第2話 始まりの日、君を想う
数ヶ月前までのとは違う着なれない新品の制服に身を包み、玄関横の鏡の前に立つ。緋色のネクタイを締め直し、固くて動きにくい革靴に足を突っ込んだ。
「じゃあ、俺行くから!」
入学式の準備で大忙しの父さんと母さんに呼びかけた。
「気をつけてなー」
「凛ちゃんに迷惑かけないようにね」
ちょっと前まで入院生活で制服すら着たことがなかった凛に、どう迷惑をかけろと言うのか。高校生になっても、俺はいつまでも子供なんだろう。
一軒隣の家のインターホン。何度も鳴らしたことがあるのに、今日は今までになく緊張している。だって凛と学校に行くのは小学校の卒業式以来だ。三年のブランクは重い。ボタンを押すと、中から呼び鈴の音がする。
『はーい』
凛の母親の声だ。
「優真です、凛を迎えに来ました」
『あら優真くん!ちょっと待ってて』
通話は切れてしまった。これから凛に会うと思うと、変にそわそわして落ち着かない。俺、かなりキモいな。
「おまたせ!」
急に勢いよくドアが開き、飛び上がりそうになった身体をなんとか抑えた。心臓に悪い。一言文句でも言ってやろうかと思った俺は、彼女の姿を見て息を飲んだ。
前は腰まであった髪が胸の辺りで切り揃えられ、少し見ない間に顔色はずいぶん良くなった。紺のブレザーに俺のネクタイと同じ緋色のリボンが映えて、すごく似合う。
「どうかな、変じゃない?」
俺の視線に気がついたのか、凛は恥ずかしそうに俯いた。
「……似合ってるよ」
「ほんと? ありがとう」
気恥ずかしそうに右手で髪をいじる仕草が可愛らしい。胸の鼓動が高まるのがわかった。
「優真くん、凛のことよろしくね」
またドアが突然開くので、今度こそ身体をびくつかせてしまった。
「ああっ、はい、任せてください!」
「お母さん心配しすぎ! 大丈夫だから。行こ、優くんっ」
急かす凛に手を引かれ、駅へと歩みを進めた。
「まさか私が高校生になる日が来るなんて……人生何が起こるかわかんないね」
久しぶりに乗るという電車に、凛は上機嫌だった。
あの日病室で目を覚ました凛の体調は快方へ向かい、数日後に受けた追試で俺と同じ高校に見事合格した。長いことペンを握っていなかったはずなのに、学年一位の成績だったという。体調面なども考慮し、新入生代表挨拶は二番目の人がやるらしいが。
「よかったじゃん。かわいい制服を着て学校に行きたかったんだろ?」
「え……」
驚いたような表情で俺をじっと見つめてくるけど、変なことを口走った記憶はない。
「覚えててくれたの?」
「あぁ……まあな」
当然だ。もう叶わない夢を思うようなあの悲しそうな表情を、どうして忘れることが出来るだろう。
「そっか。ありがと、優くんのおかげだよ」
「だから、俺は何もしてないって」
当時を振り返る度、凛は俺に礼を言う。頑張ったのも諦めなかったのも凛で、俺は傍らから見ているだけだったのに。
電車が駅に着いて、同じ制服を見に纏った人がぞろぞろと降りていく。俺たちもその中に混ざった。
「うわー、すごい人だね」
感心したように凛は呟いた。が、そんな悠長にしている場合でもない。はぐれないように凛の手を握って、駅の階段を降りた。
駅を出てからは皆同じ高校まで同じ道を辿る。けど凛は少し人混みが苦手なので、ちょっとだけ遠回りの道を選んだ。人混みを抜け、名残惜しさを覚えながらもそっと手を離す。
「ごめんね、気を使わせちゃって」
「いいよ別に。俺もガヤガヤしたの好きじゃないし」
わざわざ遠回りの道を選ぶ人は滅多にいなくて、ついさっきまでの騒々しさは消えていった。
「さっきの続きなんだけどさ」
高校に行く。そんな当たり前を、かつて凛は夢と語った。
「他にどんな夢があるんだ?」
うーん、と唸って凛は考えた。
「いっぱいありすぎて出てこないなぁ」
「全部言ってみて」
「全部⁉︎ 長くなるよ?」
そう言いながらも嬉しそうだった。
「えっとね、まずは友達作りでしょ、勉強もほどほどに頑張って、行事とか思いっきり楽しみたい! 学校帰りにショッピングモールとか行くのも憧れる! 夏休みはねー、海に行ってみたいけど体力的に厳しいから、今年はお祭りと花火かな。あとは———」
普通の若者なら、当たり前に出来ることばかり。けれど幼い頃から病気がちだった凛にとっては、どれも本当に夢のような話で。
「———思いついたのはこれくらいかな。全部、私の夢」
いつかの一言と重なって、どこか切なさを感じてしまう。けど今のは、そんな悲しいものじゃない。希望に満ち溢れている。
「そっか、楽しみだな」
「一緒に叶えてくれるよね?」
その低い背で、俺の顔を見上げた。
「俺はいいけど……これから友達も出来るだろ? その子たちと———」
「いいの! 優くんじゃなきゃ嫌。それに私が生きてるのは君のおかげでもあるんだから、責任持って手伝ってよね!」
怒るように言って、俺より数歩前を歩く凛。後半は言いがかりな気もしないでもないが、そんな風に優しくされたら勘違いしてしまう。
「……しょうがないな。なんでも付き合うよ」
校門をくぐった瞬間、凛は振り返り笑ってみせた。校舎へ続く一本道の両脇で咲く桜が舞って、それはもう美しかった。
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