1-4 疑念と鉄板イタリアン

 カイコさんからの依頼を受諾した樹神こだま先生は、長い脚をゆったり組んだ。


「先んじて、対象物について教えてください。例の人形、年代的にはいつごろのものですか?」

「顔立ちからすると、明治中期ごろのものだね」

「ということは百三十年ぐらい前か。かなり古いですね」

「市松人形って、昭和初期以前のものは着せ替え人形の仕様なんだけどさ。今回のは長いこと触られずに仕舞い込まれとったんだろうね。着物は虫食いもあってボロだけど、人形自体は年代の割に状態いいよ」

「製造元は分かります?」

「着物脱がしたら、昔大須にあった人形工房の銘がお腹に入っとったわ。しっかりした良い作りだよ」

「明治の半ばの大須で作られた、着せ替え人形……」


 明治。そんなに昔のものだったとは。誰がどんな風に使っていたのか、僕には想像も付かない。


「再度の確認になりますが。その人形は元を辿れば、売りに来たお客さんの、お祖母さんの妹さんの持ち物だった。彼女が夭折した後、他の親戚に譲られた。その家族に災いをもたらし、更に持ち主を変えた後も少しずつ髪を伸ばしている……という話でしたね。お客さんは、いくつくらいの方でした?」

「うーん、六十代くらいかやぁ」

「いま六十代の人の祖母世代となると、恐らく明治の末か大正生まれだ。製造時期はそれよりも古い。つまり——」


 先生が指を立てる。


くだんの人形には、お客さんの祖母の妹が手にする以前にも、持ち主がいた可能性がある」


 カイコさんはにぃっと口の両端を上げた。


「そういうことだろうね。さすが樹神くん、話が早くて助かるわ」

「その祖母の妹という人も早死にしたわけですからね。彼女の手元に来た時点で既に『念』を発していたのかもしれません。製造元の関係先を当たって、それ以前の人形の足取りを掴めるといいんですが」

「いい考えだねぇ。そういうのは私じゃできんもんで、手段が増えるのはありがたいわ。今回のケース、対応がなかなか難しくってさ。詳しいことは現物を見てまってから説明するわ」


 かくして、『懐古堂』を訪問する日取りが決められた。


「調査の時、服部くんも来てまえるんだら?」

「えぇ、助手なので帯同しますが」

「ほんなら良かった」

「……服部をお気に召しましたか」

「別に変な意味じゃないよ。素直で良い子だなと思っただけ。一緒に手伝ってまえるんなら嬉しいわ」

「そうですか」


 先生は再び隙のない微笑を作って言った。


「それでは後日、『懐古堂』へお伺いします」



 正式な調査契約を結ぶと、カイコさんは姿を消した。後に残されたのは、あの白い蝶のブローチ一つだ。もう何の気配もしない。

 モノに憑依してテリトリー外に出るのにも、タイムリミットがあるらしい。


 依頼人が帰るや否や、先生は懐から煙草を取り出した。黒い箱にインディアンの絵が描いてあるパッケージのもの。仕事の区切りに一服するのがルーティンなのだ。


 先生は渋いデザインのオイルライターで煙草に火を点けると、何とも言えない表情で煙を吐き出す。


「うーん」

「先生、どうしました?」

「いやぁ、どうも引っかかるなと思ってさ」

「何が?」

「カイコさん。何か企んどる気がする」

「そうなんですか?」

「『念』の調査を他に頼むようなこと、今までなかったはずだ。それもわざわざここへ出向いてまで。普段と違うことが起きとる時は、その理由や背景を用心深く見定める必要がある」

「はぁ」


 さっきはカイコさんに上手く乗せられて、依頼を快諾していたように見えたけれど。


「先生、そもそもカイコさんって何者なんですか?」

「ずっと昔からあの店に住み着いとるひとだよ。道具の修理とか改造とか、空間の階層を操るのが得意で、モノに特殊な機能を付与したり、モノに宿った『念』に干渉したりできる。だもんで、カイコさんと付き合いのある同業者も多い」


 確か最初に「一見いちげんさんお断り」と言っていた。呪いの品の案件を回したり、先生のように仕事道具を頼んでいる人が他にもいるのだろう。


「若い異能者がおつかいで出入りしとることも割とある。ひょっとしたら服部少年のことも使いっ走りにしたいのかもしれんけど。君、年上の女性にやたらとウケがいいでな」

「いや、そんなことないですよ……でも最初に、君は自分で『扉』を開けたって言われました」

「それが最低条件だろうな。俺も十代のころは何べんか手伝いしたわ」

「あぁ、だから『樹神くん』って呼ばれとったんですね」


 若いころ、つまりは未熟だったころの自分を知っている相手。もしかしたら先生は、カイコさんのことがちょっと苦手なのかもしれない。


 一口、二口。煙草の深い匂いが漂っている。


「……まぁ、今ここで考えとってもどうしようもないな。服部少年、昼メシ行こうか」


 先生が一本吸い終わるのを待って、僕たちは玄関を出た。

 

 樹神探偵事務所の階下には喫茶店がある。何事も形から入るタイプの先生が、敢えてそういう物件を選んだらしい。

 その喫茶店は、レトロと言うよりここだけ時代に置き去りにされたかのような、ただただ古い軽食屋だった。『懐古堂』といい勝負ができそうなほどに。

 年季の入ったカウンターは、客側から見えるタイル部分が派手に割れている。内装の壁は元は白かったと思われるが、塗りが削れてひどい有様だ。

 だけど、味は確かで常連客もぼちぼちいる。


 ニスの剥げたテーブルの上では、この店の名物の一つである『鉄板イタリアン』がふわふわと湯気を上げていた。

 黒い鉄皿に載った太麺のナポリタンスパゲティの周囲で、黄金色に輝く玉子が良い音で焼けている。ウインナーの赤、グリーンピースの緑とも相まって、彩りも実に鮮やかだ。


 僕は大量のスパゲティを玉子焼きごと豪快にフォークで絡め取り、口いっぱいに頬張った。

 鉄板に載っていただけあって、かなり熱い。そもそもはスパゲティが冷めないようにと考案されたものなのだとか。

 酸味の奥に仄かな甘みを感じる、こってりとした濃いめのケチャップ味。そこに玉子が絡めば、まろやかな優しいコクとなる。美味い。


 対面の先生は、少なめに取った麺を冷ましつつ口へと運んでいる。熱いものはいつもゆっくりめだ。

 僕は早々に大盛りを平らげて、フォークとスプーンを揃えて置いた。


「先生、気になっとったんですけど、人形が『念』を発するのってどういう状態なんですか?」

「いい質問だ、服部少年。まずはモノ自体を、人間で言うところのうつし身、つまり容れ物と考えるといい。そこに『念』が籠る。パターンは主に二つ」


 先生は中身の減ったお冷やのグラスを取り、ピッチャーから水を注ぎ足した。


「一つは、外側から悪いものが入り込んだパターン。誰かが悪意の『念』を込めて呪いのアイテムを作った場合なんかがそうだな。それを憎い相手に送り付ければ効果を発揮する。そのように人間の『念』が原因のケースならば、恐らく俺でも対応は可能だ」


 グラスの中に元々あった氷がからりと音を立て、形を変える。


「問題はもう一方、モノが自発的に『念』を発するパターン」

「モノが、自発的に?」

「特に人をかたどったモノは、魂を宿しやすい傾向にある。人間と同じように、意思に似たものを獲得することも。それが何らかの原因で負の『感情』を抱けば、『念』を発し得る」


 先生は水を一口飲んだ。


「さすがの俺も無機物の魂には干渉できん。それこそカイコさんの専門なんだがな。とはいえ今回は手伝いを頼まれたわけだで、何か協力して対応する必要のあるケースってことなのかもしれんけど」


 僕は先生の指示通りの動きをするだけの助手だ。だから先生でもカバーできない領分があると言われると、やや不安になる。


「……先生」

「何?」


 呼びかけたものの、口を閉ざした。

 「大丈夫なんですか」と訊ねたところで、「何とかなるでしょ」と返ってくるに決まっている。事実、どんな状況であれ先生が迷ったり悩んだりしているところを、僕は見たことがない。

 先のことを必要以上に心配するのは、僕の悪い癖だと思う。


「いえ……」

「あ、ひょっとしてメシ足らんかった? 遠慮しんと何か頼みゃあ」

「えっ……じゃあミックスサンド追加で」

「いいよ。よぅ食うね」

「……成長途上だもんで」


 すると先生は、ふっと気障に緩く微笑んだ。


「頼もしいな。今回も期待してるよ、我が助手」

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