bad blood4

 横に長い三階建ての屋敷が少しずつ近付いてくる。窓の数からして部屋数はさほど多くない。一階だけ、窓硝子が数ヶ所砕けている。魔女が暴れたことによる損壊と考えられた。


 玄関は正面の一か所のみ。別棟などもない。増築されることもなく捨て置かれた廃墟は、陰鬱としていた。


 靴底が硬い音を響かせ、玄関ポーチに乗り上がる。隣に並んだユニスを打見すると、その肩が強張っているように見えた。戦闘に向けて力が入っているのだろう。ドアノブに伸ばした手を止め、ユニスをまっすぐ見下ろした。


「ユニス。手枷、外しておくか?」


「あ……そう、ですね。お願いします」


 小さな爪先がすぐ傍まで近付く。接近する足遣いに、躊躇いも怖れも感じなかった。首のベルトを外すよう促す気貌も、人慣れした猫を思わせるほど穏やかだった。


 酒場で過ごす時などは手枷を着けることもなくなっていたが、街を歩く時や、見知らぬ人間と接触する可能性がある時は、やはり着けていないと不安らしい。それでも、固唾を呑むことなく接触を許す姿は、以前よりも俺に気を許してくれているのが分かった。


 首輪から垂下しているベルトに指を引っ掛ける。手枷を繋ぐ金具を弾くと、黒革の布が彼女の影の中へ落ちていった。金糸が靡く。それは、手枷から顔を背けた所作による揺らぎであり、吹き抜けた疾風の軌跡でもあった。


 ユニスの清香が木香きがより強く嗅覚を刺激する。香りは静かなる起端となって、眠り潜む喧狂を引き起こした。


「ぁあああああああああ!」


 扉の向こうで打ち放たれた喚声が無数に重なる。質量を持たない声音が扉を内側から叩き始める。少女の声、女の声、男の声。数え切れないほどの泣き声に顰蹙し、ドアノブを捻って勢い良く引き開けた。


 目の前には、血走った瞳。思わず瞠目する。飛び出してきた女の魔女は、砕けた手枷を振り乱して俺と行き違う。金具が耳元で甲高く鳴いた。魔女の標的がユニスであることを把捉すると同時、干からびた長髪を手繰り寄せた。


 唸りながら傾いた女の首へ鋭刃を宛がう。拳に魔力を注ぎ込み頸椎を抉った。魔女の腕が向かい来るのを視界の端で捉えつつ、速度は緩めない。銃声。鮮々と紅血がはしる。女の片腕が撃ち抜かれたのと、首が断たれたのは一秒間の出来事だった。


 握った髪は頭部の重さに従って垂直に落ち、宙で揺れる。生首が腥臭を滴らせていく。その一滴は横たわった胴部を赤々と染める前に、青黒い影に飲まれた。


 見上げた先で煌めいたのは砕片となった窓硝子。飛び降りてくる少女の魔女。血管の浮いた細腕の先で、刃を象る五指。少女と見交わした乃刻ないこく、男の悲鳴が劇伴となって片耳に迫る。


 右腕を魔力で焼いた。少女の腕部を睨め上げたまま、手元の生首を弾丸のごとく右方へ棄擲きてきする。振るった右腕めがけて打ち下ろされる白魚のような切っ先。片足を下げ、少女の軌道から外れる。


 俺の足跡を踏み付けた少女の肩を蹴り飛ばし、砂埃を氷刃で薙いだ。舞い上がった砂粒を染めた猩紅は、少女の腕が切断された証だ。それに縫いつけられている赤い紐が血の色彩と混ざり合った。狙いは首であった為、仕留め損なったことに舌を打った。


 少女は彼我の間隔を出鱈目に切り苛む。強風を舞い上げる片腕を、躱してはなす。数歩の後退ののち、少女の腕が外側にふれた──その寸隙に、詰め寄った。


 踏み潰したのは繊弱な裸足。前屈みになった胴体を膝で蹴り上げ、喉にナイフを打ち込む。刃を引けば少女が喉頸から喘鳴を吹きこぼす。されど現前の戦意は失せることなく、華奢な腕がひらめいた。


 ナイフを握り直した目の前で、魔力の弾丸が轟音を散らす。少女の頭部を正確に射抜いた鉛が血煙を纏う。突きのけられて蹌踉とした魔女に仕掛ける追撃。だが、その寸鉄を振るう前に奥歯を噛み締めた。


 正面玄関から新たに飛び出してきたのであろう、女の魔女が近い。鳴り止まない悲鳴が常に鼓膜を侵しており、闖入者に気付くのが遅れた。


 虚空で旋回している女の足が、背の低い少女の頭上を通過する。骨の浮いた脚部は重い蹴りを放ち、こちらの上腕部を歪ませた。互いの骨が軋み合ったのは須臾しゅゆ。靴底が地面から離れて投げ出される。


 涼風に委ねた体を跳ね上げて宙返りをすれば、地に着いた踵がざらついた砂音を擦り鳴らす。片膝を突いたまま仰いだ先で、女と少女がユニスに迫っていた。


「エドウィン!」


 だというのに窮地の当人は俺を見つめて驚怖をあめく。ユニスに狙いを定めて飛び出した女、駆け出している少女。牙噛んだ歯音は秒針よりも意識の外にある。地面に片手を突いて足を回した。突き上げた甲革で捉えたのは背後にいた男のうなじ。先刻、魔女の生首を投擲された男は、側頭部が歪んでいた。


 丸太のような腕はあまりに遅い動作で振りかざされる。一秒を十分割した寸陰の情景。太い首に靴を引っ掛けたまま体を捻った。男を蹴り倒しつつ立ち上がり、緩徐に崩れ落ちる短髪を手繰り寄せる。水平に散った光芒が、喉仏を横截おうせつした。


 放した頭が空に漂う暫時の中で、ユニスの方へ馳せる。ユニスは魔女に銃口を向けようとしていた。女の腕はそれよりも早く拳銃を攫うだろう。そうなる前に魔力を踏みしめて跳んだ。


 自身の力では止まれないほど、放たれた矢さながらに全身が空無を切り裂く。秒針はまだ鳴らない。鳴らせない。空空でナイフを構える。止まらない速度、刀鋩に込めた魔力、纏った涼風と重力を、全て。女のこめかみに打ち込んだ。


 勢いに押されて倒れていく女。潰れた喚叫を押し飛ばし、爪先を振り上げる。乱れ髪を踵でち落とすと、頭蓋骨を粉砕して地に降り立った。すかさずホルスターから霜刃を引き抜く。そうして背後めがけて弧を刻んだ。


 髪飾りの針が、ふれる。少女は胸を刺されて呻吟を漏らす。けれど心臓を穿たれたところで魔女は止まらない。素早く振るわれたかいなを見据え、先鋭を空気に晒した。少女は胸から噴出した鮮血に顔色一つ変えず殴りかかってくる。その頭を射抜く弾丸。一発、二発──沈黙を感取するや否や、少女の首を刎ねる。


 屍に定めていた焦点を転がし、屋敷を瞻仰せんぎょうする。かからめく男女の声は未だ聞こえてくる。けれど襲い掛かってくる気配はない。戦闘に伴われた血と砂の臭いで、ユニスの聖水の香りが薄れているようだった。


 切り留めた遺体を今一度見下ろす。どの魔女も、袖のないシャツを着ているだけで、腕に縫いつけられた紐を見て取れる。女と少女の枷を凝視し、違和感に渋面を浮かべた。


 歩み寄って来たユニスと顔を合わせてから、俺は足元を指さした。


「こいつら、恐らく枷が他人に壊されてるな」


「暴れて壊したんじゃないんですか?」


「鎖の断面を見てみろ。『千切れた』というより『切断された』ような断面だ。それに手首も足首も、暴れた形跡がない。千切れるまで暴れていれば、肌に枷の跡がつくはずだろ」


 ユニスは膝を抱えてしゃがみこむと、少女の死体をまじまじ眺める。首をひねっている彼女をよそに、喧擾けんじょうする屋敷へ向き直った。


「……じゃあ魔女は、手枷も足枷も壊されて、でも薬か何かで眠らされたまま、放置されてたってことですか? それが、私の香りで目覚めたんでしょうか?」


「分からないが、屋敷内に、枷を壊した研究者がいるのかもしれない。警戒しておいた方がいい。……とりあえず中に入るぞ。魔力は大丈夫か?」


「は、はい。まだ、撃てます。行きましょう」


 言葉尻が僅かに掠れている。歩くだけでも息が上がっているのを背で感じ、あまり撃たなくていい、と告げるか悩んだ。だが、それはユニスの『共に戦いたい』という意志を否定することになる。


 早めにケリをつけるか、と胸裏に呟き室内へ進んだ。


 中央に階段がある玄関ホールは広く、低い呻きも高い唸りも大理石に反響する。どこから何体飛び掛かってくるか分からない緊迫感の中、顧望した左右の通路に眉根を寄せた。全ての部屋の扉が、外されている。各部屋の室内に扉が倒されているようだった。


 魔女の研究の為に邪魔だと判断して外されたのだろうか。それとも、招いた侵入者おれたちを排除できるよう、仕組まれたものなのか。


 思惟を切り裂いたのは魔女たる少年の号叫だ。一室から現れた彼は趫捷きょうしょうに迫撃を仕掛けてくる。赤い紐を纏った拳を背進して避ければ、反対側の通路から少女が迫る。鉛玉と同等の速度で、隔たりが潰されていく。


 秒針に耳を傾けた。少女の拳の道筋、届くまでの時間、着地するであろう位置を瞬時に計算する。ソプラノの咆号が表皮を痺れさせる。肌をなぞる空気の流れが変わった。すなわち、衝突の前触れ。


 振り上げた腕が少女の拳に影を落とす。平行に重なって行き違う互いの腕。細腕が影の中を通り抜ける前に、彼女の前腕部を掴んで背負い投げる。突進の勢いを失速させず地面に飛び込んだ体躯は、床のタイルを砕き散らした。仰向けになった胴へ革靴を打ち籠み、床へ縫い留める。


 少年の泣哭に顔を上げた。獣の如く大口を開けた彼。肩を逸らしてその邁進を避く。銃声。目路でひらめいた臙脂に手を伸ばした。ユニスの弾丸で揺曳ようえいした魔女の紐を掴み寄せ、かしがましい声帯を擊刺する。


 喉奥を貫いたまま刀身を動かし、首を半分ほど切り裂いて飛沫を振り撒く。まだ繋がっている首の皮が撓んでいたが、傾いていく頭部の重さに敵わず、皮膚は引き千切れていった。


 少年の絶命を見届けてから、少女のはらわたから片足を引き抜く。革靴に絡んだ桃色の小腸が膏血で光る。赤黒い脂が、糸を引いていた。赤子を思わせる悲鳴が五月蝿い。すすり泣く少女の声が、いとわしい。


 倒れたまま、暴れることなく只管泣いている少女。痛ましく歪んだ童顔から目を逸らす。彼女の首筋と己の剣先を、実体のない直線で結んだ。跪いて、彼女が拍動を手放すまで頸部を押しひしぎ、涙声の残響を擦り切った。


 心なしか殷賑さが収まる。甲走かんばしる音容を聞き分けられるようになる。今、声を上げているのは三体。しかし、音骨の余韻が耳鳴りと溶け合っていた。金切り声の幻聴が魔力不足の報せであることは分かっている。だからこそ拳を固めた。


 攻めてこないのであれば自ら向かうだけだ。


 爪先を通路の方へ弾いた。少年の哀哭が脳髄に落ちてくる。二階の踊り場を振り仰ぐ。幼い子供が、大きな額縁を掲げていた。彼は壁にかかっていた絵画を剥がしたらしい。喚き続ける彼が、それを投擲した。


 額縁があたの風を孕んで俺の頭部を目指す。銃声が金属音を鳴らす。額縁は無香の弾丸を跳ねのける。寸分も揺らぐことなく近付いたそれを、高く蹴り上げた。


 絵画に追従していた少年が豁然かつぜんとした眼路に居る。背丈の低い彼の胴部が、目の高さに在る。跳梁ちょうりょうしている今が好機だと折しも悟った。


 行動は思考に随伴する。鮮烈な赤が角膜に反射する。横断された彼の下肢が大理石に落ちる。次いで上半身。背後で額縁が、落ちる。引き換えに、少女の裂帛れっぱくが上がった。


「きゃあっ!?」


「ユニス……!?」


 踵を返すとユニスが大柄な男の魔女と相対していた。其奴そいつはどこかの部屋から出てくるなり、一散にユニスへと向かっていったのだろう。魔力の銃弾にもびくともしない男を、蒼褪めた顔が見上げている。彼女の衣香に魅せられているらしく、男はこちらに一瞥もくれず、双腕で風声を立てていた。


 階段の傍にいる俺と、扉の前で日輪を浴びているユニスは遠い。速度を上げた。秒針の音が耳鳴りに掻き消される。喉奥から込み上げた腥臭に噎せそうになる。乱れかけた片息を嚥下して疾走した。


 指先で回転させたナイフを構え直す。男の赤い紐が頬に触れる。肩を並べた造次、男の太い首めがけ、逆手に握った秋水を横薙ぎに打ち込んだ。


 柄が軋むほど深く、深くまで沈めた剣鋩。手袋の内側で燃え滾る浄血が、拳を覆っていた。汪溢おういつする魔力を全霊で放った。


 貫いたまま首を断ち切ろうとして、気付く。


 硬い。男は血管が隆起するほど首に力を込め、刺さったナイフを押さえつける。振り抜くことも引き抜くことも出来ない。一瞬の動揺は秒を刻む旋律と共に捨て置いた。ナイフを手放して距離を取る。けれど、遅い。


 ホルスターから新たなナイフを抜く前に、男の腕が翻然と振るわれていた。鈍痛が走ったのは喉。息が詰まる。男は俺の首を掴んだまま頑強な腕を揺り動かす。まるで玩具で遊ぶ子供のよう。軽々と持ち上げられた体は何度も壁に打ち付けられた。瞳孔が揺れて明滅する目界。衝突音の狭間で、ユニスの悲鳴が聞こえた。


 震撼はようやく終わる。後頭部と脊髄が、嫌な音を立てて壁とこすれる。生温い血液が額から零れてくる。気道が狭まり、掠れた息さえ満足に吐き出せない。男の腕に爪を突き立て、浮遊した足に魔力を込めた。


 蹴り上げる──つもりだった。壁の向こうから、別の魔女の腕が突き出すまでは。


「ッ、ぐ……!!」


 女の大喚が壁越しに背中を刺す。白い腕が俺の腹部を穿孔し、落ち着きなく暴れて穴を広げる。その最中も、男の手には力が籠められ、頸椎が圧迫されていく。口端から溢れたのが喀血なのか唾液なのか分からない。霞む視界に抗って唇を噛み締めた。


 男の尺骨に爪を沈める。魔力を片手だけに凝集させる。血液を悉皆に魔力へ変換する。溶けだした蝋の如く、灼熱の血がどろりと腕を伝い、透徹の炎が肌を覆った。


 圧壊する。肉を潰し、骨を砕き、襤褸布と化す。この余喘が圧砕される前に。魔力の熱が、死火と成り果つ前に。


 掌中で男の皮が夥しい液体を垂れ流す。まるで潰れた果実だ。淋漓りんりする腥血をぶちまけ、男の腕を引き千切った直後。


「エドウィンを離して!!」


 砲声が響動どよめいた。不可視の弾丸はどれほどの口径だったのか。空気が爆ぜ、男の頭部が吹き飛んでいた。


 こちらに倒れ込んできた躯幹は猩々緋の飛沫を上げており、返り血を浴びる感覚が苦々しい。気色ばんだ顔を俯かせ、脱力した男の首から自身のナイフを引き抜いた。


 肺腑を掻き回す女の手首に、刀尖を振り下ろして切断する。両足で地面を踏みしめ、壁に右手を突いて、部屋に繋がる通路の方へ靴音を鳴らした。


「エドウィ──」


「そこにいろ」


 駆け寄ってくる気配を寒声で制止する。壁の角に指を引っ掛け、息衝く。女の声は近い。死角である壁の先から今にも飛び出してきそうなほど、息遣いが目睫もくしょうにある。


 壁伝いに通路へ踏み出した。歩みに併せて、徒手の片腕を振り上げていた。魔女を目睹した時、既に彼女の頭は手の内にあった。泣き喚く顔を鷲掴み、その骨を、脳味噌を、一思いに魔力で握り潰した。


 血痕と骨身が紅雨こううを散渙させ、声を失くした蕭条が粘性のある水音に打たれる。


 水溜りに、女が仰臥する。篠突く羶血せんけつは徐々に静まり、耳鳴りだけが闃寂に残った。

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