2-4 何が足らないのか

 瀬戸市周辺での焼き物生産の始まりは五世紀後半、古墳時代にまで時を遡る。

 瀬戸焼の起源は、須恵器すえきを造っていた猿投窯さなげよう。現在の名古屋市東山の丘陵地帯の地層から、良質な焼き物の原料を採取することができたのだ。

 『瀬戸』の名の由来は、谷と谷が向かい合わせの狭い土地を表す『狭戸』、猿投山の裏手に当たることから『背戸』、などといくつかある。一説によれば、『陶所すえと』が転じて『瀬戸』と呼ばれるようになったとも言われている。


 瀬戸窯せとようの開始は十世紀後半、平安後期。

 鎌倉時代に入ると、宋から伝えられた技法により古瀬戸の製造が始まり、瀬戸の焼き物は陶器としてその地位を確立する。

 安土桃山時代には織田信長が瀬戸焼の保護政策に乗り出し、生産量が増加する。これにより、瀬戸の焼き物を『瀬戸物』と呼ぶことが定着した。


 九州・肥前の有田焼に押されて生産量が減少した江戸時代。

 肥前国へと渡り、日本初の磁器である有田焼の製法を学んで瀬戸焼に取り入れたのが、加藤民吉だった。

 以降、瀬戸は再び『焼き物の街』として復活を果たす。瀬戸焼は、陶器から磁器へ進化を遂げたのだ。

 そんなわけで、民吉は今も『磁祖』として瀬戸の街で崇められている。


 なお『陶器』は『土もの』と呼ばれ、目には見えない無数の空気穴が空いており、やや吸水性がある。

 一方の『磁器』は『石もの』と呼ばれ、とても丈夫で薄くても割れにくい。表面はガラスのような滑らかな質感で、吸水性はほとんどない。


 ……というのが、僕が瀬戸物の歴史について調べたことだ。


 今回の案件に絡め、考えられるのは。

 焼き物の製造技術が上がり、磁器が普及してからは、陶器はあまり使われなくなっていったのではないかということ。くだんの茶壺のような古瀬戸ならば、尚のことだ。

 加えて、吸水性のこと。雨の日にのみ『声』をする茶壺の魂は、湿気を知覚している可能性がある。




 ——足らぬ……足らぬ……足らぬ……


「なるほど」


 場所は大須、『懐古堂』。

 夕暮れ色のペンダントライトが照らす店内で、樹神こだま先生は腕を組んで例の茶壺を見下ろしていた。

 木箱から出され、床に広げた新聞紙の上に鎮座したそれは、相変わらず不気味な声を発している。

 やはり雨の日の今日。『狭間の世界』であるここには、現世うつしよの雨音は届かないけれど。


「確かに負の『念』は感じますが、何を要求しているのかは判然としませんね。服部に憑依してもらう前に、現状得られる情報から原因を推察しておいた方がいいでしょう」


 先生の言う通り、その方が僕としても心構えができる。


「雨の日に『足らぬ』と発する。この壺には、何かが足らない」


 カイコさんがさっと手を挙げた。


「はいっ」

「はい、カイコさん早かった」

「やっぱ酒じゃない? こないだ樹神くんが事務所で言っとった二つの逸話は、両方とも壺に酒を入れる話だっただら。雨の日に声を出すのは、湿気で水分を思い出すでかもしれん」

「その可能性は多分にありますね。酒や水であるならば、用意しやすい」


 僕も倣って、何となく挙手する。


「はい、服部少年」

「もしかして、中身じゃなくて蓋が欲しいのかもしれません。中に入れたものがこぼれんようにとか、ホコリとかが入って中のものと混ざらんようにとか。ほら、『茶壺には蓋がない』って童歌の手遊びにもありますし」

「依頼人の長江さん、これに茶葉を入れた時は木の蓋して、上から和紙被せて紐飾りで結んだみたいだよ。それでも駄目だったって」


 続く発言は先生だ。


「童歌と言やぁ。『ずいずいずっころばし』にも茶壺が出てくるな」

「あぁ、『茶壺に追われてとっぴんしゃん』って歌いますもんね」

「あれは江戸時代にあった『御茶壺道中おちゃつぼどうちゅう』の風刺歌だ。正式には『宇治採茶使うじさいちゃし』という。京都の宇治茶を徳川家に献上するための茶壺を運搬する、権威ある行列のことだよ。何人なんぴとも邪魔したら手打ちになるから、『茶壺が通る間は戸をぴしゃんと閉めてやり過ごせ』と歌ったのが『ずいずいずっころばし』だ」

「みんなそれぞれ拳を軽く握って輪の形にして、一人がそこに人差し指を差し入れてく遊びになってますね」


 僕はその手遊びの真似をして見せた。幼少期、教育テレビで見た覚えもある。


「実はこの歌には、別の解釈もあってな。ある説では、不純異性交遊の歌だとする見方がある。また、遊女と客との駆け引きの春歌だという説も。そうなると『茶壺』は女性器を示していると考えられるだろう。『壺』の原型である『つび』とはまさしく女陰を表す古語だし、その手遊びの動きもを暗示しているように見える」


 僕は思わず、輪を作っていた拳を解いた。


「つまり、この壺がその手のものを欲している可能性も」

「何を入れる気ですか」


 先生の悪い癖だ。普段は女性に対して気障に振る舞うくせに、一旦スイッチが入ると途端にデリカシーが行方不明となる。

 見た目は小洒落た伊達男でも、先生が全くモテないのは、こういうところが原因だろう。


 カイコさんは腹を抱えて爆笑している。


「いやぁ樹神くん、相変わらずだな!」


 昔からこうだったんだ。それはもうどうしようもない。

 我が師の作った妙な流れを変えるべく、僕は別方向からアプローチする。


「『足らぬ』って、『元々あったものがなくなった』ってパターンもありませんか? ほら、あの怪談の幽霊みたいに。お皿の数を『一枚、二枚……』って数えてって、最後に『一枚足らない』って言う女の人の」

「『皿屋敷』だな。奉公に出された娘が、主人が大事にしていた十枚の皿のうち、誤って一枚を割ってしまったという」


 『足らない』を繰り返すという点で、類似性がある。


「実は他にも同じ壺がいくつかあったけど、無くなったから『足らない』とか」

「あるいは、数を揃えて中に入れてあったものを誰かに盗られたか何かで『足らなくなった』という可能性もあるな」

「盗られた……お宝とかですかね。それをこの中に隠してあったとか?」

「お宝が何か分からんけど、古銭ならここにあるよ。入れてみよっか」


 カイコさんの白い手から壺の中へと変色した古銭がいくつか落とされ、ちゃりん、ちゃりんと音を立てた。

 すると。


 ——……らぬ……足……


「あれ、声が小さなった……じゃあ、お金が入っとったってことですかね」

「案外お賽銭みたいなものかもね。観光地のパワースポットなんかにも小銭が投げ込まれとるだら」

「あぁ、賽銭泥棒に遭ったとか。『壺神』として祀られとった壺もあるくらいですもんね。拝んだら何か変わりますかね」


 僕は試しに両手を打ち鳴らした。ぱぁんと音が弾けて、ここへくる前にお参りした寺院の清浄な気が流れ込んでくる。

 そうして、茶壺に向かってしばらく拝んでみたものの。


 ——足らぬ……足らぬ……足らぬ……


 あっさり元に戻った。

 先生が呟く。


「強欲か」


 カイコさんがぽんと手を打つ。


「強欲と言えば。カードゲームにそんな壺があったじゃんね。緑色で怖い顔の」

「それ、禁止カードなんで使えんやつですよ」

「むしろエリクサーでも入れたらいいかや」

「どのFFファイナルファンタジアシリーズでも逃げられて終わりです」

「服部くん、ツッコミのテンポがいいな」

「なんでそんなにサブカル詳しいんですか、カイコさん……」

「ほら私、結構長く死んどる生きとるもんで」


 何年死んで生きているのか。オープンなキャラなのに謎の多いひとだ。

 カイコさんの指先が、胸元にある蝶のブローチにそっと触れた。


「冗談はともかく。モノに宿る魂ってさ、持ち主に影響を受けやすいんだわ。丁寧に扱われれば良き魂が、乱雑に扱われれば乱れた魂が生まれる。道具を大切にすべしっていうただの教訓じゃなくて、実際にそうなんだよ。人間だっておんなじだら。優しくされたら、あったかい気持ちになる」


 八百万の神は、人間の生と共にある。人の在り方は、神なるものの在り方に連なる。

 すんなりと腑に落ちる。いつも行く先々の寺や神社で手を合わせているから。


「ほんだで、持ち主が『足らない』思いを抱えとったのかもしれん。ここに金を貯め込んどったのか、何があったか知らんけど」

「雨との関連性も分かりませんしね。やはり服部少年に憑依してもらうのが確実なんでしょうね」


 二人に視線を向けられて、僕は思わず身構えた。にわかに鼓動が足を速める。

 さっさと憑依させるのが手っ取り早いと、僕も分かってはいる。

 先生がいれば、万が一の時も引き戻してもらえるだろう。


 だけど、自分の魂が他の魂と入り混じり、境界線を見失う感覚——言うなれば自分が自分でなくなってしまう感覚が、とにかく恐ろしい。

 不安を自覚した途端、それは倍増する。

 よく知っている。この『狭間の世界』では、こうした心の揺らぎが命取りになり得ると。

 このままじゃ憑依なんてとても無理だ。


 先生に背中を叩かれた。


「まぁ、そう固くなりなさんな。今日は憑依のアドバイザーを呼んであるでな」

「アドバイザーって……」


 ちょうどその時。

 カラカラと軽い音を立てて、ガラス戸が開いた。

 雨の匂いと共に、まるでそよ風が吹き込むがごとく、甘く胸をざわめかせる独特の気が頬を撫でていく。

 僕は思わず、あ、と声を上げた。

 こんな気配を纏った人は、知る限り一人しかいない。


「ごめんください」


 柔らかで心地よい声に、視線が引き寄せられる。

 そこにいたのは、嫋やかに微笑む着物姿の美人。

 天の使いか、救いの女神か。

 僕は嘆息するように、その人の名を呟いた。


百花もかさん……!」

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