1-9 カイコさんの事情
全ての『念』が消失した後、
「カイコさん、そろそろ教えてください。いったい何を企んでいるんです?」
僕はぎょっとした。企みとは、憑依のことではなかったのか。
対するカイコさんの黒い瞳は微動だにしない。
「何って?」
「とぼけないでください。『念』の原因が何なのか、本当はとっくに分かっていたんじゃないですか?」
「……どうしてそう思う?」
「あなたは、誰かが外側から人形に『念』を込めて呪いのアイテムに仕立てた可能性を、まるきり排除していたように思います。あの『念』が人形自身の魂の発するものだと、初めから知っていた」
言われてみれば確かに。
「そもそもあなたは、テリトリー内で触れた相手の性質を一瞬で見抜けるんだ。自分の専門領域であるはずの付喪神の『念』を自分で対処するのではなく、どうしてか服部に記憶を読ませる必要があった。それも、わざわざ私の道具に改造を施してまで。いったいなぜです?」
膠着する二人の視線。
しばし続いた沈黙は、問い詰められてもなお涼やかな声によって破られた。
「……樹神くんには敵わんな。その通りだわ。と言っても、そこまで詳細に分かっとったわけじゃない。付喪神の『念』だってことと、それが昔の持ち主への執着ってことくらいで」
カイコさんが肩をすくめる。
「この際だで言うわ。このところ私、どうにも力が不安定じゃんね。モノの記憶も、前はしっかり読み取れとったのが、最近は不鮮明でさ。『上書き』が上手くできんとなると『初期化』するしかないんだけど、あんな強い『念』をまるごと抑え込むなんて力技、まぁ今の私には無理なんだわな」
「……それは、何か原因が?」
「たぶん
「大丈夫なんですか、それ……」
「うん、無理しんけやね。『契約』で誰かから気を借りれや問題ないし。ほんだで、今回は君んらに依頼した」
なるほど、「契約しよう」と言われた時に気を吸われる感じがしたのは、勘違いではなかったらしい。
先生が小さく溜め息を吐く。
「それならば初めから仰っていただければ」
「逆に訊くけど、樹神くんなら自分の弱体化をそう易々と他人に明かしたりする?」
「いや明かさないですね」
「だらぁ。……でも、そんなこと言っとれんな。ちゃんと君んらを信頼しや良かったね。特に服部くんには、私の力不足で怖い思いさせたわ。ごめん」
先ほど『計算外』と言っていたのは、カイコさん自身の力のことだったらしい。彼女が頭を下げるので、僕は慌てた。
「いやっ、大丈夫ですよ。先生が助けてくれましたし、僕が弱いのがいかんかったんです」
「……ほんと良い子だね。でも、君は弱くなんかないよ」
色素の薄い頬が、ほっとしたように緩む。
「いいね、一人じゃなくってみんなで一緒にやれるのって。心強いし、あんな選択肢があるとは思わんかったもん。二人とも、ありがとね。お願いして良かったわ」
それは思わず見惚れてしまうほどの、柔らかな微笑みだった。
もしかしたらカイコさんは、今までずっと気を張っていたのかもしれない。初めての試みが上手くいくのか、僕たちをどこまで頼りにできるのか、と。
「何にしても、力を温存する方法を考えてかなかん。
白い手が
「見たってよ、これ。メロカリのアカウント作ったんだわ」
「メロカリ」
「今ちょうど昭和レトロブームだら。この流れに乗って在庫を捌けんかなと思って」
「幽霊がメロカリを」
「スマホの電波に階層を渡らせるくらいの改造なら簡単だでさ」
先生は片眉をわずかに上げる。
「もしやカイコさん、店を畳む気ですか」
「いや、そういうわけじゃないよ。無理なく続けたいってだけ」
「ならば良かった。今後も私の仕事道具のメンテナンスをお願いしたいんで」
「それはもちろん。今後ともご贔屓に」
カイコさんがにぃっと笑う。
先生が凛々しい表情で応える。
「また我々に協力できることがあれば、何なりとご相談ください。ただ、服部はまだ力に不安定なところがあるので、今回のような憑依のケースは必ず私が傍にいる状態で行わせていただきます」
「ふぉッ……」
カイコさんの口から妙な声が漏れる。
「樹神くんは服部くんのことが大事なんだな」
「……まぁ、否定はしませんが」
「師弟愛か、フフ……」
「……またそういう……」
「しかも樹神くんは発信特化型で、服部くんは受信特化型……」
真顔で何かぶつぶつ言い始めたカイコさんに、先生は苦々しい表情をする。
「すいません、そろそろお
「あぁ、うん、そうだね。生身の人間が消耗した状態で『狭間の世界』に長居しん方がいいよ」
「えぇ、では」
先生に続いて店を後にする前に、僕はどうしても気になることがあった。
「あの、カイコさん。その人形も売りに出すんですか?」
「うーん、『念』は消えたけど、魂は傷付いたまんまだでな。ちゃんと相応しい持ち主が現れるまで店におってもらおうかな。それまでは私が世話するわ」
「そうですか、良かった」
「またいつでも遊びに来たってよ。ねぇ?」
カイコさんが人形を抱き上げる。上から下まで白一色の彼女に、色とりどりの花を纏った人形がよく映えていた。
『懐古堂』を出て、駅へと向かう。
「悪かったな、服部少年。こんなことになるとは思わんかったわ」
「いえ、ちょっとびっくりしましたけど、大丈夫です」
「カイコさんにフルネーム訊かれただろ。真名を縛られた状態で『契約』を発動されると、抗いようもないんだわ。先に言っときゃ良かったな」
僕が名前を答えた時に先生がたじろいだのは、そのせいだったのだ。
よく考えれば、軽率に名乗りすぎたかもしれない。霊的なことに関わらずとも、氏名は個人情報なわけだし。
「名前で縛るのは、先生の術に似てますね」
「知っての通り、『縛り』は異能の行使における条件設定だ。自分の力をコントロールする重要な手段でもある。カイコさんの場合は術の有効範囲があのテリトリー内に限定されとるもんで、それだけ強力に作用するだろうね」
神棚から発生する独特の気で護られた、カイコさんのテリトリー。その中であっても、魂の力は経年で弱まってしまうのか。
「でも、カイコさんって良い
「うーん、そりゃまぁ、悪霊ではないけど」
「けど?」
「あの
「はぁ」
団子屋の横を通りがかる。醤油の焼けるいい匂いが辺りに漂っている。
「……さっきカイコさんが僕の中に入った時、嫌な感じしなかったんですよ。違和感はありましたけど。むしろ、その後の人形の方が不快感すごくて」
『念』の有無というより、そもそもの魂の量感が違ったと思う。あの人形のような重苦しさと圧迫感が、カイコさんにはなかった。
あったのは、リアルタイムの感情の揺れだけだ。おみやげに持っていったみたらし団子を美味しいと、嘘偽りなく喜んでくれた。
「とはいえ、何が正常な状態なのかも分かりませんけど」
「そこなんだよな。俺は元々の体質からして憑依の適性がないんだわ。こればっかは得意な人にアドバイスを求めた方がいいかもしれん」
「おるんですか? そんな人」
「おるよ。
「えっ、百花さんが」
これまで何度も一緒に仕事をしたことのある人の名だ。
「今後また同じようなことがあるんなら、声かけとくわ」
「お願いします」
行きにお参りした寺院の付近に差しかかる。
ビルの側面に設置された白龍……ではなく、今はからくり時計の方の上演時間らしい。ちらほらと足を止めた通行人たちの見上げる先で、若き信長を模した人形によって父・信秀の位牌に抹香を投げ付けるシーンが再現されている。
僕は本堂の入ったビルに向かって軽く一礼した。力と知恵を貸してもらったから。
「それにしても、今日はお手柄だったな。君の主導で魂を浄化したのって、考えてみや初めてなことない?」
「いえ……あの、はい、ありがとうございます」
じんわりと頬が熱くなる。同時に冷たい汗が腋の下を伝っていく。
あの時の興奮は醒め、隠れていた傷が顔を出す。
自我を、乗っ取られた。
自分が自分でなくなる感覚は久しぶりだ。もっと未熟だったころは、
近ごろは危なげなく他者の感覚を読めていたので、少し……いや、結構ショックだった。
それなりに成長したつもりでいたのに、そんな自信は木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。
「……ちゃんと浄化できて良かったです。憑依されても、自我を保てるようにしんと駄目ですね」
「そんなに気張らんでいいよ。不安なことがあるんなら、正直に言やいい。安全な方法は探しゃいくらでもあるし、少なくとも俺が隣におれば大丈夫だでな」
ぽんぽんと、労うように背中を叩かれる。ふっと肺から空気が抜けて、良くも悪くも気持ちが落ち着いた。
護られていることへの安堵と。
頼りにされていないことへの落胆と。
つまるところ、僕はまだ子供だと思われているのだ。
広場の中央に鎮座する招き猫のオブジェを追い越せば、アーケードの終わりも近い。
時刻は午後六時過ぎ。空はまだ明るいけれど、夕焼けの予兆もある。『狭間の世界』とは違う、生者の時が
不意に気が遠くなった。
いったいどんな気持ちになるのだろう。此方と彼方のあわいにある限られた空間で、長い時を独り過ごし続けるのは。
冴えた風が頬に触れる。
目の前には、名古屋市営地下鉄
「服部少年、腹減ってこん? 一旦事務所戻ってから、夕飯食いに行こう」
どこへ行くのか。何を食べるのか。
何を目指して、どう歩くのか。
選択肢、と、彼女は口にしていた。
「……先生、腹にがつんと来るものが食べたいです」
「いいよ、んじゃ肉でも食うか」
僕は緩く微笑む先生の隣に並び、地下へと続く階段を降りることを選んだ。
—#1 髪の伸びる市松人形・了—
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