皎白の魔女2
(二)
質素な宿に荷物を置き、昼食を済ませて外へ出る。向かったのは煉瓦造りの民家だ。その建物は閑静な住宅地にあり、大通りのさざめきも届いてこなかった。心地良い静けさに寄りかかりたくなったが、扉の前まで歩み寄ったところで、依頼者と顔を合わせるべく威儀を正した。手紙に書かれていた住所と玄関に記されている番号が同じであることを確認し、叩き金を鳴らす。
「スイーツ、なかったですね……」
「いきなりなんだ。ちょっと黙ってろ」
「ケーキはないにしてもクッキーとか、食後のデザートとか、ちょっと期待したのに!」
「ユニス、五月蝿いから喋るな」
鋭く告げると彼女が唇を引き結ぶ。真鍮のドアノッカーを再度打ち付けるも、鈍い金属音に応じる声はなかった。パイン材の薄そうなドアに耳を近付け、室内の音を拾おうとする。
「……いないみたいだな」
「お出かけ中ですかね? すみませーん!」
「やめろ、近所迷惑だ」
ノックを繰り返し始めたユニスをドアから引き剥がす。彼女の行動はやはり騒々しかったようで、隣家の扉を開かせた。迷惑そうな顔気色の老婆が杖を突きながら、こちらの庭へ歩み入っていた。慣れない笑みを口元に張り付けて謝辞を紡ごうとしたが、そうする前に大息を吐き出された。
「あんたら、アヴリルさんの知り合いかい?」
アヴリル、と唇の裏で反芻し、懐の手紙を確認する。それは差出人のことで間違いなかった。不審に思われてはいけない為、その手紙を老婆に見えるよう翻した。
「ええ、彼女から手紙をいただいて。アヴリル・ホーキンズさんがどこにいるかわかりますか? 不在のようなので」
「知らないよ。最近様子がおかしかったかと思えば、昨日は夜中に叫んでいるし……知り合いなら言っといてくれよ。
「薬物……」
咀嚼するように繰り返したそれを、老婆は問として捉えたようだった。俺に怪訝そうな目を向けて首を傾げていた。
「違うのかい? 化物を見たとか、ガタガタ震えてさ。みんな言ってるよ、ヤクに手を出したんだろって」
「……彼女の化物の話、どこで見たか、など言っていましたか?」
「どこだったかねぇ……路地かどっかじゃないか? 酔い潰れた深夜に歩いてて見かけたって言ってたし、酒場のある方だと思うけど……まさか化物を信じてるのかい? 幻覚か、酔っ払いの戯言だよ」
想見するに、アヴリルは誰に話しても幻覚と笑われたのだろう。街の知人に言って回れば、一人くらいは信じてくれるかもしれない。そんな気持ちで化物の話を広げた。推察してみると、彼女の居場所に見当がついてしまって渋面を浮かべた。
潜思している俺に背を向けた老婆を「あの」と引き止める。
「『アテナ様』というのは、この街で有名なんでしょうか」
「アテナ様? 女神様かい?」
「神話や宗教の話ではなく、誰かがそう呼ばれている、或いはそう呼んでいるのを聞いたことは?」
老婆が落とす沈黙の上を、烏の鳴き声が駆けていく。つられて頭上に目をやれば、赤らびいた夕焼けと、ほの暗い瞑色が撹拌されたように混ざり合っていた。見え隠れし始めた夜色に目を細める。今日中に片付けられるか、それとも明日に改めて動くべきか。思議に浸る意識は老婆の嗄れた声に引き上げられた。
「孤児院の話かねぇ? あそこはアテナ様を崇めているって聞いたことがあるよ」
「孤児院……それはどこに」
「さあ……もういいかい?」
「ああ、ありがとうございました」
去っていく後姿に小さく息を零す。断片的に得られた情報だけではまだ爪先を向ける方向が定まらない。家の前で立ち尽くす俺の手に、ユニスの袖が触れた。
「アヴリルさん、どこに行っちゃったんでしょうか?」
「研究者に処分されたんだろ。彼女が魔女を目撃していた時に見られていたか、または彼女が周りに言いふらしているのが施設まで伝わったか。どちらかは分からないが……それにしても孤児院か」
「子供が行きそうな場所に行けば孤児院の子に会えそうじゃないですか? さっきアイスクリームなるものが売っているのを見ました! 子供は絶対好きです!」
「お前が食べたいだけだろ」
眉間に刻まれる皺を片手で押さえる。微かな耳鳴りに疲労感を悟った。行き先を案出することも出来ないため、ユニスの考えに乗っかることにした。
「行くぞ。案内してくれ」
「案内? え?」
「アイスクリームが売ってた店だよ。どうせ覚えてるんだろ」
「もちろん覚えてます! 結構近かったですよ! えへへ、アイスクリーム……!」
雀が躍るように駆け出したユニスの影を、緩やかに追いかける。小柄な少女の駆け足を追うのは容易い。念には念を入れて袖を掴もうかと悩んだが、人通りは疎らで、逸れる心配はなさそうだった。
夕紅に染色された石畳が色濃い影を揺り動かす。立ち止まったユニスの膝丈ワンピースが落ち着くことなく靡いていた。破顔する横顔の先には、移動式の店と思しき自転車が佇んでいた。前輪部分にカウンター代わりの箱が取り付けられており、屋根を模した傘が涼し気な日陰を作っている。カウンターには大きな文字でアイスクリームと記されている。ユニスの予想通り、何人もの子供が集っていた。親子で来ている姿もあれば、子供だけで買っている姿もある。
「ほら、ここです! ……エドウィン? なにかおかしかったですか?」
「……いや」
アイスクリームを手にした兄妹の、仲の良さそうな姿につい微笑んでいた。悩むような仕草で顎に手を添えて口元を隠す。並んでいた客がいなくなり、店員と目が合う。若い男性は人好きのする笑みで俺達を手招いた。
「どうぞー! 今日はね、美味しい苺が採れたから特別につけてるんですよ!」
「いちご……!」
カウンターに頭突きしそうなほど、力いっぱい飛び付くユニス。彼女の帽子から垂れるレースを苦笑して見つめてから、財布を取り出した。俺は貨幣を店員に手渡すと同時に
「コレ、子供がよく買いに来るんですか?」
「ええ! この街の子はもちろん、ウチのアイスクリームを目当てにこの街に来る子供たちもいますよ! お嬢ちゃんもアイスクリームが食べたくてこの街に来たのかい?」
「私達はたまたま来たら、アイスクリームと運命の出会いを果たしてしまったんです! それにしても店員さん、私達がこの街の人じゃないって分かるんですね?」
「君もお兄さんも目立つから……あっ悪い意味じゃないですよ!」
ユニスに微笑んでいた店員が慌てて俺に両手を振る。目立つのはユニスの服装のせいだろうに、当の彼女は俺を見上げて少しばかり笑っていた。
「エドウィン、目立つみたいですよ。顔が怖いからですね」
「『お前の服のせいだろ』ってわざわざ言わないと分からないのか」
「なんでですか! この服可愛いでしょ!」
「お兄さんも君も、喧嘩しないでくださいね⁉ 二人とも綺麗なお顔だったので、一度見たら忘れない兄妹だなぁと思っただけです!」
兄妹ではないが、少女に拘束具を着けて連れまわしている変態、と誤解されなかったことに安堵する。ユニスは褒められて嬉しかったのか、幼さの残る
「え~! ほんとですか! 私可愛いですか! えへへへへ分かります!」
「うんうん、可愛いお嬢さんだ! ……実は、お兄さんのお顔だけ見た時に、綺麗なお姉さんかと思って……期待した分ちょっと落胆しました……ははは……」
店員の男性が恥ずかし気に後ろ頭を掻く。苦り笑う彼と向き合う中で、鏡のように俺も口角を引き上げて苦笑した。どんな視力をしていたら間違えるんだ。
店員の言葉にますますユニスが笑うものだから頭が痛くなってくる。情報収集を円滑に進めるためには怒るわけにもいかず、苛立ちながらも噤口するしかなかった。
「ところでもしかしてお兄さんアイスクリーム初めてですか? お兄さんの分も作りましょうか!」
「いえ、この子の分だけで大丈夫です。……あの、貴方の予想通り俺達は観光客なんですが、この子、もうこの街で友達が出来たみたいで」
「え――」
疑問符を零しかけたユニスの帽子を押さえつける。撫でるように軽く叩いていれば店員が朗笑した。
「子供は仲良くなるのが早いですもんね! あっ、そのお友達に聞いてアイスクリームを知ったのかな?」
「は、はい! アイスクリーム、美味しいって聞きました!」
「ふふ、美味しいよ。苺二つのせてあげるね」
「! やったぁ!」
サービスを求めた訳ではなかったが、ユニスの機嫌の良さが後頭部だけ見ていても伝わってきたため口元を緩めた。店員からアイスを受け取ってユニスの前に差し出すと、餌付けされる犬みたいに舌を伸ばしてくる。食べきるまで俺が持っていないといけないことに気付き、苛立ち混じりに耳語した。
「おい。流石に手枷外して自分で持て」
「むむ……アイスの為ですものね。外してください」
彼女の胸元の金具を弾いて外す。手枷は首輪から伸びるベルトで吊られているだけらしく、サスペンダーのようなその金具を解いてやれば簡単に取り外せるようになっている。
革製の手枷が重い音を立てて地面に落ちた。それを片手で拾い上げ、硬質な手触りに思わず中を覗き見る。護身用だろうか、小銃が内側に収められていた。暴発する危険性を考え、手枷を乱雑に扱うなと咎めようとしたが、そうする前にアイスクリームが攫われる。逆三角形の持ち手に小さな五指を絡め、すぐさま食いつく彼女。半分に切られた苺が二つ刺さっており、彼女はそれを指で摘まんで口へ放り込む。幸せそうな一笑を目の端で捉えてから店員と顔を合わせた。
「それで、孤児院がどこにあるか知っていますか?」
「孤児院?」
「この子と仲良くなった子が孤児院の子供らしくて。会いたがっていたので、そこに行けば会わせてやれるかなと思ったのですが……」
「あぁ……どこかな。でも確かに、たまに孤児院の子も来ますよ! あそこの子は真っ白の服に十字架のネックレスを着けてるでしょ? だから分かりやすいんです。もうすぐ店じまいだけど、今日も来るかも」
「へぇ……ありがとうございます」
店員と軽く会釈を交わし、後背を尻目にかけた。少し離れたところにベンチを見つけ、ユニスをそちらまで誘導する。僅かな段差で転びかけた華奢な肩を、布地だけ引っ張って支えてやり、彼女がアイスクリームを取り落とす前に座らせることが出来た。頬にクリームが付いていて呆れてしまう。どうするか悩んだが手袋の甲でそれを乱雑に拭ってやった。
「もう少しゆっくり食べろ。急いでるわけじゃないんだ」
「っでも、孤児院の子を見つける前には食べ終えた方がいいですよね」
「お前が食い終わるまで子供を引き止めるくらいしておく。置いてってもいいなら俺一人で対処するしな」
「……エドウィンは、どうして『魔女狩り』をしているんですか?」
にわかな問いかけに、瞬刻だけ息を忘れた。丸い双眸が真っ直ぐにこちらを刺し貫いてくる。濁ることを知らない澄んだ藤色に、気抜けた顔の俺が映っている。鍔迫り合いのような視線の交錯。押し負けたのは俺の方だった。
「なんだ、いきなり」
「酒場ではいつもマスターやお客さんがいましたし、エドウィンと二人きりになったの、珍しくて。でも嫌な過去もあるかもしれないし、聞かない方がいいかなと思ったんですけど……」
「興味は殺せなかったってわけか。子供だな」
「だって……どうして、子供に優しい人が、人の姿をしている魔女を平然と殺せるんだろうって気になりました。子供の魔女もたくさんいるのに」
返答に窮する。沈黙した時間はどのくらいだったのだろう。横目で見たユニスの手元で、アイスクリームが艶めきながら雫を零していた。それは緩やかに垂下して、小さな手に伝う。冷たさに肩を持ち上げた彼女が慌てて指を舐めていた。
「……ただの復讐だ」
それ以外に、適切な言葉は浮かばなかった。下ろした瞼の裏に、 過去が映っているような気がした。『魔女』と呼ばれる人々が、夥しい
「それに、魔女じゃない一般人だって場合によっては殺す。そんな人間を『優しい』なんて思うな。殺人が罪であることを、忘れるな。お前みたいな子供がこんな環境に慣れるもんじゃない」
「……今更ですよ」
軽快な咀嚼音が響く。アイスクリームを食べ進めたユニスは、持ち手のワッフルコーンを噛み砕いていた。諦念を宿す
「私は、初めから人を殺すことに嫌悪とか躊躇いとか抱いたことないです。だって、みんな汚いから嫌い」
沈んでいく陽光が眩しかったのか、はたまた嫌悪の表れか、彼女は珍しく険阻な面立ちをしていた。自身の手元を見下ろす。ユニスがこの手枷を着けている詳細を、俺は知らない。人との接触が苦手、ということだけは聞いている。
ユニスはワッフルコーンの最後の一口を嚥下して、相好を崩した。
「でも、エドウィンとマスターは、同じく嫌いですけど許容範囲内です。エドウィンには最近ようやく慣れたところですけど」
「ずっと慣れなくてもよかったのにな。マスターがいきなりお前を連れてけって言い出したの、そのせいだろ。お前の人嫌い克服に俺を使うな」
「文句なら許可してくれたマスターに言ってください。あ、アイスクリーム美味しかったです。食べ終えたので着けてもらってもいいですか?」
差し出された両腕を複雑な気持ちで
「えへへ、ありがとうございますっ」
「今日はこのくらいにして宿に戻るか」
「いいんですか?」
「もう遅い時間だ。孤児院の子供がこんな時間まで出歩かないだろう。門限とかあるんじゃないか。分かりやすい服を着せているのも、門限を過ぎても街にいる子供を見つけやすくするためだろうしな」
「そっか……じゃあ仕方ないですね。宿ってどっちでし――……わっ⁉」
方向転換しようとしたユニスの踵が高らかに鳴く。転びかけた首根っこを掴み上げ、彼女の正面に焦点を移した。ぶつかって尻餅をついたらしい少年が額をさすって呻いていた。彼の影に一人の少女が踏み込んだかと思えば、彼を立たせようと腕を引っ張り始める。
「ちょっとジム、なにしてるのよ! アイスクリーム屋さん閉まっちゃうでしょ!」
「ご、ごめん……」
「いいから早く買って早く帰りましょ、怒られちゃう……!」
少女の胸元で十字架のネックレスが揺れ、斜陽を反射して光る。白いワンピースを揺らす彼女と、白いブラウスに白いハーフパンツ姿の少年。ユニスの襟から手を放し、囁いた。
「予定変更だ。あの子供らを追うぞ。今日中に片をつける」
「うー……ベッドでゴロゴロする気分になってたのにひどいです……!」
「先に宿に戻って待っててもいいが、どうする」
「私みたいな可愛い女の子が一人でいたら誘拐されちゃいそうですし、エドウィン困るでしょ? 着いていきます」
確かに単独行動をさせるのは不安だ。ユニスを連れて帰れなかった場合マスターになにを言われるか分からない。だが連れて行くとなると、彼女を守りながら戦わなければならない。
守り抜けるのか、と自問する。人知れず拳を固めていたら彼女が小さく笑った。
「一応言っておきますけど、自分の身くらい自分で守ります。私だって武器を持ってきてますし、戦い方もマスターに教わってます。だからエドウィン、気負わないでくださいね」
「……お前こそ。危険を感じたらすぐに逃げろ」
白服の少年少女はアイスクリームを手にして、食べながら来た道を戻っていく。見失わぬ距離を保ち、不審に思われない速さで、その足跡を上書きしていく。
ふと、隣を歩くユニスを打見した。握りしめた指先で、手袋が擦れて小さく音を立てる。見据えた道のりは藍鉄に塗られ始めていた。軽く瞼を下ろし、唇を噛み締める。
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