三巻/第一章
bad blood1
《一》
第二王子──リアム・ブライトマンと名乗る男──の所有地である宮殿には三百ほどの部屋がある。しかしその約半数は現在使用されておらず、使用人も最低限の人数しか雇われていない。宮殿の敷地外には鬱蒼と森が広がり、人目に付かない場所に建っていることからも、ここが『隠された土地』であることは察せられるだろう。
リアムにこの宮殿を与えた人間が、木々で囲んでまで
冬の気配を纏った涼風で、
絡み合う茨の如き木々を分け入ってゆけば高い柵が現れる。鉄格子の向こうには薔薇園が広がり、鮮やかな植物に一階を隠される形で宮殿が聳え立つ。庭園の奥、等間隔に配置された柱の上方では、天使の彫像が白光を浴びていた。長い回廊を歩く男の姿が、その柱で見え隠れする。
陽光に目を細め、ふと柱の陰に隠れた男。リアムは波打つ彫刻に体重を預けると、眉間に皺を寄せて溜息を吐き出していた。重苦しい息吹の原因は言わずもがな、成功作の魔女として軟禁しているメイナードに関してだ。
メイナードについて深思した彼は、エドウィンやユニスのことも想起してますます項垂れていく。だが憂いている場合でないことは、彼自身よく分かっていた。
中庭に降りた雀が舞い上がるまでの、寸閑の
迷いのない足付きは大理石をひたすらに打ち鳴らす。メイナードがいた部屋からは遠く離れた一室で、ようやくリアムの足は止まった。マホガニー材の仄赤い扉を挟んで、二人の兵士が立っている。頭を下げた彼らに一瞥もくれず、リアムは光沢のある扉を叩いた。
「兄上。私です」
「──入れ」
リアムは低声に促されるままドアノブを捻る。白と金、赤を基調とした書斎には一人の男がいるだけだ。
リアムの兄、クレイグが机に片肘を突いて、数枚の紙を手にしていた。切れ長の翠眼が転がって弟を眼差す。彼は細い顎を逸らすと、向かい側の椅子に座るよう言外に告げていた。
ワインレッドの革が張られた椅子にリアムが腰掛ける。固唾を呑む彼の正面では、クレイグが机上に紙をほうっていた。クレイグの後背にある臙脂のカーテンは開かれており、短い後ろ髪が金に煌めいている。サテンウッドの机も、黄金のグラデーションを描いて光を反射していた。
「久しぶりだな、ローレンス。しばらく音沙汰がなかったから、裏切ったのかと思ったよ」
嘲りに似た笑みを、リアムは眉一つ動かさず見返した。数刻前まで懊悩していた男はもういない。色を正した彼は酒場の店主ではなく、ローレンス・ミック・オルブライトの顔で兄を見据えていた。
「『成功作の魔女が製造されたらアテナを抹殺しろ』、貴方に言われたことをしかと遂行してから連絡したまでですよ」
アテナの抹殺こそ、リアムを『リアム』たらしめたものだ。酒場を営みながら情報を集めていた彼が真に求めていた情報、それは常に『アテナの居場所』だった。成功作の魔女の噂が耳に入り次第、すぐにでもアテナを殺せるように、彼は虎視し続けていた。
実際にアテナと遭遇したのはメイナードとエドウィンであり、アテナを殺害したのも彼らであるが、この場では告げる必要のない事実として飲み下された。
クレイグの身体が傾き、彼が頬杖を突いたことで白光の形が変わる。鍵盤をひく手つきで机上の光が弾かれていく。
「抹殺が済んだ、との連絡が届いてから、成功作の魔女を連れてくるまでが遅かったことについて言っているんだ」
「私は酒場を営んでいるのですから、店を離れる準備に時間がかかるものです。お詫びとして魔女に関する書物も見つけてきたのですから、そう怒らなくても良いではないですか。そもそも、私が裏切らないことなど、貴方が一番分かっているでしょうに」
「ああ……お前のせいであの子が死んだんだからな」
手持無沙汰な響きが止んでクレイグの指が止まった。余韻は冷気を纏って波及する。
されどリアムの仮面は外れない。場違いな程かわらかに「そうですね」と仮面が言った。片笑みの裏側では確かに『あの子』を見ていただろう。
クレイグの口唇からふっと落ちた溜息によって、張り詰めた夜がほどける。クレイグは絵画さながらの冷厳たる佇まいを崩し、手元の紙束を拾い上げていた。そこに書かれている内容はリアムも既に知っている。メイナードの血液について、そして彼女の四肢切断検査の結果についてだ。
失敗作の魔女の血液は過去に幾度も調査され、人間の血液とは異なる含有成分が報告されている。研究者達はそれを、魔女になったことで増幅──あるいは変質──した魔力が、人の目に見える形で具象したものだと考えていた。
その成分は
クレイグが皺を生んでいる紙には、こう書かれていた。
『成功作の魔女であるメイナード・フォーサイスの血液からも魔漿が検出され、切断した四肢から肉を削いで骨を洗ってみたところ、その骨は硝子製と疑うくらい
文字から軽く目を伏せたクレイグが嘆声をこぼす。落胆ではなく感嘆を見せた彼は、リアムにとって意外だったようだ。リアムの瞠目を一見もせず、彼は報告文に指紋を擦りつけていた。
「仕事が早いな。この結果であれば、父上もアレが成功作の魔女だと認めてくれるだろう」
「満足していただけたようで何よりです。でしたら、実験は終わらせてもよろしいですか?」
「『成功作の魔女を利用して成功作の魔女を造ることは不可能』という証明になる結果が足りていない」
魔女の製造を断絶させたいクレイグにとって、『魔女など、この世に必要ない』と説得するための手札はあればあるほど良い。泣き叫ぶ異常性に惑わされているだけで、魔女には大した力もなく、繁殖もさせられない無益なものだ。──そう説くために、国王が言いかねない全ての意見に対し、反論出来る結果を用意しておかなければならない。
成功作に夢を見ている国王を現実に引き戻す、という意想が、クレイグの脳を動かす歯車になっていた。
真剣な玄黙に包まれて、リアムも威儀を正す。彼もクレイグの脳の一部となるように尋思する。黙考するクレイグに、温順な音吐が落とされた。
「今彼女は、採血に四肢切断と、立て続けに血を流したことで疲弊しているので、休ませているのですが……のちほど研究員に、魔漿の移植を指示しておきますね」
魔女の臓器を移植しても魔女を生み出せないことは、失敗作の魔女を基にした研究で明らかにされている。そもそも臓器自体は、魔女も人間もさほど違いがない。移植を試みるのなら魔漿の移植が妥当である、とリアムは判断した。
失敗作の魔女を用いた移植や、《譲渡》《吸収》による力の受け渡しは過去に行われているが、一時的に魔女化させることしか出来なかった。成功作の魔女を使ったところで結果は変わらないはずだ、と、リアムもクレイグも同じく
クレイグが、ふっと一笑する。
「お優しいことだな。魔女はしぶとい。余計な心配をせず早く進めろ」
「かしこまりました」
兄の顔ばせが綻んでいくにつれ、リアムも肩の力を抜いていく。椅子が僅かながらおとなう。リアムが立ち上がったのは退室する為ではない。心なしか上機嫌な兄なら、自分の相談に頷いてくれるかもしれない──という淡い期待を、両手で叩きつけに行く為だった。
クレイグの正面で机に手を突いたリアムは、
「成功作の魔女は、兄上の提示した実験を全て終えたら解放してもよろしいですか?」
ぶつかり合う視線に色はない。リアムは無味乾燥な顔をして返答を待ち受ける。しかし彼の胸臆では不安が漂っていた。
メイナードを無意味に傷付けたくはない。しかし兄を裏切ることも出来ない。
リアムは二つの気持ちの狭間で歯切りする。懇願するよう伏せた瞼の裏側で、いつかの罪が彼自身を責める。
ポーカーフェイスが崩れたのはリアムの方が先だった。メイナードへの気遣いが、すんなりとクレイグに気取られた。
「解放? 魔女に情でも湧いたか? 生憎、成功作の魔女は、最後には殺す予定だ」
返答は無情に罰をもたらす。雲に隠されることのない紅鏡が、明明とリアムの真情を照らし出す。クレイグは意思を曲げる気はないと言わんばかりの能面でリアムを射った。拒否する選択肢がないことを理解していながらも、リアムは生温い呻きを絞り出していた。
「……成功作の魔女は、人を無差別に襲ったりしません。殺す必要はないかと」
「いつ狂うかも分からない存在だ。そいつが人を殺してから殺す、では遅いんだよ。そんなことも分からなくなったか? 私が間違っていると? お前はまたその甘さで人を殺すのか?」
「……いえ、ご尤もです」
「実験の結果は全て私に伝えろ。成功作の魔女を生かす道なんてない。成功作の魔女が無価値であることを証明する為にも、準備が整い次第、父上の前であっけなく死んでもらう」
──そういうことか。
リアムは罅割れた微苦笑を浮かべる。成功作の魔女たるメイナードの肉体を調べ上げ、その結果を提出したところで、国王は魔女製造をやめないはずだとリアムは分かっていた。だからこそクレイグがどういう手段で魔女の無価値を立証するのか、分からなかった。いや、きっと目を逸らしていたかったのだ。
メイナードを救う選択肢は、ない。これが
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