無縁墓と白茄子

緒賀けゐす

無縁墓と白茄子

 大学一年生の盆休み、僕は実家に帰省していた。帰省の目的である墓参りも早々に終えてしまった僕は、のんべんだらりとカウチポテト族となるつもりだった。

 そんな折、祖父から招集がかかった。

 呼ばれた理由は、とある無縁墓の手入れだった。

 祖父は顔の広い人間である。その中でも仲がいいのが、地元にあるお寺の和尚様だった。和尚様がその無縁墓の件で悩んでいたところに、祖父が助け舟を出したという次第らしい。

 助け舟、というのも例えにしては直接的だ。なにせその無縁墓は、湾内にポツンとある離れ小島にあるというのだ。向かうには船が必要な場所であり、小さい漁船を持つ祖父が適任だったわけである。なんでそんなところに墓があるのかと道すがら祖父に尋ねたが、今の和尚様が寺を引き継いだ時にはすでにあったもので、和尚様自身も定期的にお経を読んでやれと先代から言われたから数年おきに掃除と法要を行っているだけであり、墓の主である無縁仏の由来ははっきり聞いていないという。近年は和尚様も忙しく、今回は東日本大震災以降、初めて行くということだった。


 漁港でラフな格好の和尚様と合流し、オレンジのライフジャケットを着用して船に乗り込んだ。祖父の漁船に乗るのは、小学生の頃にアワビの口開けに手伝いで乗ったとき以来だった。

 無縁墓のある小島には十五分ほどで到着した。少し高さがあり、屈曲した松の木がいくつも生える岩の塊、といった印象の島で、周囲も五十メートルあるかないかといった大きさだった。もちろん船着場なんてものはなく、猫の額ほどの砂浜があるだけだった。浅瀬まできたところで僕がロープを持って降り、近くの松の幹に結びつけて船の係留を行う。それを終えてから、祖父と和尚様が上陸した。

 墓は島の岩を登った上にあった。剝き出しの岩に鉄杭が打たれ、そこに巻き付けガイドラインとなっているロープを伝って上がった。祖父や和尚様も矍鑠かくしゃくとした人だが、さすがに堪える急勾配だったらしく登りきってすぐ腰を下ろして息を整えていた。しかしこの高さになかったら、墓石は震災の津波で流されてしまっていただろう。墓を作った人がそれを考慮していたのかは分からないが、結果としては功を奏していた。

 赤黒い島の岩とは違い、墓石は灰色の御影石だった。綺麗に加工されたものでなく、くさびでもって打ち割った断面そのままの、粗さのある縦長の小さなものだった。苔むした表面にはうっすらと「無縁之霊」の文字が彫られている。海水とブラシで汚れを落とし、最後にペットボトルに汲んできた真水で洗い流す。和尚様が持ち込んだものなのか金属の花立があったので、そこに花も供えた。最後に線香をあげ、和尚様のお経に合わせて祖父と手を合わせた。

 目を閉じ拝むあいだ、この墓に眠るのはどんな人間なのだろうと考えてみた。

 恐らくなのだろう、と僕は思った。田舎ゆえ、良くも悪くも人間の繋がりが強い場所である。昔ならなおさらだ。そこでわざわざ「無縁之霊」と彫られた墓に入っているのだから、外部から入ってきた人間と考えるのが自然だと思った。

 分からないのは、こんな場所に葬られている理由だった。本人が望んだことなのか、それとも周囲の人間の意図だったのか――。悩んだところで、知る術は残されていない。だから僕はそれ以上考えないことにした。

 また来る機会はあるのだろうか。

 帰りの船上、僕は島を見やる。

 夏の陽炎が見せた幻覚か、松の木々の間に誰かが立っていたように見えた。



 その晩、僕は金縛りにあった。

 金縛り自体は何度か経験していたため、そこまで驚きはなかった。金縛りとはつまるところ、意識だけが覚醒し体を動かすにまで至っていない状態である。全身が何十枚と布団を乗せられたように重かったが、経験則として十数分あれば動けるようになるはずだった。動かせるのは頭の中だけであり、だから僕はあの無縁墓のことを――そして去り際に見た幻覚について考えていた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というように、心霊現象の多くは人間の思い込みが原因だ。点が三つあると顔に見えるシミュラクラ現象と同じである。僕が帰り際に見たアレは、きっとその類いのものだったのだろう。


「……きろ……え……」


 耳元で囁かれた聞きなれない声。

 恐らくはこれも、思い込みの産物だった。あるいは、明晰夢か。


「起きろ……おま……」

「起きろ、おい、お前……」


 徐々にはっきりと聞こえてくる。

 少女の声だ。紛い物でもさすがに怖くなってきたのでタオルケットを被ろうとするが、金縛りで腕はまだ動かない。落ち着こうと思っても、逃げ出せないもどかしさに焦燥が募る。


「なんだお前、動けないのか? しょうがないな」


 ほい、と掛け声が聞こえたと思った直後、鉛のように重かった体が一気に軽くなった。

 閉じていた目が開く。

 銀髪の少女が僕の顔を覗き込んでいた。

 叫ぼうとした。しかし声帯はまだ起きていなかったようで、びくりと震えるに終わる。目を見開いた僕を、不思議そうに少女は見下ろす。


「心配するな、怪しい者ではあるが、不審者でも違法侵入でもない。なんたって私は幽霊だからな」


 彼女は立ち上がると、おもむろに壁に向かって歩き出す。

 そしてそのまま、壁に何の抵抗もなくスルリと飲み込まれていった。


「どうだ、信じただろ?」


 顔だけを壁から出し、少女が笑う。

 動くようになった腕で頬をつねってみると、しっかりと痛い。どうにも夢ではないようだった。

 ようやく出せた声で何の用だと尋ねると、少女はよくぞ聞いてくれたと胸を張る。


「死んでこの方あの場所から離れられずにいたんだが、数年前の津波の影響で束縛が緩んだんだ。そして今年お前達が来てくれたから、付いて出てきた。あそこは暇だ、もっと色んなものを見たい。案内しろ」


 じゃないと呪うぞ、と脅されたので、僕は仕方なく従うことにした。

 翌日、僕は自転車を借りて近所を散策することにした。荷台に少女を乗せ、気のまま風のままにペダルを漕いだ。両親の反応からも、少女は僕以外に見えていないようだった。

 昼間に見る少女は綺麗だった。陽光を銀色の髪が乱反射し、瞳は薄く青みがかった色をしていた。死ぬ前からそうだったのかと聞くと、少女はそうだと答えた。つまりアルビノか、と言ったら「何それ」と聞かれたので、メラニン色素がどうのこうのとうろ覚えの知識で説明した。


「じゃあ、私悪くないじゃん」


 周囲から忌み嫌われ、親からも気味悪がられ、居心地の悪さに町を抜け出し、行き着いたこの土地で死んだのだと彼女は語った。埋葬されたのがあそこだったことからも、僕の地元の人達も忌むべきものだと思っていたのだなと理解した。何か気の利いた言葉を掛けてあげたがったが、何も思い浮かばなかった。

 川沿いをひたすらに進んだ結果、峠の入り口まで来ていた。ここはお前が生きてた頃から仙人峠と言われていたのか、と聞いたら「私この向こうから来たの」と答えた。峠の向こうは遠野市である。生まれるのが早かったら遠野物語に載ってただろうな、と揶揄からかったら、帰りのあいだめちゃくちゃ怒られた。


 次の日は地元のイオンモールに行った。自分の生きていた頃には見なかったものに目を輝かせ、少女は終始駆け回っていた。服も食べ物も見て楽しむことしかできないため、最終的にはゲームセンターでひたすらクレーンゲームをやらされた。


 さらに次の日、僕達はずっと家でテレビを見ていた。アレは何だ、さっきのはどういう意味だと質問攻めにされたが、両親もいたので会話はできない。パソコンで作業している風に見せつつ、彼女にだけ見えるようにメモ機能で応対した。


 スーパーに買い物に行った際、珍しく白茄子が売っていた。僕はそれを買い、精霊馬を作った。「私に向こう行けってこと?」と怒られたが、この夏彼女にしてやれる数少ないことだと僕は思っていた。


 そうこうしているうちに、盆休みが終わろうとしていた。

 盆休みの週末、地元では花火大会が行われる。出店もほとんどない花火だけの催しだが、周囲の明かりも少なく、坂の上にある祖父母宅のベランダからは綺麗に見ることができた。どうだ綺麗だろと誇ってみたら、「別に私がいたところからでも見えてたし」と返された。


「でも、ありがと。誰かと見るのもいいものなんだな」


 花火の光に照らされる彼女の横顔は、ただひたすらに綺麗だった。


 そして、別れの日がやってきた。

 蝉の五月蠅い、昼の駅のホーム。

 キャリーバッグを引きずる僕の横で、少女は小さい歩幅で歩く。


 一緒に来るか?


 気が付けば、そんなことを言っていた。

 青い目を丸くして、彼女は僕の顔を見上げる。

 何度か瞬きをしたのち、彼女は俯き、小さく一度、首を横に振った。


「何となく分かるんだ。今年じゃなきゃ、もう二度とあの世には行けないって。だから――私も私の行くべきところへ行くことにする。お前と一緒に見て回った感じだと、さっさと生まれ変わった方が楽しそうだし」


 名残惜しそうには見えた。それでも、彼女にとって最良の選択であるように思えた。


「それに、お前の用意してくれたコレもあるから」


 気が付くと、彼女の背後に大きな白茄子の精霊馬があった。

 アナウンスが汽車の発車を告げる。

 僕は汽車に乗り込む。

 彼女は彼女で、白茄子に跨がる。


「ありがとな、楽しい夏だった」


 少女を乗せた精霊馬が宙へ駆け出す。

 逆方向へ、汽車が動き出す。

 見えなくなるまで、僕は彼女の姿を車窓から眺めていた。

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