3-4 女神の翳り

 僕が初めて『懐古堂』を訪れてから、早三ヶ月。

 あれから何度か憑依の必要な案件があった。その度に我が樹神こだま探偵事務所はカイコさんから委託を受け、モノに宿った魂の『念』を浄化した。

 『たつぼ』の次の案件では憑依の最中に少し自我がブレたものの、以降は自分をしっかり保ったまま記憶を読むことができている。

 第三者的ではなく、かと言って呑み込まれるわけでもなく、相手の視野に重なりつつもクリアな僕自身の意識で。

 慣れるものである。


 大学の弓道部に入った影響も大きいかもしれない。

 百花もかさんにもらった呼吸のアドバイスを踏まえて、心身の均衡を保つ訓練をすることが有用に思ったのだ。

 人付き合いや飲み会も、心配していたほどではなかった。自分の領域をしっかり確保して、気持ちの揺るがない距離を維持しながら何とかやっている。


 浄化の業務委託以外の時でも、僕はちょくちょくカイコさんの日常業務を手伝っていた。

 『狭間の世界』にある店で過ごすことで、基礎的な精神力が強化されたようにも感じる。運動部の高地トレーニングみたいなものかもしれない。



 先生とうどん屋で昼食を摂った翌日も、僕は『懐古堂』で梱包作業を行っていた。


「へぇ、人の魂が鏡の中にねぇ。そんなことが連続で起きるのは確かに妙だわ」


 一連の事件のことを話題に出すと、カイコさんは神妙に頷いた。


「鏡って、ただでさえ霊的な力を集めたり跳ね返したり、異界と繋がりやすかったりするでね」

「三種の神器の一つも鏡ですもんね。天照大御神あまてらすおおみかみ天岩戸あまのいわとから出てきた時、目の前にあった八咫鏡やたのかがみの反射で世界に光が戻ったっていう」

「さっすが、よぅ勉強しとるね。鏡は力を増幅させるものとしても象徴的なアイテムなんだわ」


 カイコさんはそう言って、メロカリを通じて注文の入っているアンティークの手鏡を古新聞で包む。僕はそこへプチプチの緩衝材を巻き付ける。


「特に古いモノは力を持ちやすくなるでさ。商品にも魔除けのまじないはしとるけど、絶対じゃないじゃんね。護りの力が外れた反動で予想外に強い力を持つケースもあったりする」


 ダンボールの中にも可能な限りの緩衝材を詰め込んで、梱包終了だ。


「何にしても百花ちゃんのことは気になるね。樹神くんが行っとるんなら大丈夫か。あの子んた、昔はそんなに仲良くなかったと思うけどね」

「え、そうだったんですか? 今よく一緒に仕事してますよ」

「二人とも知らん間にすっかり大人になったわぁ。なんか、どえらいババアになった気分」

「どうツッコんだらいいんですか。そういや先生から連絡ないんですよね。何事もなかったならいいんですけど」


 噂をすれば何とやら。

 僕が荷物の配送のために店を出てコンビニへ向かっている道すがら、先生から着信があった。


『服部少年、まだカイコさんとこにおる?』

「今おつかいの途中ですけど、また戻りますよ」

『じゃあ、そのまま店におってくれ。今から行くわ』


 『懐古堂』に戻り、約三十分後。

 先生が、百花さんを伴ってやってきた。

 いつも通りスーツベスト姿の先生と、今日は白黒格子柄のカジュアルな着物の百花さん。こうして並び立っていると、美男美女で似合いの二人である。

 百花さんが姿を見せたことにはホッとしたけれど、何となく顔色が良くない気がした。


「突然すいません、カイコさん」

「いいよー。どしたの?」


 硬い表情の先生が、手にした紙袋からあるものを取り出した。

 ペンケースほどのサイズの細長い四角の、古そうなお菓子の缶。蓋部分に御札みたいな紙片が何枚か貼ってある。

 まるで何かを封じてあるかのような小さな缶は、その状態ですら異様な気を孕んでいる。


「これは?」

「あたしの、亡くなった祖父の部屋から出てきたものです」


 百花さんの声は、いつもより弱々しい。


「百花ちゃん、座りん。えらそうだに」

「……すいません」


 勧められた椅子に腰を下ろした百花さんは、先生から缶を受け取り、御札を剥がした。


「これを、カイコさんに見てまいたいんです」


 蓋が、外される。

 中に収まっていたのは、一本の万華鏡だ。駄菓子屋や古い玩具店に置いてあるような昔ながらのよく見るタイプのもので、一部に柄の違う紙が貼られている。

 そして、肌にビリビリ触れる『念』を発していた。


「葬式の一週間後くらいに見つけたんですけど……」


 曰く。

 缶に元々かかっていた封印の効力が切れかけたことで、漏れ出た『念』が百花さんのに引っかかった。術を施したお祖父さんが亡くなったため、解けてしまったのだ。

 お祖父さん本人から最後の警告の思念を受信した百花さんは、結界を張った上で中身を確認し、再封印の処置を行った。


「でも、そこから時々妙な夢を見るようになって。毎回おんなじ内容です。嵐の音が聞こえた後、気付いたらキラキラしたカラフルな世界にいる夢……ちょうど万華鏡の中に入ったみたいな」

「えっ、それって……」


 どういうことなのか。

 僕の視線に、先生が応える。


「一連の鏡の事件に、この万華鏡が関わっとることは間違いない。これまでは護りの封印があったもんで何も起こらんかったが、それが消えたことで『念』が解放されてまったらしい」

「それでどうして、近場にある他の鏡に異変が起きるんです?」

「……ごめん、それ、あたしのせい」

「えっ?」


 百花さんは軽く目を伏せる。


「気付かんかったんだけど、寝とるうちにちょっとずつ気を吸い取られとるみたいなの。その影響で、万華鏡の中にある三面鏡が『鏡の世界』への連絡通路に変じたんだと思う。だで、閉じた筒の中に留まっとった『念』がに波及したみたい」

「なんでそんなことに?」

「あたし、元々意識の境界線が揺らぎやすいんだわ。今と前世とか、現世うつしよ幽世かくりよとか」

「それで鏡の境界も揺らいだ……」


 鏡には力を増幅させる効果がある。よもや、こんな形で。


「俺が昨日行った時、百花さんは『念』の影響でぼんやりして軽く酒にでも酔ったような状態だった。それでも正気を保っていられたのは、適切な再封印と結界の香のおかげだろう」

「ごめん……まさか鏡の向こう側でこんなことになっとるとは思わんくて。依頼品じゃなくて祖父の遺品だし、時々自分が変な夢見るくらいで大した実害もないだろうって、対応を後回しにしとったの……完全にあたしの判断ミスだわ」

「危機感覚が鈍ったのも『念』のせいだよ。そもそもこんな風に『念』が拡がるなんて、予測は不可能だ」

「それでも」


 百花さんは膝の上で拳を握った。頬はいっそう白く、血の気が薄い。


「被害に遭われた方がみえるんだもん。何の言い訳も立たんわ」


 昨日の電話で百花さんの様子がどことなく普段と違うように感じたのも、彼女が『個人的な相談』『大したことじゃない』と言っていたのも、そういう訳だったのだ。


「鏡に魂吸われた人たちの事件は俺と服部少年でちゃんと解決した。後はこの万華鏡の『念』を浄化しやいい。大丈夫だ」

「……ごめん、ありがとう」

「何、お互いさまだ。むしろ百花さんの役に立てるなら光栄だよ」


 先生の気障なセリフに、百花さんはやっと少しだけ笑った。


 一方で、僕の頭には疑問がいくつか。


「百花さんは自分の結界の中で缶を開けて、すぐに封印し直したんですよね? それでも気を吸われるものなんですか?」

「いや、レアケースだよ。普通の『念』なら十分なはずだ。俺でもおんなじ処置をする。今回はなんでか百花さんの魂と繋がりができてまったみたいだな」


 繋がって、気を吸われると言えば。


「なんか、カイコさんの『契約』みたいですね」

「その手の縛りには真名が必要だ。百花さんに限って、名前で縛られるようなことは考えづらい」


 『百花』は本名じゃないと、前に本人から聞いたことがあった。


「百花さん、今は大丈夫なんですか?」

「うん、あたしなら大丈夫だよ。ありがとね」

「……魂の繋がりを断てんか、昨夜から二人でいろいろ試してみたんだが、無理だったわ」

「じゃあ例えば、この万華鏡を壊したり燃やしたりしたらいかんのですか?」

「それだと入り口が閉ざされるだけで、さほど意味はないよ。むしろ現世での依代がなくなると、『念』を発する原因ごとに逃げて被害が拡大する恐れもある」

「嵐の音がするっていうのも不思議ですよね。もしかして、万華鏡の回る音だったりします?」

「あたしも最初そうかなと思ったんだけど、感覚を拡張してしっかり聴いたら、びゅうって風の鳴る音もしたよ」


 じゃあ、何か嵐の関わる『念』なのだろうか。


「ここに宿った『念』って何なんですかね。これも付喪神の?」

「どうだろうな。それが分からんもんで、カイコさんの見解を求めにきた」


 僕たち三人の視線を受けたカイコさんは、しばらくじぃっと万華鏡を見つめた後で、おもむろに手に取った。立ち昇る『念』は、カイコさんの鼻先で弾かれる。


「んー……なるほど。百花ちゃんの処置は正解だったと思うよ。おかげで自宅の鏡には吸い込まれんかっただら。万華鏡に気を取られるのも最小限で済んどったはず。念のため聞くけど、これ、覗いとらんよね?」

「もちろん。触っただけです」

「そりゃあ良かった。もし覗いとったら、魂まるごと筒の中に取り込まれとっただろうね」


 カイコさんは万華鏡を缶の中に戻して、低い声で言った。


「これ、付喪神じゃないよ。この万華鏡は、覗いた人の魂を吸い込むように仕立て上げられた、呪いのアイテムだわ。中に宿っとるのは人間の強い『念』だ」

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