1-5 大須の歴史とみたらし団子

 カイコさんが樹神こだま探偵事務所に来た日から二日後の夕方。僕と先生は大須商店街を訪れていた。

 金曜日のせいか学校帰りの高校生が多く、先日よりも人出がある。昔からある商店街としては、割と若者の客を見る。ラフなパーカー姿の僕はともかく、かっちりしたスリーピーススーツの樹神先生は少し浮いていた。


 それにしても、やはり場所が場所である。辺りに蔓延る弱い念やら地縛霊やらを一瞥して、先生は苦笑気味に言った。


「相変わらずだな、この辺は」

「これだけいろいろおっても、あんまり嫌な空気じゃないのがすごいですよね。普通に共存しとる感じで」

「この商店街の雰囲気もあるだろうね。雑多なのが当たり前みたいな」


 古きも新しきも、衣食住も趣味嗜好も、生者も亡者も。何もかもが隣り合わせで気怠くエネルギーを放つ街、それが大須だ。


「まずはお寺さん拝んどこう」

「はい」


 神社仏閣から道端のお地蔵さんまで、見かけたらすべからく拝むべし——というのが、我が師匠のポリシーの一つなのである。

 ここは八百万の神のいる国。習慣的に礼を尽くしていれば、いつかどこかで力を貸してもらえるかもしれない、と。


 新天地通りをゆったりと北上しつつ、道中の寺院に立ち寄った。

 本堂はなんと、きんきらきんのド派手なビルの中。

 建物の側面には、巨大な白龍のオブジェ。何年か前に設置されたもので、二時間おきに口から霧を噴出する謎の演出がある。ずっと前からあるカラクリ人形と共に、商店街の名物となっている珍妙なスポットだ。

 大須ならば、こういう変なものがあっても別におかしくないと思えてしまう。


 さっとお参りを済ませ、メインストリートに復帰する。


「ここの寺、なんかすごいですよね……」

「でも一応、信長ゆかりの伝統ある有名な寺院なんだよ」


 それがなぜ、こんな佇まいに。名古屋らしいと言えば名古屋らしいけれど。


「そう言やぁさ、髪の伸びる呪いの『お菊人形』とは違うんだけど。この寺、明治の中ごろくらいから境内で『菊人形』の見せ物をやっとったらしいわ。ここから全国に菊人形の興行が拡まった」

「菊人形?」

「衣装の代わりに菊の花を纏った人形だよ。今でも秋になると名古屋城で菊人形の催しがある」

「あぁ、武将とか大河ドラマの主人公とかの人形が花で飾られとるやつですね」


 テレビのローカルニュースでちらっと映っているのを見たことがある。


「大須は昔っから文化の発信地だ。ここいら一帯は明治時代、旭廓あさひくるわっていう花街だったんだよ。当時は芝居の興行なんかもあったりして、名前の通り連日朝方まで人が絶えず、不夜城のようだったって話だ」


 明治といえば。


「今回の人形も明治時代のものでしたよね。ここらに遊廓があったころ、近辺の人形工房で作られた……?」

「まぁ、時代的にそういうことだろうね。娼妓や妓楼の客の他、芸能関係者や観光客……いろんな人の出入りがあっただろうで、例の人形が誰の手に渡ったんか特定できるか分からんな」


 愛憎渦巻く夜の街には、人が人を呪うイメージが似合う。

 誰かがあの人形に悪意の『念』を込めた線はあり得るだろう。


「だけどそれほどの繁華街だった旭廓は、繰り返し火災に見舞われて、大正後期には中村遊廓へ移転した」

「あぁ、中村遊廓っていうと、日赤病院の辺りですね。そうか、先に大須の方に遊廓があったんだ」


 名古屋駅の西側、旧中村遊廓エリアでの怪異事件ならば、一年ほど前に調査したことがあった。向こうは昼夜問わず薄暗い感じがして、あの場にいるだけで気分が悪くなってしまうような雰囲気だった。

 同じ遊廓跡地でも、まるで正反対である。


「一番大規模な旭廓の火災は、明治二十五年だ。とある能楽の演芸座から出火して、強風によって大須一帯に延焼した」


 これも、ちょうど明治半ばごろだ。


「その原因がローソクだと伝えられると、市民の間に電燈ブームが起こった。旭廓の妓楼の明かりも、一斉に石油ランプから電燈へ切り替わったそうだ」

「へぇ、じゃあ電気街っぽいのは、その名残だったりします?」

「いや、それはあんまし関係ないかも。いわゆる電気街的な要素は、戦後にアメ横ビルができてからだでな」


 今まさに、第一アメ横ビルが右手にある。『懐古堂』は、すぐそこの路地を何区画か行ったところだ。


「服部少年、ちょっと待った。カイコさんとこ行く前に何か食っといた方がいいかもしれん。霊的なものに触れるんなら、そのつもりで準備しとかんと」


 そんな先生の提案で、先に買い食いすることになった。


 『狭間の世界』へ行く前に腹ごしらえするのは、この業界では常識だ。

 うっかり幽世かくりよに足を踏み入れてしまわないために、自分が属する現世うつしよのものを体内に取り込み、結び付きを強めておく必要がある。

 物理的な実感としても、胃の中に食べ物があることで自らのうつし身を実感しやすくなるというメリットがあるのだ。


 僕たちは近場にあった団子屋に立ち寄った。

 行列のできた店先では、店主のおじさんがみたらし団子を焼いている。串を打った団子にタレを絡ませた後、焦げ目ができるまで炙り。更にタレを重ね付けして、しっかり焼き込む。そのたび辺りに香ばしい匂いが漂い、食欲を刺激する。


 僕と先生はそれぞれ一本ずつ買って、焼き立てをその場で食べた。

 おこげの付いた団子の表面はやや歯応えがあり、中はもっちりしている。噛み締めると、口の中が醤油の風味で満たされた。


「まだちょっとあっついな。美味い」

「美味いですね」


 食べ終わった串をくず入れに捨てつつ、僕はふと思い付く。


「カイコさんって、みたらし要りますかね」

「いや、幽霊だで食えんでしょ」

「でも『狭間の世界』なら、幽霊だって五感は持てますよね。少なくとも触れることはできましたし、自分のテリトリーなら尚さら」

「そりゃそうかもしれんけど。あのひと、現世の理とは違うところにおるでな」

「一応おみやげで持っていきません? 僕が買いますし、カイコさんが食べんけや神棚にお供えした後で僕が食べます」

「律儀なの? 食いしん坊なの? まぁ、ひとまず持ってってみてもいいけど」


 こうして僕たちはみたらし団子を手土産として、今度こそカイコさんの店へと向かった。


 晴天の下で見ても、『懐古堂』はひっそりと陰を纏っていた。むしろ明るい日の光があるからこそ、煤けたモルタルの外壁や錆び付いたシャッターをひどく物寂しく感じる。


「先に階層渡っとこう」


 先生が、よく通る低い声で言った。



 きぃん、と耳の奥で鋭い音が鳴り、にわかに意識が遠ざかる。


 頭がはっきりしたころ、僕たちは真っ赤な景色の中にいた。

 人影のない通りも、いくつか見える雑居ビルも、透き通った青空さえも、燃えるような夕暮れ色に変わっている。

 『狭間の世界』だ。目の前の『懐古堂』はシャッターが上がっていた。


「ごめんください」


 店内へ一歩を踏み入れるなり、背後でぴしゃりと戸が閉まった。アンティークのペンダントライトが揺れ、黄昏色の灯りが店の中を照らし出す。

 ショーケースの上には、市松人形の入った木箱があった。


「あぁ、あの箱か。封印された状態でも嫌な感じがするな」


 目にしただけで、きゅっと腑が縮む。さっき食べた団子が腹の中で存在感を主張する。


 先生はあの白い蝶のブローチをレジカウンターに置いた。

 神棚から清浄な気が流れる。

 ガラガラと奥の引き戸が開き、カイコさんが姿を見せた。そしてブローチを胸元に戻しながら微笑む。


「いらっしゃい。待っとったわ。二人とも、わざわざこんなとこまで悪かったね」

「いえ、うちの事務所から地下鉄で二駅なんで」


 僕は忘れないうちに手土産を差し出す。


「これ、来る途中で買ったみたらし団子なんですけど」

「えっ、みたらし?」


 黒目がちの瞳が小さく見開かれる。


「私に?」

「はい、あの、すごく美味しかったんで、良かったらカイコさんにもと思って……何なら神棚の神さまにでも」


 言いながら尻すぼみになってしまう。やっぱり幽霊の人に食べ物のおみやげなんて、おかしかったかもしれない。

 しかし。


「えー服部くん、どういう良い子なの。本当に樹神くんの助手?」

「えぇ、間違いなく私の助手です。日頃の指導の賜物でしょうね」

「本当かやぁ」


 カイコさんはにぃっと笑って、包みを受け取ってくれた。


「ありがとうね、すごい嬉しい。私自身の身体でこれを食べるのは難しいじゃんね。でも味わう方法ならあるよ」

「へぇ、どうするんですか?」


 白い手が、とん、と僕の胸元に触れる。


「君の身体、貸してまっていいかや?」

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