4-5 不確かな未練

 結局『神さま』や絹子さんについて、それ以上の話は聞けなかった。


 午後三時過ぎ。

 犬飼 一郎さんの住む家から『懐古堂』へと戻る道を、樹神こだま先生と共に歩く。

 太陽は勢いを落とすことなくアスファルトを焦がし続け、地面からはゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。

 しかしそんな暑さも、今はそっちのけだ。


「とりあえず、カイコさんが鬼頭きとう 絹子さんの幽霊であると仮定しよう。一郎さんの姿で現世うつしよのお客さんを迎えとるのは、元婚約者に対して未練があるってことか」

「そう思います。だで、亡くなってからあの店に居ついたのかも」

「そもそも俺、カイコさんのその姿をあんまし見たことなかったんだよな」

「僕みたいな手伝いが必要になったのも、カイコさんの力が弱なったせいですもんね」


 カイコさんが一郎さんの若いころの姿を取っていることは、ご本人には伝えなかった。それを言ってしまうと、勝手に店の商品を売買していた現場に僕が立ち会っていたことまで話さざるを得なくなってしまう。


 一郎さんは昔から、壊れものを修理したり機械を分解して構造を調べたりするのが好きだったらしい。先代だったお父さんからは富豪の好む美術品の目利きも学んだそうだけれど、一郎さんの代には庶民向けの古道具の売買や修理がメインになっていったのだとか。

 真面目で誠実な店主だったのだ。


「絹子さんが死の直前に送り返してきたブローチに、一郎さんへの思慕の念が込められとった可能性はある。一郎さんに会いたいという強い想いが、死後の絹子さんの魂をこっちに引っ張ってきたのかもしれん」


 何せ結婚を保留する代わりに贈られたのが、あの白い蝶のブローチなのだ。『契約エンゲージ』の象徴と言っても過言ではない。


「生前が豊橋の蚕糸さんし工場の経営者の娘だったなら、あぁいう糸の術なんかもイメージは合いますね。カイコさん、三河弁ですし。豊橋って蚕糸業が盛んなんですか?」

「盛んだった、と言うべきかな。明治初頭ごろから養蚕が始まって、群馬から製糸の技術が入ってきて、戦前までは『蚕都さんと豊橋』と呼ばれるほどの絹糸の産地だった。今も資料館があるよ」

「へぇ」


 知らなかった。


「ところで服部少年、カイコがどんな虫か知っとるか」

「生糸の原料になる繭を作る蛾ですよね?」

「うん、そのために家畜化された虫だよ。野生のものは存在しない。また、野生への回帰能力を完全に失った生物でもある。つまり、人間の管理下以外では生きられんってことだ」

「えっ、そうなんですか?」

「幼虫は桑の葉を食べて育つが、自力で餌を探すことはできない。成虫になっても、そのはねは飛翔能力を持たない。生まれてから死ぬまで同じ場所に留まり、ただ絹糸を紡ぐためだけに生かされる虫だ」


 それもまた、絹子さん……カイコさんのイメージと重なる。

 生前は肺を病み、自由を奪われて。

 幽霊となってからも、店の外にはほとんど出られず。

 暗く重いものが、しんしんと胸に募った。

 本当は五体満足のまま、一郎さんと幸せに暮らしたかったのかもしれない。


 『懐古堂』の目の前に到着する。もう誰もいない、空っぽの店に。


「店じまいして十年か。その前までは、現世と『狭間』の両方でそれぞれが商売をしとったってことだ」

「階層はズレてますけど、店主が同時に二人おったみたいな感じなんですね。……でも、一郎さんが引っ越してから、カイコさんは独りきりでここにおるんだ」


 先生の術で予め階層を渡ることはしない。

 僕は祈るような気持ちでシャッターに触れた。

 途端、全身にバチンと衝撃が走り、ひとまず安堵した。大丈夫、まだカイコさんのテリトリーの力は作用している。


「ごめんください」


 声が震える。ペンダントライトで夕暮れ色に染まる店内には、誰の姿もない。

 胸の奥が不穏に騒ぐ。現世とは違い、暑いとも寒いとも言えない空気が汗を冷やす。

 もしや、もう会えないのでは。

 そう思った次の瞬間、僕のポケットの中が温かくなった。続いてひゅっと気を吸われる感覚。

 僕は慌ててポケットからブローチを取り出した。すると、透明だった粒子が可視化されつつ結集して、カイコさんが姿を現す。


「……ちょっとぉ、依代が見当たらんもんで往生こいてまったわ」

「カイコさん! 今までどこにおったんですか?」

「どこって……私はずぅっとこの店におったけど。服部くん、ブローチ持ってっとったの? いつの間に来た?」

「三日前ですよ。カイコさんから手伝い頼まれて、言われた通りの時間に来ました。その後にも二回くらい」

「……え?」


 カイコさんは表情を強ばらせた。


「記憶が飛んどるわ。こりゃあ思った以上にマズいな」

「カイコさん、こんな時に何なんですが……」

 先生が、今日ここを訪ねた経緯を掻い摘んで説明した。先ほど聞いたばかりの、一郎さんの話も。


「ははぁ、なるほど。この店、取り壊してまうんだね」


 カイコさんは店内をぐるりと見回し、こてんと首を傾げた。


「で、私はその『鬼頭 絹子』の幽霊だと?」

「違うんですか?」

「んー、分からん」

「一郎さんのことはご存じですよね?」

「もちろん知っとるよ。ここの店主やっとった人だら。私、あの人の昔の姿を真似してお客さんを迎えとるもん。その方がお客さんから見ても違和感ないじゃんね、息子か孫がやっとると思われるだろうで。孫は昔の一郎さんによぅ似てきたね」

「えっ、それだけですか? なんかもっと『契約』とか、未練的なこととか」


 カイコさんは大きくかぶりを振る。


「ちっとも想像つかんわ。自分がそんな恋愛当事者だったとか」

「そうですか」

「やっぱ、そういうのは観測者でいいよ。私は壁でいいよ」

「何の話ですか」


 相変わらずの調子には、少しホッとするけれど。


「大体、その『絹子』は本当に私なのかや」

「改めて訊かれると、自信ないですね……写真見た限りでは似とるような気がしたんですけど、髪型とかは違いましたし」

「だがあれ以降、例えば死の直前の彼女が、今のカイコさんのような姿をしていた可能性はある。それであっても、なぜ『絹子さん』ではなく『カイコさん』という名前なのか、疑問は残りますが」

「覚えとる限り、私は初めっから『カイコ』だったよ」


 先生はカイコさんに向き直る。


「いずれにしても現状、問題が二つあります。一つはカイコさん自身の存在が不安定なこと。もう一つはこの店、つまりカイコさんのテリトリーが無くなること」


 正直、カイコさんと一郎さんとの間に何らかの『契約』が明確に存在したのであれば、どちらも解決できそうな心づもりだった。


「店の取り壊しに当たって、カイコさんの希望を伺うというのが我々の受けた依頼です。ひとまず移動をご希望であれば、方法を考えます」

「うーん、正直この店から離れると、自分がどうなるか分からんのだわ」

「まぁ、そうですよね」

「テリトリーがなくなるのも困るけど、下手に場所を移して自分が消えてまってもかんわ。未練だらけだもんでさ」


 『未練』。どきりとする。


「まぁすぐ『刀剣』の限定イベ来るし、ビクシブで追っとる二次創作の続きも気になるし。あぁ、こないだ落とした電子漫画も読めとらんかったわ。というか、ほんとに消えることになったらスマホのデータも全部消してまわんと。私が消えるのと同時にスマホ爆発せんかな」

「何の未練ですか」


 ただの煩悩では。


「霊体での未練では、あまり用を成さないのかもしれません。魂はうつし身に紐付いていたものなので、やはり生前の未練を思い出すのが良いのでしょう。居場所を移すためにも、自意識を確固としたものにしておくべきだ」

「生前の未練かぁ。記憶が戻らんことにはなぁ。なんで忘れてまったんだろ」

「幽霊になって一郎さんの近くにおっても認識されんくて、ショックで記憶が消えた……とかですかね」

「だったら余計に無念が募りそうなもんだけどね」


 ならば今さら改めて一郎さんに引き合わせても同じだろう。

 何か記憶を戻す方法があれば良いのだけれど。これまでのことでヒントがなかったか。

 あちらこちらと、僕は頭の中を検索する。


 未練。未練……

 あ。


 ——最後に会った時、いつか一緒に花火大会に行けやぁいいって話しとったんだがよ。でも、それも結局できんかったわ。


「そうだ、花火大会!」

「え? 花火?」

「一郎さんが、生前の絹子さんと約束したって言っとったんですよ。それが絹子さんにとっても未練になっとるのかもしれません」


 カイコさんが、大きな目をぱちぱちとしばたいた。


「花火、花火……何だろ、胸がざわつくわ」

「思い出せそうですか?」

「うーん……いや、どうだろう。何か気になる感じはあるけど。花火見たら分かるかや」

「ちょうど明後日、西区の緑地公園で花火大会があるんです。良かったら一緒に行きませんか?」


 わずかの間の後。


「……二人で?」

「えっ? いや……み、みんなで」


 かぁっと頬に熱が上る。まるでデートのお誘いみたいになってしまった。


 先生が大きく頷く。


「花火大会が絹子さんの未練だと仮定すると、ポイントとなるのは『一郎さんと一緒に』花火を見る、ということであるはずだ。我々と花火を見たところで、未練が解消されるわけじゃない。つまり、それにより成仏してしまう可能性は低い。むしろ未練が顕在化し、思慕の念が蘇ってくるかもしれない」

「なるほど、確かに」


 僕だって本当は茜ちゃんと花火を見たい。それこそ未練だ。


「やってみる価値はあるだろう。だが、花火大会の会場へカイコさんを連れてくとなると、いつものブローチだけじゃ依代として心許ない。同じ鶴舞線沿線上でアクセスはいいけどな」

「ブローチに宿って事務所に来た時も、途中で魂だけここに戻ってましたもんね」

「それだけ魂が強くこの店に結び付いとるんだろう。その力の出どころも調べようか。仕組みが分かれば、移動時間や距離を延ばせるかもしれん。何にせよ依代はもっと強固に魂を保護できるものが必要だな。カイコさんと相性が良くて、外部の気からも護れる依代が」

「あります? そんなの」

だろ」


 先生の視線はまっすぐこちらを向いている。


「あっ……もしかして?」

「そう。純粋なる受信特化型にして、雑多な念も高精度にシャットアウトできる憑依経験者——君だよ、我が助手」


 つまり、カイコさんの存在を繋ぐための鍵を握るのは、この僕であるようだ。

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