23:04

 場面は一転、住宅街。一応東京ではあるが、昼間眺めてきた東京と同じは思えない閑静な道。ゾンビのようになった私たちは、古着を抱えてそこをふらふらと歩いていた。行き先は私の家。


「これ、風呂入ってばたんきゅーかも」


「だろうな……もう少しだべりたいけど」


「なんなら明日帰らないでもう一泊してけば?」


「あー、お言葉に甘えてもいいかもな……」


 夏らしく虫の声がほんのすこしだけ空間に溶かされている。東京でもそれなりに虫はいる。そういえば、カナブンは見てないな。地元では網戸にたかるカナブンに「うるさい! 帰れ!」と裏側からデコピン(デコ?)を食らわせるのが日常だったのに。


「ほら、ここ」


 我が家に到着。学生らしいアパートの一室。


「駅から結構遠いのな……毎日歩いてんの?」


「バスも駐輪場も高いからね、運動も兼ねて」


「偉すぎ……」


 玄関を開けて、郵便受けを確認する。興味のない広告。取った瞬間に丸める。


「いえーい、お邪魔します」


 思えば、両親以外を家に上げるのは初めてだ。それなりにきれいにしておいたが、この女のことだから姑ごっこでも始めそうで憂鬱だ。パチン、とワンルームの灯りをつける。


 思ったより反応は素直だった。


「おっ、いい部屋じゃん」


「一人で生活するにはいい感じよ」


「じゃあ二人にゃ狭いか?」


「寝るだけなら別に」


 寝具は来客用にもうワンセットある。元は親が泊まるときのためのものだが、当然ながらほとんど使う機会はない。今日のために先日干しておいた。


「お風呂面倒だからシャワーでいい?」


「もちろん、お構いなく」


「んじゃ先どーぞ。布団敷いとくから」


「お、じゃあありがたく」


 彼女はキャリーケースを物色し、寝巻と思わしきビニール袋を引っ張り出した。本人の持ち物だから物色という表現は不適当な気もするが、どうにもそれがしっくりくる。その様子を背に、私も布団をクローゼットから出してくる。


 ……後ろが気になる。


 がちゃ、ばたん。


 うわ、このお湯と水調整するやつ久々に見た。


 しゃーっ。


 つっめ……あっつ!


 えーっと、シャンプー……え、なにこいつブルジョワ?


 えっなにこれ髪トゥルントゥルンになるんだけど……


 えっ、すご、私も買お。


「ちょっとー、うるさいんですけどー」


 ウチのシャワー、あんなに音丸聞こえなんだ。先にあいつを入らせてよかった。いつものノリで歌いながらシャワーを浴びるところだった。絶対それをネタにおちょくられる。


 防音といえば。


 シャッターが開いたままなことに気付く。外に光が漏れて近所迷惑になってしまうから、今すぐ閉めなきゃ……という所まで考えて、ふと、思いつく。とりあえず電気を落としてみる。月明かりがいい感じだ。その中で布団を敷いてみる。どうしてもこの部屋で布団を二つ敷いたら、ぴったり並ぶ形になってしまう。


「いいね」


 あいつが喜びそう。


 案の定、しばらくして風呂場から出てきた彼女は「へっ」と笑った。


「スケベじゃん」


「この感じなら月明かりでもヤれそう?」


「いつの話だよ、風呂入ってこい」


「きゃーっ」


 高い声を出してみる。返事はドライ。


「あ、ドライヤー出してって」


 本当にドライだった。それでベストなんだけど。


「その辺にあるからご自由に。あと電気つけたらシャッター閉めといて」


「客にやらすかそれ」


「泊まらせてもらってる身なの忘れないでね」


「ホント感謝してます」


 パチン、と電気がつく。ふと、彼女の動きが止まる。


「……どした?」


「おい、お前シャワーあがったらスマブラかマリカやんぞ」


 えーっ。もう疲れたのに。そう口に出そうとしたのに。


「あんたこそ、私があがるまで寝ないでよ」


「ったりめーよ」


 笑う。その笑みがやっぱり少し腹立たしくて、懐かしくて、心地いい。


「今夜は寝かさない……ぞっ」


「きゃーっ」


 がちゃ、ばたん。嬉しくなっちゃった。


 多分、それ以上の言葉はいらない。あえて言うなら、私たちはあの頃から変わったし、変わってしまったし、それでいてあの頃のままだ。嬉しくなった。


 しかし、こんな疲れ切った体で夜通しゲームだろうか。


 あーあ、どうしたものかな。


 ちょっぴり口角を上げながら、私はシャワーヘッドを手に取った。

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近況報告会 in TOKYO 七戸寧子 / 栗饅頭 @kurimanzyuu

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