皎白の魔女3

     (三)


 大通りから大分離れたところに、孤児院はあった。寂れた民家が点々と建っている道は石畳ではなく、ざらついた土に占拠されている。ユニスの背丈まで伸びた草が、時折服に擦れてさざめく。前方の少年少女に気付かれぬよう、息を殺して進むしかなかった。


 辿り着いた孤児院の周囲に、建物は一つもない。街灯は辛うじて一つ、門口に備えられている。敷地は鉄柵で囲われており、黒い格子の奥には庭が広がっている。その先にある孤児院は煉瓦造りの邸宅だ。


 門前に立っていた男が、子供達に嘆声を吐いていた。いつまで遊んでいるんだ、と叱責を落としてから、彼が門を開ける。申し訳なさそうにしていた子供達はすぐさま庭へ駆け出していた。


「ユニス」


「はい」


「被害者の子供達は出来るだけ殺すな。魔女になっているなら殺していい。大人は全員殺すぞ」


「分かってます。でもどこから入るんですか? あんな立派な柵、壊せないです」


「壊すわけないだろ。開ければいいんだ」


 暮夜を深めていく薄闇。それに紛れる暗色の外套を翻した。ショルダーホルスターからナイフを引き抜く。同時に幽かな金属音が夜風を刺したが、残響は風声と葉音に攫われていた。


 狼狽を滲ませたユニスを背に、門番へ真っ直ぐ歩み寄る。長い杖を突きながら欠伸をしていた間抜け面が、振り向いた。


「どうも。良い夜だな」


 表情一つ動かさず門番を正視する。招かれざる客が来ることなど滅多にないのだろう。こちらを見返す満月のような両目には、懐疑と焦りが浮かび上がっていた。


 音無しの幽閑に砂利を滑らせ、彼と対向する。子供達とは対称的な黒一色の祭服。けれども首元のローマンカラーがやや赤黒く染まっている。


 観察していたらぎこちない笑みを返された。善良な職員を繕う仕草は芝居がかっていた。杖は武器を兼ねているはずだが、それを構えないあたり、子供連れの俺を危険視していないようだった。


「え、ええ、星々が綺麗ですね。こんばんは。孤児院に御用ですか? すみませんが、もう遅い時間ですので」


「ああ――だから死ね」


 夜暗を薙いだ剣尖に猩紅が絡まる。彼の喉頸のどくびに走った一線。押し裂かれた血管が弾けて飛沫を上げた。


 即座に首を押さえる彼。取り落とされた杖が高く鳴る。後退した彼は腰が抜け、崩れ落ちていた。夥しい血で祭服の袖を染め上げて、青ばんだ顔を震えさせている。


「な、なんっ……」


「なんだその顔。血なんて見慣れてるはずだろ。何人の子供を殺してきた? 何人の子供の腕を貫いて、身勝手に壊してきたんだ。それとも、『中で何が行われているかすら知らなかった』『自分は無関係だ』とでも言うつもりか?」


「はっ……ひ……」


 笛声てきせいじみた息を漏らすのは、乾ききっていく唇か、はたまた穴の開いた頚部か。息吹としゅあんを噴き溢すだけで、彼はもう言葉を発さない。命乞いをする様子もなければ、逃げ出そうともしない。空蝉のように自失している彼から、生を奪うべくナイフを振り上げた。


「俺達は瞑目させにきたんだよ。お前らを」


 穿通したのは額。頭骨を砕く刃。悲鳴を手袋で潰しつつ、躊躇なく抜けば生温い液体が頬にかかる。旋毛から滲出する赤が彼の髪を染めていく。


 物言わぬ木偶と化した彼。その体を地へ放つと、門に手をかけた。


 錆ついた金具が鼓膜を貫く。それは不快な音だったようで、数羽の烏が木々を縫って飛び立っていた。寂然たる敷地内に足を踏み入れた直後、


「────‼」


 ヒトの声帯から絞り出された哀叫が、ヒトのものとは思えぬ雷声で、一帯に放たれた。


「……随分と鼻の良い魔女がいるな」


「多分私のせいです。マスターが言ってました。私の匂いが魔女を引き寄せるそうで」


 隣に並んだユニスが淡々と説く。袖が触れ合う程の距離にいるが、彼女の匂いなど俺には分からなかった。鼻腔を徹るのは草木の暗香だけ。だが、人の嗅覚より優れているであろう魔女のそれならば、確かに鮮少の香りに反応するのかもしれない。


「今頃職員はビックリしてるかもしれませんね。静かにさせていた魔女がいきなり騒ぎ出すんですから」


「暴れ出した魔女に奴らが殺されていれば、手間が省ける」


「何言ってるんですか、子供達が危ないでしょ。魔女だって何人いるかわからないんです」


「子供も、何人魔女にされず生きているのか分からない。一応言っておくが、救助は俺達の目的じゃない。排除だけを考えろ」


「分かってます。行きましょう」


 先に踏み出したユニスよりも前へ出る。普段子供達が遊んでいると思しき庭は整備されていた。二階建ての建物が夜の木暗がりに僅かな光を灯していた。灯火が窓から滲んで見えるのは、一階の数ヶ所のみ。二階の窓硝子は星空で絵取られている。


 室内の様子を窺うため、血中の魔力に熱を持たせる。望遠鏡を覗き込む感覚で視力を《上げた》。


 正面玄関から向かって右側の硝子。その向こうでは子供達がトランプで遊んでいる姿が見える。左側の窓枠からは、廊下が垣間見えた。そこでは数人の大人が武器を手にして周章していた。


 怯える大人達が対峙している相手──恐らく魔女だ。彼らの慄然が見せる錯覚か、窓硝子が震えていた。


「……声が聞こえないな」


「え?」


「魔女の声だ。最初の叫びだけで、それ以降全く聞こえてこない。奴らの様子を見る限り、まだ仕留めてないはずだが」


「様子って……ど、どこです? んんん?」


「あっちだ。そっちには用がない」


 孤児院の入り口たる両開き戸に、薄青の影を落とす。ドアノブに手を掛けるも施錠されており開くことが出来ない。


「もしかして窓から見たんですか⁉ エドウィン、視力バケモノですね⁉」


「騒ぐな。魔法を使っただけだ」


 魔法、と口にして、まさかと思った。ここの職員も魔法を使い、魔女の声を抑え込んだのではないか。そんな空想を唾とともに飲み下した。


 魔法は本来、俺の一族しか知らないものだ。研究者が魔女を造る際、使われているのは魔法陣。魔力の注ぎ方を知らずとも印を描いて条件を満たすだけで発動させられるもの。『アテナ様』から教えられたのであろう、そのたった一つの文様しか彼らは知らないはず。


 勘考したのち、扉から一歩離れた。


「ユニス、お前拳銃持ってただろ。鍵を壊してくれないか」


「いいんですか? 発砲音とか……」


「子供は勝手に怯えて閉じこもる。大人は勝手に出てきてくれるはずだ。ちょうどいいかもしれないな」


「結構手荒なところがありますよね貴方って……わかりました、撃ちます」


 寂静じゃくじょうを叩く筒音。硝煙の匂いは漂わない。薬莢が転がることもない。鍵が弾け、軋んだ音を伴いながら扉は開いた。


「魔法です。びっくりしました?」


「……なぜお前が魔法を扱える」


「マスターに聞きました。これで弾を入れ替えなくても魔力で撃ち放題です!」


「ほどほどにしろ。いいか、耳鳴りがしてきたら撃つのをやめて隠れるんだ」


 ユニスの頭を押さえ、背後に押し退ける。それと同時、現前で散った光を切り弾いた。俺達に向けて投擲されていたのは短剣。銃声に反応して来たのであろう二人の男が、息を切らし鈍器を構えていた。


「な、何者だ!」


「強盗か⁉ ここは孤児院だぞ! 金なんてない、子供がいるんだ!」


「金? そんなもの求めちゃいない」


 靴音が数回響く。近付いた彼我の距離に彼らが厳戒を示した僅かな間。放たれた矢の如く駆け出し、ナイフを振り抜いた。


 標的の頸動脈を切り裂いた勢いのまま回転。背後から殴りかかってきた男の腕を捻る。武器を取り落とした彼の顎を蹴り上げ、隙だらけの喉仏に鋭刃を打ち込んだ。


「俺は、お前が死ねばそれでいい」


 そのまま力を込め、彼の背を壁に叩き付ける。握った柄の先で金属と骨が擦れると、嫌な感触が伝った。痙攣した喘鳴を横目で捉えながら栓を抜く。


 溢流した血液を正面から被る前に彼を蹴り倒した。光沢のある木製の床が血紅色で染まっていく。俺が落とす影と、そこに重なった陰影。振り向きざまに鋭鋒を突き付けたが、俺が仕留めるより先に、透徹の弾丸が敵を射抜いていた。


 ユニスに撃たれたのは、最初に首を切った男。殺し損なっていたかと舌を打ち、廊下の先へ急いだ。


「エドウィン! 今の私ナイスでしたよね! ほめてほめて!」


「お前……遊びに来てるんじゃないんだ。全部終わってからにしてくれ」


「だってほんとに魔法で戦ったの初めてなんです! ちゃんと使えた……!」


「わかったから……その調子で頼むぞ」


 上機嫌な足音が付いてきているのを確かめ、意識を集中させる。廊下の先には扉があった。部屋に繋がるものではない。外から窺った限り、この向こうにも廊下が続いているはずだ。


 なぜ扉を挟んで通路を仕切っているのか。思索するまでもなく、それが『子供達から魔女を隠すため』であることは昭然としていた。


 扉を蹴り開け中へと飛び込む。


「────!」


 瞬間、鼓膜を貫いて脳髄まで揺さぶるような泣哭きゅうこくが、表皮を痺れさせた。


 気迫に後退しかけた膝を前へ出し、血溜まりを踏み躙る。眼界を綾取るのは赤。溶いた顔料が撒き散らされたような壁。水音を跳ねさせるほど濡れている床。


 悪臭で満ちていた。血と脂と、吐瀉物と排泄物の。


 爪先にぶつかったのは腕だ。引き千切られた人体の一部が、血の海に点々と落ちている。遺体の臓物は蛇のごとく体外に這い出していた。


 生きている職員はたった数名。みな怯えた有様で座り込み、一人の子供を凝視している。


 窓硝子を嬲ったのは涼風か、それとも子供の泣き声か、大人の悲鳴か。


 白い服の少女が、癇癪を起こした赤子みたく喚き散らしている。血管の浮き出た細腕は職員の女を貫いたまま揺らめく。少女の半袖から覗く上腕部には、赤いリボンが絡みついていた。


 コルセットの紐を思わせる形で、数度交差させて縫い込まれている臙脂。衣服に、ではない。皮膚を貫いて肉に潜らせ、腕に直接縫い付けられた紐。それは魔女の実験体として使われた証だった。


「たす、助け……!」


「ぅぅうう……うあああああ!」


 女と少女の白声が不協和音を奏でる。少女ははらわたを握りしめたまま女から腕を引き抜いた。悲鳴の余韻は少女の金切り声に潰されて聞こえない。


 事切れた女が膝から倒れ伏す。血を撒きながら臓物を振り回す少女。死体から千切れたそれを放り捨てると、鋭い爪で女の頭部をかち割った。まるで屑物を漁るカラスだ。脳を無邪気に掻き出して泣き笑いの声を上げ続けている。


 唾を飲んでその様子を注視していれば、彼女は新たな遊び道具を探してこちらを睨め回した。


 絡んだ視線。呆けていた幼い目が真っ直ぐに俺を見つめ――ぐにゃりとしなる。三日月を象る双眸。狂気や悪意さえ忘れた無垢な黒目。


『魔女』はただ、本能で人間の臭いに惹かれ、血肉を浴びたがる。


「ユニス、そこにいろ」


 背後で立ちすくんでいるユニスを寸時瞥見する。水を打ったように静まっていたのは片時かたときだけ。それは衝突までの一弾指に捻じ込んだ息継ぎの間でしかない。指先に熱を注いだ時、魔女の茶髪が頬を掠めていた。

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