第6話 君と夢叶う
電車で二駅先の街、ここを流れる広い川で花火は打ち上がる。屋台も出るので、それを見て回るのと人混み回避のため、一本早い電車で来た。会場へ向かう途中、凛の足取りは軽かった。
「たこ焼き、焼きそば、かき氷……あとリンゴ飴も食べたいなぁ」
今日は、紺色に大きな水色の花と黄色の蕾がデザインされた浴衣を身に纏っていた。後ろでまとめられた髪も相まって、大人っぽく見える。
「……浴衣、似合ってる。すごく綺麗」
考える前に口に出てしまった。なぜだろう、今日はブレーキの調子が悪い。
「えっ、あ、ありがと……」
凛は横顔に垂れる触覚を触った。お互いそれ以上言葉は続かず、変に気まずい空気が流れたまま、会場への道を辿った。
「あれが屋台⁉︎ すごい、お店がたくさん……」
花火大会は夏祭りとは違うので、実際そんなに屋台は並んでいない。それでも凛には初めて見る光景で、これもまた一つの夢。
「夏祭りはもっとすごいよ。それも一緒に行こう」
「うん、行きたい! 夏ってこんなに楽しいんだねっ」
凛は俺の手を引いて、屋台を順々に見て回った。その一つ一つに感嘆の声を上げ無邪気に笑う凛は、まるで小さな子供みたいで。
いつまでも独り占めしていたい、そう思うのは罪なことだろうか。
花火の打ち上げ開始まで、残り十分となった。会場は大盛況で、人すれ違うのにも苦労した。すかさず凛の手を掴む。
「大丈夫?」
「……少し休みたい」
さすがに凛は疲れた様子だったので、一旦屋台のあるエリアから離れた。
「ごめんね、ちょっと息苦しくなっちゃって」
「俺の方こそごめん、もっと早く気づけば良かった」
凛の顔色を見たが、暗くてよくわからなかった。呼吸も荒いわけじゃない。
「なあ、まだ歩けたりする?」
「それは全然大丈夫だけど……」
昨日智樹に、花火が良く見えて人も少ない穴場を教えてもらった。ここから遠くないし、確実に人混みを避けられる。
「いい場所知ってるから、そっちに行こう」
ゆっくりと凛を立ち上がらせ、その小さな手を握った。
会場の川辺から少し離れた小さな公園。そこが智樹から聞いた穴場。少し高台になっていて、空を見上げやすかった。
凛をベンチに座らせ、俺も隣に腰を下ろした。屋台で買った食べ物が入った袋を横に置いてスマホを見ると、花火打ち上げまであと二分。
「こんな場所よく知ってたね」
「智樹に教えてもらった。この辺に住んでたことあるらしくて」
「そうなんだ……なんか緊張する」
凛は夜空を一点に見つめていた。ほんのわずかに星が瞬いている。
「そんな気張るものじゃないよ」
そして静かな公園に、花火玉が打ち上がるときの笛みたいな音が響いた。
「始まった……」
その音が一瞬途絶え、爆発音と共に、夜空に大きな光の花が咲く。その一回を皮切りに、次々打ち上がっていく。暗い空は満開の花畑になった。
綺麗だった。去年は、ただ凛に見せてあげたい一心で、カメラ越しに見た花火。肉眼で見るそれには、やはり言葉で表し難い良さがあった。
「綺麗だろ? 本物の花、火……は……」
凛は、涙を流していた。満開の空を見上げ、瞬きすらも忘れて。
「凛?」
「……あれ、私泣いてる……」
頬を伝う涙に気づいた凛は、急いで目を擦った。
「ごめんね、悲しいわけじゃないよ。つい感極まっちゃって」
再び空を見上げた。花火の光が凛のつぶらな瞳に反射して、輝きを見せている。
「花火って、こんなに綺麗なんだね。写真とか映像とは全然違う……上手く言葉に出来ないや」
愛おしそうに目を細めるその横顔は、病室に閉じ込められていた頃の凛を少しだけ思わせる。
「……連れてきてくれてありがとう。私、生きてて良かった……!」
涙が一筋、また頬を伝った。でも花火に負けない満開の笑みで。世界の何よりも綺麗で美しい、そんなクサいセリフが本当によく似合う。
「———好きだ」
自然に溢れた。今じゃなかったかもしれない。でももう、気持ちに抑えが効かなくて。
「……え」
花火の音で聞こえてないとか、そんな漫画みたいなことはあるはずなく。潤んだ瞳を見開いて、俺を見つめる。
「俺は凛が好き」
爆発音が続く。まるで遠い世界だ。
「……幼馴染として?」
「女の子として」
凛は正面を向いて、動揺を隠せない様子であちこちに視線を動かした。
「俺と付き合ってほしい」
「嘘だ……だって私だよ? わがままで自分勝手で優くんのことたくさん困らせて……かわいくないしスタイルも良くないし……」
途中、凛の声は震えた。
「そんなの知らない、俺は全部好き」
「病気だって、まだ完全に治ったわけじゃない。薬は飲み続けなきゃだし、通院も必要で……再発の可能性もゼロじゃない……そんなの面倒でしょ? 嫌でしょ?」
凛は自分の人生を悲観していた。病気に足を引っ張られる人生、やはり嫌なのだろう。それでも。
「俺は……そんな些細なことで凛を諦める方が嫌だ。病気に負けない、強い凛が好きだから」
また凛の瞳は涙で潤み、頬を伝った。
「……いいの? 私なんか彼女にしたら、絶対苦労するよ?」
「苦労しない人生なんて存在しないよ。なあ、凛は、凛の気持ちは?」
「私、は……」
その涙は一向に止まる気配がなくて、ひたすらに浴衣を濡らしていくだけだった。
「……好きだよ、ずっと。あんなに……あんなに優しくしてくれて……好きにならないわけないじゃんっ……」
凛はしゃくりを上げて泣き出した。花火が照らし出すそれさえ綺麗だと思ってしまう俺は、もはや異常なのかもしれない。
「なら迷わないで。幼馴染はもうやめよう。俺の……恋人になってください」
俺が手を差し伸べると、凛はそれに優しく自分の手を重ねた。
「……よろしくお願いします」
手を握り合ったまま、夜空を見上げた。花火に祝福されているようで、今さら恥ずかしさが込み上げてくる。
「花火、ちょっとだけ見逃しちゃったから……また来年、一緒に来てね」
「もちろん。どこでも一緒に行くよ」
凛は微笑んだ。右手の指先で髪の毛を弄びながら。その仕草の意味、今ならわかるよ。
「ふふ……また夢が叶っちゃった」
静かな公園に二人、手を握り合って見上げる夜空。そこに打ち上がる花火。幸せに、心が満たされていく。
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