視した。アテナは片腕を宙に伸ばす。持ち上げられた袖のカフスボタンが、シャンデリアの下で輝く。そっと、その袖が捲られた。アテナは骨ばった手首に指をかけ、ブレスレットのようだった紐の先をほどいた。
赤い紐が銀燭を受け流して
アテナが腕を下ろすと、縫い付けられた皮膚が隠れる。けれど袖の先から零れた紐が揺動し、未だに多くの瞳孔を惹きつけていた。
「そして私は、成功作の魔女がもう一体現存していることを知っている。どこかの研究施設にいるかもしれないんだが、居場所は不明。しかし、私とその魔女……成功作の魔女同士が交わることで、胎児にも魔漿を遺伝させ、成功作の魔女を産み落とせるかもしれない」
「なんと……素晴らしい!」
欣快する声が、クレイグを突き刺す。歯噛みする彼の胸裏には恨み言が溢れ返っていた。それはアテナや父に対するものであり、アテナ抹殺に失敗した弟に対するものでもあった。
クレイグはアテナの背を見据える。大口を開けて雀躍する国王を睨め付ける。彼らと同じ絨毯を踏んでいるのに、クレイグだけがこの場に存在していないようだった。同じ照明を浴びているのに、見えないスポットライトが射し込んでいるみたいだった。
その存在しない光線は、国王によってクレイグの方へ向けられる。
「成功作の魔女なら、ちょうど王太子のもとにいる! 身体検査の結果を彼から聞いていたところだ」
クレイグは注視の中で、今にも牙を剥きそうなほど顰蹙していた。それを意に介すものはこの場にいない。その牙さえも、アテナの赤い瞳に捉われれば怖気づいて隠れてしまう。
「そうか、殿下のところにいたか。ここへ来て良かったよ。成功作の魔女が、我々と近しい人間の手の内に在るのなら、必ず貴方方へ報告がいっているだろうと思っていたんだ。だがまさか、王太子殿下のもとにいるとはね。殿下は魔女を嫌っていると思っていたが、ようやく魔女の価値を認められたのかな?」
「……私は、魔女の無価値を、証明しようとしているところです」
震えた
「どうりで。私に死んでいて欲しかったわけだ」
「それは……」
「そんな顔をしていたよ。だがまあいい。成功作の魔女のもとへ、私を案内してくれるかな? 殿下もお父上に、良い報告をしてあげたいだろう? 子供は親孝行をするものだからね」
秒を刻む程度の緩やかさで、アテナはクレイグに近付く。赤い瞳は彼を瞥見しただけで、後方で控えていた側近を引き連れ遠ざかっていく。
硬直しているクレイグに、国王の大息がのしかかった。
「クレイグ。アテナ様をお連れしろ。くれぐれも粗相のないようにな」
「……かしこまりました」
クレイグの切歯にどれほどの苛立ちが滲んでいたか、彼以外の者には知る由もない。彼は己の身分を見失いそうになりながら、靴音を高く響かせてアテナを追いかけた。
国王が居住している宮殿から、
車輪の音色はメイナードに届かない。取り落とした銀食器の音だけが、メイナードの鼓膜を打っていた。
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