1-6 共感応と憑依

「身体を、貸す?」

「そう。私がこのブローチん中に入ったみたいに、服部くんの身体ん中に入るんだわ。そしたら感覚を共有できる」

「えっ……そんなことできるんですか?」


 カイコさんの提案に驚き、僕は樹神こだま先生を見た。

 返ってくるのは淡々とした声だ。


「まぁ、いわゆる憑依というやつだ。器になる者と中に入り込む霊との間で合意と取り決めさえあれば、一つの身体の内部で両者とも自我を保つことは可能だよ。同業者の中にも、それを売りにしとる人もおるくらいだでな。器になるにも問題ないだろう。しかし……」


 先生は軽く眉根を寄せる。


「カイコさん、まさか……」

「ん? 何? せっかく服部くんがおみやげくれたもん。食べたいじゃんね」

「僕にそれができるんなら、いいですよ。どうすればいいですか?」


 どのみちカイコさんが食べられなければ、自分で食べるつもりだったのだ。

 僕は椅子を勧められ、みたらし団子の包みを返された。


「普段通りにしとってくれや全然大丈夫だでね。じゃあ、お邪魔するわ」


 白い姿が、ふっと掻き消える。

 途端、僕の身体の内側で、ぞわりと何かが湧き出すように発生した。


『良かった、問題なく入れた』


 カイコさんの声が頭の中に直接響く。

 自分の中に他者がいる違和感。少しわくわくしているのは、僕ではなくて彼女だろう。

 大丈夫、僕は僕だ。そわそわオロオロしている方が僕だ。似ているようで全然違う。


『いいよ、食べりん』


 言われるがまま団子を一口齧る。先ほど食べたのと変わりない歯応えと味だ。


『わぁ、本当だ。美味しいねぇ』


 ふわっと温かい気持ちが膨れたのが分かった。

 意外にも、不思議に心地いい。

 美味しいものを味わう喜びを分かち合う。それをダイレクトに実感している。

 最後の団子を食べ終えると、すぅっと違和感が消え去った。


 気付けば、すぐ眼前に白い顔。


「いいね、。感度もばっちり。ご馳走さま」

「は、はぁ……」


 近い。意図せず心臓が跳ねる。

 後方から腕組みで見守っていた先生が、神妙な面持ちでぼそりと呟いた。


「なんかエロくない? 新手のプレイみたい」

「……そういうこと言わんといてくださいよ、もうっ」

「体調に異変は?」

「別に何ともありませんよ」


 今になって体温が急上昇してきて、頬が紅潮している自覚がある以外は。

 しかしその熱も、あっという間に霧散することとなる。


「カイコさん……何か引っかかるとは思いましたが、初めから服部をつもりで依頼されたんですね」

「え?」


 器?


「まぁね。だって服部くん、共感応エンパスだら?」


 思わず、絶句した。


 物心ついた時から、僕はひどい受信体質だった。

 他人の感覚を、まるで我が事のように受け取ってしまうのだ。生きている人だけでなく、幽霊のものすらも。


 僕のような体質のことを、『共感応エンパス』と呼ぶ。


 我が身に感じる、怒りや痛みや哀しみ。以前はそれが自分のものなのか他者のものなのか判別できず、よく混乱していた。

 先生から自我をコントロールする方法を教わって、今はきちんと線引きできるようになっている。


 しかしそういう話を、カイコさんには一切していない。


「あの……なんで知っとるんです? 僕の体質のこと」

「ここは私のテリトリーだでな。こないだ握手した時に、そういう資質のある子だってすぐに分かったよ。受信型でないと器にはなれんもんでさ。気の扱い方も上手いよね。ブローチ運んでまっとる間に見とったけど、完璧だわ。こんだけ強力な受信特化型なのに、雑多な念を一つも入り込ませんようにすごい精度でシャットアウトできとる」


 ブローチに宿って僕に持ち出させたのは、そういう意味もあったのか。


「私の助手に勝手な真似はやめていただきたいですね、カイコさん」

「仁義は切っとるつもりだよ。さすがに未成年の子を勝手に器にするわけにはいかんもんで」


 『器』とは、いったい何の。


「さっきも言ったと思うけど、ここは私のテリトリー内だでな。樹神 皓志郎こうしろうくん」

「……えぇ、存じていますよ。こちらに拒否権がないことぐらい」

「そんな警戒しんでもいいて。これはあくまで選択肢の一つだわ。君が私と結んだ調査契約を履行するために、有用なね」


 カイコさんはカウンター上の木箱に手を添えた。


「ひとまず、人形見てまっていいかやぁ」


 御札の封印が解かれ、問題の市松人形が取り出される。すると途端にどす黒いモヤが溢れてくる。

 カイコさんの腕を這い上がった『念』は、彼女の鼻先でバチンと弾け、ひとまず収まった。


「おぉ、威勢いいな」


 カイコさんは愉しげに笑っているけれど、モロに浴びたらタダじゃ済まないような濃い怨念だ。

 先生が低く唸る。


「なるほど。これだけの『念』ならば、敏感な人は心身ともに当てられてもおかしくない」

「だらぁ」

「要はこの人形の過去に何があったのか、服部に憑依させて中身を確認させようということですね」

「そう、その通り」

「……へっ?」


 何だって?


 カイコさんは待ってましたとばかりに唇の両端を吊り上げる。


「服部くんは、付喪神つくもがみって聞いたことあるかや?」

「えっと、古い道具とかに魂が宿ったもの、ですよね?」

「そう。九十九の神と書いて同じように読むこともある。百年近い年月を経た道具やモノには魂や精霊が生じるというアレだよ。外から入り込むんじゃなくて、モノの内側から魂が発生する」


 ここは八百万の神がいる国だ。大事にしている持ち物などに魂が宿るイメージはよく分かる。

 しかし、おや、と思った。


「今の話の流れだと、人形に宿った付喪神の魂が『念』を発しとるってことですか?」

「そうだよ。人間や霊と同じように、人形自身が負の『念』を抱えとるんだわ」


 人間が外側から呪いを込めたケースではない、ということだ。


「服部くん、これまでにも人間や霊の感覚を受信しとったんじゃない?」

「そう、ですね。前はコントロールが効かんかったもんで、勝手に他人の感覚が入ってきてました。今は情報を受け取る対象を自分で選べますけど」

「じゃあ、人形この子の感覚はどう?」

「えっ? ……ちょっとやってみます」


 モノの意識に触れるという発想は今までなかった。

 僕は感覚の回線を引き絞り、目の前の人形へと向けた。ラジオの周波数を合わせるように、ぴったり通じるポイントを探る。

 が。


「……いや、無理ですね」

「うん、だと思っとった」

「なんでですか?」

「モノはあくまで無機物じゃんねぇ。人や霊とは身体ガワの構造が違うもんでさ。感覚や意識に互換性がないというか、触れようのない領域にあるんだよ」


 通信のシステムがまるきり別物ということか。


「だけど、モノに宿った魂の意識にアクセスする方法が一つだけある」

「もしかして、それが……?」

「そう」


 カイコさんは、とびっきりの笑顔で言った。


「服部くんの中に、付喪神の魂を入れりゃあいいんだよ」


 一瞬で頭が混乱状態に陥る。


「そ、そんなことできるんですか?」

「私の力を使えばね。モノに宿る魂には、必ず依代が必要だら。だからんだよ。そしたら魂に刻まれた記憶も読めるってわけだわ」


 カイコさんの黒々とした瞳に、僕の顔が映り込んでいる。硬直した僕の顔が。


 霊体の意識に触れて記憶を読むこと自体は、これまで先生に言われて何度もやってきた。

 この人形の記憶も、僕がじかに読めたら早いだろう。

 だけど。

 あれほどの『念』を発するものが自分の身体の中に入って大丈夫なのか。

 すなわちそれは、僕自身の魂の領域に侵入されるということなのだから。


「樹神くん、服部くんの実戦経験は如何ほど?」

「……ここ二年弱は、可能な限り私の仕事に帯同させています。自意識や気をコントロールして自我を護る力については、問題ありません。ただ——」

「ただ?」

「それは外側からの脅威に対してのことだ。自分の内部に入り込んだものに対してどれほど防衛が効くかは、未知数です」


 先生の声は低い。

 だけど僕の不安要素を正しく把握してくれているということに、心強さを覚える。


「とりあえず、樹神くんにはこれを返しとくわ」


 カイコさんが先生に手渡したのは、重厚なデザインの懐中時計だ。

 アンティークに見えて中身は最新型のスマートウォッチ。形から入る先生らしい仕事道具である。


「電波調整してバッテリー交換もしといたよ。ついでに多少の機能強化もね。それこそ、モノに宿った魂にも対応できるように」

「……こうまでされたら、断るどころか失敗すらできませんね」

だぁれもそんなこと言っとれせんわ。私は『念』の内容さえ分かりゃあいい。そのために一番確実で手っ取り早い方法がそれだってだけで」


 カイコさんは両手を腰にあてる。


「これも何かの縁だと思うんだよ。この人形が売られてきた時に居合わせたのが、気を上手く操れる、器の資質のある共感応エンパスの子だった。それだけじゃない。その子の師匠はあの樹神 皓志郎だ。言っただら、樹神くんの力を見込んで依頼しとるって。この場に私と君がおるんなら、限りなく安全に憑依を試せる。ヤバそうだったら、すぐに取り止めりゃいいわけだでさ」

「まぁ、仰る通りですが……」

「樹神くんの判断に任せるわ。地道に調査する方法もあるわけだし、機能強化した時計も何かしら使いようがあるかもしれん。どうであれ手伝ってまえるんなら、私は助かるもんで」


 不意に、僕は迷いの感情を受信した。それが先生のものだと気付き、はっとする。


 僕は先生の指示通りに動く助手だ。先生はいつも、事案の解決に最も適切な判断を下す。一つの迷いもなく。自信たっぷりに。

 今回それができないのは、僕が頼りないせいなのだ。

 期待してると言われたのに。


「いや、やはりまだ彼には——」

「あのっ」


 先生が口を開きかけたのを遮って、僕は声を上げた。


「僕なら大丈夫です。一度やるだけやってみます。さっきカイコさんが僕の中に入ったので、何となく感覚も分かりましたし」

「服部少年……」

「まだ成長途上なんで、いろいろやってみますよ」


 僕が先生の足を引っ張るわけにはいかない。

 自分を役立たずだとは思いたくない。

 全く怖くないと言ったら嘘になるけれど、途上とはいえ僕もそれなりに成長しているはずなのだ。


「本当に大丈夫なのか」

「大丈夫です。……先生が横におるんなら」


 しばしの間の後。

 先生は眉間の皺を押さえつつ、溜め息をついた。


「分かった。憑依を試そう」

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