2-2 大切にしたいもの

 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。

 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 樹の神と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部 はじめ

 ここで樹神こだま先生の助手をしている、名古屋市内の国立大学に通う十八歳だ。 


 これからご紹介するのは、古い焼き物にまつわる不思議な話。

 骨董品の壺には、いったいどんな魂の記憶が宿っているのか——。



 ◇



 僕がお客さんを連れて事務所へ赴くと、すっかり気障キャラを作った樹神先生が恭しく出迎えてくれた。


「ご苦労だった、服部少年」

「いえ」


 そして僕の後ろの女性に目を留めて、優雅な仕草でお辞儀をする。


「やぁ、これは美しい方だ。お待ちしておりました。どうぞ」

「え、えぇ……」


 伊達男による大袈裟な歓迎に戸惑ったまま応接スペースへと通されたその人は、先ほど大須の『懐古堂』に壺を持ってきたお客さんだ。

 名を、長江ながえ 菜津子さんという。見た感じ、先生より少し年上か。

 なお、あの壺は『懐古堂』に置いてある。


 猫脚のローテーブルを挟んで、二人は対面に座った。

 そこへ僕はお茶を出す。コーヒーを切らしていたので、予備で用意のあったインスタント粉末の緑茶を湯呑みに入れた。


 緊張した面持ちの長江さんへ、先生は甘い笑みを向ける。


「探偵の樹神 皓志郎こうしろうと申します。『懐古堂』の店主より伺っておりますが、なんでも奇妙な壺をお持ちだとか」

「えぇ、そうなんです……」

「店主からお話があったかと思いますが、モノ自体の素性は懐古堂さんの方で、怪異現象については私の方で、それぞれ調査を担当させていただきますので、よろしくお願いします」

「はい、お願いします」


 長江さんの話をまとめると、こうだ。

 くだんの壺は、約三十年前の『せともの祭り』の折、彼女の祖父が骨董店で買ったものだった。

 その壺は古い瀬戸焼の、『四耳壺しじこ』という種類のものであるらしい。江戸時代にいた瀬戸の有名な陶工・加藤民吉ゆかりの品物だと聞いた。

 購入後しばらくは祖父宅の床の間に飾られていたが、なぜか祖父自身が蔵に仕舞い込んでしまった。

 最近になって長江さんが蔵で壺を見つけたところ、妙な『声』が聞こえたという。


「『足らぬ、足らぬ』と、壺が言うんです。それも、決まって雨の日に」

「ほう、雨の日に。それは興味深い」

「あまりに『足らぬ』と言われるので、一度わたし、試しに茶葉を入れてみたんですけど」

「茶葉」


 大胆すぎるのでは。


「あの壺、『茶壺』なんですよ。抹茶用の茶葉を保管しておくための容器です。だから本来の使い方をしたらいいんじゃないかと。わたし、茶道の先生をやっておりまして。そもそも壺は茶道具として使うために探し出したんです。……だけど、どれだけ茶葉を入れても全く変化がなくて」


 そりゃあ妙な声が聞こえ続けるのでは、落ち着いて使えやしないだろう。


「失礼ながら、長江さんには霊感のようなものが?」

「そうですね。薄っすら不思議なものの気配を感じることは、今までにもたまに。たぶん祖父もそうだったんだと思います」

「壺の声、怖くはなかったんですか?」

「怖いというより、腑に落ちました。なぜ祖父が壺を仕舞い込んだのか、長年の謎が解けたんで。でも今度はなぜ壺が『足らぬ』なんて言うのか気になって。何か訴えているなら、ちゃんと知りたいんです。それに……」


 長江さんは少し言い淀んでから、再び口を開く。


「こんなこと言ったらおかしいんですけど……『神さま』だと思うんですよ、あの中にいるの。祖父がそう言っていたんで、わたしもそんな気になってるだけかもしれませんけど」


 先生はかぶりを振った。


「いえ、おかしくはありませんよ。長く使われた道具には魂が宿り得ます。問題となるのは、それが悪い『念』を発していた場合だ。そのモノにとっても良くない状態ということですからね。長江さんの仰る通り、壺が何を訴えているのかを調べ、対処すべきであると考えます」

「……ありがとうございます」


 僕にはあの壺が、負の『念』を発する呪いの品にしか見えなかった。

 だけど彼女にとっては、きっと正の思い入れのあるものなのだろう。

 いつもながらフラットな我が師匠の対応で、見え方に偏りのあった視界が開けた気がした。


 先生は一口だけお茶を飲み、長い脚を組む。


「壺にまつわる怪異や逸話は、古今東西いくつかあります。メジャーなのは日本神話ですね。素戔嗚尊スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチを退治するために用意した、八塩折ヤシオリの酒。それを入れるのに使った容れ物の一つが、『印瀬いんぜの壺神』と呼ばれるものでした」


 そのエピソードは有名なので、僕も知っている。でも、さすがに壺のことは初耳だ。


「かつてその壺に人が手を触れた折、天地が鳴動した。壺に供物を納めて事なきを得たため、神として祀られることになった、というものです。つまり、『壺』自体が超自然的な神と考えられるパターンですね」


 道具というより、壺そのものが神だということか。


「それから、九州のとある古いやしろにあった壺の怪異の話。社に住み着いた乞食が、その壺を勝手に持ち出して酒を買っていた。それを村人が見咎めて、乞食を追い出した。するとその晩から村人の夢に壺が現れて、『毎日酒を入れてもらって楽しかったのに』と嘆いた。そこで村人は乞食を呼び戻し、酒を買い与えて住まわせることにしたそうです」


 こちらの話は、いわゆる付喪神つくもがみのイメージに近い。


「『足らぬ』という声の意味するところとして、例えば過去に縁のあった何かを壺が気に入り、以来ずっとそれを欲しているという可能性が考えられます。前者の例のように壺そのものが神として崇められていたのであれば、供物として捧げられた何かを。後者のように道具として使用された経歴があるならば、その用途に応じたものを。いずれにせよ、壺の要求内容を知る必要があると思います」


 いったい、誰にどんな使われ方をしてきた壺なのだろうか。


「以前の持ち主が分かればいいんですが。お祖父さまがこれを購入した骨董店は、まだ営業していますか?」

「それが、もう閉店したみたいで。当時の店主も、亡くなっているそうです」


 長江さん自身も壺の素性が気になり、店主のご家族の連絡先を調べ、事情を説明したらしい。しかし結局、何も分からないと言われてしまったそうだ。

 木箱の封印札に、ある寺院の名があった。かつて異変に気付いたお祖父さんが、壺を預けた先の。そこへ話を聞きにいったところ、『懐古堂』を紹介されたという流れらしい。


「壺が欲しがっているものをあげたら、声は聞こえなくなりますか?」

「必ずそうだと言い切ることはできませんが、何らか変化はあるのではないかと。雨の日にだけ声を発するというのも気になりますね」


 長江さんは軽く目を伏せる。


「あの声、何となく苦しげに聞こえて。壺とはいえ、苦しいままなんて可哀想じゃないですか」


 先生は感心したように頷く。


「なんと……美しいだけでなく、心根の優しい方だ。あなたのような方に使ってもらえるなら、道具も幸せでしょう」

「お茶の道具はどれも大切です。丁寧に扱えば応えてくれますから。『神さま』なら尚のこと、適当な扱いはしたくありません。それに、本当に加藤民吉の壺なら、貴重なものなんでしょうし。わたしにとっては祖父との思い出の品でもあります。できれば、ちゃんと茶壺として使えたら嬉しいです」


 先生の誠実そのものという笑みが、それに応えた。


「分かりました。では一度実物を拝見し、『声』の原因について調査します。可能な限り、長江さんのご意向に沿うような形で対処いたしますので」



 調査契約を結び、長江さんを玄関で見送ると、先生はおもむろに僕の方を振り返った。


「服部少年、カイコさんみえとるよね?」

「やっぱり気付いてましたか」


 僕はポケットから白い蝶のブローチを取り出した。

 するとたちまち、モヤが結集してカイコさんが姿を現す。


「いやぁ樹神くん、急なお願いで悪かったねぇ。引き受けてくれて助かったわ」

「そりゃあ受けますよ。こちらの取り分が七割ならね」


 どうやら大人の事情があったらしい。

 せっかく長江さんの心情へ寄り添う先生の姿勢に感銘を受けていたところだったけれど、なかったことにしようと思う。


 今度は先生とカイコさんが向かい合わせで応接ソファに腰を下ろす。


「さて、カイコさん。今回の依頼品はどういう素性のモノです?」

「うん。まずね、あれ贋物だわ。加藤民吉の壺じゃないよ」


 ……鑑定団の番組なら本人評価額が大幅に減額されるパターンのやつだった。

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