bad blood3
(三)
「昨夜はカレンさんと楽しんだおかげで眠れなかったんですか?」
馬車の中で軽く目を伏せていれば、正面に座るユニスの槍声が耳朶に刺さる。睫毛を持ち上げて小暗い眠りから遠ざかると、カーテンから漏れ出す旭日がひどく眩しい。暗紅色の布地を引っ張って閉め直しても、馬車が揺れるたびに少しずつ隙間が出来ていた。
硬い背もたれに肩を預け、欠伸を噛み殺しながら昨夜のことを回顧する。カレンは宣言通り俺の部屋に来ると、人の布団に潜り込んで、白雪姫を語り聞かせながら俺より先に就寝していた。寝息を立てる彼女に背を向けて俺も眠ろうとしたが、朝まで抱き枕代わりにされたおかげで片腕に疲労感が蓄積していた。
左腕を押さえ、筋肉痛じみた痺れを指先で軽くほぐして嘆息を零す。
「楽しいことはなかったが。疲れたな」
「つ、疲れるようなことをしたんですか!?」
「他人と隣で寝るのは疲れることだろ。けど……妹も、人のことを抱き枕にする寝相だったなと、懐かしいことを思い出した」
交睫した眼の裏に幼い日が薄らと浮かぶ。コーデリアは夜や暗闇を怖がっていた。昼間以上に俺から離れようとしなかったし、夜中に喉が渇いて起きようとすると、泣きながら引き止められたものだ。
まだ、妹の声を思い出せる。そのことに安堵していたら、ユニスが微かに笑っていた。
「エドウィン、最近は昔のこととか、妹さんのこと、話してくれるようになりましたよね」
「……そうかもしれない。悪い」
「どうして謝るんですか。私は、エドウィンのことを知れて嬉しいんですよ。なんでも話して」
数分前まで頬を膨らませていた子供はどこに行ったのか、ユニスは柔らかく大人びた言笑を咲かせる。微苦笑を返したら彼女の花貌がふわりと崩れて幼さを取り戻していた。
「外、見たければカーテンを開けてもいいからな」
「大丈夫です。エドウィン、眩しいの苦手なんでしょ。私も薄暗い方が落ち着きます。……でもメイさんは乗り物からの眺めが好きそうでしたね」
「ああ……列車に乗った時とか、子供みたいな顔してたな」
ここにメイがいたなら、オッドアイを煌めかせて窓にへばりついていたはずだ。普段はユニスより大人びて見えるのに、珍しいものを前にすると子供っぽくなる彼女が微笑ましかった。
メイ、と唇の裏で呟く。カーテンに側頭部を凭れさせると馬車の振動が強く伝播してきた。不規則な揺れは胸騒ぎを具現しているようで、心地良いものではない。背骨を真っ直ぐ伸ばして窓から離れた。
「ユニス。メイとマスターのこと、お前はどう思う」
長閑やかな空気がたった一問で霧消する。緩んでいたユニスの口端が強張ったのを認め、僅かに後悔したが、彼女とはこの件について話し合っておきたかった。共に魔女狩りをしてきた彼女の意見を聞くことで、憶測を整理したかったのだ。
ユニスは華奢な肩を竦ませていた。身動ぎに合わせて、手枷に巻き付いたベルトの金具が細い光芒を受け流す。カーテンの陰で金糸を左右に揺らした彼女は、溜息混じりに唸った。
「お二人のことは何もわかりませんが……何日も出掛けるなんて聞いていませんでした。お店をこんなに空けるのであれば事前に言うべきですし、私達にもお客さんにも何も言わず長旅なんて、マスターのことを考えるとおかしいです」
「そうだな。俺も、あの人らしくないと思ってる。だが……」
「魔女絡みの事件に巻き込まれていたとしても、メイさんとマスターがいて対処出来ないなんて考えられない、ですよね」
真剣な藤色の瞳に頷いた。魔女であるメイと、俺に戦い方を教えたマスターなら、魔女や研究者と遭遇しても倒せる。大人数に囲まれれば二人でも苦戦するかもしれないが、食事や買い物を目的として出掛けた彼らが、街中でそんな状況に陥る想像は出来なかった。
「メイさんは、長旅になるって知っていたんでしょうか」
「いや、それはない。魔女をオークションに出していたパーティの……あの件が解決したら、俺に話したいことがあると言っていた。恐らく翌日には俺と話す時間が取れると、思っていたはずだ」
メイが俺に何を話そうとしたのか、考えてみても分からない。言い出しにくい様子だったことから、彼女にとって重要な話なのは確かだ。思索しても答えは見えてこず、一旦考えるのをやめた。
ひらめくカーテンで見え隠れする朝暉を追いかけて、少しだけ窓の外を覗き見る。草原が
鮮やぐ色彩を眺望していると、ユニスに呼びかけられる。
「エドウィン。メイさんがパーティでお留守番だったのは人数的に、ですが……カレンさんと二人でお留守番ではなく、メイさんはどこかに行くようマスターに指示されていたんですよね」
「ああ。健康診断ってマスターは言っていたが……」
「健康診断ってなんで? メイさんが魔女だから定期的に検診しないと、みたいな感じです? それとも、二人で出かける前にメイさんが元気か確かめておく為? どちらにしても、あのタイミングでの必要性を感じません」
それに関しては俺もずっと同じ疑念を抱いていた。パーティ前後のマスターを
「あの日のマスターの言動には違和感がある。パーティに向かう馬車の中で、俺に魔女狩りをやめるよう言ってきたり、俺とカレンに店を任せてもいいなんて言ったり……。ユニスは、マスターに何か言われなかったか?」
「私は、言われてないですけど……なんなんですかそれ。やっぱり、マスターが変です」
小さな唇を尖らせながらも、その虹彩は複雑な心境を透かしていた。俺もユニスもマスターには恩があり、俺達にとって彼は親のような存在だ。いくつもの
「もし、マスターが仕組んだことだとしたら、何か事情があるんだろう。クリスマスに向けてサプライズでも用意してるんじゃないか」
「あの人ならやりそうですけど……って真面目な話をしてるんですよ。エドウィンって冗談が下手くそですよね」
「悪かったな。……一応、今回の魔女狩りを終えたら、マスターのことを少し調べてみる」
ユニスの首肯が終止符となって、お互いそれきり
声のない密室で音だけが騒ぐ。車輪と蹄はすぐ傍で主旋律となり、風韻と鳥のさえずりは遠く置き去りにされる。噛み合わない不協和音はどこまでも自然で、意図された調べよりも不思議と耳障りが良かった。
「メイさんもマスターもいないと、すごく、寂しいですよね」
不可思議な静けさにようやく合点がいく。俺の顔気色から寂しさを気取ったのか、それとも自身が感じたことを口にしただけなのか、どちらかは分からないが、似たような情懐を抱いていたことに苦笑した。
ユニスはもしかすると、メイとマスターがいなくなってから慢性的な寂しさを抱えていたのかもしれない。俺は買い出しや開店準備、掃除や接客で気が紛れていたが、そのあいだ自室に閉じこもっているユニスは、きっと孤独に蝕まれていた。
一人きりにさせてしまっていたことを、今になって気付く。ごめんな、と胸宇に落とした言葉は、吐息をかすかに震わせた。
「……最近は店のことで手いっぱいで、お前を連れ出してやる時間もなかったが……マスター不在の仕事にも慣れてきた。今日みたく日中なら時間を作れるし、今度一緒に喫茶店でも行くか?」
桜色の蕾が開花していく。大口を開けたユニスはとても嬉しそうだった。
「はいっ!」
勢いよく頷いた頭は、揺れた馬車につられて大きく項垂れ、華奢な体が椅子から投げ出されかけていた。ユニスは慌てた様子で上体を跳ねさせると、背凭れに後頭部をぶつけて鈍い音を立てる。痛みを誤魔化そうとしているのか首を左右に振り始めるユニス。落ち着きのなさが小動物を思わせて微笑してしまう。
後背の窓から嗄れた低声が染み出して、耳裏を叩いた。
「お兄さん、着きましたよ」
「あぁ……ありがとうございます。ユニス、降りるぞ」
カーテンを掻きのけ、鉄製の扉を開けて外に出る。天光の眩しさに目を細めた。背の低い草が足元で踊り、木々が赤茶けた葉を零落させる。踏み出した革靴は落ち葉を細粒に崩した。
御者に紙幣を手渡して進行方向を見はるかすと、この一帯には街の騒めきが僅少も届かないほど、俗世から離れた幽静が満ちている。
道の先では、高い壁が草木を押しのけて聳えていた。暖色に焼けた石壁の表面は点々と抉れており、凹凸には砂が溜まっている。壁は屋敷を抱く形で弧を描いているが、屋敷の外壁も、永らく自然に嬲られた有り様だった。建物の老いた佇まいが、放置された年月を物語っていた。
とはいえ、依頼書である手紙に嘘がなければ、ここは魔女研究施設として使われていて、中にはまだ魔女が収容されているはずだ。
御者が俺とユニスに会釈をし、馬車を走らせて去っていく。砂埃に眇めた目でそのまま目的地を睨んだ。
「無駄に広い庭だな。屋敷内まで結構歩くぞ」
「はい。……すごい豪邸ですね」
「恐らく、マナーハウスだな。門の造りからして、昔は要塞として使ってたんだろう。魔女の研究施設にするには都合のいい構造だ」
見晴らしの良い庭は花を植えた形跡がない。花壇の類はなく、枯れた噴水だけが中央にある。ユニスが付いてきていることを音耳で確認しながら、茫漠とした庭園の中心を踏み越えた。
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