3-5 血の鎖とおしるこサンド

 モノが『念』を発する原因は主に二パターンあると、樹神こだま先生から以前教わった。

 一つは、モノの内側から生じた付喪神の魂がそれである場合。

 もう一つは、誰かが外側からモノに『念』を込めた場合。

 カイコさんによれば、今回は後者のケースということのようだ。


「こりゃあちょっと厄介だねぇ。『鏡の向こう側』にまで干渉できる『念』を発しとるってことは、この中に吸われた誰かの魂が悪霊化して定着しとる可能性が高いわ。先にその魂を無力化してから、万華鏡を処分する必要がある」


 百花もかさんが片手で口元を覆う。


「えっ……既に魂吸われた人がおるってことですか? なんで祖父はこんなものを……」

「捨てるでも燃やすでもなく、何か封印しんとかん事情でもあったんだら。見たとこ、戦後に量産されたタイプの万華鏡じゃんね。ところどころ千代紙の切れ端みたいなので継ぎ接ぎされとるわ。霊気を宿しやすい材質の紙だよ」


 ただの万華鏡を誰かが加工したことで、特殊な力を持つようになったということか。


「この柄、うちにある和紙人形の着物と一緒でした。亡くなった祖母が心霊関係の仕事の一環で作っとったものみたいで。だで、祖母が補修したものなんだろうと思いますけど……」

「百花ちゃんのお祖父さんとお祖母さんって、元々親戚同士だったことない?」

「そう、イトコ同士だかハトコ同士だかで結婚したんですよ」

「えぇっ⁈ そうなんですか⁈」


 僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。思わず先生と百花さんの顔を見比べる。

 完全に頭から抜け落ちていたけれど、ハトコ同士なら問題なく結婚できるのだ。


 百花さんが苦笑しながら言う。


「うちの血族、そんなんばっかだよ。昔なんか特に、の家の娘は嫁の貰い手がなかったみたい。の子供が生まれるって噂されてね。血の近いところで結婚するもんで、生まれた子は更に血が濃くなる」

「確か百花ちゃんのお母さんも、異能が相当強く出とったって……」

「うん……そうだったみたいですね」


 過去形。百花さんのお母さんは、もうご存命ではないのか。


 樹神こだま先生が肩をすくめる。


「家系的に除霊や霊媒で生計立てとる人も多いもんで、むしろ血族内での婚姻を良しとする空気があるよな……」

「だねぇ……」


 ハトコ同士の二人は、よく似たトーンでそうこぼした。思いのほか闇が深そうだ。昔あまり仲良くなかったというのは、その辺りに理由があるのかもしれない。


 僕は素朴な疑問を口にする。


「百花さんのお祖父さんも、除霊関係のことをやっとったんですか?」

「ううん、祖父はそこまで強い異能じゃなかったの。ああ見えて昔は電力会社勤めだったんだよ。伊勢湾台風の時には電気の復旧作業に駆り出されて、何日も家を空けとったんだって」

「へぇ、伊勢湾台風っていつでしたっけ?」

「昭和三十四年だよ。それで祖父が留守にしとる間に祖母が倒れて、そのまま亡くなったって聞いた。まだ母親が小さかったもんで、祖父は会社を辞めて、個人で小口の電気工事の下請けをしながら駄菓子屋を始めたの」

「そうだったんですか。お祖父さん、ショックだったでしょうね」


 そこで、はたと気付く。


「あれ、ちょっと待ってください。伊勢湾台風……嵐……?」


 先生が後を継ぐ。


「ちょっと事実を整理しようか。万華鏡には百花さんのばあさんが補修または加工したらしき形跡がある。ばあさんは伊勢湾台風の混乱期、じいさんの留守中に倒れて亡くなった。万華鏡に吸われた人間の魂は嵐の音を発する『念』を放っている。それはじいさんの手によって封印されていた……ここで一つの仮説が導き出せる」


 つまり。


「祖母が自分で加工した万華鏡に魂を吸われて、身体に戻れんくなって死んだ? ほんで『念』を発しとるんなら……自殺とかの可能性もあるってこと?」

「まだ断定はできん。あくまで仮説だよ、百花さん」

「何にせよ、この万華鏡の『念』は、あたしの祖父母に関連したものなんだろうね。あたしと魂が通じたのも、血縁のせいかな」


 百花さんは小さく息をつくと、顔を上げた。


「良かった。何も知らんままの方が怖いもん。どんな事情があったのか、ちゃんと知りたい。この『念』はあたしの手で祓うわ」


 長い睫毛の影が震えていた。だけど、瞳には確かな光がある。

 凛とした、しかしどこか危うげで儚い横顔。ぼうっと眺めていたら、不意に視線がこちらへ向いて、心臓が跳ねた。


「悪いけど、服部くんも手伝ってまえる?」

「もっもちろんですっ」


 食い気味に即答すれば、いつも通りのふんわり柔らかな笑みが返ってくる。……頑張ろう。


 先生が手を叩く。


「じゃあ、まずは手順を決めよう。カイコさん、万華鏡の中にある魂を取り出すのは難しいです?」

「うーん、『鏡の向こう側』に逃げられたらまず無理だね。『念』も取りこぼす可能性が高いと思う」

「であれば、我々が万華鏡の中に入るのが確実ということか」

「がっつり相手の腹ん中だに。いっつも服部くんがやっとる憑依の逆みたいなもんだわ。魂だけじゃ危ないよ」

うつし身ごと入れませんか」

「よくぞ聞いてくれた、もちろん行けるよ。ここはあらゆる異界に通じる『狭間の世界』かつ、特殊なモノの扱いには定評のある私のテリトリーだでね」


 にぃっと笑うカイコさんが頼もしい。


「悪霊と対峙することを考えると、複数で行くべきだ。俺と、当事者の百花さん。だが百花さんは万全の状態じゃない」

「そうだねぇ、申し訳ないけど」

「となると、服部少年にもついてきてまった方がいい」

「三人で……?」

「この面子なら何とかなるだろ」


 これまでの鏡の案件を思い出す。毎回、僕がこちら側で待機をしていた。先生が間違いなく戻ってこられるようにするためだ。

 先生のスマートウォッチの電波や百花さんの香など、通常使用する命綱はいくつかあるけれど、はたしてそれで用が足りるのか。


「ひとまず先に、現世うつしよのものをお腹に入れとこっか。今日のおやつはこれだよ」


 百花さんが手荷物から取り出したのは、『おしるこサンド』だ。

 スーパーなどで気軽に買える、お馴染みのお菓子である。餡子を硬めのビスケット生地でサンドして焼き上げた三層構造のクッキーで、素朴な味わいがある。


「百花さん、あれだけ消沈しとったのに、おやつはしっかり用意しとったんだな……」

「どんな時でもマイペースを維持するのは大事でしょ。ほら、服部くんも好きなだけ食べやぁよ」

「ありがとうございます、いただきます」


 封を切ったばかりのパッケージの袋の中には、個包装のおしるこサンドがたくさん詰まっている。そこから二つ三つ掴んだところで、カイコさんと目が合った。

 瞬間的に閃く。


「カイコさん、僕と契約しませんか?」

「ん? どしたの突然。魔法少女にはならんよ」

「違いますよ。糸です糸。カイコさんの糸を貸してほしいんです。万華鏡の中に入る時、糸を僕の身体のどっかに巻き付けといたら、命綱になりますよね」

「あぁ、なるほど、そうだね」


 あの糸ならば視認もできるし、目印としてうってつけだろう。


「もちろんタダでとは言いません。交換条件です。契約なので」

「うん、どんな?」


 僕はおしるこサンドを高らかに掲げた。


「これを一緒に食べましょう。また僕の中に入っていいですよ」


 しばしの静寂。

 カイコさんが、何とも言えない表情のまま口を開いた。


「樹神くんよ」

「何ですか、カイコさん」

「君の助手は天然かや」

「天然ですね」

「かっわいいな」

「ここまで来ると少々あざとい感じもありますが」

「でも天然なんだら?」

「天然ですね」


 あれ。僕としてはそれなりの駆け引きのつもりだったんだけれど。

 カイコさんが、ふっと頬を緩めた。


「いいよ、糸くらい。というか、普通に頼んでくれても全然良かったに……ふふっ……いっつも仕事手伝ってまっとるでさ……ふふふ」

「そもそも俺もカイコさんに命綱を頼むつもりだったしな」

「あっ、そうだったんですね……」

「でも、せっかくだで『契約』しよっか、服部 はじめくん。ふふっ」


 何か僕がただ『契約』って言ってみたかっただけの人みたいになってしまった。シンプルに恥ずかしいし、冷静に考えるとあながち否定もできない。

 カイコさんに憑依されて味わうおしるこサンドは、いつも通り香ばしく優しい甘さで、骨身に染みた。


 おやつタイムでひと息ついた後、改めて万華鏡と向き合う。

 先生が言った。


「万華鏡を覗いたら中に引き込まれる。各自、身体と魂が分離しんよう気張るように」


 百花さんはどことなく気怠げに煙管キセルを燻らせている。薄荷ハッカのような、すっと鼻に抜ける匂いが辺りに漂う。


「気を整えやぁね。呼吸は大事だよ」


 言われた通り、鼻から吸って口から吐く呼吸を何度か繰り返す。臍の下、丹田に良い気を溜めるイメージで。香の煙の効果か、身体の感覚と自意識とがしっかり重なった。


 カイコさんが僕の正面に立つ。


、服部 はじめくん。私の糸を君にゆわえる。期限は、君がここに戻ってくるまで」


 ひゅっと、気を吸い取られる感覚。

 カイコさんの窄めた唇から、細く白い糸が吐き出された。淡く光を放つそれは、僕の右手の小指へと巻き付く。反対側は、カイコさんの右手の小指に。


「これで絶対に切れんでね」

「ありがとうございます。心強いです」

「いいのいいの。おしるこサンド美味しかったでさ」


 先生がポケットから懐中時計型スマートウォッチを取り出した。それをスマホと両手持ちして、互いの通信状態を確認する。


「よし、電波は問題ないな。GPSの測位も正確。それじゃ、そろそろ行くか。俺が先頭だ。全員で手を繋いで」


 スマホはカウンターに置き、懐中時計は元通りポケットへ。そして先生は、さっと百花さんの手を取った。

 百花さんが差し出してきたもう一方の手を、僕は少し躊躇ためらってから握る。ほっそりと華奢で、柔らかな手だった。


「気を付けなよ」


 僕の小指に繋がった白い糸が、カイコさんの手の動きでふわふわと揺れる。


「よし、準備はいいな」


 先生が万華鏡を缶から取り出した。纏わり付く『念』がワイシャツの腕を這っていく。それが肩へと達する前に、先生は万華鏡を覗く。

 次の瞬間。

 ひゅうっと、身体の芯の嫌なところを直接引っ張られる感覚に襲われた。

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