4-3 先の見通しと手羽先

 想定外のトラブルが新規の依頼に変わり、樹神こだま先生も普段のトーンに戻った。


「狭間の世界の『懐古堂』にいる白い女性の霊に、店舗の取り壊しのことを伝えて、今後どうするかを決めてもらうということですね。承知しました。お安い御用です」

「あぁ、ありがとうございます。良かった、それがずっと気にかかっとったんですよ」


 接触事故の相手から依頼人になった犬飼 いさおさんは、ホッと頬を緩める。


「こんな話、どこに相談したらいいか分からんかったもんで。やっぱり、これも何かのご縁ですね」


 でも、先ほどはカイコさんと会えなかった。ただ一時的に姿を消していただけであれば問題ないのだけれど。

 不確定な事実を伝えようにも、この場で口を挟んで良いものかどうか迷っているうちに、先生が話を進めた。


「先んじて教えてください。十年前に閉めた店を、なぜ今になって取り壊すことになったんですか?」

「それが祖父の希望だからです」

「あぁ、遺言で」

「いえ、まだ生きとるんですが、もう先が長くないからと言って」

「すみません、これは大変な失礼を」

「いえいえ、気になさらず。まぁ、言わば終活の一つですね。実際このところ寝とる時間の方が長くなってきたんで、そろそろ危ないかもしれません」


 勲さんは恐らく四十前後。そのお祖父さんであれば、かなりのご長寿ではないだろうか。


「こないだ白寿の祝いをしたんですが、その席で言われたんですよ。だぁれもおらん家を残しといてもしゃあないで、更地にして売りゃあいいって」


 白寿。百に一が足らない。ということは、九十九歳だ。

 ……九十九つくも


「店を閉めてからもしばらくは住んどったんですけどね。ここ数年は物置きみたいに使っとって、空き家同然だもんで。祖父がおるうちに、家の中を整理しようとしとるんですよ」

「なるほど、よく分かりました。では、お祖父さまに直接お話を伺うことは可能ですか?」

「祖父に、ですか?」

「えぇ。『狭間』にいる女性の霊に、できるだけ詳細な事情を説明した上で、適切な対応を取りたいので」

「はぁ、そういうことでしたら……」


 腑に落ちない表情ながらも、勲さんは了承した。



 正式に契約を結び、勲さんを見送るころには、午後四時半を過ぎていた。

 しかし玄関を開けた途端に外から熱風が吹き込んできたので、まだまだ気軽に出歩ける気温ではないようだ。


 扉を閉めて真っ先に、僕は頭を下げた。


「先生、すいませんでした」

「いや、いいよ。こういうこともあるさ」


 返ってくるのは、いつも通りの緩い笑顔だ。

 百花さんがテーブルの飲み物を片付けながらまったり言う。


「『狭間の世界』から現世うつしよに戻る時とか、あたしも目撃されてまったことあるよ。咄嗟にイリュージョンの練習のフリして誤魔化したっけ。うふふ、懐かしい」

「そういや俺も、タイムリープを繰り返して恋人の死を阻止しようとする人のフリをしたことがあったわ。あの時はさすがに焦った」

「いや、あの……」


 フォローされればされるほど、罪悪感がじわじわ募る。


「今日あの店に行ったのって、カイコさんの手伝いのためだったわけじゃないですか。先生のおつかいとかじゃなくて。だから、本当なら自分で解決すべきでした」


 二人は顔を見合わせた。


「まぁ、いいんじゃない? 今回は下手したら通報されてまう可能性もあったし」

「そもそも君が俺の助手だったもんだで、カイコさんに仕事を頼まれるようになったんだ。別に何もおかしいことないでしょ」


 うっかりちょっと泣きそうになる。

 気持ちが少し軽くなったおかげで、僕はようやく重要なことを切り出した。


「あの、カイコさんのことなんですけど。今日、結局会えんかったんですよ。品物の手入れをしたいでって呼ばれて行ったのに、店におらんくて」

「おらんかった?」

「はい。あのブローチだけは店にあったんですけど。店内でカイコさん探しとったら、階層が揺らいだんですよね。勲さんがシャッターに触ったせいかもしれません」

「勲さんが店に近づいて来るのが分かったで、姿を眩ましとったとか?」

「あぁ、確かにそれはあり得ますね……僕、慌てて外へ出て、うっかりブローチ持ってきてまいました」


 僕はソファの横に置いてあった鞄から蝶のブローチを取り出す。改めて手に取っても、やはり何の気も感じない。


 そして僕は、大変なことに気付いた。

 鞄の脇で萎れている白いレジ袋を、恐る恐る覗く。


「うわぁ、しまった」

「どうした? 服部少年」

「完全に溶けました……」

「溶けた? 何が?」

「八丁味噌アイスです」


 どんな味か、楽しみにしていたのに。




 午後五時。


「よし、今日は飲みにいこ!」


 百花さんの提案によって早々に事務所を閉め、僕たちは近くの飲食店へ赴いた。

 『世界の丘ちゃん』。日本国内のみならず、今やタイや香港にまで進出している、その名の通り世界に誇る名古屋の居酒屋チェーンである。

 まだまだ外は明るく、蒸し暑い。

 平日の早めの時間帯ともあって、店内は空いている。


「とりあえず生二つ。と?」

「あっ、じゃあジンジャーエールで」


 飲み物に加えて、百花さんがてきぱきと食べ物を注文してくれた。

 すぐにドリンクが運ばれてくる。


「乾杯!」


 グラス同士がカチンとぶつかる。

 百花さんは一気に半分まであおり、ぷはぁと息を吐いた。


「あー、おいしっ」


 弾ける笑顔。上唇に白い泡のひげ。そのままCMになりそうだ。

 アルコールでなくとも、キンキンに冷えたジンジャーエールは火照った身体に堪らなく染みる。


 続いて、山盛りの手羽先、どて煮、味噌串カツ、枝豆、サラダがテーブルに並んだ。


「あ、サラダはセルフでよろしくねぇ」


 取り分けるべきかと思っていたけれど、そう言われたので僕は遠慮なく料理に手を伸ばした。


 まずは手羽先。

 箸袋にある『おいしい手羽先の食べ方』のイラストに従って、くの字に曲がった部分で捻って二つに千切る。大きい方の身を齧りながら引っ張れば、すぽっと綺麗に骨だけ抜けた。

 タレの甘辛さが先に来て、噛み締めるほどに胡椒が効いてスパイシー。かなり塩辛くていくらでも食べられそうだけれど、飲み物が欲しくなる。

 あぁ、そうか。だから人はビールを飲むのか。


 早々に一杯空けた百花さんが、店員を呼び止めてレモンサワーを追加注文した。

 横から先生がウーロン茶を頼んでいる。


 どて煮は、牛すじや豚のモツを味噌で煮込んだものだ。トロッとして甘い煮汁がよく絡んで、こってりした味付けの。

 串カツは衣がよく揚げられて香ばしく、そこに濃厚な味噌ダレがしっかり滲みて美味い。

 いずれも濃い味。酒が進むというのも、何となく分かる気がした。


 学生と思しき団体客がどやどやと店内へ入ってきて、急に騒がしくなる。

 いつの間にか周囲にお客が増えている。外国人の姿もちらほらあった。


「ずっと気になっとったんですけど、僕、勲さんに見覚えがある気がするんですよね。どこで会ったんだったか思い出せんのですけど」

「え、そうなの?」

「俺は面識なかったけどなぁ」


 先生は枝豆を摘まみながら言った。


「それにしても、カイコさんの状態もちょっと心配だよな」

「あたしが行った時は元気そうだったよ。一週間くらい前だったかなぁ。……あっ、すみませーん! ハイボールお願いします」


 百花さんの酒のペースが早い。また気を遣わせてしまったと思っていたけれど、彼女自身が楽しんでいるなら良かった。

 賑やかな周囲の空気に反して薄っすら纏わり付く不安を、僕は言葉にしてみる。


「僕、こないだカイコさんから変なこと言われたんですよ。『樹神探偵事務所の壁になりたい』って」

「えっ……何それ、すごい嫌」

「むしろ平常運転なことない? これで神格化されたら腐女神ふじょしんだわ」

「掛け算の神か……」


 しまった、伝える情報のチョイスを完全に間違えた。


「えぇと、違うんです、大事なのはそこではなくてですね……」


 僕はカイコさんの壁発言の経緯について、改めて順を追って説明した。

 力を使い過ぎて、一時的に実体化できなくなったこと。

 魂だけの存在にとって未練は力の根源だから、何か未練を作りたいと言っていたこと。

 元々、生前の記憶がないこと。


 店内のざわめきが、会話の切れ間に滑り込んでくる。

 百花さんが軽く俯いた。


「あの時カイコさんの姿が見えんくなったのって、あたしを助けるのに力を使ったせいだったんだ。前より力が弱なったって言っとったのに、無茶なことさせた……」

「いや、それは俺とカイコさんとで『契約』してやったことだでさ。百花さんのせいじゃないよ。問題は、カイコさんが未練を思い出せんってことだろ。そもそもなんで幽体であの店の『狭間の世界』におるのか。勲さんのお祖父さんから、何か聞けりゃいいけど」


 僕はようやくピンと来た。


「お祖父さんに話を聞きに行くのって、そのためなんですね」

「そうだよ。『神さまがおる』って言っとったくらいなら、お祖父さんは何らかの形でカイコさんを認識しとったってことでしょ。あの店に棲み付いとる幽霊と、店主だった人物。かつては同じ空間を共有していた二者だ。カイコさんのことだで、相手を名前で縛って何らかの『契約』をすることもできただろう。あるいは店主からの依頼によって、あの店でを続けるよう『契約』を結んだ可能性もある」

「じゃあ、カイコさんの力が弱なったのは、その『契約』の満了が近づいとるでかもしれんってことですか?」

「現段階では憶測でしかないが」


 先生はウーロン茶を一口飲む。


「ひとまず、両方から話を聞くべきだな。勲さんのお祖父さんと話す前に、カイコさんに会っといた方がいい。『契約』の引き継ぎができるんなら、その方法も確認しときたいでさ」

「ほんなら、あたしが引き継ぎたい。秋からお店始めるし、ちょうどいいでしょ」

「僕、明日にでももう一回行ってきます。ブローチも返さんとかんし」


 例え『懐古堂』が取り壊されても、カイコさんは新たな『場』を得られるはず、と。

 この時は三人とも、割と楽観視していたと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る