修学旅行の朝散歩

@yonhon

本文


 闇から抜けた車両に茜色の光がさす。振り返っても何も変わらないあなたとの記憶。嬉しくて哀しい記憶。


 あなたと出会った日、僕らはまだ中学生だった。着なれない制服に包まれた僕は憂鬱と不安と緊張でぐちゃぐちゃだった。一人残らず本を手にもつ教室は不気味だった。手持ち無沙汰な僕は、後ろの席に座るヒトに声をかける。当然長く続くこともなく時間ばかり持て余す。僕の唯一の一年生の記憶だ。でも僕は覚えている。あなたの友達が休んだ日、あなたは友達の机に体を預けそこに存在しないはずの友達と交信をしていた。

 あなたと初めてコミュニケーションをとった日、あなたは堅苦しい文章で、アイドルの話をしてきた。学年がひとつ上がりこれから一年間歩くことになる廊下にまだ慣れない四月、あなたはまだ部活の連絡先しかなかった僕の電話帳に載った初めての女性だった。

 あなたはときどき連絡をしてきた。先に話し始めるのはいつもあなたで僕から話し始めることはほとんどなかった。初めのうちは毎日くるラインにウザたらしさも感じていた。でも気づけばいつの間にかそんな感情はなくなり楽しでいた。あなたとの話はいつもあなたのペースで始まり僕のペースで終わった。たいがい昨日放送されたアイドル番組の感想だったり勉強の話だったり、たいしたことはなかった。半年たっても互いのことは知らないままだった。

二人のコミュニティは少し大きくなった。アイドルが少し好きな君がきた。君は僕よりもハンサムで運動も勉強もできた。いわゆるそれなりにモテそうなタイプだ。君はすぐに僕たちのコミュニティに溶け込みコミュニティの重心を変えた。あなたと僕が疎遠になった。コミュニティの中心はあなたと君になった。あなたは君に連絡するようになりあなたに僕から話し始めることが増えた。

 初めてあなたに電話した日、部活終わりの帰り道は暗く星がちらついていた。駅から歩く道のりがいつもより暗かった。十月の夜は暗く孤独だった。あなたは袋の中にたまった水が吐き出されるように出た言葉を何も言わずにただ聞き続けた。君は、種の分からないマジックを見るように不思議な顔で笑った。

 あなたと僕は遊ぶ約束をした。あなたと僕が出会ってから初めて二人だけで会う約束だった。正月休みの最終日、あなたと僕は地下駅の出口の先で待ち合わせた。街は売れ残った中身のない福袋の処理に忙しそうだ。次々と出口から吐き出される人はどこに行くのだろう。

 その日から僕たちの関係がかわった。いやもっと前から変わっていたのにやっと僕が気付いたのかもしれない。買いものにひとしきり付き合ったあと、帰りの電車の中であなたは言った。

「私、彼と付き合ったんだ。」

トンネルを抜けた車内には薄く夕日が差し込んでいた。何でもない普通の冬の日だった。

 それ以来、なんだか彼女を想うと君の姿が出てきたなんだか連絡するのもためらうことが増えた気がする。あなたは以前と変わりなく連絡してくるけどなんだか僕には違うものに見えた。

 正月から三か月がすぎ僕らは三年生になった。僕らの関係は相変わらず毎日のように連絡を取るしたまに電話もした。すぐ隣のクラスにいるのに廊下の端同士の教室に分かれてしまった気がした。あなたと僕の間で互いに誤解しあってたんだと思う。人間だからそんなものは仕方ない。あなたの中の僕は、本当の僕ではなかった。僕の中の彼女も、本当のあなたではなかった。ただそれだけだった。

 君が僕にいくら怒ったって、君があなたに怒ったって、僕が彼女と遊びに行った過去は変わらないし、君がいくら彼女を束縛したいっと思っても所詮他人同士の慰めあいの関係なのだからそんなのは不可能なのだ。

 人は、人を変えるなんて出来ない。無力なのだ。たとえそれが自分自身であったとしても。


 中学を卒業して僕は高校生になった。彼女とあいまいな関係をつづけた中学生の記憶なんてもう忘れてしまった。君は彼女と知らぬ間に別れていた。周りは君の束縛のせいだとか言っているけれど本当のことは分からない。僕が彼女と遊んだことが一因になったのは確からしいけれど。本当のことなて誰にも分からない。あなたと君にしか分からないだろう。高校生になってもあなたは相変わらず僕の近くにいた。中高一貫校に通っているのだから当たり前か。同じクラスになったけれど、なんだか距離を感じる。僕が一方的にかもしれないが、恋するってのはこういうことかも知れない。

 四月のイベントは、入学式でもなく、クラス替えでもない。僕にとってはあなたの誕生日だ。僕とあなたは、二日違いで生まれた。あなたの方が二日先輩、テストの点数は学年トップテンに入るぐらい良いのに、テスト前は必ず赤点常連の僕に質問攻めをする先輩。そんな先輩のあなたは誕生日になると僕に、可愛らしいものを毎年ねだる、今年はポケモンの櫛が欲しいらしい、なんとも可愛らしいと思ってしまう。普通に考えれば、花の女子高生はポケモンのイラストがはいった櫛など欲しがらないだろう。逆に僕はあなたにマンガ本をお願いした。最近のあなたはマンガを結構な数読んでいるらしい。そんなことならとオススメの一冊をお願いした。プレゼントはいつもあなたと僕の誕生日に挟まれた日に交換する、僕はなんとも可愛らし櫛を、あなたはオススメのマンガを渡した。二人ともなんだか恥ずかしくて渡したら何も言わず自分の席に帰ってしまった。プレゼントの感想はラインだった。

『ありがとう』

『ちゃんと使うよ』

それだけだったけれど僕にはとてもうれしかった。君のくれたマンガ本のブックカバーで隠されたメッセージに気づかなかったのは、その日、一年で一番調子に乗っていたからだろう。

 それ以降も中学の延長線のようにあまり変わることのない関係をつづけた。仲がいいのか、友達なのか、なんとも定義された言葉がない関係。ほかの人には伝えられない心地良い関係。この関係が壊したくない僕はいつもあなたに甘えていたのかも知れない。

 高校に入学して僕は野球部に入った。といっても本格的に活動を始めたのは六月になってから、なにも僕が部活にめったに顔を出さない幽霊部員だったわけではない。みんな同じように四月に入部届けを出して六月から部活に行くようになった。僕が高校に入学した年、それは未曽有のウイルス災害で始まった年だった。学校には四月に数回行ったきり五月は、全く行くことはなかった。六月に入っても教室にいるのはクラスの半分だけ、隣の席も前後の席もいない、ポツンポツンと生徒が座っている、学校に行くのも二日に一回、一週間に二、三回しか学校に行かない、先生は全く同じ授業を普段の倍する必要があった。僕らの高校生活はこんな感じに始まった。顔を合わせると言っても見せるのは顔の上半分だけ、まるでインフルエンザの流行った冬の光景にそっくり、学級閉鎖にすぐになるし、本当に教育を受けているのか不安だ。こんなので夏休みを削って授業なんてされたらたまったもんではない。六月から始まった部活も週三回、三時間ほど、一年生の僕が練習する暇など残されていなかった。できるか分からない大会のために三年生が打った球をマスクを付けた僕らが集める。いままで見てきた高校生活は、いつの間にかおとぎ話の世界へと消え去った。

 こんな状態が夏休みまで続いた。いや夏休み中も続いていたと思う。こんな状況でも僕とあなたの連絡が途絶えることはなかった。近いのに遠かった関係はいつからか、遠くて近い関係になっていた。吹奏楽部をつづけたあなたは部内では四年目の先輩、いやに顔も大きくなったものである。高校から始めた同世代が後輩になる関係が僕には不思議なものである。まあ、隣の席に留年生が座っている僕に言えたことではないだろけれど。さすがに入学一発目に話しかけた人が一つ上とはまた運命なのか。運命とはいつも突然に驚かせてくるものである。

 僕とあんたの関係は変わることもなく、世間の情勢が大きく変わることもなく、秋になり文化祭が開かれた。あなたは文化祭でソロパートを任されたり、テストでは学年一位を取ったり忙しそうだ。もちろん私だって暇を持て余していたわけではない。秋大会では一年生ながらベンチ入りし出番こそなかったが、チーム一の声量で存在感を懸命に出してしたりした。互いにある程度忙しくなりだんだんと連絡も少なくなってきた。いい加減にテスト前に僕を質問攻めにするのも少なくなってほしいものだ。聞きまくるくせして僕が質問すると急に阿保になるのはどうにかならないものか。相変わらず下から数えた方が早い僕の点数もどうにかしたいものである。いつかあなたの上に名前を並べることはできるのだろうか。


 どういうわけか僕の高校生活の記憶はここから大きく飛び高三まですっ飛ぶ。別にここまで何もなかったかと言えばそういうわけでもない。ひとつひとつのことを思い出せばしっかり思い出せる。しかしその記憶はどれもつながらないのだ、ポツンポツンとそれぞれの記憶が浮かんでいる。二年生の夏に大会で二塁打を打った記憶、チームメイトを耐えた練習の記憶、一面銀世界の山から見たスキーの記憶、そしてあなたと美術館巡りをして同じトキを共有した記憶、どれも忘れたわけではない。でもその記憶たちのつながり、間がないのだ。不思議と僕の頭の中でぷかぷかと漂う記憶は僕のここまでの高校生活を美しく唯一無二の輝きを誇っていた。

 こんな僕もえらいもので高三まで進級することができた。僕は文系に進みあなたは理系に進んだ、僕らは別の道で別の夢を追いかけている。三月に二人で美術館に行った帰り時、あなたは僕の進路を聞いて驚いていた。もともと理系だけ見れば学年トップクラスの成績を誇っていた僕がわざわざ苦手な文系へと進んだのだから当たり前だ。

「あんたが文系に進んだら私は誰に質問すればいいのよ。」

とか言っていたが三年生になっても僕にがっつり頼ろうとしていたのだから怖いものだ。この日見てきたフェルメールの話の中はどこに埋もれてしまい、あなたは絵画の中に書かれたうっすら悲しみさえ覚える処女のような目をしながら

『がんばれって』

わざわざラインで送ってきた。

『隣にいるんだから直接言えばいいじゃん』

あなたは目を合わして

「学校辞めるときは、事前に言えよ。」

なんていうから、退学する前提かよってつっこめればよかったのかな。

 四月を迎え何事もなかったように今年も新学年が始まった。相変わらず顔は上半分しか見せないし、校長の話は長いし、いつもの日が続くなって感じだ。でも僕らは変わった。連絡すら取らない月が出てきた。同じフロアにはいるのに全く違う学年のようにかかわりのなくなった僕らは廊下ですれ違っても気づかなくなった。僕も最後の大会が近くなり、あなたも難関大学を目指すとかで互いに忙しくなりそれぞれの日常に埋没していった。


 高校野球の三年はとても短いと言う先輩がいたが本当にその通りだった。気づいたら三年になり夏になる。同じ周期で回っているはずの季節が意地悪しているように早くなる。二年以上ともに戦ったチームメイトがあと少しで別々の方向に別れていこうとしている。毎年のように誰かの身に起こってきたことがどうも自分の身に起こると受け入れられないものである。正直、最後の大会がどうだったかとか練習がどうだったかとか覚えていない。ただ楽しかった、それだけが僕の中に残っていた。前例のないことばかりしてきたと言われる僕らの世代だが、いまいちそんな感じはしない。これが僕らのあたり前だから。


 九月に入った僕らに初めての宿泊行事がやってきた。林間学校や合宿のなかった僕らにとって初めての宿泊行事は修学旅行だった。大阪への三泊四日の旅行。修学だとか言っておきながら学習するのは一日だけ日本を代表するような巨大なテーマパークへ行ったり温泉街へ出かけたりほとんどただの観光だ。学年全員でひとつの場所へ行く、このことすら僕らは、初めてだ。中学の頃は大部屋だった部屋もそれぞれ二人づつの小さな部屋、今をトキメク高校生たちは夜どうし積もる話があるのかも知れないが、なんせ女関係なんてあなた以外なかった私はそんな話に参加することもなくさっさっと寝てしまった。普段は勉強という建前のもと睡眠時間が短いせいか、消灯時間が早かったせいか僕は三時には目が覚めてしまった。隣で寝ている相部屋の住人を起こすわけにもいかない私は、ホテルを抜け出し散歩に出かけた。四時前の梅田は暗いようで明るくて、寝ぼけているように街が動いていた。普段見ない街を探索するようにまだ目覚める前の小道に入り探検する。特に発見もない私は、外出がばれないよう起床時間の前には部屋に戻りまだ眠っているルームメイトの分の紅茶も入れて優雅に昇ってくる朝日を眺めた。これに味を占めた私は、次の日も就寝時間を守り三時に起きた。前日と同じようにエレベーターに乗りエントランスからでた僕は昨日とは逆回りで周囲を回り同じようにホテルに戻ろうとした。けれど私がエントランスに入るとあなたがいた。

「おはよう。」

壁に貼られた美術展のポスターを見ていたあなたに声をかけるとあなたは驚いて

「え、何やってんの。」

と聞いてきたから

「散歩。」

と答える。ここで一緒に来る?なんて気軽に口に出せたらもう少し変わっていたのかも知れない。

「いつから?」

「三時過ぎから。」

などと会話し、なぜだかあなたは

「明日は私もついて行っていい?」

とか聞いてきた。

「別にいいけど。」

別に断る理由もない僕はあなたが来ることを受け入れた。

 次の日の夜明け前の大阪は少し霧がかかりまだ外は暗かった。エントランスで待っていたあなたは少し眠そうだ。二人でまだ暗い梅田から中之島を周る散歩は一人でする散歩よりゆっくりでしっかり地面を踏んでいる感覚がした。あなたは、キラキラ女子の愚痴を軽く吐きながら私の横を歩いていた。

「なんだか二人で歩くの久しぶりだね。」

とあなたは遠い過去を振り返るように話し始めた。

「四月ぶりか、勉強頑張れてる?」

「まあ、ぼちぼち」

とか答える。自分でも曖昧な答えだと思う。

「私、告られたんだ。」

「野球部のI君。返事はまだ返してないだけど。」

今思えば私はあなたに対して曖昧なことばかりしてきた。曖昧な綱渡りのような関係をつづけながらあなたに甘えてきた。いつも僕はあなたとの関係が壊れるのを恐れていたのかもしれない。自分の恋心をはっきりさせないままあなたのやさしさに甘えてきた。でもあなたは一人でしっかり歩くようになっていた。

「そうなんだ。Iは優しいからいいと思うよ。勉強もできるし。」

 僕とあなたが歩いた道は、同じようで一緒の道なんてなかった。

 修学旅行のホテルから歩いて来た道に新しい茜色の光がさす。

 ホテルのロビーにつく頃には朝日は完全に昇りきっていた。

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