#2 強欲の壺
2-1 雨降りと神さまの壺
◆ ◆ ◆
それは、雨の降る日だった。
わたしはおじいちゃんに連れられて、『せともの祭り』に来ていた。
ここ愛知県瀬戸市は、焼き物の街だ。
瀬戸川沿いにずらりと並んだ白いテントの下には、色とりどりのお皿やお茶碗がたくさん。いい食器が安く買えるからって、両手いっぱいに買い込むお客さんもいた。
どちらを向いてもすごい人。傘と傘とがぶつかり合って、空も色とりどりに覆われていた。
「なっちゃん、好きなもの買ったるよ」
「やったぁ! ありがとう、おじいちゃん」
わたしのお目当ては、もっぱら出店の食べ物たち。フランクフルトにリンゴ飴、たませんにわたがし。
迷いに迷って、わたしはベビーカステラを買ってもらった。ふんわり甘くって、とってもおいしい。
下駄と浴衣で歩くのはちょっと大変だけど、お祭りは楽しい。目に映るもの全部、きらきらして楽しい。
おじいちゃんが、ふと足を止めた。
お祭りの通りの外れにある古そうなお店の前に、いくつか品物が並べられている。
「ほう、骨董ですか」
「えぇ、お祭りに便乗して。勉強させてもらいますよ」
「そりゃあいい。私も趣味でいろいろ蒐集しとるんですよ」
お店のおじさんと楽しげに言葉を交わしたおじいちゃんは、一つの壺に目を留めた。
「
「えぇ、古瀬戸の
「こりゃまた商売上手なことで」
「ここだけの話、あの加藤民吉ゆかりの品なんですよ。掘り出しもんですわ」
「ほう、民吉の」
その壺は十歳のわたしが両手でやっと抱えられるくらいの大きさで、口の周りの肩みたいな部分に出っ張りが四つ付いたものだった。深い茶色で、どっしり重たそう。
この中に、神さまがいるんだ。
おじいちゃんはその壺を気に入って、何万円もお金を払って買った。
わたしはご機嫌。おじいちゃんもご機嫌。
帰り道、雨の音に紛れて、何か聞こえた気がした。
——……らぬ……
「え? おじいちゃん、何か言った?」
「何も言っとらんよ」
気のせいだったかな。まぁいいや。
それからというもの、あの壺はおじいちゃんちの床の間に飾られた。わたしがお泊まりする部屋だ。
それを見るたびお祭りのことを思い出して、なんだか楽しい気持ちになった。
神さまの壺。
わたしにとっても特別で、大事なもののように思えた。
だけどそれから数ヶ月、わたしが遊びにいった時、壺は床の間から姿を消していた。
「おじいちゃん、壺はどうしたの?」
「あの壺はなぁ……神さまの調子が悪いみたいだもんで、お寺さんに預かってまっとるわ」
次に行った時も、床の間は空っぽだった。
「おじいちゃん、壺の神さまは治った?」
「あぁ、あれはなぁ……お寺さんから返してまったけど、あんまりあの神さまを外に出さん方がええっちゅう話で、蔵に仕舞ってあるわ」
「そうなんだ……」
せっかく楽しい思い出の壺だったのに。
それから三十年が経った。
祖父が亡くなったのを機に、わたしは蔵の整理をすることにした。
小学生のころ祖父と一緒に『せともの祭り』へ行った折、祖父が茶壺を買ったのを不意に思い出したのだ。あれがきっとどこかにあるはず。
確かあの骨董店の人が「加藤民吉ゆかりの壺」だとか言っていた気がする。瀬戸焼を盛り立てた陶工として、この地では有名な人だ。
わたしは今、茶道教室の先生をしている。良い茶壺なら使いたい。そうでなくとも、祖父との思い出の品なのだし。
骨董蒐集が趣味だった祖父の蔵の中は、絵画や掛け軸など古今東西の古い品が整然と並べ置かれていた。
それこそ壺もいくつかあるうち、わたしはついに目的の茶壺を探し当てた。
封をされた蓋を開け、わたしはようやく祖父がそれを仕舞い込んだ理由を知ることとなる。
蔵の外ではしとしとと、寂しく雨が降っていた。
◆ ◆ ◆
今にも雨の降り出しそうな空だった。
大須観音は、骨董市で混雑していた。毎月十八日と二十八日に開かれているものだ。
僕は人混みを避け、境内の脇を歩く。同じように端へと追いやられた鳩が何羽か、僕の後を追ってくる。
本堂の柱や欄干の朱色や『南無聖観世音菩薩』の幟旗の白に加えて、境内には青や緑のテント屋根。
どんより暗い曇天に負けず、色とりどりで賑やかしい。
所狭しと並んでいるのは、年季の入った雑貨や古道具たち。渋めの器やおもちゃや着物、西洋のアンティーク品などもあり、見て回るだけでも楽しげだ。
客層も幅広い。お年寄りばかりでなく、外国人観光客や、和装の若い女性の姿もちらほらある。
ここ名古屋の大須観音は、東京の浅草観音、三重の津観音と並び、日本三大観音の一つに数えられる立派な寺院である。辺りに漂う気は、さすがに強く清浄だ。
僕はお参りを済ませ、景気付けにおみくじを引いた。
しかし。
「うわ……」
紙の上に鎮座するのは『凶』の文字。
ここのおみくじは『凶』の確率が高いと聞いたことがある。仏さまはさほど甘くない。
『凶』を引くのは、「運勢が悪い」というより「高慢な態度をやめて誠実に生きるべし」というありがたい教えであるそうだ。
『利き手とは逆の手でおみくじを結ぶことで、困難を乗り越えて身の周りの悪いものを祓う意味があるんだよ』
悪いイメージのものだって、考えようによっては前向きの力になるはずだ。
境内を後にして、目的地へと足を向ける。
『懐古堂』へ行くのに、最寄りの上前津駅ではなく大須観音駅で降りたのは、荷物の受け取り指定のあったコンビニがそちら寄りだったからだ。
頼まれた小包は軽い。ポリ袋の梱包の中身は、市松人形の着替えだ。先日解決した案件の、あの人形の。
東西に走る、飲食店の多く立ち並ぶ通りを行く。今日も大須商店街は雑多で気怠い空気に満ち溢れている。
今日は毎月二十八日恒例の赤門通り縁日もあり、普段より人出がある。
アーケードのない細い路地へと抜けて何区画かをくねくね行けば、時代に置いてけぼりにされた佇まいの店へと辿り着いた。
辺りには、嘘のように人影がない。重暗い空の色とも相まって、通りそのものが陰鬱としている。
錆び付いた店のシャッターに手をかけると、ばちんと全身に電流が走った。
シャッターが音もなく上がり、ガラス戸がすっと開く。店内に一歩を踏み入れた瞬間、五感の全てが遠のいた。
気付けば僕は、ペンダントライトが照らす夕暮れ色の光の下に立っていた。『狭間の世界』だ。
本来であれば不安定なこの階層は、今日も神棚の発する清浄な気で護られている。
「いらっしゃい、服部くん。待っとったよ」
迎えてくれたカイコさんは、今日も上から下まで真っ白だった。ベリーショートと言っていい短髪と、整った中性的な顔立ち。朗らかな笑みに、ホッとする。
「こんにちは。頼まれたもの、取ってきました」
「ありがとう、助かるわ」
僕の渡した小包が、さっそく開封される。中からは何着かの着物に加えて、洋服も出てきた。
例の人形は陳列棚の端に腰掛けている。先日、僕たちが着物に飾った花々は、既に色褪せて萎れていた。
もう彼女からは『念』の欠片も感じられない。ただ穏やかな魂の存在を薄っすらと知覚するのみだ。
「良かったねぇ、服部くんがいっぱい着替え持ってきてくれたよ」
カイコさんは柔らかく声をかけながら人形を着替えさせていく。
優しく丁寧な手つき。モノを大切に扱う
新しい着物を着せてもらって、どことなく嬉しそうな顔をした人形は、再び棚の端に戻された。
「今日ね、これからお客さんみえるよ」
「また買い取りの人ですか?」
「ううん、今度は浄化の依頼。あぁ、噂をすれば」
言うなり、カイコさんはぱちんと指を鳴らした。
ペンダントライトの橙の明かりが一瞬かき消えて、店内の空間の階層が
程なくしてガラス戸が開いた。
すかさず滑り込んでくる湿った匂いにハッとする。とうとう雨が降り出したらしい。
「すみません」
入店してきたのは、すらりと背筋の伸びた大人の女性。大判の分厚い紙袋を提げている。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
低音の声が応じる。いつの間にかカイコさんは、サスペンダーにスラックスの男性の姿を取っていた。
「どうも、お寺さんの紹介で来たんですけど……」
「伺っとります。品物はそちらですかね。拝見しましょう」
紙袋から出てきた木箱は、高さ五十センチほどの直方体。女性の細腕には重そうだ。
木箱の紐が解かれて、蓋も外される。
その瞬間、全身の皮膚が粟立った。
凄まじい『念』が、木箱から溢れ出したのだ。何このデジャヴ。
「これを見てほしいんです。今、聞こえるかどうか分からないんですが……」
聞こえる、とは。
彼女の手で、中に入っていたものが取り出される。
ひと抱えほどもある壺だ。深い褐色をしていて、重厚感がある。
その口から立ち昇るように湧いているのが、どす黒い『念』と、そして——
「え……?」
——足らぬ……足らぬ……足らぬ……
それは、思念にも似た『声』だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます