第4話 その仕草が甘酸っぱくて
「聞いて! 今日初めてちゃんとサーブ打てたんだよ!」
授業の合間の休み時間、凛は心底嬉しそうに体育の成果を報告してきた。
「おー、よかったな。体力ついてきたみたいだし」
入学当初、凛は授業から外れて一人体力作りに励んでいた。それが今では、無理のない範囲でなら試合に参加できるほどになった。
「うん。優くんもかっこよかったよ」
右手で髪の毛を触りながら言った。俺は二回ほどしか試合に出ていない。そのわずかな瞬間を見ていてくれたのか。
「凛ちゃーん、この問題わかんないんだけど……」
「どれどれ?」
そこで会話は途切れてしまった。真剣に教科書を見る横顔が凛々しくて、一瞬見惚れてしまったのは俺だけの秘密。
「ねえねえねえ!」
斜め前の席の奈央が、急に振り返るなり小声で話しかけてきた。凛を交えて三人で話すことはよくあるが、奈央がわざわざ俺に声をかけてくるのは初めてだった。
「な、何?」
「優真くんは凛ちゃんのこと好きなの?」
ど直球な質問に、なんて答えたらいいか分からず焦りを覚えた。
「……」
「頑張りなよ! 凛ちゃん人気だから!」
「まだなんとも言ってないんだけど……」
聞いてきておきながら、答えを言う前に謎の励ましを受けた。
「そうだ、いいこと教えてあげる」
奈央はより一層身体を近づけ、強引に話を続けた。
「凛ちゃんって、右手で髪を触る癖ない?」
さっきもやっていたアレのことだろう。俺は頷いた。頻繁な癖ではないが、たまに見れるその仕草が可愛くて———
「それ、優真くんといるときだけだよ」
……俺といるときだけ……?
「二人で何の話?」
内容は聞こえてなかったのか、凛は首を傾げている。奈央は急いで身体を引いた。
「何でもないよ。ねー?」
「あ……うん」
凛は怪訝そうにしながらも、深追いせずに黙って席に着いた。それと同時に先生が入ってきて、みんな慌てて自席に戻っていく。
「今日の約束忘れてないよね?」
どさくさに紛れて凛は聞いてきた。
「放課後にショッピングモール」
「うん、覚えてるならよし!」
そしてまた、右手で髪を弄んでいた。
「うわー! あんなに大きかったっけ⁉︎」
電車から臨めるショッピングモールに、凛は大興奮していた。
「確か前にリニューアル工事して、ちょっとデカくなったらしいよ」
「そうなんだ。来るの何年振りかなぁ」
入院する前から遠出はあまりしなかった凛だけど、買い物とかは好きらしい。
モール内に入り、凛のテンションは爆上がり。店を全部見て回るとか言い出したが、今日は体育もあったし体力を消耗しているだろうからさすがに止めた。
「じゃあ、また部活ない日に付き合ってね」
代わりに次の約束をして、今日は一時間程度で帰ることを承諾させる。服を見たいと凛が言ったので、主に二階のショップを中心に見て回った。
「こーゆーとこって女子の友達と来た方が良かったんじゃないのか?」
「いいの! 適当に相槌打ってくれればいいから」
気に入った服を見つけては身体に当ててみて、また戻す。それを何度も繰り返していた。今まで滅多に見られなかった女の子らしい姿が微笑ましくて、見てるこっちまで楽しくなった。
何軒か回った頃、凛は花柄をあしらった白いワンピースを手に取った。
「かわいい……」
「着てみれば? 似合うと思うよ」
特別気に入った様子だったので、試着を促した。値段を見たが若者でも手を出しやすい額だったし、欲しければ買うべきだ。
「……ううん、やめとく」
凛は、首を横に振った。
「え、いいのか?」
「今日、使えるお金持ってないの。着たら欲しくなっちゃう」
服を見たいと言い出した割に、買うつもりはなかったらしい。これを逃すのは勿体ない気もするが、凛に買う気がない以上とやかくは言わない。
一時間はあっという間に過ぎてしまい、凛もそこそこ満足したところでショップを出た。
「そういえばさ、電車は何時なの?」
「……あ」
忘れていた、というか考えていなかった。
「ごめん今調べる」
慌てて検索をかければ、次の電車まであと三十分近くあることがわかった。駅までは歩いて約十五分。微妙な時間だった。
「あと十五分くらいかぁ……どうする?」
ふと、中学の頃に女子から聞いた話を思い出した。
「フードコートのクレープが美味しいらしいから、それ食べに行こう」
お腹も空いてきたし、時間的にもちょうどいい。
「あーごめん、私クレープ代ないからパス」
「いいよ、クレープくらい奢る」
というか俺が、凛とクレープを食べたいだけ。放課後デート的な……恥ずかしいから絶対言わないけど、実はそういうのに少し憧れていた。
「そんなの悪いよ。私はいらないから」
「今日楽しかったから、そのお礼。貰ってくれないの?」
「……じゃあ、お言葉に甘えます」
渋々了承させてフードコートへ向かった。幸い並んでいなかったので、クレープはすぐに買うことができた。
「はい、いちごホイップな」
「ありがとう」
食べたことはあるだろうに、まるで初めて手に持ったように感心し、まじまじと見ていた。
「今日はごめん、付き合わせて。クレープまで奢らせちゃったし……」
「いいって、これくらいしか出来ないから」
透明な三角袋を剥がして、バナナが見えている部分を頬張った。生地はモチモチしていて、甘過ぎないホイップが果物の甘味を引き立てている。
「……やっぱり、治療費がすごくかかっててさ」
まだ封をしたままのクレープを、凛はどこか愛おしそうに見つめている。
「お父さんもお母さんも、かなり頑張ってくれてたみたい。病気はもう回復したけど学校とかたくさんお金かかるから、お小遣いはいらないって言いたくて、無駄遣いしないようにしてるの」
だから、使えないようにわざとお金を持って来なかったと。家族思いの凛らしい理由だった。
「ほんとはね、家族三人で来たい。小さい頃、記憶はほとんどないけど、ここに来たときすごく楽しかったのだけは覚えてる。でも迷惑かけたくなくて言えなかった。代わりってわけじゃないけど、優くんを誘ったの。君にだって、等しく迷惑なのにね」
長い闘病生活の末、凛に希望の光が差し込んだ。人生を明るく照らし、幸せへ導く光。その自嘲的な笑みは、光と同時に生まれた影の部分。
「優くんは病気の私に三年も付き合ってくれて、良くなった今でも甘えてばっかり。ごめんね、わがままで。次の約束したけど、やっぱりいいよ」
そこまで言い切って、クレープの袋を開けた。小さな口で懸命にかぶりつく。
「ん、美味しい……」
しみじみとした口調が感動しているように聞こえて、切なかった。
「……迷惑なんて言ったかよ」
病は今でも凛を苦しめている。それに腹が立って仕方がなかった。
「家庭の事情はわからないけど、これだけは言える。俺も、お前の父親も母親も、迷惑だなんて一度も思ったことはない。考えてみろよ。手術に反対してた時の二人、迷惑なんて思ってたら、あそこまで真剣になってくれるはずないだろ」
こんな風に感情的になったのはいつぶりだろう。口調が強くならないように抑えているつもりだが、凛を驚かせてしまっているのは間違いない。
「俺だって、関係を断とうと思えばいつでもできた。会いに行くのを止めれば簡単に。でも離れなかった。凛が……大切だから」
すごく恥ずかしいことを言ってるんだろうなと、心のどこかで察してしまう。凛の瞳が少し揺らいだ気がした。
「それに三年も付き合ったんだ。たとえ迷惑でも今さらだからな。もっと頼れよ、もっとわがまま言えよ……」
しばしの沈黙のあと、凛はこちらに身体を寄せて、人差し指を俺の口元に当てた。
「へっ⁉︎」
「……ホイップ付いてる」
口元から離された指の腹には、白いものが付着していた。凛はそれをペロっと舐める。顔が熱くなっていくのが、自分でもわかった。
今ずっと、ホイップ付いたまま喋って……
「ふふ、恥ずかしいね」
「やめろって、ほんとにっ」
イタズラに笑う凛を見てたら顔から湯気が出そうな気がして、反対を向いた。完全に黒歴史だ、一生バカにされる……
「ねえ、そのクレープ一口ちょうだい? 私のも食べていいから」
「……いいけど」
赤い顔をできるだけ見られたくなくて、クレープを差し出すのと逆の手で口元を隠した。そのクレープを、凛は自分のと交換する。
「いただきます」
俺もヤケになって、大きく一口もらってやった。いちごの果実が甘酸っぱくて、バナナとは違う風味が口に広がる。
「うん、バナナも美味しいね……ありがと!」
凛は俺のクレープを左手で差し出す。反対の右手で髪をクルクルといじっていた。
あ、これって間接キス……
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