9話②

プルルルルルル...

スマホのコール音が耳に鳴り響いた。コール音に合わせるように心臓も大きな音でリズムを刻んでいる。当たり前だ、名前すら知らない人に特に用事もなく電話しているのだから、単純に考えれば気が狂っている。しかし私には考えている暇なんてなかった。人生で2度目の居場所を失うという経験。1度味わったあの苦しさをもう一度なんて耐えられるはずもない。心の中で小さく残った自我が電話が繋がらないで欲しいと願ってはいたが、自我より強い、助けを求める気持ちが私をつき動かしていた。

ガチャ...

突然電話のコール音がなりやんだ。

「もしもし、中西です。」

あの時聞いた低く柔らかい声が私の脳に響いた。私は震える声を押し殺して平然を装い優しく声を出した。

「もしもし...ピンクキャッツのものですが...。」

一瞬沈黙が長く思えた。

「ピンクキャッツ...あぁ、あの時の店員さんですか!あの後は大丈夫でしたか?」

「はい...。ご心配ありがとうございます。それで...お店に置いていかれたハンカチを返したいのですがどうすれば良いでしょうか?」

「あぁ、そうですね。あの後私も忙しくて行けなかったですからね。今夜にでも取りに行きましょうか?」

取りに行っても私もハンカチもない。私はなんと伝えれば良いか分からず言葉を詰まらせた。

「その...お礼を言いたいのでどこかで待ち合わせしませんか?」

「わかりました。今どこにいらっしゃいますか?」

「○○町です。」

「わかりました。では○○町の駅の近くにあるファミレスでどうでしょうか。時間は...そうですね18時頃で大丈夫ですか?」

「はい大丈夫です。ありがとうございます。ではお待ちしております。」

私は素早く電話を切った。心臓の音はより早くリズムを刻んでいる。しかし困った。私は助けを求めて電話をかけたはずなのにハンカチを返すための電話になってしまった。午後6時まで時間はある。私は一旦カプセルホテルに戻った。ベットに寝転ぶと急にどっと眠気が襲ってきて気がつけば眠りについていた。

ブブ......ブブ......

スマホのバイブ音で目が覚めた。あれから何時間ほど寝ただろうか。スマホのアラームを止め時間を確認する。18時15分...。あの人との約束の時間...。私は飛び起きた。そして少ない荷物をまとめると大急ぎでホテルを出た。ホテルから駅までどんなに急いでも車を使わない限り30分はかかる。それでは男の人が帰ってしまう。私はなにも考えずに近くに来ていたタクシーに乗り込んだ。

「すいません、駅の近くのファミレスまで急ぎでお願いします!」

扉が閉まるとタクシーは勢いよく出発した。私はもう一度スマホの時間を見た。白い画面に浮かぶ数字は私を急かすように1分また1分と動いていた。その時いきなり車は止まった。

「お客さん着きましたよ。」

私は顔を上げた。しかし周りにファミレスらしきものは無い。あるのは暗闇にこうこうと光るコンビニだけだった。

「すいません、私、駅の近くのファミレスと頼んだのですが...。」

「あれ!?コンビニっておっしゃいませんでしたっけ?」

「いえ、ファミレスと言ったつもりでしたが...。」

「すいません、すぐ向かいます。」

運転手はやけに落ち着いたようすでレバーを引いた。スマホの時間は18時30分を表示している。あの人はいるだろうか...。妙な不安が私を襲った。

ファミレスに着く頃には19時近くになっていた。

「ありがとうございます。いくらですか?」

「4万3000円になります。」

私は違和感を覚えた。ホテルから駅まではあっても10km程だ。4万を超えるなんてありえない。まさか...

「すいません。料金間違えてませんか?」

「何がです?あっていますよ。」

「これホテルからコンビニのまでのお金も入ってますか?」

「当たり前じゃないですか。あなたずっと乗ってたんだから。」

(やられた......。)

私も夜の街で働いていたのでこのような悪い噂は度々聞いたことがあった。この運転手はわざとコンビニによって料金を傘増しするようにしたのだ。私は財布を覗いた。急いで出てきたため財布の中に諭吉が2枚ほどしか入っていなかった。

「ごめんなさい、お金足りないんですけど下ろしに行っちゃ駄目ですか?」

すると運転手の顔が険しくなった。

「あなた逃げるつもりでしょう?」

「じゃあ着いてきて貰っても大丈夫です。」

「嫌ですよ、めんどくさい。どうにか払えませんか?」

こいつは何を言っているのか...。早く行かなければあの人が帰ってしまう。しかし何度見返しても財布には数少ないお金しか入っていない。運転手は相変わらずめちゃくちゃなことを騒いでいる。カオスな状況に苛立ちを覚えた。いくら頼んでも状況は何も変わらない。時間だけがただ過ぎていった。いつしか私と運転手の言い合いは激しくなり周りのことなんて気にしなくなっていた。

「いいから早く払えよ!金持ってんだろ!」

「だから今はないって!下ろしに行かせてよ!」

「てめぇ、絶対逃げるだろ!」

こんな言い合いが永遠と続いていた。あの人はもう帰ってしまっているだろう。そんなことを頭の片隅に思っている、その時だった。

「私の連れがどうかしましたか?」

いつしか聞いたのことのある声が耳元で聞こえた。

「いやね、この人がお金払わないんですよ。」

「そうですか、ではこれで足りますか?」

そう言って財布から5万円程を取り出すと運転手に突きつけた。

「お釣りは結構。まだ足りませんか?」

運転手は私を睨みつけるとそそくさと車に乗りこみ走り去って言った。私はこの時初めて男の人の顔を見た。背が高く、整えられた髪に縁の薄いメガネがよく似合っていた。

「大丈夫ですか?お怪我は?」

久しぶりに聞く優しい言葉に涙が出そうになった。

「はい...ありがとうございます。」

私がそういうと男の人は優しく笑っていった。

「なら良かったです。何かあったのではないかと思ってずっと心配してたんですよ。」

私は不思議に思った。なぜこの人はこんなに優しく笑えるのか...。私には意味わからなかった。

「とりあえずファミレス入りますか。詳しい話は中で話しましょう。」

彼は私の手を優しく握り歩き始めた。


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