10話

私は彼に手を引かれるがままファミレスに入った。時間もちょうど良いからか、店内の机はほとんど埋まっており男の人が取っていたテーブルにはコーヒーカップがひとつ置いてあった。

「こちらにどうぞ。すいません勝手にドリンクバー頼んでしまって...。」

私は黙って首を横に振った。すると男の人はニコッと笑い席を立った。

「何か飲まれますか?僕のとついでに取ってきますよ。」

「...じゃあコーヒーをお願いします...。」

「わかりました。少し待っていてください。あ、好きな物頼んでくださいね。」

私は小さく頷いた。彼の背が遠ざかって行くにつれ私の心の中にはこれまでなかった不安が登ってきた。時間に遅刻しお金まで払わせて、この後何を要求されるかわかったものじゃない。今すぐに逃げるべきか、そんな考えが私の頭を横切った。

「おまたせしました。」

急な声に私は驚きが隠せなかった。

「あ...ありがとうございます。」

男の人は席に座るとカバンから名刺を取りだし私の目の前に置いた。

「改めまして、中西純也と言います。自己紹介が遅くなってごめんなさい。ところであなたは...」

私は声を出そうとしたが、不安や混乱からか上手く声が出せなかった。そんな私を見て純也さんは心配そうな目をしながら小さく口角上げて見せた。

「まぁ、そうですよね。あんなことがあれば当然です。混乱するのも無理はありません。落ち着いてからでいいですよ。」

純也さんは静かにコーヒーをすすると私の顔をじっと見つめた。

「あの...ひとつ聞いてもいいですか?」

私は小さく頷いた。

「...何かありました?」

私は驚いて反射的に顔を見た。あの時と同じだ。私は何も話していない。むしろ警戒してなにも悟られぬようポーカーフェイスを貫き通す気でいた。普段ならこれを続けていれば、勝手に時間はすぎていた。しかし彼は違った。彼は誰も味方がいない真っ暗闇の中、彼は私を静かに見つけ出しそっと手を差し伸べてくれるのだ。私の目からは自然と涙が流れてきた。そして気がつけば私はこれまであったことを全て話していた。両親のとこ、親戚のこと、そして仕事であったことまで全て話していたのだ。彼は静かに話を聞いてくれた。話の中で溜まりに溜まっていた不満が溢れかえり愚痴も多く吐いた。しかし彼は何も言わずに聞いてくれたのだ。そんな姿を見ていつの間にか私は彼に心を開いていた。そしてそれと同時にこれまで感じることのなかった感情が私の中に生まれていた。

全て話終える頃には夜も深まり、私たち以外のお客さんはいなくなっていた。私は話つかれて今にも眠ってしまいそうだった。

「そろそろ出ましょうか。」

私はハッとして財布を取りだした。

「ここは私がはらいます。」

そういうと彼は私の手を抑えて笑った。

「もう会計済ませてあるので大丈夫ですよ。ありがとうございます。」

「え...、また払ってくれたんですか...。」

「勝手なことしてすいません。」

「いえいえ、そんな、ありがとうございます。しかし、あまりに甘えすぎではないかと...。」

「大丈夫です。私はあなたに何度も助けて貰っていますから。」

「助けて貰っている...?」

私は意味が分からなかった。私が彼と会うのはあの来店以降初めてだ。さらに彼はあの日以降お店に来ていない。私が助けた記憶なんて微塵もない。

「すいません。もしかして人を間違えていませんか?」

私がそう言うと彼はくすくすと笑った。

「いえ、間違えるはずもありません。実は私はあなたを知っています。あなたがまだご両親と暮らしていた時、近くに同い年の子供がいませんでしたか?」

彼から言われた瞬間記憶の底からある記憶が湧き出てきた。

幼い頃住んでいたマンションの隣の部屋には私と同い年の優希という子どもが住んでおり、たまに一緒に遊んでいた。優希は気が弱く時々学校の同級生からいじめられていた。そんな時、私はいつも優希を助けていた。しかし両親が死に親戚の家に行くと優希と会うことは無くなった。

「もしかして、優希?」

「そう!思い出してくれた?」

私は言われてみればと思った。昔見たあの優しい目、そして決定的なのは額のホクロだ。優希は額の右側に小さなホクロがあった。綺麗な顔にそのほくろが妙に似合っていてかっこよかった。

「なんだ、優希なら最初から言ってくれれば良かったのに。」

「ごめんごめん。もしかしたら人違いかもしれなかったからさ、無闇に話しかけられなくて…。とりあえずさ、こっからどうするの?」

私はハッとした。そうだ、私は仕事を失ったのだ。それに気づいた瞬間、縮んでいた不安が急に大きくなった。

「とりあえず、今日はホテルに帰るよ。そっからはまた考える。」

そう言って私はニコッと笑って見せた。すると優希は小さな声で言った。

「…もし良ければさ、うちに来る?」

恥ずかしそうに言う優希を見て昔の姿を思い出した。正直、いい誘いだった。次の仕事が決まるまで少しの期間過ごさせてもらう。というよりかは、当初の目的はそこだった。様々なことが重なりすぎて忘れていた。しかし今となって、自分が恥ずかしいことをしているように思えた。

「う〜ん、それはありがたいけど…、ちょっと考えさせて。どうするか決まったらまた連絡するよ。」

私がそう言うと優希はスマホを取り出した。

「わかった。じゃあ僕のLINE教えておくよ。困ったことがあったら、すぐ連絡してね。」

「わかった。何から何までありがとね。」

そう言って今日は解散することになった。解散したあと、ふと優希の紳士的な優しさに少し涙を流した。








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臨界交番 黒潮旗魚 @kurosiokajiki

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