9話
あの男の人が来た日からしばらくの時が経った。私はいつものように接客を続けていた。店は常に忙しく、あの男の人のことを考えている暇なんてほとんどなかった。しかし私の頭の中には常にあの日のことが消えずに残っていた。人生初めてのことだったということもあるが、心のどこかであの男の人が来ることを待っているようにも思えた。しかしあの男の人は常連などでは無い。もう二度と来ることも有り得る。前に来た時も上司に無理やり連れてこられたというような感じだろう。となるともう一度来ることは確率的には少ないだろう。
あと私に残っているのは電話番号の書かれた紙切れだけであった。いつもポケットに入れて持ち歩いてはいたが電話をかける勇気は出なかった。当たり前だ、たった1度お店に来たお客さんに電話をかけるなんてとち狂っていると思った。それもたいして用事がある訳でもなく、私情で電話をかけるなんて本当にどうかしている。
そんなある日の事だった。店で事件が起きた。店の金庫からお金が取られたというのだ。そして真っ先に名前が上がったのは私だった。もちろん心当たりなんてない。しかし住み込みで働いているのというのが悪運を招いた。常に人の出入りがあるこの店で人目につかずお金を取れる瞬間なんて無いに等しい。さらに取られた金額は1万や2万などの金額ではなく、何百万という単位で尚更従業員には無理だという話になったらしい。私はすぐに店長に呼び出された。もちろん私は盗んでいないと猛抗議した。しかし店長は私を犯人だと決めつけるような口調で話すばかりだった。「今言えば許してやる」「誰にだって間違いはある」などひたすら私を自白させようとしてきた。私の話なんて一切聞こうとしない。どんなに話しても店長は態度を変えなかった。何度か嘘の供述をしてこの話を終わらせてやろうかと思った。しかしそんなことをすれば私はこの先泥棒という肩書きで生きていかなければならない。そうなると、ただでさえ中卒なのに尚更これから生きていくのが辛くなると思った。ただでさえギリギリの状況なのにさらに辛くなるなんて考えたくもない。だから私は無罪を訴え続けた。ひたすらのように無罪だと声を上げる私にイラついてきたのか店長の口調は徐々に荒くなっていった。「まだ嘘をつくのか」「お前は最悪な人間だ」まるで私を親の仇かのように攻め続けた。時間が経つにつれ私の中に逃げればいいと言う気持ちが強くなっていった。そして問答が始まって2時間が立った頃、私の心の中で何かが切れた。私は勢いよく机を叩くと涙ながらに声を荒らげた。
「私はどこへ行っても邪魔者なんですね。わかりました。私がここから去れば文句なしですよね。これまでお世話になりました。」
そう捨て台詞をはいて店の外へ出た。荷物なんてほとんどない。元々何も持ってきていなかったし、買い物へもほとんど行けなかったことが結果としてよかった。しかしこの後はどうするか...。行く場所なんてあるはずもない。とりあえずカプセルホテル入ることにした。店でしばらく働いていたため、ある程度のお金はある。しかし稼がなければ尽きるのは当たり前だ。私は頭を抱えた。店を出たことには後悔していない。しかしこれからへの不安が募り、自然と涙が溢れてきた。どこへ行っても邪魔者の自分が行ける場所なんてない。今回のことは私の心を大きくえぐり、二度と戻らないだろう。とりあえず今あるものを全て出すことにした。といっても数えるぐらいしかなく、バックの中には財布にスマホ、イヤホン、ポケットティッシュが入っていた。役に立ちそうなものは何も無い。私はがむしゃらにポケットを漁った。すると1切れの紙が入っていた。あの男の人がくれた紙切れだ。(ここしかない...。)混乱したのか、私は自然とスマホを握っていた。
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