2-3 腐幽霊とエビフライサンド

「依頼品は、古瀬戸の四耳しじ葉茶壺はちゃつぼって種類のものだよ。十四世紀の初めごろ、つまり鎌倉時代の後期に造られた」

「鎌倉時代……ですか」

「うん。『古瀬戸』っていうのは、平安から室町時代にかけて瀬戸市周辺で造られとった陶器のことね。当時は中国から輸入された磁器を模倣したものが多かったらしいわ。『古瀬戸』は室町以前のものを指す。現代において『瀬戸焼』と呼ばれるものは、桃山時代以降のものを言う」


 カイコさんは小さく肩をすくめる。


「加藤民吉ゆかりの品って話だけど、民吉は江戸時代の人だもんで、時代が全然違うんだわ。木箱に入った銘も怪しい。まぁ雑な贋物掴まされたんだろうよ」

「なんでそんなに時代の違うものを民吉の壺だなんて言ったんでしょうね……」

「民吉『ゆかりの』ってのがミソかもしれんね。どうとでも話作れるわ」


 樹神こだま先生が小さく唸った。


「何にしても、相当に古いものなんですね。持ち主を全部辿るのは難しそうだ」

「瀬戸窯は日本六古窯にほんろっこようの一つじゃんね。古来の陶磁器窯で、現在まで生産が続く代表的な六つの窯をそう呼ぶんだけど。六古窯の焼き物は、高度経済成長期のころに骨董蒐集家の間で人気があったんだわ。依頼品と同じタイプの壺は、今もメロカリとかでも数万で出とるよ」


 そこまで珍品というわけではないらしい。

 僕は思い付いた疑問を口に出す。


「そういや、皿とか茶碗とかのことを『せともの』って言いますよね。それって瀬戸焼から来とるんでしたっけ。昔から全国的に有名なんですか?」

「桃山時代に織田信長が瀬戸焼を保護したことで、今で言うところの商標みたいなもんを得たんだよ。それで『瀬戸物』は陶磁器全般を指すようになった」


 固有名詞が一般名詞化したものは世の中に結構ある。『エスカレーター』や『キャタピラー』なんかもそうだったはず。


 先生が顎に手を添えた。


「瀬戸物で付喪神と言えば、『瀬戸大将』が有名ですね。江戸時代の浮世絵師、鳥山とりやま 石燕せきえんの妖怪画集の中に登場する、壊れた瀬戸物の器を寄せ集めた甲冑を身に纏った妖怪だ。ただし、この妖怪には何らかの伝承が存在するわけじゃない。浮世絵師が作り出したキャラクターみたいなものです」

「要は擬人化の一次創作ってことだら。日本人は昔っからそういうの好きなんだねぇ。そりゃ刀剣がイケメン化したり信長が美少女化したりするはずだわ」


 カイコさんが神妙に頷くので、僕は笑ってしまった。


「詳しいですね、カイコさん」

「刀剣のやつは私もやっとるよ。二次創作もビクシブで漁っとるし。今は何でもスマホでできるで便利だね」


 ビクシブ。確かBL中心のイラストサイトではなかったか。


 ふと、先生の湯呑みが空になっていることに僕は気付く。カイコさんの前にあるのも、長江さんに出したものだ。


「お茶、お代わり淹れてきます」

「あぁ、すまん。頼むわ」


 電気ポットで再び湯を沸かし、湯呑みをざっと洗ううちに、また素朴な疑問が湧いた。


「あの、先生。僕たちって、湯呑みにお茶を入れてますよね。で、茶碗にはお茶じゃなくてご飯を入れますよね。なんでですか?」

「あぁ、『茶碗』ってのは、もともと茶器として奈良時代ごろ日本に伝来したものなんだわ。鎌倉時代になって茶を飲む風習が広まるにつれ、碗型の陶磁器全般を『茶碗』と呼ぶようになった」


 くだんの古瀬戸の茶壺の時代とも重なる。


「その使用頻度に応じて、ご飯を盛る茶碗を『ご飯茶碗』、お茶を飲むための茶碗を『湯呑み茶碗』と呼び分けるようになり、省略されて今に至る」

「なるほど、用途によって呼び名を変えたってことですか。『茶碗』とはいえ、お茶を入れるものとは限らんかったんだ」

「それな」


 先生の人差し指が僕に向く。


「例の茶壺も、たぶん茶葉を入れられとったんじゃないんだろうな」

「少なくとも、茶葉が欲しいわけじゃなさそうですもんね」

「時代が変わりゃあ、道具の使い方なんかも変わってくもんだしな」


 『古瀬戸』から現在の『瀬戸焼』への変遷があり、骨董品として人気だった時期もある。

 やはりあの壺そのものの経歴を知らずには、念の正体も分からないだろう。


 僕は新たに茶を入れた湯呑みを二人の前へと置いた。


「どうぞ。まだあっついんで気を付けてくださいね。先生、ちょっと猫舌ですよね」

「え……なんで知っとんの、君」

「ずっと見とりゃ分かりますって」

「……君の観察眼は大したものだが、付喪神の魂を憑依させるんなら、先に知識を増やしといた方がいい。情報の解像度に関わってくるでな。というわけでカイコさん、ちょっと勉強のために数日いただきたいんですが……」


 と、視線を向けた先。

 カイコさんは片手で口元を覆い、妙に真剣なまなざしを僕たち二人に注いでいた。

 何か、背筋がゾクッとする。


「えぇと、カイコさん?」

「ハッ……私のことは構わんでいいで、どうぞ続けて」

「い、いや……とりあえず、後日伺いますんで……壺から『声』が聞こえるという雨の日に」

「アッ! そうだね! 私もそろそろ具現化のタイムリミットだし!」


 そうしてカイコさんは「フフッ」という不気味な笑みとブローチだけを残して、姿を消してしまった。


 カイコさんがいなくなるや、先生は懐から煙草を取り出す。黒い箱にインディアンの絵が描いてあるパッケージのものだ。

 先生は渋いデザインのオイルライターで煙草に火を点けると、溜め息のごとく煙を吐き出しながら苦々しげに言った。


「ほんと相変わらずだな、あのひとは……」


 眉間の皺に不快感が滲んでいる。

 さすがの僕も何となく察するものがないではないけれど、深く考えるのはやめておこうと思う。


「あぁ、そろそろ昼だな。メシ行くか。時間大丈夫?」

「四限目までに大学戻りゃいいんで、余裕ありますよ」


 先生が一本吸い終わるのを待って、僕たちは事務所を出た。



 僕たちは金山駅地下街にある店に入った。サンドイッチで有名な老舗喫茶店だ。名古屋市内のみに何店舗かあり、本店は大須だったはず。

 立地のせいか、お客は僕たちの他に一組しかいない。注文を済ませて、一息つく。


「先生、カイコさんって腐幽霊ふゆうれいだったんですね……」

「誰が上手いこと言えと」

「そういうのは個人の自由かと思いますけど、何か……何か……」

「気持ちは分かる。でもまぁ、実害はないよ。彼女自身が時々挙動不審になるくらいで、一緒に仕事する分には問題ないでさ」


 もちろんそうだろうけれど。


 しばらくすると、頼んだものが運ばれてきた。僕は名物のエビフライサンド、先生はポークカツサンドである。

 だけど、真っ先に目を引いたのはアイスコーヒーだ。ホットコーヒーのカップと氷が入ったグラスが、テーブルに並べ置かれている。


「へぇ、自分で注いで作るんですね」

「そうそう、先に粉砂糖をコーヒーに溶かしとくといいよ」


 メニュー表にも書かれている『おいしいアイスコーヒーの召し上がり方』を参考に、濃いホットコーヒーをカップからグラスへと注ぐ。じわじわと氷が溶け、そのバランスがかたんと崩れる。

 仕上げにクリームを加えてストローで掻き混ぜると、澄んだ濃褐色の液体はまろやかな薄茶色へと変わった。

 一口含めば、程よい苦味と酸味が舌に転がる。鼻へと抜ける香りもいい。サンドイッチに合いそうだ。


「いただきます」


 僕は拝むように合掌してから、長方形の皿に盛られた一切れに手を伸ばす。

 サンドイッチの断面には、エビフライが三本。きつね色の衣から覗くエビの身は透き通るように白い。その両側には、玉子焼きと千切りキャベツ。それらを挟み込むパンは軽くトーストされたもので、ほんのり温かい。


 齧った瞬間、衝撃が走った。

 パンの香ばしさに、エビフライの衣のサクサク感と身のプリプリ感。柔らかな玉子焼きのコクと、シャキシャキしたキャベツの甘み。

 そして何と言っても、それを彩るソース。トンカツソースに加えて、なんとタルタルソースも使われている。

 これほど多種多様な風味と歯応えが一気に来るのに、その全てが見事に調和し、信じられないくらい味わいに奥行きがある。


「うっま……」


 しっかり咀嚼し嚥下して、アイスコーヒーを飲む。舌が一旦さっぱりとリセットされて、次なる一口が欲しくなる。一切れがなくなるのはあっという間だ。


 先生は僕よりやや遅いペースでポークカツサンドを食べながら、感慨深げに頷いた。


「ほんと美味そうに食うね。奢り甲斐があるわ」

「あっ……すいません、いつもありがとうございます」

「いや、いいんだて。気にしんとたくさん食やぁ」


 もしかして。

 ある程度のトシになると、自分が食べることよりも若者がガツガツ食べている姿を見ることで満足感を得る人が世の中にはいると聞いた。先生はそのタイプなのかもしれない。


 食事を終えるころ、先生は言った。


「次の雨の日にカイコさんとこ行こう。また天気見て連絡するわ。実物に触れてみんと分からんこともあるだろうでな」


 ヒヤッとした。

 たぶん、僕が魂を憑依させなければ、真相は掴めない。


「とりあえず、瀬戸物の歴史をざっと勉強しといてよ。授業の課題とかもある中で悪いけど」

「いえ、大学の図書館も使えますし、いろいろ調べてみます」

「今回もよろしく頼む、我が助手よ」


 気障に微笑む先生へ、どうにか笑みを返す。

 憑依への不安を、上手く誤魔化せていただろうか。

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