おわりのときまで

カフェオレ

おわりのときまで

「用法・容量を守って服用してくださいね」

 薬を購入するたびに聞かされる定型文。夜遅くでも愛想のいい店員に会釈して、私は薬局を後にする。いつもなら2つの針が重なっている腕時計が、今日はまだ10時前を示している。早く帰れた、と思ってしまう私の感覚は、大分麻痺しているのかもしれない。

 そんな狂った日常を支えてくれているコンビニに、今日も立ち寄る。水と氷が欲しい。私は迷いなく550ミリリットルのペットボトル2本と、ロックアイスを1袋手にして、レジに向かう。買い物は目的を持ってサッと済ませる、というのがいつからか習慣になっていた。なにせ残業続きなものだから、品々を物色する時間を睡眠時間に当てなければ、生きていけなかったのだ。

「レジ袋はおつけしますかー」

「1枚お願いします」

 ホットスナックの匂いに腹の虫がくぅと鳴いたが、今日は食事をしないと決めた日だったので、諦めることにする。また機会があれば一番高いチキンを買おう、と密かな決意を抱いた。

「ありゃりゃしたー」

 先刻と比べると随分雑な対応を背に、店を出た。金のために働いています、という態度は私的には好感度が高い。彼には私のようにならないでいてほしい、と願いながら帰路につくこと5分。不動産屋の隣に立つ、小奇麗なマンション。その一室が、私の住処だ。

 部屋に鍵をかけると、私は真っ先にユニットバスへ向かう。どこかで腰を下ろして一息入れてしまうと、もう立ち上がるのが億劫になってしまうので、まずはシャワーで汗を流すというのが数年前からのルーティンである。来客もいないので、バスタオルも部屋着も、浴室の入口横に積むようになってしまった。良く言えば効率的、悪く言えばズボラなこの配置を、私はそれなりに気に入っている。

 10分が経つ頃には、ドライヤーで髪を乾かし始める。体を洗う行為は、私にとって、社会で後ろ指を指されないための消化事項の1つでしかない。というのが普段の思考なのだが、今日は浴槽に湯を張り、身を浸してみた。ほぅ、という息が自分から漏れて、湯船の効能を再認識させられる。これは心身によい、感動だ。人間余裕がなくなっていると、思考が貧しくなってしまうのだなぁ。考えを改めよう。私は雑念と共に、数年ぶりの入浴をいたく楽しんだ。しかし今日はもうひとつ楽しみがあったので、気が緩んで眠ってしまわないうちに、栓を抜いて風呂場を後にする。服を着終える頃には、排水口に流れ落ちる水音は止んでいた。

 火照る体に新鮮さを感じる中、玄関に置かれたビニール袋が目に留まった。しまった。普段冷蔵や冷凍が必要な商品なんて買わないものだから、いつものように玄関にほったらかしてしまっていた。悔みながら袋を覗いてみると、氷はほとんど溶けておらず、元の形を保っている。ついでに隣のペットボトルもしっかり冷やされている。優秀な働きだ。今日の楽しみを壊さないでいてくれたロックアイスに、私はナムナムと感謝の念を伝えて、リビングに向かった。

 部屋の電気をつけて、カーテンを閉める。買ってきたロックアイスをグラスに転がし、ウィスキーを注ぎ、水で割る。それとは別に、空のグラスを1つ用意して、両方をローテーブルの上に置く。それから、ハンガーの下の小物入れを開ける。今日買ったものと同じ睡眠薬が20箱あった。時間をかけて買いためたそれらをすべて取り出して、カバンの中の1個といっしょに、グラスの横に並べる。箱を開け、ビンの蓋を回し、そして錠剤をすべてグラスの中に流し入れる。

 テレビ棚の上には、大学生の頃に好きだった映画のブルーレイディスク。それをプレーヤーに差し込み、テレビをつける。いつでも再生可能な状態になったことを確認して、私は部屋の電気を消した。

 今日の楽しみ、映画鑑賞。1時間半ほどの長さの、アクション映画。ブルーレイを購入するほど好きになった作品だったが、なかなか見返す機会がなかったのだ。次、仕事を早く上がれた日に見ようと思い立ってどのくらいが経ったか。ついにその日がやってきた。

 映画館の雰囲気を作りたいと考え部屋を暗くしてみたが、想像以上にテレビのライトは眩しい。この作品には爆発の演出がある。そのフラッシュで目を痛めてしまいそうだが、私は雰囲気を優先することにした。クッションに腰を下ろし、再生ボタンを押す。物語が、始まる。

 画面が動き出した。部屋に自分以外の声が響くのは久しぶりだった。私はポップコーンの代わりに、錠剤をいくつかつまんで口にした。そしてそれをアルコールで流し込む。テキトーに作ったウィスキーは濃すぎて、不味かった。

 今日、私は死ぬのかもしれない。

 信憑性の疑わしい安楽死方法を今、私は実践している。人間は大量に薬を飲めば死ぬ。しかしまとめて一気に飲むと吐き出してしまうので、少しずつ服用する。食事は控えておく。アルコールを同時に摂取すると神経系に作用しなお良し、というものだ。ダメ元だが、楽に逝ければ僥倖だ。

 なんとなく生きてきた私は、ある日なんとなく死のうと思った。生きることに大した理由がなかったのと同様に、死に向かうことに理由はなかった。ただ、自殺を試そうと薬を買い集め始めた日から今日まで、この世から自分が消えてしまうことへの疑問も、躊躇も葛藤も湧かなかったのだから、私は死んでよいのだと思う。

 劇中の主人公が、画面の向こうからこちらを睨む。ああ、このシーンは好きだった。懐かしさが私を襲った。私の感性はあの頃と変わらず、ストーリーを、映像を楽しんでいる。けれども、映画だけでなく、人生も楽しんでいたあの時から、何かが変わって、今の私を形作っている。

 どうしてこうなってしまったのだろうという考えが、頭をもたげる。突然、途方もない後悔が、私の心を蝕みだした。自分はどこかで間違えたのだ、という観念が消えることなく脳を巡る。死への抵抗感は薄いのに、生への悔恨はひたすら続く。ほとんど平行だった天秤が、傾いていく。

 無意識のうちに、手に握った錠剤の量が増えていた。いけないいけない、まとめて飲んでは嘔吐してしまう。グラスに数粒を戻して、残りを胃に流し込むと、目の前がパッと眩しくなった。爆発だ。物語はだいぶん進んで、佳境に入っていた。

 私は少し眠たくなっていた。水も薬も随分減っていた。例の安楽死方法によると、意識がなくなった後、過剰摂取の作用で死に至る。もしかすると、今が最後の覚醒状態になるのかもしれない。それを意識しても、恐怖の感情は芽生えてこなかった。

 チカチカと光が瞬いている。クライマックスへと向かう、この映画で一番好きなシーンが続いていた。私は先刻までの動揺を忘れ、ただ物語に見入っていた。内容としては主人公が逃亡を図っているだけなのだが、そこに至る背景・俳優の演技・演出。全てが私の嗜好に合致していた。本当に素晴らしい作品だ。視聴は3度目だったが、この先何度見ても感動できるだろう。特に最後のシーンにゾクゾクした過去を思い出して、私はそれを楽しみに待った。

 突然、抗いがたい眠気が私に襲い掛かった。既に100錠以上は薬を飲んでいる。いつ昏倒してもおかしくはない時間だった。しかし、こんなときに! 私は力のうまく入らない手で、拳をつくっていた。これからがいいところなのに。ここがいいところなのに!

 死にたくない!! 私は生まれて初めて、生を渇望した。この物語の終わりの時まで、私は死ぬわけにはいかないのだ。点滅する画面。部屋に響き渡る音。終わりへ向かう物語。全てをこの目に、脳に、焼きつけなければ。感情に呼応して、指先にわずかに力がこもった気がする。眠気でぐちゃぐちゃになっている頭の中で、私はこんなにこの映画が好きだったんだなぁと、他人事のように思った。

 音が止んで、視界も真っ暗になった。映画を最後まで見終えたのか、意識を手放しかけているのか、私にはわからなかった。今見えているものが、瞼の裏でなければいいなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おわりのときまで カフェオレ @koohiigyunyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ