1-2 呪いの市松人形

 の『懐古堂』へようこそ、と。

 目の前の白い女性は、確かにそう言った。


 『狭間の世界』とは、現世うつしよ幽世かくりよの間にある場所だ。地図上の位置は同一であっても、階層が違う。

 生者のいるこちら側より、死者のいるあちら側に近い。二つの世界を繋ぐ連絡通路とも言える。


 普通に生活していたら、こんなところへ足を踏み入れる機会はない。この世界の存在自体、認識している人は少ないだろう。

 僕はこれまでに雇い主である樹神こだま先生のお供で、現世と『狭間の世界』とを行き来したことがある。それも、何度も。

 とはいえ、よもやこのタイミングで引き込まれるとは、一ミクロンも想定していなかったのである。


 戸惑う僕をよそに、奇妙な気配の女店主・カイコさんはにっこり笑う。


「服部くんて言った? なるほど、さすが樹神くんとこの助手だ。この店の外側さ、ある程度の異能者が触ったら自動的に階層が切り替わるように術がかけたるんだわ。お得意さんがふらっとみえてもいいようにね。現世のおもてっ側からじゃ、潰れた店みたいに見えただら? 資質がなけや、『扉』が開かん仕様なんだわ」

「はぁ」


 表情が上手く作れない。動揺のあまり、僕は普段なら絶対に口にしないタイプの質問をしてしまう。


「あの、すみません、あなたは幽霊ですか?」

「あ、やっぱ分かる? そんなようなもんだわ。ここは『狭間の世界』にある私のテリトリーだもんで、ちゃんと触れられる実体を取っとるよ」


 差し出された白い右手を握れば、しなやかな感触が確かにあった。女性らしい柔らかい手で、少しドキドキしてしまったほど。

 僕のことを興味深そうに見つめる黒い大きな瞳が、すっと細められた。


「とりあえず樹神くんからの依頼の時計、見してまえるかや?」

「あっ、そうでした」


 僕は先生から預かってきたものを差し出す。一見するとアンティークの懐中時計だけれど、蓋を開ければ中身は最新型のスマートウォッチという変わった品だ。ちょっと普通にはない特殊な機能を備えている。


「『狭間の世界』におる時の電波の受信状況が微妙だって聞いとるわ。バッテリーも弱っとるかもね」


 カイコさんは慣れた手付きで器具を使って蓋を外し、時計を検分している。


「すぐ直りますか?」

「んー、預かりになるね。数日でできると思うけど」

「じゃあ、また取りに来ます」


 そうして僕が店を後にしようとすると。


「あ、今出てかれるとかんわ」

「え?」

「ちょうど今からお客さんがみえるんじゃんね。ちょっと階層を調整せならんもんでさ」

「はぁ」

「悪いけど、少し待っとってまえるかやぁ。そこに座っとりん」

「分かりました」


 三河弁だな、と思った。語尾に「じゃん・だら・りん」が付く、典型的な。ここ名古屋ではさほど珍しくもないけれど、何となく気になった。


 僕は勧められた椅子に座る。

 カイコさんが出し抜けに、ぱちんと一つ指を鳴らした。

 するとペンダントライトの橙の明かりが掻き消え、また点いた。電灯は白っぽく色を変え、僕の足元には消えていたはずの影が生まれている。


 程なくして、入り口のガラスの引き戸が開いた。


「どうも、ごめんください」


 やってきたのは、やつれた印象の年配の女性だ。僕とは違い、何の疑問もなく入店してきた感じである。


「いらっしゃいませ、『懐古堂』へようこそ。お待ちしておりました」


 低音の声がそれに応じる。

 そこにいたのはカイコさん——

 ではなく、サスペンダーにスラックス姿のひょろりとした男の人だ。

 僕は思わず無言のまま二度見した。誰。


 お客さんは、結婚式の引出物が入っていたと思われる大振りな紙袋から、ひと抱えほどもある木箱を取り出す。その蓋は御札で封じられている。


「あの、これなんですが……供養してまおうと思ってお寺さん持ってったんですけど、『ウチじゃ手に負えん』って言われて」

「えぇ、ご住職から概要は伺っとりますよ。簡易の封印を施すのが関の山だったと。どれ、お預かりしましょうか」


 突如出現した四十がらみと思しきその男性は、やけに落ち着いた喋り方をした。服装の雰囲気からも、白黒写真から抜け出してきたような印象だ。

 彼は木箱を受け取ると、背の低いガラスのショーケースの上に置いた。


「中を拝見します」


 御札が注意深く剥がされ、蓋が開けられる。

 途端。

 僕は身体じゅうの神経を引っ掻き回されるような不快感に襲われた。

 箱の中からは、どす黒いモヤが溢れ出している。


「ほう、これは年代ものの市松人形ですな」


 取り出されたのは、古い少女の人形だ。着物はボロボロで、全体的に薄汚れている。

 そして、凄まじい『念』を纏っていた。

 ビー玉のような黒い瞳と視線が合って、ぞくりとする。

 僕は咄嗟に。『念』の影響を受けてしまわないように。


「これねぇ、こないだ亡くなった叔母の家を片付けとったら出てきたもんなんですけどねぇ。調べてみたら、だいぶ曰く付きのものみたいで」


 お客さんの語った話はこうだ。


 この人形はもともと、彼女の祖母の妹にあたる女性の持ち物だったらしい。

 その女性が病で早死にすると、人形は幼い女児のいる親戚の家に譲られた。

 しかし人形を迎え入れた家の人に、次々と異変が襲いかかる。持病の悪化、事故による大怪我、精神不安定からの自死などなど。

 一つ家族に不幸が訪れるたび、人形の髪は長さを増した。

 次の持ち主、つまりこのお客さんの叔母が何度か処分を試みたが、供養や売却も断られ、祟りを恐れて棄てることも適わず、手を付けられないまま納戸の奥に押し込まれた。その叔母も、大病の末に息を引き取ったのだとか。


「ほんで今も、人形の髪がちょっとずつ伸びてっとるみたいなんですよ」

「確かに、えらい髪が長いですな」


 ざんばら髪は、腰くらいまである。この手の人形はおかっぱ頭のイメージなのに。


「たぶん人の不幸を吸って髪を伸ばしとるんです。あたし自身もいつひどい目に遭うかと思うと、気が気じゃなくてねぇ……」


 こんな『念』を浴びたら、どんな人でも心身のバランスを崩すだろう。

 男性は人形を木箱へ戻し、封印の御札を貼り直した。


「これは買い取りでよろしかったですか?」

「もう、ちゃっと引き取ってください」


 二人の間で売買契約が交わされ、男性からお客の女性へと現金が渡される。

 お客さんは来た時よりもずいぶんすっきりした表情で店から出ていった。


 戸が閉まると、もう一度ペンダントライトが瞬いた。僕が軽い眩暈を覚える間に、店内はまた夕暮れ色に染まり、空間全体を満たす気も元に戻る。


「さて、と」


 男性は姿を消し、再びカイコさんが立っていた。


「ごめん、お待たせしとって」

「あの、今の、男の人は?」

「あぁ、あれも私。ほら、こういう店ってある程度それっぽい人が対応しんと、何となく説得力ないじゃんね」


 カイコさんがパチンと一つ指を鳴らすたび、女性と男性の姿が入れ替わる。


「異能者じゃない人でも違和感なく階層を渡って来店できるように、紹介のお客さんがみえる時はその都度いろいろ調整するんだわ」

「はぁ、なるほど……そうやって呪いの品の買い取りもしとるんですね」

「そう。お寺さんとか神社とかじゃ対処できんような強い『念』を宿したモノが、うちに回ってくる」


 要は特殊な力を持ったモノの扱いをしている店ということだろう。


 カイコさんは人形の入った木箱に手を置いた。


「しっかしこれまた、どえらい『念』だね。こういうのは無力化してから、欲しい人に譲ったり処分したりするんだけど……うーん、相当だわ」


 不意に、黒い瞳が僕へ向く。


「そうだ、服部くん。一つお願いがあるんだけど」

「えっ、何ですか」


 白い指先が、白いストールに留まった白い蝶のブローチをなぞった。


「あのね——」



 ——それが、僕とカイコさんとの出会いだった。

 僕はただ、先生のおつかいで来ただけだったのに。

 あんな事態に巻き込まれることになるとは、どうして想像できただろうか。

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