3-2 人の魂が鏡に吸われる連続怪異事件

 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。

 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 樹の神と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部 はじめ

 ここで樹神こだま先生の助手をしている、名古屋市内の国立大学に通う十八歳だ。


 これからご紹介するのは、人の魂が鏡に吸われる連続怪異事件の話。

 古い万華鏡に宿った『念』は、それにどう絡むのか——。



 ◇



「どうも、お世話になりました」

「いえ、お役に立てて何よりです。またお困りごとがありましたら、お気軽にご相談ください」


 七月のある休日の午前中。

 事務所の玄関で依頼人の母娘を見送ると、樹神こだま先生はそのままの気障な笑顔を僕にも向けた。


「服部少年もご苦労だった。それにしても、ここんとこ似たような事件ばっかだな」

「先月から、これで三件目でしたっけ。ちょっと多いですよね」


 最近、とある怪異事件が市内で連続して起きている。


「生きた人間の魂が、鏡の中に引き込まれる。頻発していい事案じゃない」

「魂が肉体と繋がっとるうちに戻さんと、いずれ死に至りますもんね」


 魂の抜けた肉体は昏睡状態に陥る。

 僕たちは鏡に引き込まれた被害者の魂を連れ戻し、元通りうつし身に収めることで、事件を解決していた。


 デスクに戻った先生は、懐から煙草を取り出して火を点けた。仕事の区切りの一服のはずが、思案顔のままで煙を一口、二口と燻らせる。

 だから僕は応接テーブルに残されたカップを回収し、先生のコーヒーを入れ直した。


「服部少年よ……こういう事件はうちに依頼してくるような人ならいいんだが、ただの原因不明の昏睡だと思われて亡くなってまうケースもあるんだろうな」

「そうですね。こんな非現実的な現象、霊感のない人は原因に思い当たることすらないでしょうし」


 一連の件も、最初の被害者に霊感があったこと、家族の目の前で鏡を覗いていて突然意識を失ったという証言があったことで、魂の行方に目星が付けられたのだ。

 その時は、まさかこんなに続くとは思ってもいなかったけれど。


「依頼のあるたびに呼び出して悪いね。部活入ったんだろ、弓道部。練習もあるだろうに」

「夏休み中の全体練は週一なんで、大丈夫です。二人おらんと解決できんタイプの案件ですしね」


 鏡の奥に閉じ込められた魂を救い出すためには、ちょっとややこしい手順が必要だ。

 まずは異界への連絡通路である『狭間の世界』の階層へと移動する。

 そこで『合わせ鏡』をすることによって、『鏡の向こう側の世界』へ行くための回廊を作り出すのである。


 鏡の向こう側へ行くのは先生だけだ。僕は留守番をする役目。

 鏡の世界から元の世界へ自力で戻るのは難しい。だから僕があちらとこちらを結ぶ通路に気を流し込み、帰り道を示す必要があるのだ。


 そもそも鏡というのは、古代から霊的な力を持つとされるアイテムだ。三種の神器の一つでもあるし、いろんな怪談のネタにもなっている。 

 また、僕たちが調査の手段として行っている『合わせ鏡』にも、「悪魔を呼ぶ」「自分の死に顔が見える」などのさまざまな都市伝説が存在する。

 実は昨年の秋にも、鏡の絡んだ案件を受けたことがあった。その時は、鏡の向こう側に依頼人を呪う存在が巣食っていた。


「これだけおんなじ事件が連発で起きとって、まさか偶然ってことはないですよね」

「どの入り口から入っても、『鏡の向こう側』は繋がっとるでな。市内近辺の『向こう側』に何かあるのかもしれん」

「今のとこは何も見つかってないですよね、生者の魂を引き込んだ原因」

「そうだな、俺が見た限りでは」


 先生は、伸びてきた煙草の灰をレトロなガラスの灰皿にとんと落とす。


「ひとまず、これまでの事案を整理しよう。まずは被害者の特徴だ。一件目は五十代女性。二件目は二十代男性。そして先ほど帰られた三件目のお客さんは女子中学生。年齢も性別もバラバラだ。三件ばかじゃ母数が少なすぎて断定はできんが、老若男女問わず起きとることは確かだな。この三人の共通点は……」

「霊感があること、ですね」

「あぁ、そうだ。もっと言うと、受信傾向の体質だってことだな、君とおんなじで。だがさっきも言った通り、うちに相談に来る時点で霊的な素養や関心があるってことだろう。潜在的な被害者がどうなのかまでは分からん」


 しかし三人全員が受信体質だというのは、有意であるような気がする。


「次に、その現象が発生した時の状況だ。当然ながら三人全員が、鏡を見とった時だった。そして証言の一致するのが、『意識を失う直前に風雨の吹き荒れるような音がした』ということ」


 嵐の音。


「つまり、その音を受信したせいで引き込まれた、と」

「恐らくそういうことだろうね」

「鏡から音がするっていうのも、何かちぐはぐな感じですね」

「音の形を取る『念』は存在する。そして鏡は出入り口であり通路でもある。『念』が通路を抜けてきたと考えや、可能性は大いにあり得るよ」

「なるほど」


 先生はまた煙草を一口吸って、ふぅっと吐き出す。


「気になるのは、魂が鏡の中に囚われとった時に被害者が見た『夢』だ。曰く、そこは辺り一面がキラキラした極彩色で、ひどく心惹かれる楽しい場所に思えて、ずっとそこに留まりたい気分になった、と。これも三人の話は一致する」

「何かハッピーなお薬でも使ったような感じですかね」

「悪意を持った霊的存在が、引き込んだ魂を留めとくために良い夢を見せたのかもしれんな」


 煙草の先が押し潰される。空いた手が、今度はスマホを取った。


「俺んとこだけで三件。さすがに気になるもんで、市内の除霊師のLIMEグループで訊いてみたんだわ。そしたらやっぱり、先月後半以降ちょいちょい似たような案件があったみたいでな。そこで、だ」


 先生は本棚から名古屋市内の地図を取り出し、机の上に広げた。


「発生場所をマークしていこうか」

「位置関係から何か分かるかもしれませんね」


 まずはうちの事務所で受けた分を、点で記す。改めて見ると、この三件は割と近接地域で起きていた。

 先生が同業者から得た情報を元に、他の案件の点も追記していく。

 六件目、七件目……と、点が増えるうちに僕は気付いた。


「あれ……全部、近場で起こっとるんですね」

「中村区だな。まぁ、この辺は日頃から『場』になりやすい区域だでな」


 名古屋駅の西側に位置する中村区は、大正時代に遊廓のあったエリアだ。大須の旭廓あさひくるわから移転した花街で、昭和の初めにかけて栄えたらしい。

 戦後は日雇い労働者のたむろするドヤ街となり、非公認の売春が横行する赤線地区にもなった。

 現在もあまり治安の良いイメージではないし、ゆえに陰の気を放つ霊もうようよしている。


 先生がマークした十個ほどの点は、全て中村区内に集中していた。それは一つの円の中に収まりそうにも思える。

 僕は天啓のように閃いた。


「先生、これ……! この点と点を繋いだら、もしや何かの魔方陣になるんじゃないですか? 引き込んだ魂を人柱にして、呪いの儀式を行うのかも」


 少しの間の後、呆れた視線が僕へ向く。


「……君さ、確か前も似たようなこと言っとったよね」

「えっ、違いますかね」

「漫画の読み過ぎだわ。もっとシンプルに考えやぁ。この円の中心に原因が存在しとる可能性のが高いでしょ」


 円の中心部に存在する術者が、自分の周囲に魔方陣を作り出そうとしている可能性も捨てきれないのでは。

 そう反論しようとして、僕は口を噤んだ。

 なぜなら——


「おや、これは……」


 一連の事件の中心部。

 それは、名古屋駅の西側から東へと伸びる『駅裏通商店街』の中の、とある駄菓子屋だった。


百花もかさんの家だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る