1-3 樹神探偵事務所にて

 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。

 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 樹の神と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部 はじめ

 ここで樹神こだま先生の助手をしている、名古屋市内の国立大学に通う十八歳だ。


 これからご紹介するのは、持ち主の不幸のたびに髪を伸ばす呪いの市松人形の話。

 モノに宿った魂は、いったい何を訴えるのか——。



 ◇



 『懐古堂』を訪れた翌日。

 この日の授業は、一限の後に四限、五限という飛び石の時間割だ。

 まだ大学内に知り合いのいない僕は、その隙間時間を活用して、珍しく午前中に事務所へ顔を出した。前日にあった出来事を報告するためだ。


 玄関を開ければ、いつものように気障な笑顔が僕を出迎える。


「やぁ、服部少年。昨日はご苦労だったね」


 洒落たスーツベストにネクタイ。長めの髪を後ろで一つに括った、齢三十すぎの伊達男。

 これが僕の雇用主であり師匠でもある、探偵・樹神 皓志郎こうしろう先生である。


 対する僕は、何の変哲もない無地のパーカーにストレートのジーンズ。少し前まではきっちりした学ラン姿でここに来ていたので、私服だと何だか気抜けしてしまう。

 先生の助手となって四度目の春を迎えた僕は、腹に溜まった不満を遠慮なく吐き出した。


「ご苦労なんて話じゃないですよ。ああいう変わった店なら、初めっから説明しといてくれや良かったのに。何が起きたかと思ったじゃないですか」

「まぁまぁ、問題なく入れたでしょ。さすが俺の助手」


 アンティークの本棚を背景に、マホガニーの書物机にもたれて緩く微笑む立ち姿はいかにも探偵といった風情でやたらと絵にはなるけれど、何となく癪に触らなくもない。


「高校の時より時間的余裕があるし、今後もおつかい頼めそうだな。で、どうだった? 時計の修理、いつごろになりそう?」

「それがですね、いろいろありまして……」


 僕はたすき掛けの帆布鞄から、手のひらサイズの小箱を取り出した。

 中にあるのは、蝶の形をした美しい貝細工のブローチだ。


「ん? 何それ」

「……カイコさん、着きましたよ」


 先生には応じずに、ブローチへと声をかける。

 すると、どこからともなく白いモヤが湧いてきて、ふわりと浮き上がった作り物の蝶を中心に結集する。やがてそれは人の形になり、が姿を現した。

 白いスラックスに白いストール、ベリーショートの白い髪。耳元には葉脈のピアスが揺れる。

 『懐古堂』のカイコさんその人だ。白い蝶のブローチは、元通り彼女の胸元に留まっている。


「どうも。ご無沙汰しとるね、樹神くん」

「……これはこれは、お久しぶりです。何か変わった気配があると思ったら、カイコさんでしたか。相変わらずお美しい」

「君も相変わらずの洒落者だねぇ。ますます男ぶりが上がったんじゃないの」

「えぇ、おかげさまで」

「それにしても、いい趣味のオフィスだわ。渋いね」

「いやぁ、カイコさんほどの方にお褒めいただけるとは光栄だ」


 白々しいほどの美辞麗句の応酬。部屋の温度がやや下がったように感じるのは、気のせいではあるまい。


 二人は、応接スペースの猫脚ローテーブルを挟んで、それぞれ革張りのソファに腰を下ろした。

 先生は紳士然とした笑みを浮かべる。


「それで、今日はどうされました? わざわざこんなところまで。私の時計に、何か問題でも?」

「ううん、樹神くんの大事な仕事道具はちゃあんと修理しとるで安心しなよ。今日は別件で、仕事の依頼をしたくてさ」

「……と、言いますと」

「ちょうど昨日、服部くんがみえとる時に別のお客さんが来店して、えらいモノを買い取ったんだわ」

「えらいモノ、とは」


 カイコさんは、きゅっと口の両端を上げた。


「『髪の伸びる呪いの市松人形』だよ。それに纏わる怪異現象について、調べるのを手伝ってまえんかや」


 例の、木箱に封印された状態で持ち込まれたあの人形のことである。


 昨日カイコさんからお願いされたのは、「樹神探偵事務所に連れていってほしい」ということだった。

 大須のあの店の空間をテリトリーとするカイコさんの霊魂は、何かに憑依させないと外に出られないらしい。

 だから、僕は今日ここへ来る前に『懐古堂』に立ち寄り、蝶のブローチを預かってきたのだ。


 カイコさんがくだんの人形について説明する間、僕はコーヒーを二つ用意した。

 その一方をカイコさんの前に置くと、彼女は目を丸くする。


「あれ、私にもくれるの? 霊体だで飲めんよ」

「でも、お客さんなんで」

「そっか、ありがとう。君は良い子だね」


 ふっと柔らかく微笑みかけられる。宝塚の男役みたいな、ハンサムな笑みだ。


 先生はひと通り話を聞き終えると、小さく唸った。


「概要は理解しました。しかし呪いの人形とは、またベタですね。持ち主に不幸や異変をもたらすというのはともかくとして、実際に髪が伸びる事実はあるんです?」

「うーん、元の長さが分からんで何とも言えんけどね。現状、ああいう人形にしてはずいぶん長いよ」


 カイコさんの言う通り、人形の髪は「伸びた」と言われたら信じてしまう長さではあった。


「元ネタは『お菊人形』ですね。大正時代の北海道で、菊子ちゃんという幼いお嬢さんがお土産としてもらった市松人形の話だ。その子が風邪で亡くなった後、人形の髪が伸びる現象が始まったという。その人形は今も北海道の寺院に預けられているそうです」


 ただし、と先生は付け加える。


「この逸話は何度か週刊誌の記事になっていますが、記述がまちまちで、どうも真相が定かじゃない。何にせよ市松人形に関しては、そういう怪異のイメージが未だ根強いです。あの手の人形に『呪い』があると聞いたら、髪が伸びることを連想する人は多いでしょう」


 確かに、持ち主だった人たちの思い込みである可能性は無きにしも非ずだろう。


「そもそも人形の髪というものは、長い髪の束をUの字に折り曲げて頭部に埋め込んで作ってあります。それが抜けてきて片側が長くなると、まるで伸びたように見える。実に単純なカラクリだ」

「でも、少なくとも『念』は間違いなくある。それも特濃のね。服部くんも見ただら?」

「あっ、はい。封印の木箱の蓋を取った瞬間から、黒いモヤみたいな状態で溢れてきてましたね。ものすごい怖気おぞけを感じました」

「そうか、服部少年が言うなら確かなんだろう」


 髪のことより、問題はそちらだ。


「ああいう人形は一般の蒐集家にも人気あるし、異能者にとっても何かと使い途がある。商品として出すためには、今ある『念』を祓わならん。だけど、その内容を把握しんことにはちょっと厳しい。どうにも複雑で強い『念』なんだわ」

「つまり、なぜ件の人形がそれほどの『念』を発するに至ったか、原因を知りたいということですか」

「うん、そういうこと」

「なるほど、お話は分かりました。お受けする前に、一つだけ」


 先生は、完璧とも言える笑みを維持したまま言った。


「カイコさん、いったいどうされたんです? 呪いの品の扱いは、あなたの専売特許みたいなものでしょう。それを私などにご依頼いただけるとは」


 カイコさんは小首を傾げ、ひそやかに眉尻を下げる。


「私、あの場所に一人じゃんね。さすがに今回みたいな強い『念』だと、ちょっと不安でさ。樹神くんの力を見込んで、手伝いを頼みたいんだわ。駄目かやぁ?」

「……そうですか」


 わずかに思案するような間の後、先生はどことなく凛々しい表情を作った。


「承知しました。そう仰られては、断る理由もありません」


 うちの先生は、女性からのお願いに弱い。僕も人のことは言えないけれど。

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