報い2

 宙に委ねた体は軽い。靴を鳴らすと共に振り下ろした刃。掠めたのは前髪。振り上げるも手応えはない。薙いだ先で手首を返し喉頸を狙う。


 涼しい顔で躱していく様に歯切りするも深追いはせず背進。冷笑を浮かべる彼女は僕が使っていた拳銃を拾い上げた。隙を窺う僕に銃弾が放たれる。光芒を散らす鉛を目視し馳せた。


 銃声と火花を捉えつつ残弾数を思い返す。僕が手放した時点で残っていたのは恐らく五発。壁を穿ち床を砕いた二つの弾丸。弾切れを待つように室内を駆け巡る。


 三。銃声は悲鳴を伴わない。四。艶めく大理石が破損する。五。踏みしめようとした床が破片を打ち上げ、すぐに身を引いた。


 迷わず向かったのはアテナの正面。向けられる銃口。硝煙の余香に心臓が跳ねる。弾はないはずだと己を信じて踏み込んだ。


 ナイフを握る腕は受け流される。止まることなく構え直すも側頭部に打ち込まれた鈍痛。拳銃のグリップが頭蓋を軋ませる。ふらついた体で踏み止まり距離を取った。


 激しい動作のせいか、アテナに抉られた胸から血が溢れたまま止まらない。痛みは意識の外へ追いやっているが疲労は滲んでいく。双肩を上下させ呼吸を整える。それでも腕を振り上げ攻め寄った。


 靴音は二つ。僕のものとアテナのもの。衝突を目指したのは双方。先に振るわれたのは彼女の腕だ。殴打を予測して睨めかければ鉄が迫りくる。投擲された拳銃に身を翻す。髪を引っ張られて頭部に走る痛み。投げ出した体は引き戻され重力に逆らう。逃げられないのなら迎え撃つしかない。


 アテナの素手が虚空を薙ぐ。既のところで躱して切り込む。振り下ろし切り上げ急所を狙う。首筋を突こうとした僕の腕はアテナに握り込まれていた。


「勿体ないな、君は」


 腕に突き立てられたのは空の手。鮮血を散らす直前、視認した彼女の指先は鉤爪のごとく尖っていた。通貫した腕を必死に引き剥がして退避。重傷を免れるも安堵していられない。瞬きをした間隙。鼻先に触れた黒髪。負傷を覚悟して刃を振り上げたら足を払われ、華奢な膝が腹部に沈んでいた。


「かはっ……!」


「流れを止めるな、自分なりの型を作っておけ。私は君にそう教えたが、型にはまりすぎれば簡単に隙を見出される」


 倒れ込みそうな体を懸命に起こす。上げた目線で閃いた白皙。アテナの手が真っ直ぐ僕を穿とうとしていた。身体を傾け地面に飛び込む。血塗れの床を転がって跳ね起き、態勢を整える。鉄の臭いに眉を顰め、赤い液体で滑る靴底を高く鳴らした。


 斬る。空間を、燭明を、互いの吐息を切り裂いては身を返す。傷を与えられない斬撃。反撃を免れる退避。ひたすらにそれを繰り返すと、冷え切った嘆声が金属音を縫っていく。


「斬撃の流れ。深追いを避けて退くタイミング。自分の中でそれが固まってしまっていることに、気付いているかい?」


 振り下ろした一手。流れるように銀光を散らして霜刃を裏返し――動揺が神経を凍らせた。アテナの言葉に太刀筋が揺らぐ。それは誤魔化せないほどの油断。虚を突かれるままに胴を引き裂かれる。


「ぐっ……!」


「メイ。君には柔軟さが足りないんだよ。行動にも、思考にも」


 新しい傷を受ける前に彼女の肩を突き飛ばした。裂かれた傷は深くない。肋が削れた程度で折れてはいなかった。焦りと不安ばかりが滲む剣先に、落ち着けと言い聞かせる。


 攻め方を考えようとするも、考えてから動けば速度が劣るのだと、彼女に教わった事が耳に蘇る。だけど今の僕が無心で動いたら、染み付いた動きが繰り返される。牙を剥いて威嚇することしか出来ない僕に、嘲罵が吹き零された。


「せっかく魔女になったのに、人の型に合わせてどうする。生命力くらいしか上手く扱えていないじゃないか。無意識か意識的にかは知らないが、人並みから外れぬように自分で制限をかけるなんて……本当に勿体ないよ。魔女らしく、化物みたいに戦えばいいだろう」


「……魔女、魔女ってうるさいな。『僕達』は人間だ。人を人と思わないお前らなんかより、ずっと……!」


 零まで縮めた距離。見つめたのは瞠視。矢を射るように、目いっぱい腕を引いた。鉄塊を叩き付けるよりも先に打ち込んだのは額。アテナの黒髪が振り乱される。頭蓋骨が震えた。


 揺らいだ体躯を見据えて全霊の力でナイフを押し出す。狙いは胸骨。潰したのは空気。僕の前腕を抱き込んだ彼女が、骨を捩じる勢いで力を注ぐ。折られるのを恐れた僅少の時間で、指先からナイフを落としてしまっていた。


 廻る情景。地面に投げ倒されたという理解よりも悲鳴が先走っていた。


「っ――――!」


 声にならない声が喉を切り裂いて放たれる。眼には水の膜が張られていた。輪郭のぼやけた視界を動かす。ナイフを握ったアテナが、切断した僕の足を放り投げていた。肉塊が赤い水溜まりに落ちる音。痙攣する上体を起こすも、気付けば首を掴み上げられていた。


 後頭部が壁に叩きつけられて眉を顰める。冷たい刀刃が剥き出しの鎖骨に触れた。表皮を裂いて胸へ下る剣尖。枢機が脈打つ傷口を、アテナが手の甲で叩く。


「そんな風に体を使われて、シャノンも可哀想だ」


「く……」


「諦める時だよ、メイ。それとも大事な妹をもっと刻んで欲しいかい?」


 頸椎が嫌な音を立てる。満足に息が出来ない。糸のような酸素に肺が飢えていく。大事な妹、と、固まっていく思考で繰り返した。細めた視野で、洋紅色の眼差しが燦爛と僕を刺す。


「先生、貴方は……その肉体の子も、そうやって脅したのか?」


 途切れそうな意識を繋ぎ止め、投げかけた喘鳴。返答はない。見下ろした先で、郷愁を宿した童顔が笑っていた。


     **(二)


 メイさんがいなくなったことと、エドウィンがそれを追いかけて行ったことをマスターから聞いてすぐ、私は酒場を飛び出していた。拳銃を数丁収めてある手枷が騒がしく揺れている。夜半の街路は昼間ほど賑わっておらず、人と接触する心配もなく、逸散に駆けてゆけた。


 今頃マスターは接客をしながら、私達の身を案じているのだろう。そう考えると申し訳なさが滲む。けれど二人が心配で堪らなかった。今日、魔女研究施設で手足を切断されていたメイさんを思い出す。血塗れで助けに来てくれたエドウィンが、倒れた姿を思い出す。何もできなかった自分を、噛み締める。


 転びそうな速度で疾駆して、香水屋よりも先の道にエドウィンを見つけた。


「っエドウィン!」


 街灯と月華が淡く溶け合う夜道を、紅い眼光が彩る。人形じみた顔貌が振り向いた。少しずつ顰められていく、端麗な容色。目の前まで踏み込んで足を止める。彼の手には紺色のストールがあった。


「それ、メイさんの……メイさんがここで攫われたかも、しれないってことですか」


「これはそこの、ベンチの背もたれに畳んで掛けてあった。誰かが拾ってくれたんだろう。多分メイは、これを探しに酒場を出て行った。酒場で見た時、ストールは羽織っていなかったからな」


「ベンチにあったのなら、街灯の傍で分かりやすいですし、メイさんも通りかかったなら気付いたはずです。もしかして、気付かずに路地の方を曲がった……?」


 来た道を振り返る。ストールがあったらしいベンチよりも、路地は手前にある。昼間は香水屋からすぐに路地を曲がったため、そこを素通りして真っ直ぐ進むという選択肢はメイさんの中になかったのかもしれない。


 考え込んでいたらエドウィンがベンチにストールを置き直していた。捜索の邪魔になると判断したのだろう。彼は徒手のまま薄闇の小道へ歩み始めた。


「ストールを探して魔女研究施設まで向かったか、或いは攫われたか、そのどちらかだろう。どっちにしろ、行先は同じだ」


「同じって……誘拐なら、どこに行けばいいか分かりません」


「可能性として一番高いのが魔女研究施設だ。俺達は二人の研究者を殺しただけで、他に研究者がいるか施設内を見て回らなかった。まだ奴らの仲間が居たのかもしれない。魔女の力を持つメイが一般人に攫われる可能性は低いから……」


 彼が、言葉と足を止める。目の先にあったのは、地面に落ちている新聞だ。険阻な横顔はすぐ前へ向き直った。揺れる黒髪を見上げて私も踵を鳴らしていく。静まり返った夜道で、自分の心音を踏み潰していく。


 また、戦うことになるのだろう。自ら望んで踏み出しているものの、恐れは拭いきれなかった。本当は、こうやって道を歩くだけでも怖い。知らない通行人と接触しそうだから。戦闘で腕や髪を掴み上げられた時、痛みよりも気持ち悪さが込み上げる。昼間、男に組み敷かれそうになったことを思い出して身震いした。エドウィンに任せて帰りたくなる足を、それでも前に運ぶ。


 私はいつだって自分のことばかりだ。いつだって、自分が一番守られて、一番安全なところにいるくせに。守ってくれる彼らの方が、ずっと血を流しているのに。


「ユニス」


 噛み締めた奥歯の擦過音と、エドウィンの呼び声が重なる。見上げた先で、彼の無感情な瞳が細められていく。困り眉と、優しい目顔。屈んだ彼の綺麗な微笑に、思わず息を呑んだ。


「無理はするな。お前は酒場で待っていてもいい。昼間も戦って疲れただろ」


 彼は、こんな顔をする人だっただろうか。今までの私は、近付く彼との距離感に、踏み留まれていただろうか。沈められていた彼の感情を引き出したのも、私の背中を押してくれたのも、多分メイさんだ。


 メイさんに会いたくて、私はエドウィンに首を振ってみせた。


「いいえ。絶対に、メイさんを連れ戻しに行きます」


 暗色のコートが翻る。そうか、とだけ零した彼の革靴が煉瓦道を叩いていく。室内の明かりを零す軒並み。次第にその明かりも点々と疎らになっていく。


 住宅地から離れた場所に構える一軒の屋敷。元々孤児院だったのか、はたまた別荘か何かだったのか、僅かな軒灯に照らされる敷地内は広い。錆びた門の先、庭の草を踏み鳴らしたエドウィンが立ち止まった。


 喪服のような、モーニングコートを纏った男が庭に佇んでいた。彼の眼鏡が月明りで銀に煌めいた。刃物じみた眼差しが私達に注がれる。


「ここは関係者以外立ち入り禁止です。どのようなご用件でこちらに?」


「……昼間は見張りなんていなかった。見張りがいるってことは隠したいことがあるんだろう。ココで正解かもしれないな」


「失礼、何の話でしょうか」


「仲間を探しに来た……って言っても伝わらないよな。『成功作の魔女』を連れ戻しに来たんだ」


 エドウィンの言葉尻は刃音に呑まれる。男性のナイフとエドウィンの得物が甲高い音を弾き合っていた。迷いなく攻め入っていくエドウィンから離れる。剣戟を遠巻きに観視しながら、前腕を覆う手枷の内側を探る。抜いた拳銃を手の内で回転させ、しかと握り込んだ。


 夜風の清籟せいらいを断裂していく鉄の衝突音。隔たりを狭めては広げる彼らの靴音。蹴り散らされる草葉と砂塵。触れた引鉄が、震える指に合わせて幽かに鳴いていた。照準を合わせる。好機を静かに待ち受ける。


 男性の間合いへ踏み込んだのはエドウィン。喪服の袖を裂き上腕を穿つ彼。負傷した男性が身を引くも彼はすぐさま急追する。素早く繰り出された刺突を男性が回避。振り上がったのは男性の足。エドウィンは一蹴を腕で受け流し男性の喉を狙う。弾かれるナイフ。エドウィンが押し退けられた弾指の間に銃声を突き上げた。


 彼らが後退した空間を撃ち抜く弾丸。歯を噛み締め男性を銃口で追いかける。両手に魔力を注ぎ続ける。


 筒に鉛を形成する想像。力を撃ち出す空想。射出の代償たる反動。その全ての輪郭をはっきりと思い描く。点ではなく線を描くイメージを、透明の弾丸に閉じ込める。


 轟音。けたたましいそれは紛れもない筒音。目に見えない魔力の弾丸は実弾と変わらぬ威力で大木を貫いた。


 弾雨を掻い潜る男性にエドウィンが詰め寄る。白刃は夜に線を刻む。風の断裂音に伴われる弾丸。エドウィンを援護するべく機を見計らいながら幾度も撃ち込む。無彩色の戦闘をようやく絵取った緋。それは、私のものだった。


「え」


「ユニス‼」


 エドウィンと斬り合っていた男性のナイフが、夜気を切り裂いて私の首を抉っていた。よろめいて見下ろした地面に鮮血が零れていく。その赤すら蒼黒い影に塗り潰される。


 唾を飲んで空を仰いだ。宙でフォールディングナイフを抜いた男性が着地するまで一秒もかからないだろう。月光を散らす鋭鋒。避けたいのに震えた足が動かない。


 咄嗟に手枷を持ち上げた。手枷の中で拳銃の向きを変え、銃身で刃を受け止める。鉄塊が軋んだ。毀たれた武器。銃を砕いたナイフは、銃を支えていた掌を切り裂いた。泣き叫びそうな声を必死に呑み込んだ瞬間。


「っ――――!」


 上がった悲鳴は、私のものじゃない。屋敷の中から少女の悲鳴が轟いていた。それが誰のものか感得して鼓動が速まった。


 動揺した私の呼気と砂の音が重なる。目の前で土を鳴らした男性が刃を翳した。ひ、と喉が引き攣る。切っ先が振り下ろされる前に彼はエドウィンに蹴り飛ばされていた。


 エドウィンの脚部は多量の魔力を纏っていたのだろう、男性は離れた木に打ち付けられていた。轟いたのは折れた幹が倒れる音。砂煙を見ながら私は新しい拳銃を手枷の内側で探る。


「お前、傷が――」


「エドウィン、メイさんを助けに行ってください」


 先程の痛哭は彼にも聞こえたはずだ。瞼の裏に、傷付いたメイさんが浮かぶ。


 私のせいで弾丸を受けたあの日の姿も、私の目の前で手足を失くしていた姿も、鮮明に思い出せる。私を、優しく包んでくれた体温を思い出せる。早く助け出したかった。


 逡巡がエドウィンの然無顔しかながおに漂っていた。お前じゃ無理だと、そう告げられると思ったから眉を吊り上げた。


「俺は、お前のことも死なせたくない」


 落とされた呟きは風韻に掻き消されそうだった。唇を噛み締める彼に面食らって、強張っていた肩から力が抜けた。


 見ようとしなかったからだろうか、それとも彼の仮面で掩蔽えんぺいされていたからだろうか。強くて、冷たい人だと思っていた。だけど失ったものの数だけ臆病になるのは、彼だってそうなのだろう。


 震える足を前に出して彼に近付いた。手枷を持ち上げて、らしくもなく怯懦きょうだな彼の、頼りない袖に触れた。


「死なないから、行って。守られてばかりじゃ、何のために私が戦おうとしてるのかわからないじゃないですか。私は強くなったんだって、思いたいんです」


 今なら、彼に触れて慰めてあげられそうだった。けれど両腕を覆う手枷でそれは叶わない。首に走る痛みと恐怖で硬直しそうな頬を、必死に持ち上げた。彼に微笑みかけた。返されたのは温然とした目笑。黒手袋は私の首元に伸びていた。


「なら、手枷コレは邪魔なだけだろ」


「あ……」


 金具のほどける音が響いて、体が軽くなったような気がした。足元に落ちたのは手枷だ。袖を揺らす小夜風が肌に沁みる。拳銃を握る手が痙攣していた。


 片手の手袋を外した彼が私の首に触れる。凍った背筋とは対照的に熱を帯びる傷口。見上げた面差しは険しかった。緊張と不安が絡み合ったような面貌。脈打つ心臓に唇を震わせていれば、彼の手が離れる。ふ、と、彼が優しく言笑した。


「大丈夫だ、ユニス。お前は、弱くなんかないから」


 寸時肩を抱き寄せられる。鼓膜を劈いた氷刃の鳴動。樹葉を舞い散らした男性とエドウィンの衝突。エドウィンは男性を振り払うと、屋敷の方へ駆け出した。


 彼の背を追蹤ついしょうする男性へ銃弾を放つ。狙ったのは後頭部。弾道は横へれた。肩を射抜かれた男性の舌打ちにぞっとする。私を先に仕留めるべきと判断したのか、彼はこちらに飛び掛かって来た。

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